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隆史は、目覚まし時計が鳴り出す前に目を覚ました。いつもの起床よりも四十分ほど早い目覚めだったので、二度寝で夢の続きを見てもよかったが、そうはせずにベッドから起き出した。昨晩の飲み会でいつものように友人達からもらった活力が、少なからず影響していた。それが早起きという形で行動に現われたようなものだった。
隆史が寝巻のまま、リビングへと降りて行くと、コーヒーの芳醇な香りがふわりと漂ってきた。父が母の用意した朝食をとっているところだった。今朝の朝ごはんは洋食のようだ。銀婚式もとっくに過ぎている夫婦だが、今でもとても仲が良い。世間では、こういう夫婦をおしどり夫婦と呼ぶのだろう、と隆史は常日頃思っていた。
ただ、目の前にある穏やかな朝の風景も、一朝一夕に手に入れたわけではない。こうした生活を送るようになるまでの長い月日、両親の苦労を隆史はずっと側で見てきた。二人で乗り越えてきた苦難は子供心にも、並大抵でないように思えた。ようやく一緒にここまできたという戦友のような情が、二人の絆を夫婦以上のものとして、より強く結んでいるのだろうと、隆史は想像している。
今でこそ、広い一戸建てに家族三人で住んでいるが、隆史が小学生まで暮らしていたのは、古紙回収業を営む作業所の二階にある事務所兼自宅というスペースだった。
隆史の家には、友達の多くが持っているような木製の勉強机もなかった。折りたたみ式のスチールのテーブルで宿題や試験勉強をこなしていた。
しかし、母は教育費といわれる出費には、かなりの金額を惜しみなく出してくれたと思う。せめて、一人息子には頭を使う仕事をさせたいという思いがあったのだろう。それが家計を圧迫していることは、両親が言葉に出さずとも肌で感じていた。だからこそ、母の思いを無駄にはすまいと自分の心に誓っていた。
父は朝早くから夜遅くまで、馬車馬のように働いた。身体を使う仕事だったから、仕事を切り盛りするのは、精神的にも肉体的にも大変だったはずだ。母は帳簿をつけたりと、事務員を雇えるようになるまで、雑用を一手に受けていた。
仕事が軌道に乗って、両親にも余裕が見えはじめたのは、隆史が私立中学に進学してからだ。リサイクルという言葉が一般的になり、古紙以外も扱うようになっていた父の会社は、時代の波に乗った形だった。そのまま事業は大きくなり、今では会社がお金を産んでくれるまでに成長している。
「あら、もう起きたの?ずいぶん早いじゃない?」
隆史に気付いた母が声をかけてきた。
「おう、おはよう」
父も珍しく出勤前に息子の顔を見ることができて、満足そうだ。父は隆史の起床と自分の出勤時間が入れ違いなのを嘆いているらしい。面と向かって言われたことはない。母から聞いたことだ。
「おはよう」
父が朝食をとっているテーブルの向かい側に座った。
「パジャマで起きてくるなんて、珍しいわね。小さい頃を思い出すわ。たーくんって呼びたくなっちゃう」
母親らしい微笑みを浮かべながら、隆史の前に煎れたてのコーヒーカップを置いた。
「この歳でたーくんは、ないよなあ」
「そんな小学生の子供みたいに息子を呼んでるようじゃ、お嫁さんになってくれる人がびっくりして逃げ出すぞ」
父もまた笑いながら、応戦した。
三人とも、昔を思い出したような間があった。少なくとも、隆史はそうだった。
お金があろうと無かろうと、家族は今も昔も変わっていない。昔は貧乏な暮らしだったかもしれないが、ずっと前を向いてやってきた。今は絵に描いたような、平穏な暮らしが眼の前にある。だが、脳裏には昨日の話題がかすめる。
隆史はコーヒーを口に運びながら、振込め詐欺のことを思い出していた。詐欺をするような人間は、一体どんなに屈折した人間なのか。帰宅してからも、ずっと心につかえたように、気になっていた。考えてみたところで、隆史には理解できないのかもしれなかった。
隆史が寝巻のまま、リビングへと降りて行くと、コーヒーの芳醇な香りがふわりと漂ってきた。父が母の用意した朝食をとっているところだった。今朝の朝ごはんは洋食のようだ。銀婚式もとっくに過ぎている夫婦だが、今でもとても仲が良い。世間では、こういう夫婦をおしどり夫婦と呼ぶのだろう、と隆史は常日頃思っていた。
ただ、目の前にある穏やかな朝の風景も、一朝一夕に手に入れたわけではない。こうした生活を送るようになるまでの長い月日、両親の苦労を隆史はずっと側で見てきた。二人で乗り越えてきた苦難は子供心にも、並大抵でないように思えた。ようやく一緒にここまできたという戦友のような情が、二人の絆を夫婦以上のものとして、より強く結んでいるのだろうと、隆史は想像している。
今でこそ、広い一戸建てに家族三人で住んでいるが、隆史が小学生まで暮らしていたのは、古紙回収業を営む作業所の二階にある事務所兼自宅というスペースだった。
隆史の家には、友達の多くが持っているような木製の勉強机もなかった。折りたたみ式のスチールのテーブルで宿題や試験勉強をこなしていた。
しかし、母は教育費といわれる出費には、かなりの金額を惜しみなく出してくれたと思う。せめて、一人息子には頭を使う仕事をさせたいという思いがあったのだろう。それが家計を圧迫していることは、両親が言葉に出さずとも肌で感じていた。だからこそ、母の思いを無駄にはすまいと自分の心に誓っていた。
父は朝早くから夜遅くまで、馬車馬のように働いた。身体を使う仕事だったから、仕事を切り盛りするのは、精神的にも肉体的にも大変だったはずだ。母は帳簿をつけたりと、事務員を雇えるようになるまで、雑用を一手に受けていた。
仕事が軌道に乗って、両親にも余裕が見えはじめたのは、隆史が私立中学に進学してからだ。リサイクルという言葉が一般的になり、古紙以外も扱うようになっていた父の会社は、時代の波に乗った形だった。そのまま事業は大きくなり、今では会社がお金を産んでくれるまでに成長している。
「あら、もう起きたの?ずいぶん早いじゃない?」
隆史に気付いた母が声をかけてきた。
「おう、おはよう」
父も珍しく出勤前に息子の顔を見ることができて、満足そうだ。父は隆史の起床と自分の出勤時間が入れ違いなのを嘆いているらしい。面と向かって言われたことはない。母から聞いたことだ。
「おはよう」
父が朝食をとっているテーブルの向かい側に座った。
「パジャマで起きてくるなんて、珍しいわね。小さい頃を思い出すわ。たーくんって呼びたくなっちゃう」
母親らしい微笑みを浮かべながら、隆史の前に煎れたてのコーヒーカップを置いた。
「この歳でたーくんは、ないよなあ」
「そんな小学生の子供みたいに息子を呼んでるようじゃ、お嫁さんになってくれる人がびっくりして逃げ出すぞ」
父もまた笑いながら、応戦した。
三人とも、昔を思い出したような間があった。少なくとも、隆史はそうだった。
お金があろうと無かろうと、家族は今も昔も変わっていない。昔は貧乏な暮らしだったかもしれないが、ずっと前を向いてやってきた。今は絵に描いたような、平穏な暮らしが眼の前にある。だが、脳裏には昨日の話題がかすめる。
隆史はコーヒーを口に運びながら、振込め詐欺のことを思い出していた。詐欺をするような人間は、一体どんなに屈折した人間なのか。帰宅してからも、ずっと心につかえたように、気になっていた。考えてみたところで、隆史には理解できないのかもしれなかった。
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