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健一は、今回も胸いっぱいの名残惜しさを感じながら、仲間達と別れた。
健一の家は焼き鳥屋から、駅と反対方向に歩いて、五分ほどのところにある。駅に向かうのは隆史と美穂の二人だけだが、そのまま自宅に帰る早苗と和美も、自宅は駅方面にある。健一は一人、みんなに手を振って、歩き出した。
その短い距離を歩いている間、今日も早苗は隆史のことばかり見ていたのではないか、とそんなことを考えていた。まあ、なるようにしかならない。それ以上を考えないように自分に言い聞かせた。早苗からも、健一のよいところは楽天的なところだと言われたことがある。
もっとも、子供の頃から辛いことや悲しいことが多かったから、自分の心を守るために、そういう性格にならざるを得なかったのだろうと思う。
自宅アパートが見えてきた。視線の先には、見知らぬ若い男がアパートを見上げていた。やぶにらみのような目つきで何かに囚われたように凝視しており、健一が近づいていることに気づく様子もない。
「不審者」という言葉が頭を過った。この辺りにも、痴漢や露出狂が出たという話は、健一も耳にしたことがある。
健一が男の横を追い越すと、初めて気がついたというように、男も健一を見た。目線が交わった瞬間、健一はぞっとするものを感じ、関わりがないようにと足早にアパートへ急いだ。
弱者を食い物にする詐欺にしても、得体の知れない通りすがりの男にしても、物騒な世の中だ。
健一がアパートのドアを開けて部屋に入ると、リビングには明かりがついていた。
「いるのか?」
玄関から呼びかけたが、返事はない。
「なんだ、またつけっぱなしで出かけたのか。電気くらい消せよなあ」
ぼそりと言う。何度も注意していることだ。先ほどの楽しい気分のおかげで、今回はいくぶん寛大な気分だった。
健一は、高校時代の同級生の杉内航太と同居している。同居は、高校卒業の頃からなんとなく始まった。航太は消防士だった父親を小学五年生の時に亡くしている。それから四つ年下の妹との母子家庭だったが、その母親も高校二年の時に、事故で亡くしている。高校時代は同じクラスで学んだ間柄ということもあって、母親の通夜には、健一も参列した。だが、全く身寄りがなかったわけではなく、世話になれる親戚もいたようだった。航太と妹は親戚の家に移り住み、卒業まではそこから高校に通っていた。あの妹は今でも、親戚の家に世話になっているのだろうか。大分前に、一度だけ妹のことを訊いたことがあったが、なぜか航太は厳しい口調で「どうでもいいだろ」と言い放った。それ以来、妹の話題には触れないようにしている。
航太が家に住み着いてから、もう七年近い。高校三年の夏、健一が一人暮らしになると聞いて、航太はちょくちょく入り浸るようになった。アパートは2LDKで、もともとは家族で住んでいたので部屋数もある。少しの間なら寝る部屋を貸すぐらい、かまわないからと言うと、そのまま航太が転がり込んできた。少しの間のはずが、気がつけば完全な同棲生活だ。
最近は、連絡もなしに何日も戻らないことも多く、実際の世帯主である健一としては気になっていた。
健一は高校生で、一人暮らしを始めなければならなかった。問題は健一の両親にあった。母親は、健一が中学生の時にどういう経緯で知り合ったのか、若い男を作って、家を出た。父親は、真面目な人で、それから一人で健一を育ててくれたが、高校を卒業する少し前から、外に女ができたらしく、少しずつ荷物を運び出し、その女性と一緒に暮らし始めた。正式に籍を入れたわけではなく、世間でいう内縁の妻だ。しかし、ここのアパートの家賃は、今でも父親が払っている。健一を捨てた償いの意味がこもっているのかもしれない。父親とはもう何年も会っていない。健一自身も別に会いたいとも思っていない。自動的に家賃が振り込まれる。それだけで満足していた。
こんなろくでもない親を持つと、健一も曲がった道へと進んで行きそうだが、健一はそうはならなかった。母親が出て行った理由の一つに、父親が神経質すぎた面があったのではないか、と考えていた。その父親も一緒に暮らしている間は、至らないながらも、十分に健一の世話をしてくれたと思っていた。
寝巻を兼ねた部屋着に着替えて、リビングでテレビの前に座ると、ちゃぶ台の下に置かれた手作り風の原稿のようなものが目に入った。
特段の興味もなかったが、航太のものだとわかるとなんとなく無視はできなかった。最近の航太は何をしているのかと、文字を目で追って、愕然とした。
健一の家は焼き鳥屋から、駅と反対方向に歩いて、五分ほどのところにある。駅に向かうのは隆史と美穂の二人だけだが、そのまま自宅に帰る早苗と和美も、自宅は駅方面にある。健一は一人、みんなに手を振って、歩き出した。
その短い距離を歩いている間、今日も早苗は隆史のことばかり見ていたのではないか、とそんなことを考えていた。まあ、なるようにしかならない。それ以上を考えないように自分に言い聞かせた。早苗からも、健一のよいところは楽天的なところだと言われたことがある。
もっとも、子供の頃から辛いことや悲しいことが多かったから、自分の心を守るために、そういう性格にならざるを得なかったのだろうと思う。
自宅アパートが見えてきた。視線の先には、見知らぬ若い男がアパートを見上げていた。やぶにらみのような目つきで何かに囚われたように凝視しており、健一が近づいていることに気づく様子もない。
「不審者」という言葉が頭を過った。この辺りにも、痴漢や露出狂が出たという話は、健一も耳にしたことがある。
健一が男の横を追い越すと、初めて気がついたというように、男も健一を見た。目線が交わった瞬間、健一はぞっとするものを感じ、関わりがないようにと足早にアパートへ急いだ。
弱者を食い物にする詐欺にしても、得体の知れない通りすがりの男にしても、物騒な世の中だ。
健一がアパートのドアを開けて部屋に入ると、リビングには明かりがついていた。
「いるのか?」
玄関から呼びかけたが、返事はない。
「なんだ、またつけっぱなしで出かけたのか。電気くらい消せよなあ」
ぼそりと言う。何度も注意していることだ。先ほどの楽しい気分のおかげで、今回はいくぶん寛大な気分だった。
健一は、高校時代の同級生の杉内航太と同居している。同居は、高校卒業の頃からなんとなく始まった。航太は消防士だった父親を小学五年生の時に亡くしている。それから四つ年下の妹との母子家庭だったが、その母親も高校二年の時に、事故で亡くしている。高校時代は同じクラスで学んだ間柄ということもあって、母親の通夜には、健一も参列した。だが、全く身寄りがなかったわけではなく、世話になれる親戚もいたようだった。航太と妹は親戚の家に移り住み、卒業まではそこから高校に通っていた。あの妹は今でも、親戚の家に世話になっているのだろうか。大分前に、一度だけ妹のことを訊いたことがあったが、なぜか航太は厳しい口調で「どうでもいいだろ」と言い放った。それ以来、妹の話題には触れないようにしている。
航太が家に住み着いてから、もう七年近い。高校三年の夏、健一が一人暮らしになると聞いて、航太はちょくちょく入り浸るようになった。アパートは2LDKで、もともとは家族で住んでいたので部屋数もある。少しの間なら寝る部屋を貸すぐらい、かまわないからと言うと、そのまま航太が転がり込んできた。少しの間のはずが、気がつけば完全な同棲生活だ。
最近は、連絡もなしに何日も戻らないことも多く、実際の世帯主である健一としては気になっていた。
健一は高校生で、一人暮らしを始めなければならなかった。問題は健一の両親にあった。母親は、健一が中学生の時にどういう経緯で知り合ったのか、若い男を作って、家を出た。父親は、真面目な人で、それから一人で健一を育ててくれたが、高校を卒業する少し前から、外に女ができたらしく、少しずつ荷物を運び出し、その女性と一緒に暮らし始めた。正式に籍を入れたわけではなく、世間でいう内縁の妻だ。しかし、ここのアパートの家賃は、今でも父親が払っている。健一を捨てた償いの意味がこもっているのかもしれない。父親とはもう何年も会っていない。健一自身も別に会いたいとも思っていない。自動的に家賃が振り込まれる。それだけで満足していた。
こんなろくでもない親を持つと、健一も曲がった道へと進んで行きそうだが、健一はそうはならなかった。母親が出て行った理由の一つに、父親が神経質すぎた面があったのではないか、と考えていた。その父親も一緒に暮らしている間は、至らないながらも、十分に健一の世話をしてくれたと思っていた。
寝巻を兼ねた部屋着に着替えて、リビングでテレビの前に座ると、ちゃぶ台の下に置かれた手作り風の原稿のようなものが目に入った。
特段の興味もなかったが、航太のものだとわかるとなんとなく無視はできなかった。最近の航太は何をしているのかと、文字を目で追って、愕然とした。
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