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タイトルには『マニュアル』とある。内容は、会話の受け答えを指示するものだった。ファーストフード店の接客マニュアルのようなものではない。
まさしく、先ほど、仲間達との間で話題になり、人でなし、と皆で憤慨したあの手口を示すマニュアルだった。
健一は、血の気が引く思いで、それを手に取った。高校卒業後、定職にもつかない航太に対して、いずれは、まっとうな道を歩くように勧めるつもりではいたが、まさか、こんなことをしていたとは。『マニュアル』と書かれた紙の下にあったのは、見覚えのある濃紺の表紙。それを手にとって、さらに言葉を失った。健一の小学校の卒業アルバムである。しかも、しおりに使ったと見られるチラシのはさんであるページは、住所録の部分だった。
「あいつ、これを……。こんな汚いことに使いやがって」
体中が怒りで熱くなる。健一は警察に通報しなければとスマートフォンを手に取った。手にしたスマートフォンを持ったまま逡巡していると、玄関のドアが開いた。
「あれ?帰ってたんだ?二次会はなかったの?」
手にはコンビニのビニール袋を提げている。
「健一の好きなジンジャーエールも買ってきたよ」
ちゃぶ台には、雑誌などが雑然と置かれていたが、航太は手際よく片付ける。買ってきた菓子やら、飲み物やらを並べ始めた。
「これ何だよ?」
アルバムと『マニュアル』を乱暴に突きつけた。航太の動きが止まったが、それも一瞬だけだった。声色から明らかな非難を感じているだろうにもかかわらず、航太は悪びれた風もなく、ああ、とうなづいた。
「バイトだよ」
「バイトだよ、じゃねえよ。お前、これ、犯罪だぞ!お前がやってることは強盗と同じなんだぞ」
「いいじゃんよ、金出せるやつから、とってるんだし。払えないっていってるやつには、無理に払えとはいってねえもん。子供への愛情の代金を支払ってるってことでさ、もしだまされたってわかったって、納得できるんじゃないの?」
「屁理屈言うな!よくそんなこと言えるな。お前のやってることは、人として最低だぞ。とにかくこんなことはもうやめろ!」
航太は健一を一瞥しただけで、話しても無駄だというように、口を閉じた。
だが、問題はこの犯罪を航太がしているということだけではない。健一の小学校時代の同級生にその手口の電話をかけているのだ。
「なあ、俺のアルバム使って電話しただろ?これ、何度も使ったのか?警察に調べられて、そっから足がついて、ここでこんなことしてるのがバレたらどうすんだよ」
「バレやしねえよ。バレないようにやってるよ」
「本当にすぐやめろよ。バレる前にちゃんと手を引けよ。もし、俺んとこまで、警察が来るようなことがあったらどうするんだよ。関係ないのに、俺まで巻き込むつもりかよ」
「それはさあ、バレて困るようなやつと付き合ってるそっちが悪いんじゃない?」
健一は、航太の予想外の返答に、とまどった。
なぜ、自分が彼を家に置いているのかという、自分の心の深いところにある本当の理由が脳裏に浮かんできた。
かつて、味わっていたみじめさを、自分より最低の境遇の航太を見ることで、ひそかに癒したい。友達だ、同級生だなどと言う前に、航太自身の生い立ちが、健一の中で同居を許した最も大きな理由であったことが思い出された。そして、そんな思いをずっと頭から追いやることができなかった自分の弱さやずるさが、健一の心をしめつけた。
航太はじっと健一を見ていた。暗い目だった。そんなふうに俺のことを言うお前だって、所詮同じ穴のむじなじゃないかと、その目は健一を憐れんでいるようにも見えた。人知れず胸にある醜い思いは、ずっと前から見透かされていたのかもしれなかった。
航太は健一の言葉を待っていた。
「出てってくれよ」
「おう」
航太は、すんなり立ち上がると、何も持たずに静かに玄関から出ていった。
部屋に一人きりになった健一は、なぜかすぐさま一人取り残された気分になっていた。追い出したのは自分だというのに。
ちゃぶ台の上の、原稿とアルバムに目を落として、これをどうするべきか、と彼の良識が問い掛けた。しなければいけないことは、わかっていた。だが、健一は警察には行かなかった。
そうなのだ、所詮、同じ穴のむじななのだ。お互いの傷を見せ合って、慰め合うことができるただ一人の相手なのだ。それは今日会った四人の友人ではなく、彼なのだ。航太の暗い目に映った自分を思った。
まさしく、先ほど、仲間達との間で話題になり、人でなし、と皆で憤慨したあの手口を示すマニュアルだった。
健一は、血の気が引く思いで、それを手に取った。高校卒業後、定職にもつかない航太に対して、いずれは、まっとうな道を歩くように勧めるつもりではいたが、まさか、こんなことをしていたとは。『マニュアル』と書かれた紙の下にあったのは、見覚えのある濃紺の表紙。それを手にとって、さらに言葉を失った。健一の小学校の卒業アルバムである。しかも、しおりに使ったと見られるチラシのはさんであるページは、住所録の部分だった。
「あいつ、これを……。こんな汚いことに使いやがって」
体中が怒りで熱くなる。健一は警察に通報しなければとスマートフォンを手に取った。手にしたスマートフォンを持ったまま逡巡していると、玄関のドアが開いた。
「あれ?帰ってたんだ?二次会はなかったの?」
手にはコンビニのビニール袋を提げている。
「健一の好きなジンジャーエールも買ってきたよ」
ちゃぶ台には、雑誌などが雑然と置かれていたが、航太は手際よく片付ける。買ってきた菓子やら、飲み物やらを並べ始めた。
「これ何だよ?」
アルバムと『マニュアル』を乱暴に突きつけた。航太の動きが止まったが、それも一瞬だけだった。声色から明らかな非難を感じているだろうにもかかわらず、航太は悪びれた風もなく、ああ、とうなづいた。
「バイトだよ」
「バイトだよ、じゃねえよ。お前、これ、犯罪だぞ!お前がやってることは強盗と同じなんだぞ」
「いいじゃんよ、金出せるやつから、とってるんだし。払えないっていってるやつには、無理に払えとはいってねえもん。子供への愛情の代金を支払ってるってことでさ、もしだまされたってわかったって、納得できるんじゃないの?」
「屁理屈言うな!よくそんなこと言えるな。お前のやってることは、人として最低だぞ。とにかくこんなことはもうやめろ!」
航太は健一を一瞥しただけで、話しても無駄だというように、口を閉じた。
だが、問題はこの犯罪を航太がしているということだけではない。健一の小学校時代の同級生にその手口の電話をかけているのだ。
「なあ、俺のアルバム使って電話しただろ?これ、何度も使ったのか?警察に調べられて、そっから足がついて、ここでこんなことしてるのがバレたらどうすんだよ」
「バレやしねえよ。バレないようにやってるよ」
「本当にすぐやめろよ。バレる前にちゃんと手を引けよ。もし、俺んとこまで、警察が来るようなことがあったらどうするんだよ。関係ないのに、俺まで巻き込むつもりかよ」
「それはさあ、バレて困るようなやつと付き合ってるそっちが悪いんじゃない?」
健一は、航太の予想外の返答に、とまどった。
なぜ、自分が彼を家に置いているのかという、自分の心の深いところにある本当の理由が脳裏に浮かんできた。
かつて、味わっていたみじめさを、自分より最低の境遇の航太を見ることで、ひそかに癒したい。友達だ、同級生だなどと言う前に、航太自身の生い立ちが、健一の中で同居を許した最も大きな理由であったことが思い出された。そして、そんな思いをずっと頭から追いやることができなかった自分の弱さやずるさが、健一の心をしめつけた。
航太はじっと健一を見ていた。暗い目だった。そんなふうに俺のことを言うお前だって、所詮同じ穴のむじなじゃないかと、その目は健一を憐れんでいるようにも見えた。人知れず胸にある醜い思いは、ずっと前から見透かされていたのかもしれなかった。
航太は健一の言葉を待っていた。
「出てってくれよ」
「おう」
航太は、すんなり立ち上がると、何も持たずに静かに玄関から出ていった。
部屋に一人きりになった健一は、なぜかすぐさま一人取り残された気分になっていた。追い出したのは自分だというのに。
ちゃぶ台の上の、原稿とアルバムに目を落として、これをどうするべきか、と彼の良識が問い掛けた。しなければいけないことは、わかっていた。だが、健一は警察には行かなかった。
そうなのだ、所詮、同じ穴のむじななのだ。お互いの傷を見せ合って、慰め合うことができるただ一人の相手なのだ。それは今日会った四人の友人ではなく、彼なのだ。航太の暗い目に映った自分を思った。
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