規格外の螺子

cassisband

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 朝の環七は仕事場へと急ぐ車でいっぱいだ。早い時間のうちはいいが、時間が経つに連れて、どこからともなく台数が増えていく。健一も先輩が運転するトラックで現場の大学を目指して環七を走っていた。揺れるトラックの助手席の窓から、数多の乗用車の流れる様を見下ろしていと、何かの生き物の群れのように思えてくる。そして、自分もその群れの一部になる。
 追いついたり、追い抜かれたり、ウインカーの瞬きと共に目の前に滑り込んだり、左に折れたり。健一の目には、すっかり馴染んだ当たり前の風景が、視神経を通して脳に心地よい刺激を与える。
「がんばったって、どうにもならないことって、世の中多いよなあ」
 いかにもガテン系の先輩がそうつぶやいた。
 先輩のつぶやきはたいてい、車の進み方が遅いとか、前の車のブレーキの踏み方が悪いとか、独り言のようなものばかりだったから、いつもは大半を聞き流している。しかし、今回は健一に向けて発せられた言葉だとすぐにわかった。カーステレオから流れるラジオの音に紛れて、聞き流してしまいそうなほどのつぶやきであったが、その言葉は健一の頭にずきんと響いていた。
 昨日、急に飲みたいと言い出した早苗もそんな思いだったのではないか。
 横目で見る先輩の横顔と早苗の表情は同じ種類の憂いを称えているように思えた。
「何がいけないんだろうなあ?真面目にやってたって、ダメな時はダメなんだよな」
「何が?」と聞きながら、それに対する答えなどないということをわかっている口調だった。先輩は自分の兄が勤める工場が経営不振で、辞めざる得ない状況だということをポツリポツリと話した。
「兄貴は俺と違って、真面目なやつでさ、区内の工業高校出たら、すぐに地元で働き口みつけて働きはじめてさ。俺は、この仕事に就くまでは、ほんといい加減な人間でさ、ぶらぶら好きなことしてたっていうのによ。今は一人で定年迎えた親父とお袋の面倒までみていやがる」
 先輩は結婚していて、子供もいるのだから、未婚の兄が親と暮らして生活を支えるのも自然なように思えたが、どうやらそのことも自分が兄に感じている負い目の一つであるようだった。
「毎日毎日、自宅と工場を行ったり来たりで。仕事は相当誠実にやってたと思うぜ。それを、不景気だからって、いきなりクビになるって、どういうことだよな」
 兄のことを本気で尊敬していて、その兄が不当な扱いを受けていることが堪らなく許せないという思いが伝わってきた。
「兄貴、足立区からでたこともないんじゃないかな?そんな人生ありかよ?こんなことなら、真面目なんてほどほどにして、もっと好きなことして暮らせばよかったのに」
 そうですね、ひどいですね、と健一が相槌を打つと、先輩はそうだよと乱暴に言い、ハンドルをパシリと叩いた。
 早苗は今頃どうしているだろうか?表情に虚しさを漂わせながら、区民相手の窓口に出て働いているのだろうか。
 それから、先輩の兄のことを思った。足立区からでたこともない真面目な兄は、どうにもならない現実をどう受け入れるのだろうか?毎日足を運んだ仕事場へ、もう明日から来なくてよいと通告されることはあまりに残酷なことに思えた。年老いた両親を両方の肩に背負い、狭い世界の中で生きる道を探すのだろうか?
「仕事があるだけでありがたい」とは同僚の言葉だった。何も悪いことをしたわけではないのに、突然職を失うなんていう馬鹿げていると思えるほど不条理に思える。しかし、事態は深刻で、馬鹿げていると言い飛ばせるような雰囲気にはない。
 これは抗いようのない大波のようだ。考えても打開策も何も浮かばない。早苗がメールしてきたような、虚しい気分に襲われた。その虚しさに心を覆われてしまわないように、深く息を吸い込む。
 ふいにフロントミラーにぶら下がった交通安全祈願のお守りが目に入る。健一は膝の上に掴んでいたかばんのポケットの部分に手を当てた。そこには健一の大事なお守りの感触があった。
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