36 / 36
35.
しおりを挟む
偶然だった。隆史は今日一日の出来事を、そう振り返った。偶然の連続だった。いや、偶然が重なり過ぎて、それが必然の意味を持っているようにすら思えた。疲れた体を自宅のベッドに横たえながら、回想する。ベッドのスプリングがちょうどよい固さで体を支えている。布団の中で、湯上がりの体が冷め切らないように毛布に包まる。湯上がりのすぐ直後では、こんな寒い季節でも、さすがに暑くて布団に入る気がしない。しかし、少し体が冷えてくるのを感じる頃に布団に入るのは、すこぶる心地よいものだ。風呂から上がって蒸気した皮膚が、室温に慣らされる。鼓動もゆったりとしてきて、体温がゆっくり平熱に近づいていく。この時が、最も眠りに入りやすいと思う。
ハードな残業を終えて、体の疲労も布団の中で、ようやく解放される。まどろみ出すには、ちょうどよい状態だった。しかも、終電間際の電車で帰宅してから、風呂にまで入ったから、もう午前を回っている。時間を考えても、すぐに眠りについていい時間だった。しかし、目を閉じても脳が勝手に今日の出来事を反芻してくる。
会社を出ると、最寄りの駅まで急いで向かい、ちょうどホームに滑り込んできた電車に飛び乗った。地元の電車の最終列車にぎりぎり間に合うくらいの時間だったから、一本でも早い電車に乗れたことを喜びながら、吊り革に捕まった。車内は終電間際特有の混み方をしていた。サラリーマンや飲み会を終えた若者ばかりが乗車している。乗車率八割といったところだろうか。
呼吸が整うようになって、ようやく回りが目に入りだした。何気なく車内を見渡すと、一人の女性に目が留まる。どこかで、見たような……心の中でつぶやいていた。確かに彼女の顔に見覚えがあった。彼女はドアのすぐ近くに立っていた。窓にぴったりとくっついて、次々に変わり行く外の景色を眺めていた。眺めているように見えたが、実は視線は何も捕らえていなかったのだ、ということは後になってわかったことだ。
揺れる車内を吊り革に捕まる乗客にぶつからぬよう蟹歩きで進んだ。
「杉内さん?」
女性の側まで来ると、声をかける。彼女は、ぼんやり外をみていて、隆史が声をかけたことに気付いていなかった。
「杉内さん?体調、大丈夫?」
改めて、ゆっくりと言葉を切って話しかける。窓ガラスのずっと向こう側。夜の郊外に向けられていた視点が、窓ガラスに移動する。それから、さらに視線は上目にずれ、ガラス越しに映った隆史を確認するのがわかった。
隆史は窓ガラス越しに目が合うと、無意識のうちに人懐こそうな微笑みを浮かべて、会釈した。昔から、人と目を合わせる時は何となく笑みと会釈がセットになっていた。
その瞬間、電車がガクンと揺れて、ガラスの上部に映った隆史の顔が、湾曲した。遊園地の「鏡の館」にあるような面白鏡で目にしたことのある顔だった。つまり、隆史の顔は、一瞬異常に長いひょうたんのようになった。
隆史があっと、思うのと同時に彼女も同じことを思ったのがわかった。そして、一緒に吹き出した。隆史は文字通り、ぷっと吹き出した。彼女は、にやりとした顔を背けて、笑いを堪えているようだったが、確かに笑っていた。
ハードな残業を終えて、体の疲労も布団の中で、ようやく解放される。まどろみ出すには、ちょうどよい状態だった。しかも、終電間際の電車で帰宅してから、風呂にまで入ったから、もう午前を回っている。時間を考えても、すぐに眠りについていい時間だった。しかし、目を閉じても脳が勝手に今日の出来事を反芻してくる。
会社を出ると、最寄りの駅まで急いで向かい、ちょうどホームに滑り込んできた電車に飛び乗った。地元の電車の最終列車にぎりぎり間に合うくらいの時間だったから、一本でも早い電車に乗れたことを喜びながら、吊り革に捕まった。車内は終電間際特有の混み方をしていた。サラリーマンや飲み会を終えた若者ばかりが乗車している。乗車率八割といったところだろうか。
呼吸が整うようになって、ようやく回りが目に入りだした。何気なく車内を見渡すと、一人の女性に目が留まる。どこかで、見たような……心の中でつぶやいていた。確かに彼女の顔に見覚えがあった。彼女はドアのすぐ近くに立っていた。窓にぴったりとくっついて、次々に変わり行く外の景色を眺めていた。眺めているように見えたが、実は視線は何も捕らえていなかったのだ、ということは後になってわかったことだ。
揺れる車内を吊り革に捕まる乗客にぶつからぬよう蟹歩きで進んだ。
「杉内さん?」
女性の側まで来ると、声をかける。彼女は、ぼんやり外をみていて、隆史が声をかけたことに気付いていなかった。
「杉内さん?体調、大丈夫?」
改めて、ゆっくりと言葉を切って話しかける。窓ガラスのずっと向こう側。夜の郊外に向けられていた視点が、窓ガラスに移動する。それから、さらに視線は上目にずれ、ガラス越しに映った隆史を確認するのがわかった。
隆史は窓ガラス越しに目が合うと、無意識のうちに人懐こそうな微笑みを浮かべて、会釈した。昔から、人と目を合わせる時は何となく笑みと会釈がセットになっていた。
その瞬間、電車がガクンと揺れて、ガラスの上部に映った隆史の顔が、湾曲した。遊園地の「鏡の館」にあるような面白鏡で目にしたことのある顔だった。つまり、隆史の顔は、一瞬異常に長いひょうたんのようになった。
隆史があっと、思うのと同時に彼女も同じことを思ったのがわかった。そして、一緒に吹き出した。隆史は文字通り、ぷっと吹き出した。彼女は、にやりとした顔を背けて、笑いを堪えているようだったが、確かに笑っていた。
0
この作品の感想を投稿する
みんなの感想(2件)
あなたにおすすめの小説
鷹鷲高校執事科
三石成
青春
経済社会が崩壊した後に、貴族制度が生まれた近未来。
東京都内に広大な敷地を持つ全寮制の鷹鷲高校には、貴族の子息が所属する帝王科と、そんな貴族に仕える、優秀な執事を育成するための執事科が設立されている。
物語の中心となるのは、鷹鷲高校男子部の三年生。
各々に悩みや望みを抱えた彼らは、高校三年生という貴重な一年間で、学校の行事や事件を通して、生涯の主人と執事を見つけていく。
表紙イラスト:燈実 黙(@off_the_lamp)
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
むっつり金持ち高校生、巨乳美少女たちに囲まれて学園ハーレム
ピコサイクス
青春
顔は普通、性格も地味。
けれど実は金持ちな高校一年生――俺、朝倉健斗。
学校では埋もれキャラのはずなのに、なぜか周りは巨乳美女ばかり!?
大学生の家庭教師、年上メイド、同級生ギャルに清楚系美少女……。
真面目な御曹司を演じつつ、内心はむっつりスケベ。
同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。
ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。
真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。
引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。
偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。
ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。
優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。
大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
偽夫婦お家騒動始末記
紫紺
歴史・時代
【第10回歴史時代大賞、奨励賞受賞しました!】
故郷を捨て、江戸で寺子屋の先生を生業として暮らす篠宮隼(しのみやはやて)は、ある夜、茶屋から足抜けしてきた陰間と出会う。
紫音(しおん)という若い男との奇妙な共同生活が始まるのだが。
隼には胸に秘めた決意があり、紫音との生活はそれを遂げるための策の一つだ。だが、紫音の方にも実は裏があって……。
江戸を舞台に様々な陰謀が駆け巡る。敢えて裏街道を走る隼に、念願を叶える日はくるのだろうか。
そして、拾った陰間、紫音の正体は。
活劇と謎解き、そして恋心の長編エンタメ時代小説です。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。
登場人物が多いので頭の中で整理しながら読んでいます。サスペンスですか?
かなり話が続くようですね。先が気になります。