クールな御曹司の溺愛ペットになりました

あさの紅茶

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1巻

1-3

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 身体中の血の気が一気に引いていくのがわかる。震える指で一成さんの連絡先を表示させる。ワンコールのあと、すぐに『はい』と低い声が聞こえた。

「片山です。すみません、十五時からのお客様を間違った会議室にお連れしてしまってっ」
『……それで?』
「あ、はい。今、時東さんがそちらにお連れしますので……」
『そうか、わかった』
「あの、本当にすみませんでした」

 謝罪の言葉の途中で通話は終了し、耳にはツーツーという無機質な音だけが響いた。
 どうしよう。
 ミスをしてしまった。
 バクンバクンと心臓の音が聞こえるかのように脈打ち、背中には冷たい汗が流れてくる。
 お客様を間違った場所に案内したどころか、別の場所で一成さんも放置。しかも時東さんに指摘されるまで気付かないばかりか、時東さんを走らせてしまうなんて。
 それに一成さんの冷たい声。あれは完全に怒っていた。

「……うわぁぁ」

 私はパソコンを前にして頭を抱える。
 もう、この世の終わりであるかのような気持ちになった。


 しばらくして戻ってきた時東さんに、すぐさま謝りに行く。土下座する勢いの私に、時東さんはクスッと笑って肩をすくめた。

「まあ、誰にでも失敗はあるわよ。私も一緒に確認しなかったのがいけないし」
「いえ、本当にすみません。ご迷惑をおかけして」
「大事にならなかったからセーフよ。次は確認を怠らないようにね」

 時東さんは優しく私の肩をポンポンと叩いた。なんでもないように自席に戻り、そして思い出したかのように「あ!」と声を上げる。

「あー、副社長からは叱られるかもしれないけど、負けないようにね。あれは鬼だから」
「……はい」

 叱られるのは当然だ。とんでもないミスをしたのだから。さっきの電話の声だって酷く冷たかった。
 そういえば、と私は思い出す。

『秘書になった子を毎回泣かせてダメにする』
『仕事に厳しいし、視線だけで人を殺しにかかるから』

 そう、時東さんに忠告されていた。
 それに一成さんも……

『俺の秘書は俺が嫌になってすぐに辞める』
「うわぁぁっ……」

 思い出して、また頭を抱えたくなった。


 定時を過ぎ、ようやく執務室へ戻ってきた一成さんを見つけ、私は小走りで駆け寄った。

「副社長、あの、今日はすみませんでした。私……」
「ああ、わかっている」

 なにを言われるのか覚悟をして、泣きそうになりながら頭を下げたのに、返ってきたのは一言だけ。そして何事もなかったかのように一成さんは副社長室へ入っていく。
 ……あれ?
 てっきりその場で叱られることを想定していたのに、あっさりとかわされて拍子抜けしてしまった。私はしばらくその場で呆然と立ち尽くす。
 まさか、これはめちゃくちゃ怒ってるってこと!?
 そう考えると、戻りかけていた血の気が思い出したかのようにサーッと引いていく。
 ううっ……

「……私、もう一度謝ってきます」

 涙目になりながら時東さんと目が合うと、御愁傷様といった感じでそっと目を伏せられた。


 ノックをしてから副社長室へ入ると、ジャケットを脱いで首元を少し緩めた一成さんが「どうした?」と視線をこちらへ寄越す。
 窓からは夕日が差し込み、まるで一成さんから後光が射しているようで神々しい。
 いや、今は静かに怒る悪魔のような気がしてならない。一成さんはいつもクールなので、感情が読み取れないのだ。

「あの、今日はご迷惑をおかけして本当にすみませんでした」
「ミスは誰にでもあるだろう」
「……はい」
「別に気にしていないから、千咲もそんなに気にする必要はない」

 淡々とした一成さんの声音からは怒りの気配は感じられない。むしろ不思議そうな顔をされ、思わず心の声が漏れた。

「……それだけ、ですか?」
「ん?」
「あ、いや、えっと、副社長は鬼だから叱られるかもしれないって、時東さんが……あっ……」

 口走ってから、慌てて両手で口元を押さえる。しまったと思ったときには一成さんの眉間にしわが寄り、はあっとため息を吐かれてしまった。

「千咲は俺に怒られたいの?」
「そういうわけじゃないですけど、ミスをしたのになんか優しいなって思って……」
「優しくされるのは嫌いか?」
「はい?」

 いつの間にか一成さんはこちらへ近付いてきていて、あれよあれよと一気に距離が縮まる。勢いに圧されて数歩下がるも、私の背はトンと壁に触れた。
 しゅっと顔の横を一成さんの手が通り過ぎ、背の高い一成さんから見下ろされる形になる。
 綺麗な瞳は私を鋭く捉えて、その威圧感だけで身動きが取れない。
 そうだ、これはいわゆる壁ドンってやつだ。
 そう頭で理解したときだった。
 薄く綺麗な唇がゆっくりと開く。

「覚悟しろ」

 短く告げる一成さんの口角はほんの少しばかり上がり、見つめるその視線から目が離せなくなった。まるで金縛りにでも遭っているかのように。
 そう、目で殺されるとはこんな感覚なのかも。なんて思っているうちに一成さんの顔が近付いてきて、唇に触れる温かな感触。

「スケジュール登録をミスった罰だ」

 なにが起きたか理解するのに数秒は要した。
 今起こったことを理解するなり、私の頬は真っ赤に染まった。そのままズルズルとその場にへたりこむ。心臓がドキンドキンと暴れまくって、口から飛び出そうになった。
 キスされたことに動揺して、言葉にならない悲鳴を上げる。
 そんな私とは対照的に、一成さんは悪びれることもなく、いつも通り綺麗な顔で微笑んだ。
 呆然自失のまま、ふらふらと自席に戻る。
 あんなことがあって、まったく思考が働かない。いまだ唇に残る余韻に胸がきゅっとなる。
 一成さん、なんであんなことを……
 ドキドキが止まらない。あんなのやばすぎる。もしかして、過去の秘書たちもみんな、こんなことをされてきたの?

「時東さんの仰っていた意味がわかりました」
「なに? ついにられたの?」
「……やられました」

 思い出すだけで顔が赤くなるし頭を抱えたくなる。そんな私を見て、時東さんは優しく背中を撫でてくれる。

「メンタル大丈夫?」
「大丈夫じゃないです。もうどうしていいかわかりません」
「そうやって歴代の秘書を泣かせてきたのよ、あの男は。今度こそガツンと言ってやらなきゃ」
「時東さんも、その、……やられたことあるんですか?」
「しょっちゅうりあってるわ。私くらい強くならないと、ここではやっていけないわよ」
「うぇぇ……」

 しょっちゅうやりあう?
 ど、どんな関係なの?
 もしかして一成さんってば、タラシなの?
 赤くなっていた顔は、血の気を失うように一気に青ざめていった。
 翌日からまともに顔も見られないだろうと思っていた。なのに、いたって普通の一成さんにいつも通りモーニングをごちそうになり、この自然体を見て、昨日のアレは夢だったのかと思わなくもない。

「あ、あの……」
「なんだ」

 綺麗な瞳に射貫かれて出かかっていた言葉は喉につっかえる。
 昨日のキスの意味が知りたい。
 知りたいのに、聞くのは怖い。
 言い淀んで口を閉ざすと、先に一成さんが口を開いた。

「千咲に頼みたい仕事がある」
「あ、はい」

 なんだ仕事か、と思い手帳とペンを準備する。
 それなのに一成さんから出てきた言葉は、思いもよらないものだった。

「俺の婚約者になってほしい」
「……はっ……いっ?」

 意味がわからずとも動揺しすぎてペンを落としそうになった。「それで」と続ける一成さんは実に淡々としていて冷静そのものだ。動揺しているのは私だけ。

「あ、の……」
「今度の週末に塚本屋の創業パーティーが開かれるんだが、そこに俺の婚約者として参加してほしい」
「こ、婚約者……」

 口に出すと心臓がこれでもかとバックンバックン暴れだす。
 だって、一成さんの婚約者って、婚約者って……!

「この歳になるといらない見合いの話が多いんだ。創業パーティーともなると声をかけられまくって困る。だから俺には婚約者がいると紹介しておけば、わずらわしい見合い話がなくなるだろう?」
「あ、ああ、なるほど……」

 と、納得したように相槌を打ってみたけど、そういう問題ではない。
 そんな重大な役割を一介の秘書である私が受け持っていいものなのか。
 いや、良くないだろう。いくら仕事とはいえその任務は重過ぎるし、一成さんの横に立つならば時東さんみたいな綺麗な人じゃないと釣り合わない。
 故に反論してみたのだが。

「あの、でも私なんかじゃ釣り合わないですし……」
「なぜ? 釣り合わないとは? 俺は千咲がいいと言っている」
「……はい」

 カアッと頬に熱が集まるのがわかる。
「千咲がいい」だなんて、どうしてそんな言葉がするすると出てくるの。
 すました顔してタラシすぎるでしょ、一成さん。
 それなのに、そう言われて嬉しいと思う自分もいて。
 我ながら複雑な乙女心だ。
 その後もう少し抵抗してみたものの、あれよあれよと丸め込まれて、私の創業パーティーへの参加が決まった。もちろん、一成さんの婚約者としての。
 一成さんは満足そうに微笑み、私は心臓が壊れそうになっていた。


   ◇


 創業パーティーの日、いつも通り出勤してと言われた私は、本当にいつものパンツスーツで出勤した。
 昨日はまったく寝られなかった。一成さんの婚約者としてどう対応したらいいかわからず、あれやこれやと考えていたらいつの間にか朝を迎えてしまったのだ。
 こんなことでは秘書失格かもしれない。だけど動揺せずにはいられなかった。

「おはようございます」
「おはよう」

 副社長室へ顔を出すと、普段となんら変わらない一成さんが挨拶を返してくれる。
 今日も朝から爽やかでかっこいい……と、見惚れている場合ではなかった。

「パーティーの準備などお手伝いすることはありますか?」
「ああ、行こうか」

 と連れられたのはいつものカフェ。

「とりあえず朝食だ。パーティーは昼からだから」
「は、はあ……」

 いつも通りのモーニングから始まったことにより、完全に仕事モードの私。手帳とペンを片手に一成さんにずずいと詰め寄る。

「覚えておいた方がいいこととか、しなくてはいけないことがあれば教えてください」

 なにせ一成さんの婚約者を演じなければいけないのだから。粗相のないようにしなくてはいけない。だから聞いたのに……

「真面目だな、千咲は」

 と目元だけで笑われてしまった。

「別にすることはない。俺の横にいるだけでいい」
「……はい」

 納得はいかないけど、もしかしたら余計な口出しはするなという意味かもしれない。それならば黙っておいた方がいい。
 ああ、でも緊張する。
 黙っているにしろ、どんな顔でいたらいいの――

「じゃあ、行くぞ」

 私がコーヒーを飲み干したのを確認した一成さんは立ち上がった。
 戸惑いながらもついていけば、一成さんはエレベーターで下っていく。オフィスエリアは上の階だというのに。

「あの、一成さん、どこに……?」
「パーティーの準備だ」

 なんだ、やっぱり準備作業はあるんじゃないの。そりゃそうよね、我が社の創業パーティーだもの、準備するべきよね、なんて思っていたのに。
 なぜか私は一成さんの運転する車に乗せられて、高級ホテルに到着していた。ちなみに助手席に乗っていたときの記憶はほとんどない。一成さんの運転する姿が眩しすぎて心臓が破裂しそうだったからだ。
 そして今、目の前にはズラリと並ぶパーティードレス。

「……」

 唖然としている私をよそに、スタッフが何着かドレスをあてがう。

「お嬢様は色白でいらっしゃるので、濃い色のドレスがよくお似合いかと思いますよ」
「は、はあ……」
「あまり肌の露出のないものにしてくれ」
「あらあら、けますこと」

 一成さんはさらりと注文をつけ、スタッフはふふふと上品に笑う。まったくついていけない状況に意見など出せるわけもなく、なすがままの私。
 そうして勝手に着せ替えられた私は、鏡の前で息を飲んだ。
 首元までしっかりと詰まったダークブラウンのワンピースは、シックで大人の雰囲気を漂わせる。裾はフレアスカートになっており、動くとひらひらと揺れて可愛らしさも含んでいる。

「可愛い……」
「ええ、本当によくお似合いですよ」

 スタッフはそう言いながら、手際よくヘアアレンジを加えていく。後れ毛を残しながら髪をサイドにまとめ、そこに小さな花があしらわれたピンを留めてできあがり。
 平凡中の平凡な私が、まさかこんなに綺麗に仕上げてもらえるなんて感無量だ。これでようやく平凡の中でも最上級レベルまで上がったに違いない。
 ……って、なぜこんなことに!?

「あ、あのっ、一成さん、これは一体……?」

 部屋の外で待っていた一成さんに声をかけると、私の問いには答えずひたいに手を当ててそっぽを向く。そして小さくため息一つ。

「あ、あの……変ですか?」
「いや、平常心を取り戻すのに苦労している」
「はい?」

 意味のわからない返答をされて首を傾げるも、次の瞬間とろけるような瞳で見つめられ、ドキッと胸が高鳴る。

「とても綺麗だ」

 低く甘い声で囁かれ、私は撃沈した。
 完全に頭から湯気が出ているに違いない。
 そんなことはお構いなしに、一成さんは「行くぞ」と歩き出す。

「パーティーだからな、ドレスコードに合わせることも必要だろう?」
「そうなんですね。パーティーなんて出たことないので緊張します」
「なにも心配いらない。婚約者として堂々としていたらいい」

 そうだった。
 今日は秘書としてではなく、一成さんの婚約者としてパーティーに参加するんだった。だからこんなにも綺麗にしてもらえたんだ。一成さんの隣に立つのに、いつものスーツじゃ見劣りしてしまうから。
 私は身を引き締める。仕事とはいえ、一時でも一成さんの婚約者を務めることができて嬉しい反面、緊張も半端ない。
 粗相のないようにしなくっちゃ。


 再び塚本屋に戻ってきた私たちは、ビル内にあるホールへと向かった。
 そこには社長を始め、塚本屋の重役メンバーが勢ぞろい。そして関連企業のお客様も和気あいあいと談笑していた。
 ぐっと緊張が高まる。
 一成さんを見上げれば、「心配するな」と、ふっと微笑んでくれた。
 それでも緊張するものは緊張する。ハラハラとしながら一成さんの後ろを追いかけると、「片山さん」と声がかかった。

「時東さん!」
「どうしたの? とっても素敵じゃない!」
「はい、あの、副社長が婚約者になれと仰って……」
「婚約者?」

 時東さんはわけがわからないといった視線で一成さんを見つめる。
 対して一成さんは、いたってクールに「そうだが」と肯定した。

「どういうこと?」
「あ、あの、仕事で。婚約者のふりをしてほしいと頼まれまして」
「……仕事ねぇ」
「なんでもお見合いの話をお断りしたいからとか、なんとか……」
「ふう~ん」

 時東さんは目を細め、一成さんの肩に手を置いた。ニヤリといやらしく微笑む時東さんを見て、一成さんは面倒くさそうに眉間にしわを寄せる。

「一成くんも隅に置けないわね。まわりくどいことしちゃって」
「まわりくどいとはどういう意味だ? 茜には関係のない話だろう?」
「あ~ら、そんなこと言っていいのかしら? あなたがどれだけの女を泣かせてきたのか片山さんに喋っちゃおうかな~」
「……やめろ」

 二人のやり取りに、しばしポカンとしてしまう。
 この二人、こんなにも親しげだったっけ? 名前呼びになってるし。
 と考えたところでハッと思い出す。

『そうやって歴代の秘書を泣かせてきたのよ、あの男は。今度こそガツンと言ってやらなきゃ』
『時東さんも、その、……やられたことあるんですか?』
『しょっちゅうりあってるわ。私くらい強くならないとここではやっていけないわよ』

 まさか!
 まさか! まさか! まさか!
 タラシの一成さんったら、歴代の秘書に手を出すのがいつもの手口だったとか、そういうことなのでは?
 二人は恋人なのに、いつも一成さんは秘書に手を出していて、だから私もそうやって遊ばれてるってこと――?
 今からでも断れないだろうか。
 一成さんの婚約者役はやはり時東さんの方が合っているし、それが一番妥当なのでは。

「千咲、行くぞ」
「ま、待ってください。あの、あの……」
「どうしたの? なにか忘れ物?」
「いや、あの、その、副社長の婚約者役は……時東さんじゃなくていいんですか?」
「「は?」」

 勇気を持って訴えたのに、二人ともこれでもかというほどポカンとした表情で顔を見合わせた。

「……ええと、一応聞くけど、なぜ?」
「え、だって、お二人は恋人なのでは……?」

 ここで肯定されてもショックだけど、聞かずにはいられなかった。だってどう見たって親密だしお似合いだし、遊ばれたくないし。
 一成さんはひたいに手をやり、ぐうっと小さくうなる。
 時東さんは綺麗な顔を信じられないくらいに歪めた。

「……やめてくれ」
「……それはこっちのセリフよ」

 二人の大きなため息が耳に響く。
 時東さんは、困惑する私の肩に手を置いた。

「片山さん、勘弁してよ。なんで私が一成くんの恋人にならなきゃいけないのよ」
「違うんですか?」
「違うに決まってるでしょう。一成くんとはいとこなの。どこをどう見たらそう見えるわけ?」
「す、すみませんっ。時東さんも一成さんにやられたって言っていたので……」
「私が言ってるのは、一成くんは人に厳しくしすぎだって意味。片山さん、まさか……一成くんになにかされたわけ?」
「いえ、なにもっ……」
「なにもされていないのに、こんなことになるわけないでしょう?」

 ジリジリと詰め寄ってくる時東さん。
 だけど、そんな、言えるわけない。
 一成さんにキスされただなんて。


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