ゾンビのプロ セイヴィングロード

石井アドリー

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第一話「走り逃れて百貨店」

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--2027年5月11日 ゾンビパンデミックから7日目 AM 5:47 丘口知夏 --


知夏は悪夢から目覚めた。

「はぅあぁ!?」

オレンジ色の寝袋に手足が入ったまま、驚いた芋虫のようにして知夏は飛び起きた。
おろした長い後ろ髪は勢いよく前へ飛び、着ているパジャマへとかかった。

「……あれぇ?」

ねむけまなこで左右を見回したが、知夏が恐れていたものは何ひとつとして無かった。
一人用の黄色いテントの中はいたって静かで、外からは鳥が鳴いている音が聞こえている。

「な~んだ、夢かぁ~~。よかったぁ……」

知夏は安堵の息を吐きながら、また横になった。

「いやいやいや。おきなきゃ、おきなきゃ……」

ぶつくさいいながらもぞもぞと寝袋から這い出る。立ち上がってテント入り口
のファスナーを下ろすと、暖かな日差しがテントの中へと注がれていった。
知夏は一歩前にでて、テントの外へ出た。

 深緑色、青色、赤色、黒色にピンク色。様々な色のテントが広げられた屋上を
視界に収めると、知夏は安堵の表情を浮かべた。そして大きく息を吸って、吐いた。

ここは東京都〇区にある七階建ての百貨店の屋上だ。高さにして三十メートルはある。
金網でぐるりと囲われた屋上の中は寄り添うようにして生存者のテントが張り巡らされ
ており、屋上階へ続く階段はバリケードで塞いでいるため何人たりとも出入りできない。
大きなゲーム筐体を敷き詰めて作られたあのバリケードが無ければ、
この屋上すらもゾンビの縄張りになっていたことだろう。

この場所は数少ない安全地帯だ。いや、もしかするとすでに"唯一の"安全地帯となっているかもしれない。

知夏は大きく伸びをして、つぶやいた。

「ここに来て、もう四日目かぁ」

安心した表情のまま、知夏は今までのことを思い出していた。

車のフロントガラス越しに見た、スカイツリーの展望台から緑色のもやが降り注いでいる光景。
兄の運転でデパートの立体駐車場まで連れられ、そのまま独り何処かへ行ってしまった兄。
デパートの中でゾンビになってしまった両親と多くの人々。
暗く狭い排気口に潜り込んでデパートから脱出して、生存者を探して都会を走り回る日々。
知夏が再び人間と出会ったのは、デパートから出て三日後の高等学校だった――。

記憶をここまでさかのぼって、知夏は回想を止めた。

「ここはやっぱり、いいところですねぇ……」

風を受けた長い黄髪がわずかに揺れている。

「もしここが襲われたら……もう、逃げたくないなぁ」

そう呟いた後に、ポケットの中でバイブレーションが鳴った。知夏のスマホだ。
『丘√チャンネル!!』と可愛いフォントで書かれたステッカーが貼られている。

スマホを手に取り画面を見てみると、知夏は目をパチクリさせて、驚いた顔をした。

「ハイ? え!? もうそんな時間!? 急がなきゃ……!!」

丘口知夏、二十六歳。大手メーカーの営業を勤めていた知夏は、
オカルトを専門とした配信者『丘√』でもあった。
そしてゾンビが現れてからもライブ配信だけは続けているのだ。

テントの中へ戻り、手早く髪を整え始める。
くしで軽くとかして左右に分け目をつくり、毛先をねじってまとめていく。
ぐるぐると髪を回して耳の後ろで団子の形にして、ヘアピンを差し込んで根本をゴムで留める。
反対側でもう一度繰り返し、あっという間に大きな髪団子を二つ作り上げた。
団子の仕上がりを手鏡で確認する。

「うん。うん。よし!」

バタバタした様子で今度はテントの中の物を漁り始める。
スマホとフライパンを手に持ちカセットコンロを脇に抱えて、テントの中から飛び出した。

「あ! 靴下履き忘れた……」

一度荷物をその場に下ろし、散らかったテントの中から靴下を見つけ出した。
それをピンと伸ばして履き、外に置いているランニングシューズを履いた。
もう一度荷物を持ち直し、小走りでキャンプ地から少し離れたテントへと向かっていく。

まだ五月の朝六時前なので、日が出て間もない。
知夏は声量を気をつけながらも出来るだけ元気に、テントへ向けて挨拶した。

「森崎さん! おはようございます! 卵を頂戴しに来ましたよぉ!」

しかし、返答はなかった。

「あれ?」

テントの中を覗き込むも、人のいる気配はない。

「森崎さーん? いらっしゃいませんかー?」

近くを見回すも、やはり誰もいないようだ。

「う~ん、トイレに行ってるんですかねぇ? どうしよ、配信まで時間ないよぉ~」

オロオロとその場で足踏みをする。
スマホを見ると、時刻は五時五十六分となっている。ライブ配信開始は六時ジャストだ。
あと四分で配信を始めなければならない。

「卵を使うのは昨日言ったわけですしぃ……後でいえばいっか」

そういってすぐ隣にある鶏が入ったケージの前に立った
手に持ったものを置いて両手の平をこすり合わせる。

「ピーちゃんさん、たまご、いただきます……!」

鶏の『ピーちゃん』に感謝をしてから、新鮮な卵二つを手に取りフライパンの上に転がした。

鶏の声が配信にのらないよう十分に距離を取り、カセットコンロを地べたに置く。
そしてフライパンを敷いた。色々と準備が足りていないのは知夏でも分かった。

「あっ、やべ、油にお皿も忘れてた……そういえばまだ着替えてもないですしぃ」

しかしながら時刻は五時五十八分で、取りにいく余裕などなかった。

「ま、まぁ、だいじょうぶでしょ! 焼いてる途中で取りにいけばいいんです! 着替えは後回しで! ヨシ!」

慣れた手つきでスマホの画面をササササっと触り、配信の設定を終えてライブ配信を始めた。
時間は六時ピッタリだ。淡い黄色の背景に『丘√チャンネル!』という可愛いらしい文字がでかでかと
と書かれた待機画面が表示されている。

知夏は大きく息を吐いた。

「ギリギリせーっふ、ですね」

乱れた髪を軽く整え喉の調子を確かめた後、音声のミュートを解除する。
そしてスマホを構えニッコリと笑顔をつくり、待機画面から自身へと画面を切り替えた。

「おはようございま~す! 丘√チャンネル、で~す! え~とぉ、四人見ていますねえ。
と、いうことは~? 昨日の皆さんは生きておられるわけですね! ヤッター!」

片手で喜びのポーズをとる。
続いて今回の主役が画面に映るよう、ちょこちょこと足を動かしてからしゃがみこんだ。
コンロに乗ったフライパンと彼女が画面に映っている。

「まずは恒例の、朝ごはんコーナーで~す。今日はなんとぉ、卵さんで~す! 朝からタンパ
ク質は嬉しいですねぇ~。こちらの卵さんはですねぇ、わたしが今住んでるこの場所、百貨店の
屋上で生まれたできたてほやほやの卵さんなんですねぇ~~。では、割っていきま~す」

コメント欄に、『Namiki』というアカウントからコメントが流れた。「ねえ。油、忘れてない?」
続いて『ぽっちゃり』という別のアカウントから「片手で割れるの?」とコメントが表示される。

「え~とその、油はですねぇ。あえて用意してないのですぅ……あえて、ですよ?」

したり顔でその場をごまかし、別のコメントを拾った。

「さてさて、おっしゃるとおり片手が塞がってますからねぇ。ここはカッコよく、片手割りしちゃいましょう」

知夏はそういってフライパンから卵を手に取り、そのまま握りこんだ。
中身とともに砕けた卵の殻がフライパンの中へと振りまかれていく。

「ん~、いつもよりちょおっとだけ、殻が入っちゃいましたねぇ……」

「でもほら、その分カルシウムが取れますしぃ? 栄養は増えてますよね? そういうわけで、問題ないでっしょう!」

そしてためらうことなく、もう一つの卵を砕き入れた。
先程の二つのアカウントから「だから卵の割り方はそうじゃないって!!」「やめろぉおおお!!」
といったコメントが流れている。

そのコメントを見た知夏は満面の笑みを浮かべた。

「だいじょうぶだいじょうぶ~~。美味しく食べますからね~~」

知夏は致命的なまでに料理ができない女であった。
三年間配信を通して定期的に料理をしているにも関わらず、その腕前はまったく変わっていない。
彼女の料理配信はもはやエンタメであり、ある意味オカルトであるとして有名であった。

彼女は笑顔のままコメント欄をじっと見つめた。
見ている四人の内、残り二人のアカウントからコメントが流れないかと期待したのだ。

しかし一向にコメントは無い。知夏は少し残念そうな表情で視線を外し、カセットコンロを点火した。
卵と殻の破片の焼ける音がし始める。

「卵さんを投入しましたのでぇ~、お皿とお箸を取ってきます! みなさん、見ておいてくださいね~!」

すぐさまコメント欄がざわつき始めた。

「むしろ見ることしかできないんだが?」
「焦げちゃう前に、早く戻ってきなさい!」

知夏はコメントを見てニマニマしつつ、立ち上がった。
そしてスマホを近くにあったコンクリートブロックに立てかけた――その時だった。

配信画面に映りこんでいる知夏が先程までいたテントの群れ。
そのうちピンク色のテントが、大きな音を立てて崩れ落ちた。

「誰かぁ!! 誰か助けてぇ!!!」

女性の悲鳴が聞こえてくる。

「おい! なんでゾンビがいるんだ!? みんな逃げろ!!」
「これ以上どこに逃げるんだ!? 誰か……倒してくれよぉ!!」

男達の混乱した声がはっきりと聞こえてくる

「え……?」

配信画面からその様子を見ていた知夏は振り返った。
そのまま身動き一つせず、しばらく固まってしまった。

目玉焼きの白身が、焦げ始めていた。

「あっ……いけない、焦げちゃってる」

我に返った知夏は急いでカセットコンロの火を消した。
配信を待機画面へ切り替え。ミュートしてからその辺に置く。
そして再び、テントが集まっている方向を見た。

崩れたテントから"知らない誰か"がのっそりと立ち上がった。
おびただしい量の血痕が服のいたるところに付いている。
人間ではない。それは嫌でも分かってしまった。

また夢なのかもしれない。
知夏は微かな希望にすがり頬をつねったが、残念ながらこの光景は現実だった。

知夏は口を半開きにさせながら、ストンと後ろに尻もちをついた。

「どうしよう」

小さくぽつりと、消え入りそうな声を出した。

もう配信どころではなくなってしまった。
しかしまた逃げ出してしまえば、それが出来る生活そのものがまた無くなってしまう。
また独りぼっちになってしまう。それだけは絶対に嫌だった。

「わたしが……わたしがこの屋上を守らないと……!」

知夏は真剣な顔でスマホに手を伸ばした。画面を切り替え、ミュートを解除する。
そして普段は配信上で決して出さない、落ち着いた声を発した。

「配信を見ている皆さん。お待たせしてすみません。トラブルが発生してしまいましたので、
朝の料理コーナーは中止します」

足に力を入れて、起き上がる。どうにか笑顔を作った。
コメントを見ないように視線を外しながら、声をいつもの調子に戻し、どうにか笑顔を作って話を続けた。

「安心してくださ~い。少ししたら再開しますからね。焦げちゃった目玉焼きも、配
信内でちゃあんと食べますよ~」

まだ熱を帯びているフライパンを手に取る。
フライパンを傾けて、目玉焼きをカセットコンロの上へ直に置いた。

「と! いうわけで! チャンネルはそのままで、お願いしますね! 皆さんは、ゾン
ビから離れて! 安全な場所で! 私の帰りをちょっとだけ! お待ちください!!」

いい終えると、キャンプ地が映るようにスマホをカセットコンロに立てかけた。
画面からはしゃがんでいる知夏の姿が大きく映り込んでいる。

知夏はもう一度笑顔をつくった後、その姿勢から飛び跳ねた。跳ねた勢いで体を捻り、カメラに背を向けた。
朝日が上がってきた。辺りが明るくなっていく。フライパンを強く握った右手は震えている。

知夏は色とりどりのキャンプ地へと歩き出した。

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