ゾンビのプロ セイヴィングロード

石井アドリー

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第二話「網に張り付く黒衣のマッチョ」

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--2027年5月11日 ゾンビパンデミックから7日目 AM 6:17 丘口知夏 --


覚悟を決めた知夏はフライパンを両手で構えながら、ズンズンと歩みを進めていた。
が、早くもその覚悟は揺らぎ始めていた。

「ここはわたしの居場所。わたしがなんとかしなきゃ。わたしが守らなきゃ。うう、でも
こわいものはこわいですよねぇ……」

配信画面から遠のくにつれて、知夏の語気は弱くなっていった。

「わっと飛び出すのは反則ですよぉ……?」

崩れたピンクのキャンプの横をおそるおそる通り抜けると、ついに目標を視界に捉えた。
数メートル先でトボトボと歩いているそのゾンビは、幸運なことにこちらを向いていない。

怖がる自分をどうにか奮い立たせるべく、知夏は配信を意識しつつ小声で実況した。

「いた……! いたいた、いましたよぉ~。ここは一発かましてやりましょう……!!」

何を思ったのか、彼女は咳払いをした。
そして、大きな声量で叫んだ。

「こ、コラァーーーー!!!!」

叫んだことで気合が入ったのか、ゾンビへ向けて勢いよく走り出す。
フライパンを振り上げ、未だ背を向けているゾンビの頭めがけて、フライパンの平らな面
を振り下ろした。

「やめろぉーーー!!!!」

彼女が放った渾身の打撃は、頭をかすめて肩へ直撃した。

一撃で仕留められなかったことに焦ったのか、その場で何度も何度も、フライパンを振り
下ろしていく。

「この!! この!! このォ!!!!」

フライパンの底がぶつかる音が何度も響き渡る。

「なんでっ!! あたまっ!! 潰れっ!! ないのっ!?」

力いっぱい何度もフライパンで殴っているのに、まったく倒れる気配がない。
知夏は一度距離を取った。息が上がり、肩で呼吸している。

「そんなぁ……映画だと、簡単そうなのに……」

ようやく彼女の存在に気づいたのか、ゾンビは彼女の方へと振り返り始めた。
蒼白な顔色に、白濁した眼球、血液が滴る口と、人間ではない特徴が露わになっていく。

彼女は目を見開き、身体を強張らせた。

「森崎さん……!?」

それは彼女の恩人だった。
百貨店の屋上に連れてきてくれた勇敢な人物であり、今まで良くしてくれた面倒見のいい人であり、
また、疲れている中でも卵を渡す約束を気前よく受け入れてくれた森崎武夫がゾンビと化して立っていた。

「も、ももも森崎さん!! ほら、私ですよ!? 丘口知夏です!! 丘√チャンネルです!!」

後ろへ下がりながら彼から貰った黄色いゴムで縛った二つの団子髪を見せるも、
森崎は止まる気配すらない。

「そ、そうでよねぇ~!! いきなり頭を叩いたわけですし、怒りますよね!? 森崎さん!! ゴメンナサイ!!」

彼女は勢いよくお辞儀をした。そして瞳を潤ませながらその頭を上げた。
森崎は変わらず、よたよたと規則的な歩みを続けている。

外見も、名前も、謝罪も。何一つとして伝わっている様子は無かった。

知夏は後ろに下がろうとしてつまづき、尻もちをついた。
すぐさま立とうとするも、腰が抜けているのか立つことが出来ない。
持っていたフライパンを前へ突き出した。

「ダメ! ダメです森崎さん!! 私は食べられませんよ!? それに危ないですよ! ほら!!」

がむしゃらにフライパンを振り回して、足をばたつかせながら後ろへと下がっていく。

ガシャン! という音が知夏の背中から聞こえた。金属網の感触が嫌でも伝わってくる。
これ以上はもう、下がれない。

そのことを理解してしまった彼女の頭は、ついに限界に達した。

「にに、逃げなきゃ! でも闘わなきゃ! でも森崎さんは殴れないしそれにまずは立たないと……!!」

慌てふためいた後、電池が切れたかのようにして彼女は動きを止めた。

「やっぱり……もう、ダメなのかなぁ……」

ついには、ため込んでいた弱音までも吐いた。二話にして物語は閉幕を迎えようとしていた。
その時――どこからか、落ち着いた低い男の声がはっきりと聞こえた。


「正座をして、フライパンを上に構えろ」


「ハイぃ……?」

「いいから早くやるんだ」

「は、ハイッ!!」

混乱していた知夏は半ば反射的に指示に従った。
正座をしてから左右を見回してみたものの、近くに人間はいない。

「背筋をもっと伸ばせ。そうだ。そのまま限界まで上に持っていけ。それと、フライパンは横向きに構えろ」

「ハイッ!!」

指示通りに背筋をぐぐっと伸ばして、フライパンを横向きにして握りなおした。

なにがなんだか理解できなかったが、知夏はすべて言うとおりにした。
天の声やら守護霊やら、悪霊だったとしても、すがらずにはいられない状況なのだ。

「よし。奴は、君を食べるためにしゃがんでくる。そこが狙い目だ。
フライパンが届く距離に来たら――全力で土下座しろ」

混乱した彼女でもすぐにハイとはいえなかった。

「どどど、土下座ですかぁ!? 振り下ろすんじゃなくてですかぁ!!??」

「君の腕力で頭を砕くにはかなりの工夫がいる。
この状況で確実に振りぬくためには、土下座が適切な動きだ」

「そ、そんなこといったってぇ……!!」

「彼は知り合いなのだろう? 頭ではゾンビだと分かっていても、見知った相手を殴るのは難しい。
半端な気持ちで殴るくらいなら、全力で謝る動作をした方が威力が高い」

「う~~ん、でもぉ」

彼女の理性は辛うじて抵抗している。

「割り切れ"丘√"。前を見ろ。これ以上話をする時間はない」

森崎は五メートルほど前まで迫ってきていた。
彼女の理性は抵抗を止めた。

「こわいなら目をつぶれ。合図は出してやる」

彼女は勢いよく目をつぶった。

「つぶりましたぁ!!」

「相手を思い浮かべろ。人生で一番謝りたかった出来事を思い出せ」

「わかりましたぁ!!!!!!」

「よし。俺が"今だ"といったら、人生で最大の謝罪をするんだ。いいな?」

「わがりましだァ!!!!!!!!!!!!」

「よし。集中しろ」

「ハイッ!!」

混乱状態の最中どうにか頭をフル回転させて、一番謝るべきことを探し始めた。

幼い頃に魔法少女もののアニメばかり見てたことは違う。
高校の親友と競ってダイエットをしてる中で黙ってアイスを食べていたことも違う。
大学でオカルトサークルの後輩に教えたテスト範囲がズレていたことは、もう謝ってる。
営業の仕事ではたくさん謝ったが一番かといわれたら違う。
『丘√チャンネル』を始めてから謝ることなんて無い。字幕が間違っていたとかそれぐらいだ。

しかしその先、ゾンビパンデミックが起こってからのことを考え始めた時、彼女の表情が微かに変わった。

一番初めのショッピングモールでの出来事は苦しいことばかり起きた。
一人で東京の中を逃げ続けた日々は寂しくて過酷だった。
たどり着いた学校での酷い光景が目に焼き付いて離れない。
この屋上に救い出してくれた森崎さん達はとてもよくしてくれた。

「ありました……ずっと、謝りたかったこと」

ポツリと呟くと同時に、ゆっくりと上げていた両腕が前へ下がっていく。
さながら剣道のようにして正面へフライパンを構えると、その腕は止まった。
パニックは収まっていた。むしろ気が満ちるような感覚が彼女を包んでいる。

低い男の声が応えた。

「準備は出来たようだな」

「はい」

「よし。腕を上げて、構えろ」

知夏は落ち着いた様子でゆっくりと腕を上げ、フライパンを上段に構えた。

ゾンビの唸り声がすぐ前から聞こえてくる。みしみしと音を立てて膝を曲げているのが分かる。
屋上を吹き抜ける風の音が被さった。


「――今だ」


これ以上ないほどにフライパンを強く握りしめて。金網にぶつかるくらいに背筋を伸ばして。
そして深く目をつぶったまま、知夏は強く、強く叫んだ。

「私だけ!!! 生き残って!!!!」


「ごめんなさい!!!!!!!!」


確かな手ごたえと嫌な感触が、フライパンを通して知夏に伝わった。
遅れてすぐ前で何かが倒れる音が聞こえた。

知夏は落ち着いた様子のまま、自然と目を開けた。
仰向けに倒れた森崎の顔は陥没してしまっている。その光景を見た知夏の手は再び震えはじめた。

「森崎さん、わたし――」

「いい打撃だった!!」

知夏の語りかけるような言葉を、低い男の声が遮った。

「は、ハイッ!」

知夏は返事をしてから再びフライパンをバッと上に構えた。
彼女の手の震えは止まっていた。

「それはもうやらなくていい」

「あ……すみません、体が勝手にぃ」

知夏はホッとした様子で腕を下ろして正座を崩した。

「ええと、守護霊様ということでいいのでしょうかぁ? その……ありがとうございました」

「いや、俺は人間だが」

「にんげんぅ……?」

そういわれた彼女は再び左右を確認するも、やはり誰もいない。
上を見上げたが、きれいな青空が広がっているだけだ。
残る方向は背後のみだ。
よくよく考えてみると、声はずっと真後ろから聞こえていた気がした。
しかし金網の向こうに足の踏み場はない。誰もいるはずがなかった。

現実にゾンビがいるのだから、本物の幽霊がいたっておかしくはない。
そう考えると、背筋が凍る思いがした。そして恐る恐る後ろを振り向いた。

そこには黒いフルフェイスを被り黒一色の服を着た、
服越しでも十二分にマッチョだと分かる人型の生物が張り付いていた。

「人間、なのかなぁ……?」

知夏は注意深く観察した。
黒い革ジャンに、黒いシャツ。黒いジーンズに、黒くていかつい靴。
黒い皮手袋に、黒い靴下に、何もかもが黒色で統一し尽されている。
フルフェイスのバイザーすら真っ黒で、顔の輪郭すら見えない。
結論として、人間だと断定はできなかった。

観察している間に黒い男は平然と金網を昇りきると、屋上の中へと降り立った。

知夏はすばやく金網に掴みかかり頬を押しつけて、金網の向こうを見下ろした。
辛うじて見える真下には、三十メートル下でうごめくゾンビの群れしか見えない。

「うわぁ……めっちゃ高いですぅ……」

七階建ての屋上からの景色に知夏は眩暈がした。彼女は高所恐怖症であった。

「もういい歳だろうに、本気で幽霊を信じてるとはな」

知夏は勢いよく振り向き、怒った様子で反論した。

「ねねね年齢は関係ありません!! それにまだ二十六ですし!! そもそもなんでそんなこと
知ってるんですかぁ!!」

黒い男は少し困った様子を見せた。

「何故知っているか……? それはだな……」

「俺は偶然にも、『丘√チャンネル』の配信を長年見ていたからだな。
配信で口走ったことは大抵覚えてる、というだけだ」

黒い男はそういって黒いスマホを取り出し、画面を知夏に見せた。
画面には『丘√チャンネル』の配信画面が映っている。視聴数は四人のままだ。

「え、ひょっとしてぇ……今日の配信を見てたリスナーさんってことですか?」

黒い男は頷いてみせた。

「見ていられなくてな。ちょうど近かったから、助けに来たんだ」

その言葉を聞いて、知夏は目に涙を浮かべた。
四つん這いで素早く黒い男の元まで駆け寄り、膝に抱きついた。

「うううううう!! ありがどぉ~~!!!!」

「感謝は後で受け取ろう。確かここに住んでいるのは十二人だったな?」

「あい、そうでずぅ~~」

「よし。ここで待っていろ」

知夏は丁寧に引きはがされた。背を向け、少しだけ首を回して、知夏へ語りかけた。

「安心しろ、すぐ終わる。それも――盛大にな」

黒い男はそういうと歩き出した。
アルミでできた収納棚を掴むと、パイプの部分を引き千切った。

「ん? はい?」

知夏の反応をよそに、黒い男は次の行動を起こした。
千切られた一本のアルミパイプをその場で高く振り上げると、
膝を折り腰を落としてコンクリートの床を凄まじい勢いで叩きつけた。

金属がぶつかる音が屋上中へと響き渡る。

「えと、その……ゾンビさんは……?」

黒い男は膝を伸ばしパイプを高く上げたかと思うと、また床を叩いた。そしてまた繰り返した。
続けること五回。先端を何度も叩きつけられたパイプは歪な半円形になってしまった。

人々の悲鳴を始めとしたあらゆる騒がしい音は、ぴたりと止んでいた。
屋上にいる住民すべてが何事が起ったのかと、注目せざる負えなかった。
住民は皆キャンプ地から離れており、それぞれがその場から退避していたようだ。

キャンプ地の中から、四体のゾンビが黒い男へとよろよろ歩いているのが見える。
ここでようやく、あの奇行はゾンビをこちらへおびき出すための行動なのだと知夏は察した。

「思ったとおり数は少ないな。まあ、突然襲われたんだ。混乱するのも無理はない」

黒い男はそういうと手に持ったパイプを捨て、同じ収納棚からパイプを引き千切った。
収納棚の面影はもう残っていない。
知夏はすぐそばに捨てられたパイプに四つん這いで近づき、掴んでみた。
彼女の腕ではパイプはびくともしない。

知夏は怯えた顔をして四つん這いのまま、再び黒い男の元へと駆け寄り声をかけた。

「あ、あのぉ……」

「なんだ?」

(え、何この威圧感。身長も高いし。こわいなぁ)

「そのぉ、あなたさまは、いったい何者なんでしょうか……?」

知夏はあくまで下手にでながらも、気になっていたことを質問をした。

「俺か?」

知夏はうんうんと頷くと、ゴクリと生唾を飲んだ。そして期待した。

政府お抱えの秘密な特殊部隊だろうか。それとも科学の粋を集めて生まれたミュータントで、
だからヘルメットしているのでは、だとか。非常時ではあるものの、一人のオカルト好き
として興味を持たずにはいられなかった。

「俺は、ゾンビの"プロ"だ」

知夏はポカンとした表情を浮かべた。

「ゾンビの……プロぉ……ですかぁ……」

知夏の反応をよそに、ゾンビのプロと名乗った怪しい黒づくめの男はスマホをいじり始めた。

「今日はこれにしよう。一分三十七秒。ちょうどいい長さだ」

タップを終えると、スマホからなにやらロックなミュージックが大音量で流れ始める。
映画のアクションシーンで流れていそうな曲だ。

スマホとアルミパイプを手に、一番近いゾンビへと歩いていく。
首を鳴らして肩を回しながら、余裕たっぷりに。そして手を伸ばせば届きそうな距離まで近づいた次の瞬間――。
アルミパイプを横へ一閃して頭に叩きつけ、あっさりと頭を吹き飛ばした。

(す、すごい……! わたしはあんなに叩いても倒せなかったのに)

黒い男はくの字に折れたアルミパイプを投げ捨てた。
それから何か探しているのか、近くを見回している。その間にも残った三体のゾンビは近づいてきている。
ステンレスのコップを拾って鷲掴みにすると、流れるようにしてゾンビの脳天へ上から叩きつけた。
ゾンビは糸が切れたようにして動かなくなり、その場に崩れ落ちる。

黒い男の背後に次のゾンビが迫っている。鋭い後ろ蹴りがそのゾンビの膝に直撃した。
膝が折れてうつ伏せで倒れるゾンビの頭に、無慈悲な踏みつけが襲い掛かる。ゾンビの頭は粉砕した。

残るゾンビは一体のみだ。彼はあたりを見回すとわざとらしく肩を落とし、
仕方ないといいたげな様子をジェスチャーで周りに見せつけている。

ゾンビの腕が黒い男の肩を掴むと、お返しとばかりにゾンビの首を片手で掴み、そのまま持ち上げた。
そしてゾンビの頭は放物線を描くようにして、地面へと叩きつけられた。頭は当然として、
肩までもが砕けてしまっている。

四体全てのゾンビが倒されるのと同時に、流れていたロックミュージックはちょうど終了した。
生きている人々は皆いつのまにか、キャンプ地の周りに集まっていた。そして黒い男に注目し、静かに眺めていた。

黒い男は肩に乗った千切れたゾンビの腕をはたき落とすと、両腕を高く上げて大きく二回手を叩いた。

それがゾンビをすべて倒した合図なのだと人々が気づかされると、拍手が始まり、ついには歓声が上がった。

知夏は黒い男の活躍を見て、思わず感想を述べた。

「まるで本物の映画みたい。久々に、気分がスカッとしたかも……」

知夏は黒い男を見続けた。男は周囲へ向けて手を振りつつ、近くにいる人の肩を叩いて会話している。

遠巻きからその様子を見て、知夏は思わずつぶやいた。

「ひょっとしてあの人、すごい人なのかな」

一通りやることを終えたのか、黒い男は知夏の元へと戻ってきた。

「とりあえずは安心だ。パッと見、屋上へ繋がる階段はまだ塞がれているようだからな」

ゾンビと戦いながらそんなところまで見る余裕があったのかと知夏は心の中で驚いた。

「まだ立てないのか?」

「ハイッ! じゃなくていいえ!」

知夏は立ち上がってみせた。

「ハイ! 立てました!」

「ならギックリ腰ではなさそうだな。予防のために体幹は鍛えておけ。それと、四十肩にも
気をつけろよ。さっきみたいなことが出来なくなるからな」

黒い男は頷いた後、知夏の肩をポンポンと叩いた。

「え? は、はいぃ……」

また訳も分からぬうちに肯定してしまった自身を恨みつつ、知夏の頭に一つの疑問が浮かんだ。
屋上へ繋がる階段はまだ塞がれている。では、ゾンビはどこから入ってきたのだろう、と。

「あの~、発言してもよろしいでしょうかぁ……?」

いくらすごい活躍をしていたとはいえ、まだ知夏の中では不審な黒い人だという認識は変わらなかった。
重ねて言うことになるが、顔が見えないフルフェイスマスクを被り頭からつま先まで黒色で統一された、
全身が分厚い筋肉で引き締まっていて、それでいてモデルのような体型をした身長百八十センチはあろう男なのだ。

黒い男はヘルメット越しにじっと知夏を見た。

(うう、こわいよう)

知夏は硬い笑顔を保ちながら耐えていたところに、黒い男はいった。

「堅苦しい言い方はしなくていい。俺はただのリスナーだ。だから……お互い気を使うのは無しにしないか?」

「ハ、ハイッ!」

(この人、すごいだけじゃなくて、いい人なのかも……!!)

「では改めましてぇ……バリケードが壊されていないってことは、その、どこから入ってきたんでしょう?」

この百貨店の屋上に辿り着くためには階段と非常用の梯子しかない。
階段から屋上への入り口まではこの場所が古いゲームセンターであったことを活かして、
ゲームの筐体などで塞いだと知夏は訊いていた。食料を始めとした必需品を取りに行く際には
梯子を使って出入りしていたという。

「調達にあの階段は使ってないんだろう?普段はどこから中に出入りしてる」

「聞いた話だと、梯子です。非常用の。」

「それだな」

まさかの即答だった。

「はい? でもゾンビですよ? 梯子は登れないんじゃ」

「知らないのか。ゾンビの11%は梯子を昇れるというデータがある」

(いやどこのデータだよ!!)

知夏は思わず心の中でツッコミをした。

「もっとも、現実に梯子を昇れるゾンビはずっと少なかったがな。
おそらく『作法』を備えたゾンビだろう。さっきの四体は全て、口周りと服の胸部に血痕
があった。損傷が多く腐敗も進んでいたから、まず新人ゾンビではないはずだ」

(ヤバい! 何をいってるのか全く分からない!!)

とりあえずニコニコ笑顔で頷いていると、黒い男は口調を緩めた。

「ところで、一つ頼みがあるんだが」

知夏はハッとしてからうんうんと頷き、応えた。

「ハイッ、なんでしょう?」

「襲われた際に噛まれた者がいるはずだ。配信に区切りをつけてからでいい、ここに集めてくれないか?」

知夏は明るい笑顔で頷いた。自分でも何かできることがあることが嬉しかったのだ。

「助かる。さっきもその場で頼みはしたんだが……皆それどころじゃなさそうだったから、不安でな」

「おやすい御用です!」

ビッと敬礼のポーズを取って返事をした。
それから知夏は重要なことを思い出した。自己紹介をまだしていないのだ。

「わたし! 丘口知夏ともうします! 知ってのとおり『丘√チャンネル』の配信やってます!」

「確かに。自己紹介が遅れたな。俺は谷口貴樹、ただのリスナーだ。今は"ゾンビのプロ"をやっている。
あとは、そうだな……アカウント名は、エハルだ」

(エハル? な~んか聞き覚えがあるような、ないような……?)

思い出すのに時間がかかりそうなので、一旦それは思考の脇に置くことにした。

(そんなことより呼び方を決めなきゃ。う~ん。丘口と谷口じゃあちょっと、紛らわしいよねぇ)

「ではエハルさんと!わたしの方は知夏って呼んで大丈夫ですので!」

「わかった。俺はこれから梯子を見てくる。お互いやることを終えたらここで落ち合おう」

「承知です! あっ、あと一個だけ! 気になってたことをきいてもいいですか!?」

「もちろんだ」

「なんで金網に張り付いてたんですか?」

「なんだ、そんなことか。地上から壁を昇ってきたからに決まってるだろ」

(いや結構おかしなこといってますけれども!?)

「へぇ~~~、なるほどぉですね~~~~? あ! あたし行ってきますね! それでは!」

興味はあったが深堀すると長くなりそうなので話を切って、まず配信に区切りをつけにいった。

「みなさ~ん。お待たせしました! どうにかこうにか、わたしの大事な居場所は守れまし
たよ~。というわけで! この冷えちゃった目玉焼き、食べちゃいましょ~」

殻の入った焦げた目玉焼きを数分かけて味わって実況をした知夏は、無事に配信を終えることが出来た。
そして頼まれごとのために屋上中を駆け回ったのであった。
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