66 / 376
5巻
5-2
しおりを挟む
レイの召喚獣契約を終えた俺たちは、フラムを連れて新しい動物探しを続けた。
フラムはこれから始まる人間世界の生活が気になるのか、ワクワクした様子で俺に質問する。
【ほぅ、人間は鏡というもので姿を見るわけだね。僕もぜひ使ってみたいものだ】
「レイの部屋に、大きな鏡があるよ」
俺が微笑んで言うと、大きな耳をピクピクと動かして目を煌めかせる。
【そうか! さすがリーダーだな。それは楽しみだ……んん?】
話している途中で、フラムが急に立ち止まった。
【この臭いは、いふぇない】
自分の尻尾を前に持ってきて、それで鼻を押さえる。そしてすかさず、レイのローブを引っ張った。
「うぉっ! ……何だぁ?」
レイが驚いてフラムを振り返ると、フラムは鼻を押さえたままレイを見上げた。
【フィーダー、ぼきゅはこれいひょう、さきへふふめないのだが】
んんー? 何て言ったぁ?
鼻と一緒に口元を押さえているから、解読に自信はないけど。
……リーダー、僕はこれ以上、先へ進めないのだが……って言ったのかな?
【たいひゃんひたい】
そう言ったフラムは、鼻を押さえたまま俯く。
退散? 俺にはわからないが、何かの匂いを感じているのか?
「フラムが退散したいって言ってるんだけど。レイ、控えさせてあげたら?」
俺が言うと、レイもフラムの様子を見て、何かおかしいと感じたらしい。
「わ、わかった。フラム、我が身に控えよ」
レイの言葉で、フラムは空間の歪みに消えた。
「ホタルは何か匂いを感じる?」
俺が聞くと、ホタルはフンフンと小さな鼻を動かす。
それから「ナウ~」と鳴いて、尻尾をゆらゆらと動かした。
【平気です。ボクには甘い匂いするです】
フラムには嫌な臭いだけど、ホタルには甘く感じるのか。
「あぁ、確かに言われてみれば、甘い匂いがしますね」
カイルもそう言うので、俺たちは空気を大きく吸い込んだ。
「本当だ。微かに甘い花の香りがする。でも、変だな。花らしきものは見当たらないのに……」
俺が辺りを見回していると、トーマは手をポンと打った。
「あ! もしかして香鳥かな?」
香鳥? ……あぁ、アリスのお目当ての、香りを振りまくという鳥か。
「花のない季節に花の蜜のような甘い香りがしたら、香鳥が近くにいる可能性があるんだ。広範囲に香りを振りまくことができるって話だし、きっとそうだよ」
嬉しそうに頬を紅潮させるトーマの隣で、レイは顎に手をあてて唸った。
「じゃあ、フラムが嫌がったのは……香鳥が出した匂いってことか?」
レイの問いに、トーマがにこっと笑って頷く。
「うん、多分そう。香鳥の発する香りは複雑なんだ。特定の動物には不快だけど、他のものにはいい匂いに感じたりする。多分、フラムが嫌な臭いって感じたのは、ファイクがここら辺に棲む肉食獣だからじゃないかなぁ?」
ホタルがいい匂いだって言ったのは、毛玉猫が香鳥にとって害のないものだからか。
「じゃあ、この匂いをたどれば香鳥がいるってわけね」
ライラは一つ息をつき、張り切って歩きだす。
アリスは、そんなライラを呼び止めた。
「ライラ待って。香鳥は臆病で、人間が不用意に近づいたら逃げてしまうんですって」
「そっかぁ。じゃあどうするの?」
ライラが困った顔をして尋ねると、アリスは懐から小袋を取り出し、ぽふぽふと叩いた。叩くたびに、鼻にスッと抜けるような清涼感のある香りがする。
レイはその小袋に顔を近づけ、鼻をクンクンと動かした。
「アリスちゃん、何それ? いい香りがするけど」
「これは香鳥の好む花で作った、香り袋なの。こうやって叩いて匂いを出して、香鳥を誘い出すのよ。トーマに貰ったの」
アリスが微笑むと、レイは片眉を上げてトーマを見やる。
「トーマ……。知識で、さりげなくアリスちゃんの評価上げてくるなぁ」
若干嫉妬のこもった瞳で見られて、トーマはキョトンと首を傾げた。
「ん? どういう意味?」
レイはトーマの問いには答えず、腕を組んで低く唸る。
「フィルも人畜無害そうで、モテるし。最近の流行はそういうタイプなのかな?」
ブツブツ呟いているレイに、ライラはため息をついた。
「モテるのは、あんたと真逆のタイプよ。あんたにはなれないから諦めなさい」
「そんなのわからないだろ」
レイが面白くなさそうに言い、俺たちが笑う。
その時、不意に花の甘い香りが強くなった。
羽ばたきとともに、サッと小さな影が空を横切る。
影の流れた方向を見ると、鮮やかな色をした鳥が木の上にとまっていた。
頭は白く、翼は黄色。体は緑で、尾は青かった。体長は十五センチくらいで、頭の冠羽がピョコンとはねている。寝癖みたいで、ちょっと可愛い。
「わぁ、綺麗」
アリスは驚かさないように、小さな声で言う。
辺りを見回していた香鳥は、「ピョールル」と楽しげに鳴くと、アリスに向かって滑空した。
驚いたアリスが身を縮こまらせたが、香鳥は当たる直前でバサバサと翼を羽ばたかせ、スピードを落としてアリスの肩にとまる。
【失礼いたしました。驚かせてしまいましたか? こちらから、いい香りがしたもので……】
「ピョルル」と鳴いた香鳥は、申し訳なさそうにアリスの顔を窺う。とても礼儀正しい口調の鳥だ。
その様子から、香鳥が自分のことを心配していると、アリスにもわかったのだろう。
「可愛い」
小さく笑って、喉元の羽を指で触ってあやす。
「アリスにビックリさせたことを、丁寧に謝ってるよ。いい匂いがしたから来たんだって」
俺が通訳すると、香鳥は目をパチクリさせて背筋を伸ばした。
自分の言葉を理解する人間がいたので、驚いたらしい。
そんな香鳥に、アリスは優しく微笑む。
「私はアリスというの。実は、あなたとお話がしたくて、この香り袋を使ったのよ」
取り出した香り袋に、香鳥はコクリと頷く。それから、アリスを見上げた。
【僕にお話ですか? 何でしょうか?】
首を傾げる香鳥に向かい、俺は優しい口調で話しかけた。
「彼女は今、香鳥で召喚獣になってくれる子を探しているんだ」
俺の話に頷いて相槌をうっていた香鳥は、嬉しそうに片翼を挙げて「ピョルル」と鳴く。
【召喚獣! なら、ちょうどいいです。僕ではいかがでしょう?】
「え……」
それは、ありがたい。性格も真面目そうだし、雰囲気的にアリスとも相性が良さそうだ。
しかし、意外とあっさり契約希望が通って、拍子抜けしてしまった。
「何か言ってるのか?」
レイの問いかけに、俺はまだ少し驚きつつ口を開く。
「召喚獣になりたいって言ってる」
それを聞いて、ライラが「えぇっ!」と声を上げた。
「何で皆、そんなあっさり契約が決まるのっ! いや、嬉しいわよ。アリスの召喚獣が増えて、喜ばしいことなんだけどっ!」
ライラの中に焦りと喜びが生まれ、複雑な感情が渦巻いているらしい。
頭を抱えて、表情をクルクル変えながら唸り声を上げる。
「あの……私としては嬉しいけど。本当に私が主でいいの?」
アリスも少し不安に思ったのか、肩にとまっている香鳥を見つめる。
すると、香鳥はコックリと頷いた。
【僕の兄弟はすでに人間の方に仕えておりまして。僕もいずれ召喚獣になりたいと思っていたのです】
へぇ。野生で暮らすほうが、動物にとって幸せなのかと思ってたけど。そういう考えの動物もいるんだ?
香鳥は俺たちの顔を見回して、「ピョルル」と鳴く。
【僕たち香鳥は、雰囲気を香りとして捉えることができるのですが、皆さんはとても良い香りです。でなければ、いくら香り袋があっても、こんなにすぐ近づいては来られません】
香鳥はもともと臆病な鳥だと聞いていた。香鳥のいう、雰囲気から感じる香りがどういったものなのかはわからないが、慎重な鳥が俺たちを信用してくれたことはとても嬉しい。
俺が香鳥の言葉をそのまま伝えると、アリスは顔を綻ばせる。
「そうであれば、私もとても嬉しいわ」
香鳥がアリスの肩から地面に下り、恭しく頭を垂れる。
召喚獣の契約を行おうという、香鳥の意思表示だった。
「ノトス」
アリスが名前を呼ぶと、香鳥の周りに風が巻き起こった。
風がやむと同時に、ノトスは飛び上がり空を軽やかに旋回する。何か言っているようだが、俺の耳には聞こえない。
「喜んでいるみたいですよ」
ノトスを見上げながら、カイルが小さく微笑んで教えてくれた。
2
一日がかりの課外授業には、お弁当がつきものだ。歩き回っていたら、当然お腹が減る。
食べる時間は各班に委ねられていたので、きりのいいところでお昼にすることにした。
フラムの契約に多少時間はかかったけど、反対にノトスとの契約はあっさり終わったのでわりと順調ではないだろうか。
俺がお弁当をリュックから取り出すと、アリスは申し訳なさそうな顔をした。
「お弁当を準備するの大変じゃなかった? 私たちの分まで作ってもらって……」
「いや、僕が作りたかっただけだし。今回のお弁当は、簡単なおかずばかりだから」
課外授業に持って行くお弁当は、希望すれば寮のコックさんが作ってくれる。
鉱石の課外授業の時は、俺たちもそのお弁当を持って行った。
ただ、今回はあったかいスープを持って行きたいと思い、どうせならと皆の分のお弁当を作ることにしたのだ。
授業不参加のカイルにも、ついでだからと用意してあげたのだが、結局こちらに来たのでお弁当があって良かったのかもしれない。
寮の厨房の片隅を借りて作った本日のお弁当は、ロースト肉のサンドイッチと野菜の肉巻き、卵焼き、ポテトフライ。あとは水筒に入れた野菜スープを、食べる時に火の鉱石で温め直す。
野菜スープを一口飲んで、俺はホッと息を吐いた。熱めの液体が、お腹をほかほかにしていく。
……今日もお弁当が死守できて良かった。スープを飲みながら、しみじみと思う。
寮のコックさんと仲良くなり、厨房にちょこちょこ出入りしている俺だが、「厨房にいるよ!」なんて知らせてもいないのに、なぜかお腹を減らした寮生たちが集まってくる。
今朝もカイルが規制してくれなかったら、厨房になだれ込んで来ただろう。
朝練が終わってお腹が空いてるのか、もうとにかく先輩方の目のギラツキが凄かった。
量が少ないから全員に味見させるわけにはいかないし、かといって、一人にあげたら喧嘩になりそうだしなぁ。
俺は朝の様子を思い出してサンドイッチを食べながら、困ったもんだと小さくため息をつく。
そういえば今日、ジェイ・ハリス先輩率いる三年生十数人からエプロンを貰った。
以前、先輩方にエッグタルトをあげたことがあり、そのお礼らしい。
淡い水色の生地で、ポケットに毛玉猫のアップリケが付いている可愛いエプロンだ。
先輩方の俺の認識って、どうなってるんだろう。
いや、料理は好きだし、エプロンはありがたいんだけどさ。お礼が可愛いエプロンって……。
男の先輩方に囲まれてプレゼントを渡された時のことを思い出し、微妙な気持ちになる。
すると俺の傍らから、プー……プー……と変な音が聞こえてきた。
見れば昼用のプリンを平らげて満足したコクヨウが、仰向けになって変な寝息を立てている。
伝承の獣……寝息に威厳がまったく感じられない。
他の召喚獣はと見回すと、ヒスイは近くの木に寄りかかって森林浴をし、ホタルと袋鼠のテンガ、氷亀のザクロと光鶏のコハクは湖の方でキャッキャと声を上げながら遊んでいた。
新しい召喚獣を紹介するためテンガたちを出したのに、挨拶もそこそこに湖に走り出したんだよね。
トーマやレイやアリスの召喚獣は、大人しく主人の傍らに寄り添っているのに。
俺の召喚獣、自由すぎる。
俺はそんな召喚獣たちを眺めながら、肉巻きを頬張る。
すると、ふと元気のないライラが視界に入った。いつもは美味しそうにご飯を食べてくれるのに、何だか思いつめた表情をしている。
「どうしよぉぉ。もう契約できる自信がなくなってきたわ」
ライラは泣きそうな顔で、サンドイッチを見つめる。
ノトスとの契約後、俺たちは何匹か動物に遭遇していた。
ライラは召喚獣がいなかったので、彼女の契約を優先的に行おうとしたのだが、やる気が空回りして契約に至らなかったのだ。
「平気だよ。まだ午後があるんだから」
俺がそう慰めても、ライラは小さく頷くだけだった。
んー。今日契約できなくても、補習もあるから焦ることはないんだけどな。
「僕はライラの落ち込む気持ち、少しわかるよ。僕もこんなに苦戦するとは思わなかった……」
トーマは力なく言って、悲しそうな笑みを浮かべる。
ライラとは別の意味で、トーマも召喚獣契約ができないでいた。
トーマと契約を望む動物がいても、エリザベスがいろいろチェックして動物をビビらせてしまうのだ。
ライラは落ち着けばチャンスがあるが、トーマは難航しそうだよな。
【トーマをどれだけ好きか聞いてるだけなのに、逃げるなんて根性ないわ】
ぷりぷりと怒るエリザベスを膝に抱え、トーマがしょんぼりとしている。
レイは落ち込む二人を見て、手に持っていたサンドイッチを頬張りながら言った。
「ま、焦ったってしょうがねーだろ? 暗い顔をしてると、飯がまずくなるぜ」
すると、傍らで話を聞いていたフラムが大きく口を開ける。
【さっき少し貰った肉は美味しかったのに、リーダーは味覚音痴なのか? 召喚獣は食べなくても大丈夫だと聞くが、主人がまずいと言うのであれば僕が食べてあげよう】
そう言ってレイのお弁当に顔を近づけ、鼻をふんふんと動かす。
レイはそれに気づいて、慌ててフラムの頭を押さえた。
「ちょっ、フラム! どうしたんだよ! 味の薄いとこなら、あとで少し分けてあげるからっ!」
困惑するレイに、カイルは冷めた視線を向けて言う。
「フィル様手作りのお弁当をレイがまずいと言うから、自分が食べてやるって言ってる」
「えっ! ち、違うって! 『飯がまずくなる』ってのは言葉の綾だから! すっげー美味いからっ!」
【遠慮するなリーダー!】
レイはお弁当を抱えて走りだし、フラムがそれを追いかける。
まるでコントみたいなやり取りで、俺やアリスやカイルどころか、落ち込んでいたライラとトーマまで噴き出した。
「言葉の綾だとしても、フィル君のお弁当をまずいなんて言うからよ」
「だよねぇ。こんなに美味しいのに」
ようやく見られた二人の笑顔に、俺とカイルとアリスは顔を見合わせてホッと息をついた。
そんなランチタイムを終え、課外授業を再開するため、皆はそれぞれの召喚獣を一旦控えさせる。
俺もそろそろホタルたちを呼び寄せようと思った時、凄い勢いでテンガが飛び込んできた。
【フィル様っ! フィル様、大変っす!!】
「わ!」
びっくりしたぁ。呼び寄せる前に飛び込んでくるとは……。
「大変って、いったいどうしたの? ホタルたちは?」
ハッハッと荒い息を吐くテンガを落ち着かせるために、その背中を優しく撫でる。
【あっちに怪しい奴いたっす!! 俺は急いで知らせに来たっす!】
「怪しい奴?」
俺が眉を顰めると、テンガの声で目が覚めたらしいコクヨウが大きく欠伸をして背筋を伸ばす。
【まったく、いつも慌ただしい奴だ】
テンガは俺とコクヨウを交互に見ながら、俺のローブを引っ張った。
【フィル様、アニキ、とにかく来てくださいっす! 怪しい奴がいるんす!】
俺は詳細を知りたいのだが、テンガはとりあえずそこに連れて行きたいようだ。
しかしコクヨウは訝しげな顔で、テンガの指し示す方向を見る。
【怪しい奴? 不穏な気配は感じられないが……】
コクヨウがそう断言するなら、怪しいと言っても危険はないのかな?
「フィル、どうしたの? 怪しい奴って何?」
アリスが俺から発せられた単語を耳にして、不安げに眉を寄せる。
俺は立ち上がって、小首を傾げた。
「危険なものではないと思うんだけど、ちょっと確認してくる。皆は待ってて」
「俺も行きます」
カイルが俺の隣に並ぶと、コクヨウとヒスイもそれに倣った。
【テンガの言うことだから大した奴ではなかろうが、暇だからな】
【面白そうですわよね】
コクヨウは小馬鹿にした言い方をし、ヒスイは空中をヒラリと飛びながら軽やかに笑う。
真面目に取り合わないコクヨウとヒスイに、テンガは大きく飛び跳ねて地面を鳴らした。
【本当っす! 怪しい奴っす!】
俺がテンガを宥めていると、なぜかレイが俺の後ろについた。
「あれ? レイも来るの? 様子を見て来るだけだから、ここで待ってていいのに」
「いや、もし危なくなったら、俺がフラムを再度召喚して火の玉を使おうかと思って」
ポーズを決めてニヤリと笑うレイを見て、ライラはため息交じりに立ち上がる。
「じゃあ、私はレイが馬鹿なことしないように見張ってるわ」
「私も心配だし、香鳥の香りが役に立つかもしれないから」
アリスがそう言ってライラの後ろにつくと、トーマも慌てて立ち上がった。
「えぇぇ、僕一人で待ってるのは嫌だよ!」
結局、全員で『怪しい奴』の目撃場所に向かうことになった。
だが、テンガの案内で到着した場所には、怪しげな奴どころかホタルたちの姿も見当たらない。
「ホタルたちもいないね?」
【ここにいたっす! それで、怪しい奴が歩いていって……皆どこに行ったっす?】
テンガが頭にハテナマークをつけて、首を傾げる。
こっちが聞きたい。
「あちらから、何か水音がします」
カイルがそう言って、湖の畔でも特に木の密集している辺りを指さす。
近づいて覗き込むと、そこにはザクロとコハクとホタルとともに、もう一匹、別の動物がいた。
その動物は湖に向かって身を屈め、パシャパシャと水音を立てている。
全体的に黄色っぽい毛色で、太い尻尾はふさふさで丸く、黒の縞模様が入っている。
あれは、召喚獣の本の挿絵で見たことがある。アライグマみたいな外見で……確か名前は……。
思い出していると、俺の後ろから一緒に覗いていたトーマが「わぁぁ」と微かに声を漏らした。
「ラグールだ。何でこんなところにいるのかな? 棲息地、ここじゃないはずなんだけどなぁ」
あ、そうだ。ラグールだ。確かルワインド大陸の動物で、数の少ない雷属性なんだよな。
小動物が相手なら、電気をバチッと放って気絶させたりできるって話だ。
俺たちは思いがけず出会ったラグールにさらに近づいて、こっそり様子を窺う。
ラグールはパシャパシャと音を立てて、何かを洗っていた。そしてそれを、ホタルとザクロとコハクが囲うようにして覗き込んでいる。
何をやってるんだ、あの二匹と一羽は……。
【あぁぁ、フィル様を呼びに行ってる間に、怪しい奴と仲良くなってるっす!】
テンガは頭を抱えて、ショックを受けている。
【興味があるから見ているだけよ、きっと】
ヒスイが微笑んで、テンガの頭を優しく撫でた。
別にテンガが言うほど、怪しいところはないよな。気になることと言えば、洗っているものか……。
【やっと洗えたわぁ。いやぁ、大変やった。俺が拾った時、泥だらけやったし】
ふぅと息をついて、嬉しそうな声を上げる。
それからラグールはスクッと立ち上がって、洗ったものを掲げた。
それはカラフルな模様の入った子供用の木靴だった。しかも、片方だけ。
「……木靴?」
俺たちはラグールの掲げる木靴を見て、首を傾げる。
もしかして、湖に来た観光客が落としたのかな?
ステア王国をはじめとして殆どの国では革靴が主流だが、民族によっては木靴も履いている。
手作りが基本のこちらの世界では靴は貴重なものだから、捨てた靴とは考えにくいもんな。
俺は「ふむ」と顎に手をあてて、そんな推測をする。
それにしても、何で人間の靴を洗ってるんだろう?
ラグールの周りを囲むザクロたちも、同じ疑問を抱いたらしい。
【そりゃあ人間の履物じゃぁねぇかい? それを洗って何をするんでい】
ザクロは首を長くして靴を覗き、ホタルは不思議そうに頭を傾ける。
【それ、履くです?】
ホタルの横にいたコハクも、体ごと傾けた。
【はく~?】
ラグールは二匹と一羽に頷いて、靴を履く素振りを見せる。
【そうそう、片方だけをこうしてな。わー、人間のはでかいなぁ……って、んなわけあるかいっ!】
ノリツッコミした……。
しかしホタルたちは、ノリツッコミを理解できずに目を丸くしている。
ラグールは咳払いを一つして、スベった感を誤魔化した。そして靴を振り、ニヤリと笑う。
【人間はいつもこれを履いてるやん? つまりは相当、大事なもんや。持ち主に返したら、きっとお礼をたんまり貰えるわ】
ラグールは「くっくっくっ」と、肩を揺らしながら笑った。
その様子を見て、テンガは「あわわ」と俺に縋りつく。
【また、怪しい笑いしてるっす! 何か企んでるっす!】
この笑いを見て、怪しい奴って言ってたのか……。
あ~うん。企んではいるね。浅い企みな気はするけども。
確かに靴は貴重なものだが、失くした本人はもう諦めて帰っているのではないだろうか?
観光客のものと考えたら、なおさらだ。持ち主に会えなきゃ、当然お礼も見込めない。
フラムはこれから始まる人間世界の生活が気になるのか、ワクワクした様子で俺に質問する。
【ほぅ、人間は鏡というもので姿を見るわけだね。僕もぜひ使ってみたいものだ】
「レイの部屋に、大きな鏡があるよ」
俺が微笑んで言うと、大きな耳をピクピクと動かして目を煌めかせる。
【そうか! さすがリーダーだな。それは楽しみだ……んん?】
話している途中で、フラムが急に立ち止まった。
【この臭いは、いふぇない】
自分の尻尾を前に持ってきて、それで鼻を押さえる。そしてすかさず、レイのローブを引っ張った。
「うぉっ! ……何だぁ?」
レイが驚いてフラムを振り返ると、フラムは鼻を押さえたままレイを見上げた。
【フィーダー、ぼきゅはこれいひょう、さきへふふめないのだが】
んんー? 何て言ったぁ?
鼻と一緒に口元を押さえているから、解読に自信はないけど。
……リーダー、僕はこれ以上、先へ進めないのだが……って言ったのかな?
【たいひゃんひたい】
そう言ったフラムは、鼻を押さえたまま俯く。
退散? 俺にはわからないが、何かの匂いを感じているのか?
「フラムが退散したいって言ってるんだけど。レイ、控えさせてあげたら?」
俺が言うと、レイもフラムの様子を見て、何かおかしいと感じたらしい。
「わ、わかった。フラム、我が身に控えよ」
レイの言葉で、フラムは空間の歪みに消えた。
「ホタルは何か匂いを感じる?」
俺が聞くと、ホタルはフンフンと小さな鼻を動かす。
それから「ナウ~」と鳴いて、尻尾をゆらゆらと動かした。
【平気です。ボクには甘い匂いするです】
フラムには嫌な臭いだけど、ホタルには甘く感じるのか。
「あぁ、確かに言われてみれば、甘い匂いがしますね」
カイルもそう言うので、俺たちは空気を大きく吸い込んだ。
「本当だ。微かに甘い花の香りがする。でも、変だな。花らしきものは見当たらないのに……」
俺が辺りを見回していると、トーマは手をポンと打った。
「あ! もしかして香鳥かな?」
香鳥? ……あぁ、アリスのお目当ての、香りを振りまくという鳥か。
「花のない季節に花の蜜のような甘い香りがしたら、香鳥が近くにいる可能性があるんだ。広範囲に香りを振りまくことができるって話だし、きっとそうだよ」
嬉しそうに頬を紅潮させるトーマの隣で、レイは顎に手をあてて唸った。
「じゃあ、フラムが嫌がったのは……香鳥が出した匂いってことか?」
レイの問いに、トーマがにこっと笑って頷く。
「うん、多分そう。香鳥の発する香りは複雑なんだ。特定の動物には不快だけど、他のものにはいい匂いに感じたりする。多分、フラムが嫌な臭いって感じたのは、ファイクがここら辺に棲む肉食獣だからじゃないかなぁ?」
ホタルがいい匂いだって言ったのは、毛玉猫が香鳥にとって害のないものだからか。
「じゃあ、この匂いをたどれば香鳥がいるってわけね」
ライラは一つ息をつき、張り切って歩きだす。
アリスは、そんなライラを呼び止めた。
「ライラ待って。香鳥は臆病で、人間が不用意に近づいたら逃げてしまうんですって」
「そっかぁ。じゃあどうするの?」
ライラが困った顔をして尋ねると、アリスは懐から小袋を取り出し、ぽふぽふと叩いた。叩くたびに、鼻にスッと抜けるような清涼感のある香りがする。
レイはその小袋に顔を近づけ、鼻をクンクンと動かした。
「アリスちゃん、何それ? いい香りがするけど」
「これは香鳥の好む花で作った、香り袋なの。こうやって叩いて匂いを出して、香鳥を誘い出すのよ。トーマに貰ったの」
アリスが微笑むと、レイは片眉を上げてトーマを見やる。
「トーマ……。知識で、さりげなくアリスちゃんの評価上げてくるなぁ」
若干嫉妬のこもった瞳で見られて、トーマはキョトンと首を傾げた。
「ん? どういう意味?」
レイはトーマの問いには答えず、腕を組んで低く唸る。
「フィルも人畜無害そうで、モテるし。最近の流行はそういうタイプなのかな?」
ブツブツ呟いているレイに、ライラはため息をついた。
「モテるのは、あんたと真逆のタイプよ。あんたにはなれないから諦めなさい」
「そんなのわからないだろ」
レイが面白くなさそうに言い、俺たちが笑う。
その時、不意に花の甘い香りが強くなった。
羽ばたきとともに、サッと小さな影が空を横切る。
影の流れた方向を見ると、鮮やかな色をした鳥が木の上にとまっていた。
頭は白く、翼は黄色。体は緑で、尾は青かった。体長は十五センチくらいで、頭の冠羽がピョコンとはねている。寝癖みたいで、ちょっと可愛い。
「わぁ、綺麗」
アリスは驚かさないように、小さな声で言う。
辺りを見回していた香鳥は、「ピョールル」と楽しげに鳴くと、アリスに向かって滑空した。
驚いたアリスが身を縮こまらせたが、香鳥は当たる直前でバサバサと翼を羽ばたかせ、スピードを落としてアリスの肩にとまる。
【失礼いたしました。驚かせてしまいましたか? こちらから、いい香りがしたもので……】
「ピョルル」と鳴いた香鳥は、申し訳なさそうにアリスの顔を窺う。とても礼儀正しい口調の鳥だ。
その様子から、香鳥が自分のことを心配していると、アリスにもわかったのだろう。
「可愛い」
小さく笑って、喉元の羽を指で触ってあやす。
「アリスにビックリさせたことを、丁寧に謝ってるよ。いい匂いがしたから来たんだって」
俺が通訳すると、香鳥は目をパチクリさせて背筋を伸ばした。
自分の言葉を理解する人間がいたので、驚いたらしい。
そんな香鳥に、アリスは優しく微笑む。
「私はアリスというの。実は、あなたとお話がしたくて、この香り袋を使ったのよ」
取り出した香り袋に、香鳥はコクリと頷く。それから、アリスを見上げた。
【僕にお話ですか? 何でしょうか?】
首を傾げる香鳥に向かい、俺は優しい口調で話しかけた。
「彼女は今、香鳥で召喚獣になってくれる子を探しているんだ」
俺の話に頷いて相槌をうっていた香鳥は、嬉しそうに片翼を挙げて「ピョルル」と鳴く。
【召喚獣! なら、ちょうどいいです。僕ではいかがでしょう?】
「え……」
それは、ありがたい。性格も真面目そうだし、雰囲気的にアリスとも相性が良さそうだ。
しかし、意外とあっさり契約希望が通って、拍子抜けしてしまった。
「何か言ってるのか?」
レイの問いかけに、俺はまだ少し驚きつつ口を開く。
「召喚獣になりたいって言ってる」
それを聞いて、ライラが「えぇっ!」と声を上げた。
「何で皆、そんなあっさり契約が決まるのっ! いや、嬉しいわよ。アリスの召喚獣が増えて、喜ばしいことなんだけどっ!」
ライラの中に焦りと喜びが生まれ、複雑な感情が渦巻いているらしい。
頭を抱えて、表情をクルクル変えながら唸り声を上げる。
「あの……私としては嬉しいけど。本当に私が主でいいの?」
アリスも少し不安に思ったのか、肩にとまっている香鳥を見つめる。
すると、香鳥はコックリと頷いた。
【僕の兄弟はすでに人間の方に仕えておりまして。僕もいずれ召喚獣になりたいと思っていたのです】
へぇ。野生で暮らすほうが、動物にとって幸せなのかと思ってたけど。そういう考えの動物もいるんだ?
香鳥は俺たちの顔を見回して、「ピョルル」と鳴く。
【僕たち香鳥は、雰囲気を香りとして捉えることができるのですが、皆さんはとても良い香りです。でなければ、いくら香り袋があっても、こんなにすぐ近づいては来られません】
香鳥はもともと臆病な鳥だと聞いていた。香鳥のいう、雰囲気から感じる香りがどういったものなのかはわからないが、慎重な鳥が俺たちを信用してくれたことはとても嬉しい。
俺が香鳥の言葉をそのまま伝えると、アリスは顔を綻ばせる。
「そうであれば、私もとても嬉しいわ」
香鳥がアリスの肩から地面に下り、恭しく頭を垂れる。
召喚獣の契約を行おうという、香鳥の意思表示だった。
「ノトス」
アリスが名前を呼ぶと、香鳥の周りに風が巻き起こった。
風がやむと同時に、ノトスは飛び上がり空を軽やかに旋回する。何か言っているようだが、俺の耳には聞こえない。
「喜んでいるみたいですよ」
ノトスを見上げながら、カイルが小さく微笑んで教えてくれた。
2
一日がかりの課外授業には、お弁当がつきものだ。歩き回っていたら、当然お腹が減る。
食べる時間は各班に委ねられていたので、きりのいいところでお昼にすることにした。
フラムの契約に多少時間はかかったけど、反対にノトスとの契約はあっさり終わったのでわりと順調ではないだろうか。
俺がお弁当をリュックから取り出すと、アリスは申し訳なさそうな顔をした。
「お弁当を準備するの大変じゃなかった? 私たちの分まで作ってもらって……」
「いや、僕が作りたかっただけだし。今回のお弁当は、簡単なおかずばかりだから」
課外授業に持って行くお弁当は、希望すれば寮のコックさんが作ってくれる。
鉱石の課外授業の時は、俺たちもそのお弁当を持って行った。
ただ、今回はあったかいスープを持って行きたいと思い、どうせならと皆の分のお弁当を作ることにしたのだ。
授業不参加のカイルにも、ついでだからと用意してあげたのだが、結局こちらに来たのでお弁当があって良かったのかもしれない。
寮の厨房の片隅を借りて作った本日のお弁当は、ロースト肉のサンドイッチと野菜の肉巻き、卵焼き、ポテトフライ。あとは水筒に入れた野菜スープを、食べる時に火の鉱石で温め直す。
野菜スープを一口飲んで、俺はホッと息を吐いた。熱めの液体が、お腹をほかほかにしていく。
……今日もお弁当が死守できて良かった。スープを飲みながら、しみじみと思う。
寮のコックさんと仲良くなり、厨房にちょこちょこ出入りしている俺だが、「厨房にいるよ!」なんて知らせてもいないのに、なぜかお腹を減らした寮生たちが集まってくる。
今朝もカイルが規制してくれなかったら、厨房になだれ込んで来ただろう。
朝練が終わってお腹が空いてるのか、もうとにかく先輩方の目のギラツキが凄かった。
量が少ないから全員に味見させるわけにはいかないし、かといって、一人にあげたら喧嘩になりそうだしなぁ。
俺は朝の様子を思い出してサンドイッチを食べながら、困ったもんだと小さくため息をつく。
そういえば今日、ジェイ・ハリス先輩率いる三年生十数人からエプロンを貰った。
以前、先輩方にエッグタルトをあげたことがあり、そのお礼らしい。
淡い水色の生地で、ポケットに毛玉猫のアップリケが付いている可愛いエプロンだ。
先輩方の俺の認識って、どうなってるんだろう。
いや、料理は好きだし、エプロンはありがたいんだけどさ。お礼が可愛いエプロンって……。
男の先輩方に囲まれてプレゼントを渡された時のことを思い出し、微妙な気持ちになる。
すると俺の傍らから、プー……プー……と変な音が聞こえてきた。
見れば昼用のプリンを平らげて満足したコクヨウが、仰向けになって変な寝息を立てている。
伝承の獣……寝息に威厳がまったく感じられない。
他の召喚獣はと見回すと、ヒスイは近くの木に寄りかかって森林浴をし、ホタルと袋鼠のテンガ、氷亀のザクロと光鶏のコハクは湖の方でキャッキャと声を上げながら遊んでいた。
新しい召喚獣を紹介するためテンガたちを出したのに、挨拶もそこそこに湖に走り出したんだよね。
トーマやレイやアリスの召喚獣は、大人しく主人の傍らに寄り添っているのに。
俺の召喚獣、自由すぎる。
俺はそんな召喚獣たちを眺めながら、肉巻きを頬張る。
すると、ふと元気のないライラが視界に入った。いつもは美味しそうにご飯を食べてくれるのに、何だか思いつめた表情をしている。
「どうしよぉぉ。もう契約できる自信がなくなってきたわ」
ライラは泣きそうな顔で、サンドイッチを見つめる。
ノトスとの契約後、俺たちは何匹か動物に遭遇していた。
ライラは召喚獣がいなかったので、彼女の契約を優先的に行おうとしたのだが、やる気が空回りして契約に至らなかったのだ。
「平気だよ。まだ午後があるんだから」
俺がそう慰めても、ライラは小さく頷くだけだった。
んー。今日契約できなくても、補習もあるから焦ることはないんだけどな。
「僕はライラの落ち込む気持ち、少しわかるよ。僕もこんなに苦戦するとは思わなかった……」
トーマは力なく言って、悲しそうな笑みを浮かべる。
ライラとは別の意味で、トーマも召喚獣契約ができないでいた。
トーマと契約を望む動物がいても、エリザベスがいろいろチェックして動物をビビらせてしまうのだ。
ライラは落ち着けばチャンスがあるが、トーマは難航しそうだよな。
【トーマをどれだけ好きか聞いてるだけなのに、逃げるなんて根性ないわ】
ぷりぷりと怒るエリザベスを膝に抱え、トーマがしょんぼりとしている。
レイは落ち込む二人を見て、手に持っていたサンドイッチを頬張りながら言った。
「ま、焦ったってしょうがねーだろ? 暗い顔をしてると、飯がまずくなるぜ」
すると、傍らで話を聞いていたフラムが大きく口を開ける。
【さっき少し貰った肉は美味しかったのに、リーダーは味覚音痴なのか? 召喚獣は食べなくても大丈夫だと聞くが、主人がまずいと言うのであれば僕が食べてあげよう】
そう言ってレイのお弁当に顔を近づけ、鼻をふんふんと動かす。
レイはそれに気づいて、慌ててフラムの頭を押さえた。
「ちょっ、フラム! どうしたんだよ! 味の薄いとこなら、あとで少し分けてあげるからっ!」
困惑するレイに、カイルは冷めた視線を向けて言う。
「フィル様手作りのお弁当をレイがまずいと言うから、自分が食べてやるって言ってる」
「えっ! ち、違うって! 『飯がまずくなる』ってのは言葉の綾だから! すっげー美味いからっ!」
【遠慮するなリーダー!】
レイはお弁当を抱えて走りだし、フラムがそれを追いかける。
まるでコントみたいなやり取りで、俺やアリスやカイルどころか、落ち込んでいたライラとトーマまで噴き出した。
「言葉の綾だとしても、フィル君のお弁当をまずいなんて言うからよ」
「だよねぇ。こんなに美味しいのに」
ようやく見られた二人の笑顔に、俺とカイルとアリスは顔を見合わせてホッと息をついた。
そんなランチタイムを終え、課外授業を再開するため、皆はそれぞれの召喚獣を一旦控えさせる。
俺もそろそろホタルたちを呼び寄せようと思った時、凄い勢いでテンガが飛び込んできた。
【フィル様っ! フィル様、大変っす!!】
「わ!」
びっくりしたぁ。呼び寄せる前に飛び込んでくるとは……。
「大変って、いったいどうしたの? ホタルたちは?」
ハッハッと荒い息を吐くテンガを落ち着かせるために、その背中を優しく撫でる。
【あっちに怪しい奴いたっす!! 俺は急いで知らせに来たっす!】
「怪しい奴?」
俺が眉を顰めると、テンガの声で目が覚めたらしいコクヨウが大きく欠伸をして背筋を伸ばす。
【まったく、いつも慌ただしい奴だ】
テンガは俺とコクヨウを交互に見ながら、俺のローブを引っ張った。
【フィル様、アニキ、とにかく来てくださいっす! 怪しい奴がいるんす!】
俺は詳細を知りたいのだが、テンガはとりあえずそこに連れて行きたいようだ。
しかしコクヨウは訝しげな顔で、テンガの指し示す方向を見る。
【怪しい奴? 不穏な気配は感じられないが……】
コクヨウがそう断言するなら、怪しいと言っても危険はないのかな?
「フィル、どうしたの? 怪しい奴って何?」
アリスが俺から発せられた単語を耳にして、不安げに眉を寄せる。
俺は立ち上がって、小首を傾げた。
「危険なものではないと思うんだけど、ちょっと確認してくる。皆は待ってて」
「俺も行きます」
カイルが俺の隣に並ぶと、コクヨウとヒスイもそれに倣った。
【テンガの言うことだから大した奴ではなかろうが、暇だからな】
【面白そうですわよね】
コクヨウは小馬鹿にした言い方をし、ヒスイは空中をヒラリと飛びながら軽やかに笑う。
真面目に取り合わないコクヨウとヒスイに、テンガは大きく飛び跳ねて地面を鳴らした。
【本当っす! 怪しい奴っす!】
俺がテンガを宥めていると、なぜかレイが俺の後ろについた。
「あれ? レイも来るの? 様子を見て来るだけだから、ここで待ってていいのに」
「いや、もし危なくなったら、俺がフラムを再度召喚して火の玉を使おうかと思って」
ポーズを決めてニヤリと笑うレイを見て、ライラはため息交じりに立ち上がる。
「じゃあ、私はレイが馬鹿なことしないように見張ってるわ」
「私も心配だし、香鳥の香りが役に立つかもしれないから」
アリスがそう言ってライラの後ろにつくと、トーマも慌てて立ち上がった。
「えぇぇ、僕一人で待ってるのは嫌だよ!」
結局、全員で『怪しい奴』の目撃場所に向かうことになった。
だが、テンガの案内で到着した場所には、怪しげな奴どころかホタルたちの姿も見当たらない。
「ホタルたちもいないね?」
【ここにいたっす! それで、怪しい奴が歩いていって……皆どこに行ったっす?】
テンガが頭にハテナマークをつけて、首を傾げる。
こっちが聞きたい。
「あちらから、何か水音がします」
カイルがそう言って、湖の畔でも特に木の密集している辺りを指さす。
近づいて覗き込むと、そこにはザクロとコハクとホタルとともに、もう一匹、別の動物がいた。
その動物は湖に向かって身を屈め、パシャパシャと水音を立てている。
全体的に黄色っぽい毛色で、太い尻尾はふさふさで丸く、黒の縞模様が入っている。
あれは、召喚獣の本の挿絵で見たことがある。アライグマみたいな外見で……確か名前は……。
思い出していると、俺の後ろから一緒に覗いていたトーマが「わぁぁ」と微かに声を漏らした。
「ラグールだ。何でこんなところにいるのかな? 棲息地、ここじゃないはずなんだけどなぁ」
あ、そうだ。ラグールだ。確かルワインド大陸の動物で、数の少ない雷属性なんだよな。
小動物が相手なら、電気をバチッと放って気絶させたりできるって話だ。
俺たちは思いがけず出会ったラグールにさらに近づいて、こっそり様子を窺う。
ラグールはパシャパシャと音を立てて、何かを洗っていた。そしてそれを、ホタルとザクロとコハクが囲うようにして覗き込んでいる。
何をやってるんだ、あの二匹と一羽は……。
【あぁぁ、フィル様を呼びに行ってる間に、怪しい奴と仲良くなってるっす!】
テンガは頭を抱えて、ショックを受けている。
【興味があるから見ているだけよ、きっと】
ヒスイが微笑んで、テンガの頭を優しく撫でた。
別にテンガが言うほど、怪しいところはないよな。気になることと言えば、洗っているものか……。
【やっと洗えたわぁ。いやぁ、大変やった。俺が拾った時、泥だらけやったし】
ふぅと息をついて、嬉しそうな声を上げる。
それからラグールはスクッと立ち上がって、洗ったものを掲げた。
それはカラフルな模様の入った子供用の木靴だった。しかも、片方だけ。
「……木靴?」
俺たちはラグールの掲げる木靴を見て、首を傾げる。
もしかして、湖に来た観光客が落としたのかな?
ステア王国をはじめとして殆どの国では革靴が主流だが、民族によっては木靴も履いている。
手作りが基本のこちらの世界では靴は貴重なものだから、捨てた靴とは考えにくいもんな。
俺は「ふむ」と顎に手をあてて、そんな推測をする。
それにしても、何で人間の靴を洗ってるんだろう?
ラグールの周りを囲むザクロたちも、同じ疑問を抱いたらしい。
【そりゃあ人間の履物じゃぁねぇかい? それを洗って何をするんでい】
ザクロは首を長くして靴を覗き、ホタルは不思議そうに頭を傾ける。
【それ、履くです?】
ホタルの横にいたコハクも、体ごと傾けた。
【はく~?】
ラグールは二匹と一羽に頷いて、靴を履く素振りを見せる。
【そうそう、片方だけをこうしてな。わー、人間のはでかいなぁ……って、んなわけあるかいっ!】
ノリツッコミした……。
しかしホタルたちは、ノリツッコミを理解できずに目を丸くしている。
ラグールは咳払いを一つして、スベった感を誤魔化した。そして靴を振り、ニヤリと笑う。
【人間はいつもこれを履いてるやん? つまりは相当、大事なもんや。持ち主に返したら、きっとお礼をたんまり貰えるわ】
ラグールは「くっくっくっ」と、肩を揺らしながら笑った。
その様子を見て、テンガは「あわわ」と俺に縋りつく。
【また、怪しい笑いしてるっす! 何か企んでるっす!】
この笑いを見て、怪しい奴って言ってたのか……。
あ~うん。企んではいるね。浅い企みな気はするけども。
確かに靴は貴重なものだが、失くした本人はもう諦めて帰っているのではないだろうか?
観光客のものと考えたら、なおさらだ。持ち主に会えなきゃ、当然お礼も見込めない。
443
あなたにおすすめの小説
ネグレクトされていた四歳の末娘は、前世の経理知識で実家の横領を見抜き追放されました。これからはもふもふ聖獣と美食巡りの旅に出ます。
旅する書斎(☆ほしい)
ファンタジー
アークライト子爵家の四歳の末娘リリアは、家族から存在しないものとして扱われていた。食事は厨房の残飯、衣服は兄姉のお下がりを更に継ぎ接ぎしたもの。冷たい床で眠る日々の中、彼女は高熱を出したことをきっかけに前世の記憶を取り戻す。
前世の彼女は、ブラック企業で過労死した経理担当のOLだった。
ある日、父の書斎に忍び込んだリリアは、ずさんな管理の家計簿を発見する。前世の知識でそれを読み解くと、父による悪質な横領と、家の財産がすでに破綻寸前であることが判明した。
「この家は、もうすぐ潰れます」
家族会議の場で、リリアはたった四歳とは思えぬ明瞭な口調で破産の事実を突きつける。激昂した父に「疫病神め!」と罵られ家を追い出されたリリアだったが、それは彼女の望むところだった。
手切れ金代わりの銅貨数枚を握りしめ、自由を手に入れたリリア。これからは誰にも縛られず、前世で夢見た美味しいものをたくさん食べる生活を目指す。
遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。
沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。
すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。
だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。
イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。
変わり果てた現実を前に、
夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。
深い後悔と悲しみに苛まれながら、
失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。
しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。
贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。
そして、母の心を知っていく子供たち。
イネスが求める愛とは、
そして、幸せとは――。
悪役令息を改めたら皆の様子がおかしいです?
* ゆるゆ
BL
王太子から伴侶(予定)契約を破棄された瞬間、前世の記憶がよみがえって、悪役令息だと気づいたよ! しかし気づいたのが終了した後な件について。
悪役令息で断罪なんて絶対だめだ! 泣いちゃう!
せっかく前世を思い出したんだから、これからは心を入れ替えて、真面目にがんばっていこう! と思ったんだけど……あれ? 皆やさしい? 主人公はあっちだよー?
ユィリと皆の動画をつくりました!
インスタ @yuruyu0 絵も動画もあがります。ほぼ毎日更新!
Youtube @BL小説動画 アカウントがなくても、どなたでもご覧になれます。動画を作ったときに更新!
プロフのWebサイトから、両方に飛べるので、もしよかったら!
名前が * ゆるゆ になりましたー!
中身はいっしょなので(笑)これからもどうぞよろしくお願い致しますー!
ご感想欄 、うれしくてすぐ承認を押してしまい(笑)ネタバレ 配慮できないので、ご覧になる時は、お気をつけください!
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
虚ろな檻と翡翠の魔石
篠雨
BL
「本来の寿命まで、悪役の身体に入ってやり過ごしてよ」
不慮の事故で死んだ僕は、いい加減な神様の身勝手な都合により、異世界の悪役・レリルの器へ転生させられてしまう。
待っていたのは、一生を塔で過ごし、魔力を搾取され続ける孤独な日々。だが、僕を管理する強面の辺境伯・ヨハンが運んでくる薪や食事、そして不器用な優しさが、凍てついた僕の心を次第に溶かしていく。
しかし、穏やかな時間は長くは続かない。魔力を捧げるたびに脳内に流れ込む本物のレリルの記憶と領地を襲う未曾有の魔物の群れ。
「僕が、この場所と彼を守る方法はこれしかない」
記憶に翻弄され頭は混乱する中、魔石化するという残酷な決断を下そうとするが――。
-----------------------------------------
0時,6時,12時,18時に2話ずつ更新
悪役令嬢が処刑されたあとの世界で
重田いの
ファンタジー
悪役令嬢が処刑されたあとの世界で、人々の間に静かな困惑が広がる。
魔術師は事態を把握するため使用人に聞き取りを始める。
案外、普段踏まれている側の人々の方が真実を理解しているものである。
夫から『お前を愛することはない』と言われたので、お返しついでに彼のお友達をお招きした結果。
古森真朝
ファンタジー
「クラリッサ・ベル・グレイヴィア伯爵令嬢、あらかじめ言っておく。
俺がお前を愛することは、この先決してない。期待など一切するな!」
新婚初日、花嫁に真っ向から言い放った新郎アドルフ。それに対して、クラリッサが返したのは――
※ぬるいですがホラー要素があります。苦手な方はご注意ください。
【㊗️受賞!】神のミスで転生したけど、幼児化しちゃった!〜もふもふと一緒に、異世界ライフを楽しもう!〜
一ノ蔵(いちのくら)
ファンタジー
※第18回ファンタジー小説大賞にて、奨励賞を受賞しました!投票して頂いた皆様には、感謝申し上げますm(_ _)m
✩物語は、ゆっくり進みます。冒険より、日常に重きありの異世界ライフです。
【あらすじ】
神のミスにより、異世界転生が決まったミオ。調子に乗って、スキルを欲張り過ぎた結果、幼児化してしまった!
そんなハプニングがありつつも、ミオは、大好きな異世界で送る第二の人生に、希望いっぱい!
事故のお詫びに遣わされた、守護獣神のジョウとともに、ミオは異世界ライフを楽しみます!
カクヨム(吉野 ひな)にて、先行投稿しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。