不眠症のウィンドソックス (44,372文字/1時間14分)

奈々川わかな

文字の大きさ
19 / 29

第十八話 名曲

 敷地案内板を一目見るだけでもずいぶん広大なキャンパスだと凌介は思った。一週間前のワイドショーでは、「同准教授は現在自宅謹慎中」と報じられていたが、その自宅を知らない以上、ほかに行く当てはない。長本研究室は西G号館4階、内線番号はxxxx。いつかの名刺だけが頼りだった。

もう一度だけ、凌介はスマホのトーク画面を開いた。五秒、十秒。前となんの変化もない画面を閉じようとしたそのとき、フキダシの脇に白い文字があらわれた。

【既読】

 長い間ほったらかしにしていたチャットをなぜ今、佳樹が確認したのかはわからない。でも理由なんかどうだってよかった。凌介はずっとこの二文字を待っていたんだから。今ならいける。そんな根拠のない自信だけを頼りに、一度は繋がらず諦めた番号をゆっくりタップした。深呼吸。心臓がうるさい。

 呼び出し音が一回、二回と鳴る。つまり受話器は上がっていない。これで在室を確認できなければサプライズ訪問は諦めようと思ったそのとき、永遠にも思えたコール音が途切れた。

「ハロー、ディスイズ・ナガモト・ラボラトリー、ハウキャナイヘルプユー?」

「っ……」

 思いがけない応答に一瞬身構えたものの、凌介が冷静に頭を整理できたのは、もちろん空港勤めの経験もあるが、高専時代、数少ない女子が全員留学生だったから、女っ気に飢えて英語を勉強したんです、なんていう会話を佳樹としたのが今ごろ懐かしかった。

「ハロー、マイネームイズ・リョウスケ。キャナイトークトゥ・プロフェッサー・ナガモト?」

「ヒーイズビジー・アットディスモーメント」

「アイシー……バット、アイ・インシデンタリーピックドアップ・ヒズ・ボーディングパス……シームズトゥビー・ベリーインポータント……」

 そう自分で言いながら呆れた。冷静というくせに凌介は結局いちばんずるい手を使った。「偶然、先生の搭乗券を拾った者ですが」なんて、それを紛失したせいで大変な目に遭ってる人間に残酷にもほどがある。けれど嘘も方便だ。あの紙切れを拾わなければ、佳樹と出会うこともなかったのだから。

「オーケー、ジャストホールドオンプリーズ」

 その言葉と同時に、電話口は保留音に切り替わった。耳馴染みのあるメロディはたしかビートルズの『レットイットビー』だ。レットイットビー(なるようになる)だなんてずいぶんなケンカを売られている。でも照れ屋で天邪鬼の佳樹の研究室だと思えばそれさえ愛しかった。それにこのケンカは凌介の勝ちだ。保留にするということはつまり、近くに本人がいるはずだから。

 懐かしい声が耳に届いたのは、同じサビをかれこれ三回は聞いた頃だった。
感想 0

あなたにおすすめの小説

邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ

BL
鍛えられた肉体、高潔な魂―― それは選ばれし“供物”の条件。 山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。 見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。 誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。 心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

騙されて快楽地獄

てけてとん
BL
友人におすすめされたマッサージ店で快楽地獄に落とされる話です。長すぎたので2話に分けています。

吊るされた少年は惨めな絶頂を繰り返す

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

BL 男達の性事情

蔵屋
BL
 漁師の仕事は、海や川で魚介類を獲ることである。 漁獲だけでなく、養殖業に携わる漁師もいる。  漁師の仕事は多岐にわたる。 例えば漁船の操縦や漁具の準備や漁獲物の処理等。  陸上での魚の選別や船や漁具の手入れなど、 多彩だ。  漁師の日常は毎日漁に出て魚介類を獲るのが主な業務だ。  漁獲とは海や川で魚介類を獲ること。  養殖の場合は魚介類を育ててから出荷する養殖業もある。  陸上作業の場合は獲った魚の選別、船や漁具の手入れを行うことだ。  漁業の種類と言われる仕事がある。 漁師の仕事だ。  仕事の内容は漁を行う場所や方法によって多様である。  沿岸漁業と言われる比較的に浜から近い漁場で行われ、日帰りが基本。  日本の漁師の多くがこの形態なのだ。  沖合(近海)漁業という仕事もある。 沿岸漁業よりも遠い漁場で行われる。  遠洋漁業は数ヶ月以上漁船で生活することになる。  内水面漁業というのは川や湖で行われる漁業のことだ。  漁師の働き方は、さまざま。 漁業の種類や狙う魚によって異なるのだ。  出漁時間は早朝や深夜に出漁し、市場が開くまでに港に戻り魚の選別を終えるという仕事が日常である。  休日でも釣りをしたり、漁具の手入れをしたりと、海を愛する男達が多い。  個人事業主になれば漁船や漁具を自分で用意し、漁業権などの資格も必要になってくる。  漁師には、豊富な知識と経験が必要だ。  専門知識は魚類の生態や漁場に関する知識、漁法の技術と言えるだろう。  資格は小型船舶操縦士免許、海上特殊無線技士免許、潜水士免許などの資格があれば役に立つ。  漁師の仕事は、自然を相手にする厳しさもあるが大きなやりがいがある。  食の提供は人々の毎日の食卓に新鮮な海の幸を届ける重要な役割を担っているのだ。  地域との連携も必要である。 沿岸漁業では地域社会との結びつきが強く、地元のイベントにも関わってくる。  この物語の主人公は極楽翔太。18歳。 翔太は来年4月から地元で漁師となり働くことが決まっている。  もう一人の主人公は木下英二。28歳。 地元で料理旅館を経営するオーナー。  翔太がアルバイトしている地元のガソリンスタンドで英二と偶然あったのだ。 この物語の始まりである。  この物語はフィクションです。 この物語に出てくる団体名や個人名など同じであってもまったく関係ありません。