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しおりを挟むバロニクス城に滞在する時間も残りわずか。休日も今日で終わり。温泉から出たシャルとルイスは、あいなと共に帰り支度を始めた。
「もうこんな時間か。楽しい時間って早く過ぎてしまうね……」
帰り支度をする三人を見て客室の壁に凭(もた)れるハロルドが不満げにつぶやく。あいなは明るく笑いかけ、
「そうだね。でも大丈夫。また遊ぼ!」
「絶対だよ?」
うらめしげに言うと、ハロルドはふっと笑い声をもらした。
「変だね。僕、ここまで寂しがり屋な人間じゃなかったのに、君達との時間が楽しかったあまり、自分の新しい感情を知って驚きを隠せないよ」
「そっか。分かるよ。友達といると楽しいし、その分別れが寂しくなるよね」
あいなは、日本での生活を思い出した。秋葉とは幼なじみで家も近く学校も同じで語り合う時間はたくさんあるのに、帰宅すると寂しくて、電話やラインで延々彼女と色々なことを話したものだ。
(楽しかったな。ついこの間までの話なのに、ずいぶん昔のことみたいに感じる……。)
それだけ、シャル達と過ごした時間が色濃かったということか。
皆が帰り支度を済ませた頃、ハロルドが言った。
「そういえば、もうすぐカスティタ城でシャルの誕生日パーティーが行われるんだよね。僕も必ず行くよ」
「誕生日パーティー?シャルの?」
そんな話は聞いていない。あいなが目をしばたかせると、シャルとルイスが説明した。
「誕生日には、ロールシャイン王国の行事として俺の誕生日式典が開かれる。あいなはまだ婚前だし強制参加ではないから話すべきかどうか迷っていたんだ。日取りは婚礼パーティーより前になるが、もしよかったらあいなも参加するか?」
「となれば、あいな様のドレスの採寸も必要になりますね。ダンスの披露(ひろう)もございますし」
「ダ、ダンス!?私、そういうのやったことないです…!だから、参加なんてとてもっ」
シャルの誕生日は祝ってあげたい。しかし、国家規模のパーティーとなれば話は別だ。出来もしないダンスを披露して場をしらけさせるなんて、想像しただけで顔面|蒼白(そうはく)になる。あいなは参加をためらった。
「大丈夫だ。ダンスのパートナーは必ずしも婚約者である必要はない。適当な女を見つける。あいなは料理でも食べながらそばで見ていてくれればいい」
シャルが言った。
「俺の婚約者として人に紹介する場面もあるだろうから、その時に少し顔を出してくれれば充分だ。それに、パーティーには秋葉や龍河も参加可能だ。世界中からお祝いの品が届くし、様々な料理がふるまわれる。楽しんでもらえると思うぞ」
「行っても邪魔になるだろうし、私はいいよ。シャルが祝ってもらう場なんだから……」
「形式的なパーティーだ。俺を祝うために参加する者などいない。義理で来るだけだからな」
「義理なの?シャルの誕生日なのに?」
平然と語るシャルに、あいなは違和感を覚えた。自分の誕生日の経験を想起(そうき)する。
(ウチはお金がない家庭だから、昔から私は誕生日プレゼントをもらえなかった。龍河に買う分だけで精一杯だって知ってたし……。仕方ないことって分かってたけど子供の頃はそれがすごく寂しかった。……シャルは、自分の誕生日を祝ってもらえないことが平気なの?本当に?)
「昔から、シャルの誕生日はそういう風だったの?」
「ああ。王子だからな。個人的に祝ってもらえることなんてないし期待もしていない。昔からこういうものだと分かっていたしな。それに、お前が楽しんで参加してくれる、俺はそれだけで満足だ」
「そんな……。私、お祝いとか何も用意してないのに」
あいなは申し訳ない気分になり、うつむく。シャルはクスリと笑い、あいなの頭をクシャッと撫(な)でた。
「お前以外、何もいらない。だから、そんな顔するな」
「シャル……」
ハロルドは冷やかすように二人を見て、からかった。
「あーあ。二人だけの空気になっちゃった。僕、よけいなこと話したかも」
「ハロルド様、そのあたりで」
ルイスが穏やかに口を挟む。
「そうと決まれば、城に帰り次第すぐにあいな様のドレスをご用意させていただきます」
――数時間後。城に戻ったあいな達は、夕食の時間まで各自自由な時間を過ごすことになった。
綺麗な満月の浮かぶ晴天の美しい夜だった。
ルイスの魔法で空間転移したあいなとシャルは直接王族の間(ま)に着いたが、シャルとルイスは所用があると言いしばらくあいなの元を離れた。この瞬間から魔法防御陣は張られているので、もう安心していい。
自分がいなくなったことで、秋葉と龍河が心配しているかもしれない。おおまかな事情を説明するため、あいなは二人の客室を目指して駆(か)けた。
二人の客室に向かう途中、城の中央に位置する広いバルコニーを通るのだが、そこであいなは足を止めた。
「……ルイスさん?」
野外に突き出たバルコニーの手すりに沿って並ぶ二つの人影。城内の照明で逆光になり顔までは見えないが、よく見知る燕尾(えんび)服の後ろ姿がルイスのものであるということはかろうじて分かった。
(隣に居るのは、女の人…?)
月の光に満ちたバルコニー。星々の瞬きに照らされたドレス姿の女性は、人一人分の距離を取ってルイスの隣に立っていた。二人とも、あいなの居る廊下側に背を向けて立っている。
「いいえ。私はあいなさんに恨みなど持っていません……」
女性の涼やかな声がそう言った。
(私の話……!?)
そのままそこを通り過ぎようとしたが、知らない女性とルイスの間で自分の話題が出されていると知るとどうしても気になってしまう。あいなはバルコニーの死角に隠れて、二人の会話に耳をそばだてた。
近くに行くとよく分かる。ルイスと語り合う女性はとても美しかった。緩く巻かれたプラチナブロンドの長い髪。澄んだ青い瞳。艶(つや)のある白い肌。同性のあいなですら時を忘れて見とれてしまう、同じ人間とは思えないほど綺麗な女性だった。ルイスより歳上のように見えるが、幼さの残った柔らかい物言いと上品で洗練された雰囲気。
(ドレス着てるし、どこかの国のお姫様かな?)
クロエや秋葉とはまた違う魅力を持ったその女性は言った。
「ルイス。あなたがそんなにあからさまなことをおっしゃるなんて、よほどの想いがおありなのでしょう」
「不躾(ぶしつけ)な質問をしました。どうかお許し下さい」
「謝らないで下さい。王族の方の事情は理解しているつもりです。口にできない内情も様々あるのでしょう」
「…………」
「それに私、あなたに疑われたことが嬉しいのです。だって、あなたは誰に対しても公平で冷静な言動を取る方ですから。それって、執事としてだけではなく他人に距離を置いている証拠だと思うのですが、あなたは私にだけはそうしなかった。個人的感情をもって疑いをぶつけてこられたのですから」
「……」
無言になるルイスを一瞥(いちべつ)し、女性は言った。
「あいなさんと生きるのがシャルの幸せだと言うのなら、私は本望なのですよ」
「ですが、あなたはシャル様と幼き時から懇意(こんい)にしてみえたベラルディ家のご息女でいらっしゃいます。シャル様や私の行いがあなたの立場を悪くしてしまったのではないかと思えてなりません……」
「だから、私があいなさんを貶(おとし)めるべくメイドと手を結んだとお考えなのですね。ルイスの推測は間違っています。……私の立場など、生まれた時からあってないようなものなのですから」
「返す言葉もございません。なんとお詫(わ)びしたらよいのか……」
ルイスの言葉には、後悔の念がにじみ出ている。
「どうか気に病まないで?ルイス。あなたのせいではないのだから」
「エルザ様……」
(エルザ、さん……?)
あいなは目を見開いた。心臓がドクンと音を立てる。
(あの人はシャルの婚約者だったの…!?そっか、それで、ルイスさんはエルザさんに訊(き)いてたんだ。私にメイドさんを差し向けた犯人がエルザさんなんじゃないかって……。)
ルイスは焦りすぎていた。あいなを貶(おとし)めようとした犯人を突き止めることばかりを考えていたからだ。シャルやハロルドに止められたとはいえ、エルザに直接尋ねたい衝動を抑えられなかった。
一方、エルザは妙に冷静だった。突然横から現れたあいなのせいでシャルとの婚約が成立しなかった上、あいなに危害を加えた人間だと疑われたのにそれを喜んでいる。普通ならもっと腹を立ててもおかしくない場面なのに、エルザはなぜああも穏やかでいられるのだろうか。
不思議に思い、あいなが息をのんだ時だった。エルザはルイスとの距離を詰め、手すりに添えられた彼の手に自分の手のひらを置こうとし、そっと手を引っ込めた。
「ルイス。あなたも変わりましたね。優しいお顔をしています」
「……」
「失礼を承知で正直なことを申しますと、シャルとの縁談が流れて私はホッとしているのです」
「エルザ様……」
「シャルだけでなくあなたも、あいなさんをお好きなのではないですか?」
「……はい。人生で初めての友人です。深くお慕いしております」
「友人、ですか」
ルイスの言葉を繰り返し、エルザはそっとつぶやいた。
「私はずっとあなたのことが好きでした。昔から見てきたから、手に取るようにあなたの変化が分かるのです。いつの頃からかあなたの心には特別な誰かの存在があったことも。それはあいなさんのことだったのですね。彼女への感情がただの友情ではないことも、私は察しております……」
(エルザさんが、ルイスさんを…!?)
二人を見つめるあいなの鼓動は小刻みに震えていた。まっすぐにルイスを見つめ、エルザは言った。
「ルイス。結婚を前提に私を選んでいただくことはできませんか?あいなさんで埋(う)められないものを、私なら埋めて差し上げられるかもしれません。時間をかけて、ゆっくりと……」
エルザの告白を見て、あいなは全身が熱くなった。胸の奥から言い様のない深い感情が込み上げてくる。愛する男性を前に見せる女性特有の優しい目つき。柔らかい雰囲気。
(エルザさん、ルイスさんのことを心から愛してるんだ……。)
美しいエルザと美青年のルイスはとてもよく似合っていると思う。エルザの告白にあいなは感動していた。しかし一方で、不安にもなる。ルイスに好意を打ち明けられたばかりのあいなは、ここでルイスが他の女性に向かう可能性に納得できない気持ちが強かった。
(ルイスさん……。何て答えるの?)
「……そうですね。あなたの手を取るべきなのかもしれません。お気持ちは嬉しいです。エルザ様、私は……」
ガタン!
衝撃のあまり、あいなはその場に足を崩して呆(ほう)けた。
(ルイスさんは、エルザさんを選ぶの…?)
鮮明に覚えている彼からの告白。あれはまだ今朝のことだ。頭に血が登り、目の前が真っ白になる。
物音に気付き、ルイスとエルザは弾かれたように死角の方を振り向いた。あいなが唇を震わせながら地面に座り込んでいる。
「あいな様…!」
駆け寄ったルイスはあいなの脇に腕を通し、彼女をゆっくり立たせた。
「少し熱がありますね。お部屋で休みましょう」
あいなの額に触れるルイスの手はひんやりしている。夜風に当たっていたからだろうか。
「エルザ様、申し訳ございません。今日のところはこれにて失礼いたします」
「大丈夫ですよ。お大事になさって下さい」
ルイスはあいなを横抱きにすると、魔法で王族の間に移動した。
「ルイス。私はあなたを幸せにしたい。もう、苦しむ顔は見たくないのです……」
バルコニーに一人残されたエルザは神妙な面持ちでしばしその場に佇(たたず)んでいたのだった。
王族の間。寝室に運ばれたあいなはルイスの手によってベッドに寝かされた。体はあたたかいのに、なぜか心は寂しかった。ルイスとエルザの会話があいなの頭を占める。
「湯冷めしたのかな。すいません……」
体調不良も重なり、あいなは弱気になっていた。
「まいったな。私、健康だけが取り柄(え)だったのに」
「すぐに良くなりますよ。心配せず、今は治すことだけをお考え下さい」
治癒(ちゆ)魔法で治してあげたいのは山々だが、催眠剤による副作用が長引いているのか単なる風邪なのかが判断できない以上、むやみに魔法を使うのもためらわれる。水枕を用意したり、あたたかい毛布を被せたり、ルイスは魔力に頼らない方法であいなを看病した。
いくらか楽にはなったが、頭は熱いしぼんやりしてしまう。ルイスの気配をそばに感じながら、あいなはつぶやいた。
「ルイスさん……。さっきの話、本当ですか?エルザさんと付き合うって……」
「お聞きになってみえたのですね」
「すいません、立ち聞きなんてして……」
「かまいませんよ。それに、いずれにせよあいな様にお知らせすることになっていたでしょうから」
「え……」
躊躇(ためら)うような沈黙の後、ルイスは意を決して言った。
「エルザ様と、結婚を前提にお付き合いさせていただこうと思います」
「今朝は、私にああ言ってくれたのに、ですか?」
「あいな様……」
ルイスの戸惑いが伝わってきて、あいなはどうしようもなく悲しくなった。改めて友情を誓い合ったとはいえ、すぐさま告白されたことをリセットできるほど器用にはなれない。腑(ふ)に落ちないという表現がしっくりくる。ルイスの出した結論に、あいなは納得できない思いでいっぱいだった。
「あいな様のことが好きな気持ちは今でも変わりません。この先何があっても特別な女性です。ですが、一途な想いは裏を返せば重たいだけ。友人でいると決めた以上、あなたの重荷になりたくないのです。あいな様には微塵(みじん)の憂(うれい)いなくシャル様と幸せになっていただきたいから……!」
引き裂かれるように、ルイスの胸は激しい痛みを覚えた。自ら愛する女性を突き放すのはどんな過酷(かこく)な試練よりも痛い。
「ルイスさんの言ってることは正しいかもしれない。告白を断っておいて私がこんなこと言うのはおかしい。でも、ルイスさんが他の女の人と付き合うのはすごく悲しいんです……」
仰向けに寝るあいなの頬に一筋(ひとすじ)の涙が流れ、枕ににじむ。それは次第にいくつものシミとなって枕に残った。歯を食いしばって泣くのを我慢しようとしているのに、抑えるどころか悲しみはどんどん深くなっていった。
「ルイスさん。こんなの嫌です……」
うまく表現できないけれど、それがあいなにとって精一杯の言葉だった。
シャルがいるから、結婚が決まっているから、幸せになると決めたから、ルイスの気持ちには答えられない。そんな想いは、今のあいなからは消えていた。
熱で赤くなった唇。潤んだ瞳。自分を求める声。あいなの全てに、ルイスは愛しい気持ちを止められなかった。
「あいな様。そんな泣き顔を男に見せたらいけません。自惚(うぬぼ)れてしまいます……」
切なくて優しい声を落とす。ベッド脇に立っていたルイスはそっとあいなに顔を近付け、包み込むように彼女の頭を手のひらで包んだ。
「シャル様のことは忘れて、今だけは私を見てください」
「んっ……」
あいなに覆い被さるような体勢で、ルイスは彼女にキスをした。我慢した気持ちの分だけ熱く情熱的な口づけ。
一度だけ。そのつもりが、何度も何度も求めてしまった。貪欲(どんよく)に、淫(みだ)らに、正直に、二人は同じ熱を重ね合ったのだった。
綺麗過ぎる月の光は、寝室のカーテン越しに二人を薄く照らしている。
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