悪役貴族の俺、破滅回避したら勇者が引きこもって世界が詰みました

根古

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第36話 嘘と真

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「一つは精霊、ルーからです」

 俺がそう告げると、兄の眉間に僅かながら皺が寄った。
 今や精霊、という存在は決して珍しいものではない。
 高位の貴族や魔法師であれば、ほとんどが誓約の儀を経験している。
 もっとも契約を果たせる確立は半分にも満たないが、兄もまた水の精霊と契約を結んでいる。
 故に、国家の中枢すら知らない組織の情報を、精霊から得るなどというのは、にわかには信じがたい話なのだろう。

「……お前の精霊は、随分と物知りなようだな」

 声には、あからさまな疑念が滲んでいた。
 当然の反応だ。俺はそれに臆することなく、言葉を続ける。

「ルーは……少し、特殊な精霊のようです。本人曰く、非常に永い時を存在しているらしく、その記憶は断片的ですが、かつて世界に存在した『大きな悪意』の残滓を感じ取ることがある、と」

 嘘と真実を織り交ぜる。
 ルーが聖女神ルミナであることは伏せたまま、その存在の特異性だけを切り取って伝えた。それに完全に間違っているわけではない。

『あれ私、褒められてます?』

(褒めてない)

 内心で呑気な精霊にツッコミを入れ、俺は兄の鋭い視線に向き直る。

「今回の事件で使われた魔物を呼び寄せる石、そして内通者となったアレンという生徒。ルーは彼らから、その『悪意の残滓』を強く感じ取ったそうです。そして、今兄上が話された『呪殺』の手口もまた、その残滓が使う常套手段だった、と」

「……」

 兄は黙したままだ。だが、その瞳の奥の疑念は、わずかに揺らいでいた。
 精霊という存在は、時に人智を超えた知識や感知能力を発揮することがある。
 特に、古代の精霊や伝説級の精霊ならば、あり得ない話ではない。兄はその可能性を、頭ごなしに否定することはできなかった。

「……分かった。一つ目の出どころは、その特異な精霊からの情報ということだな。では、二つ目は何だ」

 兄は一つ目の話を一旦保留とし、本題を促してきた。
 ここからが正念場だ。俺は一度、小さく息を吸った。

「ロイから聞いていました」

「……何だと?」

 兄の低い声が、部屋の空気を震わせた。
 その瞳に浮かんでいた疑念は、今や純粋な驚愕と混乱に取って代わられている。
 それも当然だろう。ロイは、兄が先程「死亡が確認された」と告げたばかりの人物なのだから。

「兄上も聞いているかと思います。俺は今回の事件の発端であるロイが凶行に及んだ場面に出くわしています」

 俺は事実をまず提示する。兄は黙って頷き、続きを促した。

「俺はアリシア様を助けるためにロイと呼び出された魔物を撃退しました。その後、彼を拘束した際に、いくつか言葉を交わしています」

「……尋問をしたと?」

「いえ、そんな大したものではありません。具体的にはこれを使いました」

 俺は懐から硬貨を取り出し兄に差し出す。

「……これは?」

「赦禍判金《しゃかはんきん》という呪具のようです」

「赦禍判金……聞いたことがある。かつて審判に使われたという代物か」

 流石は兄上。
 事実、兄の言う通り、赦禍判金は古代の司法機関が、罪人の自白を引き出すために使っていたとされる呪具とされている。
 表なら赦しを、裏なら禍を。
 まさにゲーム要素――などと口が裂けても言えないが、その効果は本物だ。

「はい。この判金を使ってロイから黒幕の存在を導きました。もちろん真偽の程は後ほど確認して頂ければと」

 俺はそう言って兄にその硬貨を差し出した。

『あれ、そんなことしてましたっけ?』

(してない。今盛った)

 内心で暢気な相棒に即答し、俺は目の前の兄に向き直った。
 実際には、この硬貨はバグベアとの戦闘で使用しただけだ。
 ロイを拘束する際、彼が混乱した様子で何かを呟いていた――と言えば、真っ赤な嘘にはならない。

 兄は俺の手から硬貨を受け取ると、指先で弾き、その重さと質感を確かめるように目を細めた。

「……して、そのロイから何を聞き出した?」

「明確な言葉ではありませんでした」

 俺は慎重に言葉を選ぶ。

「彼はうわ言のように混乱した状態で、同じような言葉を何度も口にしていました」

 俺は慎重に言葉を選びながら続ける。

「一つはアリシア様の名。そしてもう一つが――」

「影の教団、か」

 兄が、俺の言葉を先取りするように呟いた。
 その声には、もはや疑念よりも、深刻な思案の色が濃く滲んでいる。

「はい。『教団が』『影の者たちが』といった断片的な言葉を繰り返していました。私はその言葉と、精霊ルーが感じ取った『悪意の残滓』の特徴を照らし合わせ……『影の教団』という組織名を推測しました」

「推測、か」

 兄は硬貨を指先で弄びながら、鋭い視線を俺に向ける。

「つまり、確証があるわけではない、と」

「……正直に申し上げれば、そうです」

 俺は頷いた。ここで変に言い繕うより、不確かさを認める方が誠実に映るだろう。

「ですが、今回の呪殺の手口、認識阻害の魔法、そして魔誘石という未知の魔道具。これら全てが、ルーの語った『悪意の残滓』の特徴と一致しています。偶然にしては、あまりに符合しすぎていると思うのです」

 部屋に重い沈黙が落ちる。
 兄は硬貨を見つめたまま、何かを考え込んでいた。
 やがて、深い溜息と共に、その硬貨を懐にしまう。

「……分かった。お前の推測、王宮に伝えておこう」

「兄上……」

「ただし」

 兄は鋭い眼光で俺を射抜いた。

「この話は口外するべきではない。もちろんお前なら言いふらすことはないだろうが」

「……はい、分かっています」

 俺は素直に頷く。
 そもそも、こんな話を不用意に広めれば、パニックを引き起こすか、あるいは俺自身が怪しまれるかのどちらかだ。

「それと、ディラン」

 兄は立ち上がり、俺の肩に手を置いた。
 その手には、普段の冷静な兄上からは想像できないほどの、強い力がこもっている。

「お前は、よくやった。アリシア様を守り、学院の生徒たちを守り、そして貴重な情報を王国にもたらした。ベルモンド家の者として、誇りに思う」

「……ありがとうございます」

 兄の言葉に、胸の奥が僅かに温かくなる。
 だが同時に、罪悪感もまた、じわりと這い上がってきた。
 俺がやったことは、結局のところ嘘と誤魔化しの積み重ねだ。前世の知識という、この世界の誰も検証できない「チート」を使っただけに過ぎない。

「ただし、くれぐれも無理はするな。お前は既に十分すぎるほど危険に身を晒した。これ以上、教団とやらに関わる必要はない。それは、我々大人の仕事だ」

「……はい」

 俺は頷いた。
 本心から、そう思う。
 これ以上、首を突っ込むつもりはない。
 原作を無視して生きる――その覚悟は決めたが、だからといって英雄になりたいわけではない。ただ、破滅を避け、平穏に生きたいだけだ。

「では、私はこれで失礼する。ゼノン様との面会は、おそらく数日中に連絡があるだろう。その時は、今話したことを正直に伝えればいい」

「分かりました」

 兄は部屋を出ていった。
 扉が閉まり、再び俺一人の静寂が戻ってくる。

『相変わらず難しい話ばかりですねー』

 ルーの声が、頭に響く。
 相変わらず脳天気な様子で返って安心する

「そうだな、今回ばかりは俺も難しかった」

 苦笑しながら、俺はベッドに倒れ込んだ。
 天井を見上げる。
 白い漆喰が、ぼんやりと視界に映る。

「……何とかなるよな」

 俺は目を閉じた。
 疲労が、じわりと身体を包み込んでいく。

 俺はこれからも嘘を貫き通すことになるのだろう。
 俺は決して嘘が得意なわけじゃない。果たしていつまでもつか。

 意識が、ゆっくりと暗闇へと沈んでいく。
 明日、またゼノンからの呼び出しが来るのだろうか。
 そしてその時、俺はまた、どんな嘘をつき重ねることになるのだろうか。
 不安と疲労の中で、俺は眠りに落ちた。

 ――そして、数日後。

 予想通り、ゼノンからの呼び出しが届くことになる。
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