悪役貴族の俺、破滅回避したら勇者が引きこもって世界が詰みました

根古

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第46話 訪問者

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 三日目の朝。
 今日は扉が叩かれる音で目を覚ました。

「お兄さん、起きてるー?」

 扉の向こうから聞こえてきたのは、やけに元気で、そして聞き覚えのある声。
 俺はまだ半分眠っている頭で、のろのろとベッドから起き上がる。

「……はい、今……」

 返事をしながら扉を開けると、そこに立っていたのは、満面の笑みを浮かべたリリアだった。

「おはよう、お兄さん!」

 彼女は俺が何か言うより早く、ひょいと部屋の中に入り込んでくる。その手には、何やら分厚い羊皮紙の束が抱えられていた。

「早速だけど、決まったよ! ゼノンがいいって!」

 リリアは誇らしげに胸を張り、高らかに宣言した。

「今日からお兄さんは、私の正式な弟子です!」

「……えっと」

 待って欲しい。
 寝起きの頭にそれは処理しきれない。

「ほら、これ! ゼノンがサインしてくれた正式な辞令書だよ。これで文句言う人はいないでしょ?」

 リリアは抱えていた羊皮紙の束の一枚を、ぱっと広げて見せる。
 そこには小難しい文言と共に、ゼノン・アークライトのやけに流麗な署名と、宮廷魔法師の正式な印章が押されていた。
 まあ疑うつもりはなかったが、紛れもなく本物だ。

「あ、あの……ありがとうございます。光栄なこと、です」

 何とかそれだけを絞り出す。
 寝起きの頭には刺激が強すぎる。

「うふふ、どういたしまして! それじゃあ、早速だけど最初の課題を出しちゃうね!」

 リリアは楽しそうに手を叩き、目を輝かせる。

「課題、ですか? 今から?」

「もちろん! 弟子になったんだから、師匠の言うことは聞かないとね!」

 彼女は悪戯っぽく片目を瞑り、反論の余地を一切与えない。
 まだ朝食も食べていない、というか顔も洗っていないのだが、そんなことを言い出す隙もなかった。
 リリアは既に、俺の机の上に別の、さらに大きな設計図を広げている。

「じゃーん! これ、今私が作ってる新しい魔道具の設計図なんだけど、ここの魔力循環回路、もっと効率よくできないかなーって思ってて。どこか改善できそうなところがないか、見てみてよ!」

「設計図……ですか?」

 まさかの課題に困惑の声を漏らす。
 別に俺は設計者でも何でもなく、単に魔力の流れが見えるだけだ。
 いきなり図面を渡されても、どうすればいいのか皆目見当もつかない。

「あの、リリア様……俺は、魔道具の設計については素人でして……」

 正直に告げると、リリアはきょとんとした顔で俺を見た。

「うん、大丈夫! 私が作ったものを見て、どう感じるかを教えてくれればいいから」

「あ、そういうことですか」

「うん、そう! でも一応設計図見ないと分からないでしょ?」

「えっと……まあ、そうですね」

 リリアの問いに曖昧に答える。
 確かにゼロから調べるより、ある程度知っていた方がより精密に見ることができるだろう。
 学院で行った広範囲索敵だって、ゲーム上で学院の地図が頭に入っていたからこそできた芸当だ。

 しかし現状の俺の知識では、その設計図すら読み取れないのが現実だった。

「じゃあ、後でまた来るね!」

 そう言ってリリアは部屋から出ていった。
 いきなり訪れる静寂。

 ――俺の意思とは関係なく師弟関係が成立してしまったらしい。

 とはいえ良かった。このまま本当に実習が始まらなくて。

『ふわあ~、ディランさん、今日は早起きですね』

 しばし呆然としていた俺の脳内に呑気な声が響く。

「あの騒ぎでよく寝ていられたな……」

『え? 何のことです?』

 脳天気な相方に苦笑しつつ、俺は一つ尋ねてみた。

「これ何か分かるか?」

 先程受け取った設計図を広げる。

「え、何ですかこれ?」

 その答えは予想通りのもの。
 そもそも設計図という概念すら知らないような発言が返ってきた。

「いや、何でもない。忘れてくれ」

「えー、何か気になるじゃないですか!」

「これを見て本当にそう思うか?」

 改めて図面を広げてみせる。

「……いえ、やっぱりなんでもないです」

 案の定ルーは押し黙る。
 そんな他愛ないやり取りで少しだけ和み、俺は設計書を見つめた。

 ――うん、やっぱり分からん。

 複雑に重なり合って線。暗号のように見える文字と数字。
 それらが全て意味を成しているというのだから、底知れない。

 ――飯に行くか。

 寝起きかつ、空腹状態では解けるものも解けない。
 思い立った俺は、簡単に準備を済ませ食堂へ向かった。


 食堂は、時間が少し早いからか人はまばらだ。
 まだ三日目ではあるが、少しだけ新鮮味を感じながら盆を持ち歩く。
 今日はクライスの姿は見えない。

「あ」

 足を止める。

「……何ですか?」

 不機嫌そうな声音。
 そこに立っていたのは、銀髪を揺らす宮廷魔法師――エルナ・グリーベルだった。  
 彼女は既に食事を終えたのか、空になった盆を手に、俺の目の前で足を止めていた。

「あ……おはようございます、エルナ様」

 俺は慌てて挨拶をする。
 エルナは俺を値踏みするように一瞥し、小さい声で「……ええ」とだけ返した。
 相変わらずの塩対応だ。

「今日は随分と早いんですね」

 予想外にもエルナは会話を続けてきた。
 少し驚きつつも、俺は口を開く。

「は、はい、ちょっと用事を頼まれまして……」

 エルナは俺が手に持っていた羊皮紙の束――リリアから渡された設計図に、ちらりと視線を向けた。

「リリア様ですか」

「あ、はい、そうです」

 知っているなら話は早い。
 俺はエルナに、リリアから弟子に任命されたこと、そしてこれが最初の課題であることを手短に説明した。

「……そうですか」

 エルナは感情の読めない表情で小さく頷き、そして一つ、深い溜息をついた。

「リリア様は直情的な方です。貴方も、あまり振り回されないように気をつけることです。あの方の気まぐれに付き合わされては、貴方の時間がいくらあっても足りません」

 彼女の忠告は正しいのだろう。
 何しろ初日にして既にその片鱗を見せているのだから。

「ありがとうございます」

 エルナはそのまま去っていった。
 残された俺は、盆を手に立ち尽くす。

(……気をつけろ、か)

 弟子に選ばれた喜びと困惑。
 それに振り回されていたらきっと忠告通りの結果になるのだろう。

 エルナはあくまで俺の魔力感知に価値を見出している。
 それこそが宮廷魔法師となる道筋だと。
 そんな彼女だからこそ、あのような忠告をしてくれたのだ。

(だが――それでも)

 理屈では理解できても、抑えられないものがある。
 リリアの描く設計図を見たとき、胸の奥で微かな高鳴りを感じた。
 未知を前にした本能的なざわめき。

 エルナにしてみれば寄り道かもしれない。
 だが俺は天才ではない。
 魔力感知だって転生者としての優位性から、時間を掛けた結果なのだ。

 それにこの世界にはリミットがある。
 魔王軍の侵攻。
 わずか五年足らずに破滅が訪れる。
 それを越えるためには、常識の外にある知を掴まねばならない。

(考えすぎかも知れないけどな)

 結局、答えは出ず、俺は席につき、食事を始めた。



 食事を終え、工房に向かう。
 そう言えばリリアとどこで待ち合わせをするか決めていなかったが、魔道具制作と言ったらそこだろう。

 工房の扉を開けると、いつもの金属と油の匂いが鼻をくすぐった。
 昨日の作業の名残だろう。机の上には、解体途中の魔道具がいくつも放置されている。
 リリアの姿は、見えない。

(いないな)

 工房には、リリアが作業した形跡も見られない。
 代わりに、昨日片付けたはずの工具が、いくつか床に転がっていた。
 昨日は俺とカインが最後に出たはずだ。
 その時はこんなに乱れていなかった。

 机の上には、昨日までと同じ燭台が置かれている。
 だが、光は灯っていなかった。
 淡く残る焦げた匂いが、微かに鼻を突く。
 魔力の焼け跡――失敗した魔道具の反応だ。

『ディランさん、何か焦げくさいですね……』

「……ああ、誰かが失敗したのかもな」

 返事をしながら、俺は慎重に足を踏み入れる。
 床には魔石の欠片が散らばっている。
 その中心、机の陰に――人の足が見えた。

 一瞬、思考が止まった。
 次の瞬間、心臓が強く跳ねる。

「……カイン、さん?」

 声が自然に漏れた。
 返事はない。
 近づく。
 そこに横たわっていたのは、昨日まで普通に会話をしていたはずの男――カインだった。
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