悪役貴族の俺、破滅回避したら勇者が引きこもって世界が詰みました

根古

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第69話 襲撃

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 ――空気が揺れた。

 それは、比喩ではなかった。
 直後、リリアが即席で改造した魔導灯――王都各地に配置されたばかりの「魔力感知器」の試作品が、机の上で一斉に明滅を始める。
 色は、赤、赤、赤。

「……っ」

 エルナが弾かれたように顔を上げる。
 手元の端末が自動的に起動し、王都の地図が浮かび上がる。
 各区に点在する感知器が脈打ち、中央へ――いや、複数方向へと同時に波を放っていた。

『ディランさん!』

 ルーの悲鳴。

「エルナ様!」

 俺の声とほぼ同時に、端末の光が赤に変わる。
 警戒信号。
 それはすなわち――

「――魔物です!」

 その報告が響いた瞬間、地鳴りが城下を揺らした。
 外の鐘が狂ったように鳴り、窓硝子が震える。
 王都の“封じられた”闇が、一斉に目を覚ましたようだった。

「方角と数は分かりますか?」

 エルナからの問いを待たずして、俺は魔力感知を全開で広げていた。
 感知範囲は王都周辺域。
 流石に王都全域を見るのは無理がある。

「――北西区、数は四、五……六体」

 魔物の位置が赤く膨張する。
 だが、それだけに留まらない。
 同時に別の点――東区、南の外壁近く、貧民街の下層――次々と光が弾けた。

「……いえ、まだまだ増えていきます!」

 エルナが振り返る。
 彼女の背後で、魔力の波形が地図上を貫いた。
 すべての発生源が、同じ周期で脈打っている。

「これは誤作動ではないということですね」

 エルナの声はなおも冷静だ。
 だがその表情は険しく、王都の地図を睨んでいた。

「出現箇所は概ね想定通り、避難区域外ですが、些か数が多いようです」

 エルナは短く息を吸い、すぐに命令を飛ばした。

「全感知器、第二層に切り替え。結界術式を重ねます」

 指先が端末を走ると、地図上の赤が一斉に青へ反転した。
 同時に、外から低い音が鳴る。
 それは鐘でも悲鳴でもない、重ねられた魔法陣の共鳴音――防御結界の展開音だった。

「結界……もう張ってたんですか?」

「……ええ。昨夜の時点で、魔力探知陣と連動させました。聖女様の聖域ほどの精度、強度はありませんが、ある程度の魔物なら侵入を防げます」

 エルナは地図の中央を指でなぞり、軽く魔力を送る。
 瞬間、青い線が王都を囲むように広がり、網目のような防御陣が明滅した。
 城壁の外にまで及ぶその光が、まるで夜明け前の海のように揺らめいている。

「えへん! 私とエルナの合作だからね!」

 リリアが胸を張る。
 腕に抱えた魔導灯が、淡く青く脈打っている。さっきまで警告色だった赤が、まるで空気に溶けるように鎮まっていく。

「騎士団の方々も動いているようです」

 窓の外、遠くの塔から信号弾が上がった。
 青と白――警戒解除ではなく、防衛線の展開完了を意味する色だ。
 学院の時とは違う。
 あのときは後手に回るしかなかった。
 だが今は避難も完了し、魔法院のバックアップ。
 そして騎士が現地に赴いている。

「……防ぎきったのか?」

 震える声で呟く。
 まだまだ魔物の反応は健在だ。
 だが、確実に減っていっている。

『今回は……大丈夫そうですか?』

 不安そうなルーの声。
 気持ちは分かる。
 俺だって、本当にこれで済むのか、という漠然とした不安は残ったままだ。

 エルナは目を細め、端末の数値を読み取っていた。
 各地の魔導灯が安定し、波形が沈静化していく。
 赤かった点は青に変わり、やがて緑に落ち着いた。

「……はい。第一次波、収束を確認。全ての感知器が防御陣に同期しました」

 その一言に、室内の空気がわずかに緩む。
 リリアが息を吐き、壁にもたれかかった。

「やった!」

 リリアの歓声に、俺も知らず笑っていた。
 窓の外では結界の光が緩やかに揺れ、夜明け前の王都を薄く包んでいる。
 焦げた匂いも血の臭いもない。ただ魔法の静電気が、肌に軽く触れるだけ。

「……本当に良かった」

 報告書の紙片が散らばった机の上に、淡い青の光が反射する。

「感知陣の再調整も進めます。これで、王都全域を常時監視下に置けるはずです」

「完璧だね!」

 リリアが笑う。
 彼女の頬にうっすらと煤が残っているのが、妙に頼もしかった。

『ふふ、もしかして、本当にこれで一件落着ですかね?』

(……だといいけどな)

 胸の奥で、言葉が沈んだ。
 感知陣の波形は確かに安定している。どこにも異常はない。
 本当に今回は間に合ったのかもしれない。
 決して完璧とは言えなかったが、襲撃がわかっていれば、案外こんなものなのかもしれない。
 何しろこちらは王国随一の戦力が揃っている。
 何ならエルナ一人で、魔王軍幹部くらいなら倒せるくらいには力がある。

 ――だが。

 端末の片隅で、ひとつだけ小さな点が残っていた。
 消えもせず、警告色にも戻らず、ただ沈黙のまま、微弱に点滅を続けている。

「そう言えばヴァルグレイス様ってどちらに?」

 俺はエルナに尋ねる。
 そういえば彼の姿を最近見ていなかった。
 それこそゼノンが失踪してから一度も姿を見ていない。
 仮にも宮廷魔法師である彼が、王国の緊急事態に馳せ参じないのはどうなんだろう。

「あの人なら、多分――」

 リリアはそう言って、エルナを見た。
 エルナは呆れたように口を開く。

「自室に籠もっているかと」

「え?」

 聞き間違いかと思って俺は声を漏らす。
 しかしエルナは息を吐き、続けて言った。

「生憎とそういう方なのです。恐らくゼノンが失踪した、ということすら知らない可能性があります」

「ええ……」

『えー』

 俺とルーの声が見事にハモる。
 まさか本当にそんな裏もない理由だったとは。
 怪しさを通り越して、呆れ返る。

「つまり助力は……?」

「無理だねー」
「無理ですね」

 二人の声が重なる。
 そんなにあの人は自分勝手なのか。
 王国の一大事だというのに、自室に籠もってゼノンの失踪すら知らないとは。

「……それって大丈夫なんですか?」

 宮廷魔法師としての是非を尋ねる。
 リリアは首を横に振り、エルナは息を吐く。

「だって、邪魔したら辞めるっていいだすよ、きっと」

 その答えにヴァルグレイスという人の厄介さが分かる。

「だったら、何で宮廷魔法師なんかに……」

 俺は思わずそんなことを呟いていた。

「分かんない、研究が自由にできるからとか?」

 リリアは肩を竦める。
 確かに名誉というより、そういった個人的な理由で就任した、と言われれば納得できるものがある。
 というか、リリアやゼノン、そしてエルナも、またその気はあるのではないだろうか。
 
『色んな人がいるんですねえ』

(そうだな……)

 天才と変人は紙一重と言うが、それが顕著に出た結果なのだろう。

 俺がヴァルグレイスという存在に内心で呆れていた――まさにその時だった。

「……っ、これは」

 魔力感知に何かが引っかかった。
 いや、これは何かなんてものじゃ――

 轟音。

 そして振動。
 地の底から噴き上がるような衝撃波が城を貫き、研究室の窓が一斉に弾け飛んだ。
 光。音。風圧。
 咄嗟にリリアを庇うように前に出た俺を、エルナが魔力障壁で覆う。
 ガラス片が障壁に突き刺さり、甲高い音を立てて砕け散った。

『ディランさん!』

 ルーの声も、風の轟きにかき消された。
 身体が持ち上がる。落ちる。呼吸が奪われる。
 ただ、ひとつだけ、はっきりと見えた。

 ――王都北部。

 先ほどまで沈黙していた微かな点が、血のように赤く染まっていた。

「くっ、何が……」

 咳き込みながら立ち上がる。
 顔を上げると、エルナが既に立ち上がり、地図を呆然と睨んでいた。

「……結界が」

 そして呟く。

「破られました」
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