花の器

あた

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うみの話

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 誰もいない家に帰宅して、空っぽのリビングへ向かった。仏壇に手を合わせたあと、テレビをつける。特に興味もないバラエティがやっていた。
母がいなくなってから、無音の空間をなんとか埋めたくて、見てもいないテレビをつけっぱなしにしている。

 買ってきた弁当を温め、テレビの前に座り、新聞を広げる。
「──あ」
 新聞の記事に、着物姿で花を活ける、仙崎の写真が載っていた。
「華道の大家、仙崎家の跡取り……」
 名門高校、大学を出て、留学。彼が活ける、洗練された花は、それゆえだと。
 華々しい経歴に、高名な家柄。別次元の世界の住人だ。お金に困ったことなど、一度もないのだろう。

 ユキナは新聞をたたみ、アジフライを箸でほぐした。
 夜寝る前、再び仏壇に手をあわせる。並んでいる母と父の遺影。二人は天国で会えたのだろうか。そうでなければ、やりきれない。
 カタカタと、夜風に窓が鳴る。ユキナは布団をかぶり、体を丸めた。一緒にいきたかった。そんなことを言ったら、きっと母に叱られるだろう。
 世界で、一人きりになったような気がした。

 翌朝目覚めると、携帯に着信履歴が残っていた。誰だろう。そう思いながら、携帯を開く。
 知らない番号だ。
 いたずらだろうか。ユキナは携帯を閉じ、台所に向かう。冷やご飯と、インスタントの味噌汁、漬け物をお盆に乗せる。お茶碗は、父の遺作だ。
 テレビをつけ、朝食を食べようとしたら、携帯が鳴った。
「はい、黒田です」
「もしもし、仙崎ですが」
 ──え?
「仙崎、さん?」
「おはよう。今日、ちょっと会えないかな」
「私ですか?」
「うん。城山先生に番号聞いたんだ。最初はダメだって言ってたけど、俺がしつこいから諦めたみたい」

ユキナは、少し警戒しつつ尋ねる。
「私に、なんのご用ですか」
「ほら、君の作品。あれを買い取りたくて」
「……あれは、ひとに売れるようなできじゃ」
「二百万出すよ」
 ユキナは思わず箸を落とした。からん、と音が響く。
「冗談、ですよね」
「冗談じゃないさ。とりあえず、大学に来てくれないかな。電話じゃなかなか交渉しにくいから」
 じゃあ、あとで。有無を言わさぬ口調で言い、仙崎は通話を切る。
 ユキナはまた呆然と、にひゃくまん、とつぶやいた。

 朝食を食べ、大学に向かう。仙崎はスロープを登ったところにあるバス停のベンチに座っていた。
「やあ、おはよう」
「……おはようございます」
「黒田さん、黒が好きなの?この前も黒のカーディガン着てたよね」
「はい、名前も、黒ですし」

 ああそうか、と笑う仙崎は、白いシャツにデニムだ。だが恐らく腕につけた時計は、何十万とするのだろう。二人は連れ立って、キャンパスに入る。仙崎は目立つので、すれ違うたびに、生徒たちの視線が飛んできた。並んで歩くのが気負いになる。
陶芸科の教室に入った仙崎は、ユキナの作った壺を手に取る。

「これ。二百万で売ってほしい」
「おかしいです、そんなの」
「どうして?」
「あまりに法外です」
「じゃあ、いくらなら売ってくれる?」
「売り物じゃありません」
 仙崎はふうん、とつぶやいた。

「なら、新しく作って貰おうかな」
「え?」
 仙崎は壺を置き直し、両腕を円を描くように丸めた。
「これくらいの花器。俺のイメージでは、白か青。形はこだわらない。どう?」
「どう、って」
 なぜそんなことを、黒田に頼むのだ。
「城山先生に、お願いしたらいいのでは」
「断わられたし。弟子の君に作ってもらうのがいいかな、って」
 弟子というか、ただの学生なのだが。
「その花器は、なんに使うんですか?」
「襲名披露のときに花を活けるのに使う」
 くらりとした。 何を言っているんだ。

「お断りします」
「どうして?」
「そんな重要なもの、学生に作らそうなんて間違ってます!」
「プロと素人の違いは、速さと正確さだと思ってる。つまり、速さと正確さを求めなければ、素人のものでも十分使えるってことだ」
「何を言ってるかよくわからないし、無理です」
 きっぱり言うと、仙崎がため息をついた。
「俺が困ってるのに、助けてくれないんだ。最近の子って、冷たいんだな」
 いくつも違わないだろうに。

「はい、私は人のことに構ってる場合じゃ」
「一千万出すよ」
「は?」
「依頼費。足りない? 俺個人で捻出するには、二千万が限界なんだけど」
「いっせん、まん」
「引き受けてくれるよね?」
 ユキナは笑顔の仙崎を、呆然と見た。


 花器を作るにあたり、条件を出した。
 作者を問われても、けして黒田の名前を出さないこと。
 不満がある場合すぐに言うこと。
 最後に、仙崎が花を活けるところを見せてもらうこと。
「じゃあとりあえず、うちに行こうか」
「仙崎さんのおうちに、ですか?」
「うん。ここから割と近いし」
 仙崎はスロープを下りて、走っていたタクシーを止めた。タクシーは五分ほど走り、大きな門の前にとまる。仙崎は、運転手に一万円札を差し出した。
「ありがとう」
 そのまま降りた仙崎に、運転手が目を丸くする。

「え? お客さん、お釣り」
「すいません」
 ユキナは釣り銭を受け取り、仙崎に続く。
「わ、あ」
 和造りの大きな家だ。ユキナが呆然としているうちに、仙崎はすたすた門扉に向かい、インターホンを押す。
「はい」
「慎也です」
「お帰りなさいませ」
 仙崎は開いた門扉を抜け、奥に進む。ユキナは釣り銭を手にしたまま、彼について行った。縁側から整えられた庭園が見える。まるで、運動会でもできそうなほど大きな屋敷だ、とユキナは思う。そして、自分の発想の庶民臭さに恥ずかしくなった。お手伝いさんに連れられ、ユキナは客間に通される。お茶と和菓子を出された。

「あの、お釣りです」
 黒田が釣り銭を差し出すと、ああ、と言って受け取り、無造作にポケットへ入れた。
「ちょっと待っててね。準備してくる」
 仙崎はそう言って、襖の向こうに消える。
 黒田は手持ち無沙汰に、茶を啜っていた。
 しばらくして、襖が開く。仙崎が畳の上、座っている。前には、花器がひとつ。脇に花が置かれていた。

 しゃきん。花に鋏が入る。茎が落ちた。
 短くなった花を、剣山の上に立てる。鋏で切り、花を立て、倒し、折る。指先は淀みなく動いていく。
 やがて、花器が花で満たされた。
 黒田はふらりと立ち上がり、花器の前までいく。ため息のように、言葉を漏らした。
「きれいです」
「花がきれいだからね」
 それはそうだ。だが、多分それだけではない。仙崎が活けたから、きれいなのだ。

「気に入った?」
「はい。この花器も、素敵ですね」
「ああ、これは鉄山という人の花器だよ」
「鉄、山?」
 黒田は目を見開いた。
「うん。知ってる?」
「父です。父の、銘です」
「──え」
 仙崎が本当に? と問う。ユキナも驚いていた。こんな偶然があるのか。

「そうか、だから、君の器がいいと思ったんだ。色が似てるから」
「色?」
「焼き物には、作った人の色が出る。君と鉄山の焼き物は、よく似てる」
「父の花器では、だめなんですか?」
「だめではない。だけど、新しいものを作るのに、古い器では理に適わないと思わない?」
 ユキナにはよく分からなかった。

「あの、私には華道のことはよくわからないのですが、どういった花を活けるか考えてから、花器を選ぶものではないんですか?」
「そういう場合もあるけど、今回は器を先に決めたいんだ」
 しかも色と大きさ以外、ほとんど制約はないのだ。
「いくつか、候補を考えてきます。連絡は、メールでいいですか」
「うん。よろしくお願いします」
 仙崎が頭をさげる。その仕草もさすが、様になっていた。

 帰宅したユキナは、仙崎の活けた花を思い出しながら、紙に花器をスケッチした。花が綺麗だから、花器自体は派手でなくてもいいのではないだろうか。
 シンプルな円鉢。
 描いてみたが、ピンとこない。
 ユキナの前に、陶器のペン立てがある。波のようにうねった形。──白い波。
 色は白か青がいい。仙崎の言葉を、思い返す。
 ──あ。
 思いついて、色鉛筆を走らせた。

 後日、ユキナは大学の食堂で仙崎を待っていた。窓際に腰掛け、鞄から出した写真集のページを繰る。ふっ、と影が落ちて、見上げると、仙崎がこちらを見下ろしていた。黒くら睫毛が、きらきらと陽に輝いている。
「何の本?」
「──海の、写真集です」
「海が好きなの?」
 そういうわけでは。ユキナは写真集を閉じ、向かいに座った仙崎に、スケッチブックを差し出した。
「もうできたんだ。早いね」
「はい。気に入らなかったら、言ってください」
 仙崎がスケッチブックをめくる間、黒田はドクドクと心臓を鳴らした。城山に評価されるときも、こんなに緊張したことはない。
 仙崎が口を開く。

「これは、波?」
「はい」
「グラデーション一色と、白と青、二色の花器を繋げるかどうかだね。形はこれでいい」
「両方作ります」
「できる?」
「時間があれば可能ですが」
「襲名披露は半年後だよ」
 ユキナはうなずいた。
「できます。でも、これでいいんですか?」
「だって、これしかないって顔してるよ」
 からかうように言われ、ユキナは顔を赤らめた。
「海に何かこだわりでもあるの?」
「昔、父に連れていってもらった記憶が。溺れそうになって、死にかけたんです」
「それは大変だ」
「はい、でも、今思えば、楽しかった気がします」
 パラソルの下、父と母がいる。ユキナは海の中から手を振る。足を取られ、溺れかける。

 あの時波間にさらわれたのはユキナなのに、今いないのは父と母のほうだ。
 俯いたユキナに、仙崎が声をかけた。
「写真より、本物の海が見たくない?」
「え」
 ユキナは目を瞬いた。


 カタンカタン、電車が揺れる。ユキナは仙崎とともに、海に向かっていた。ユキナが座ったすぐ前、仙崎はつり革に手をかける。
「座らないんですか?」
「うん。景色を見たいから」
 仙崎の黒い瞳が、窓の外に向いている。嘘みたいだ。こんな綺麗なひとと、一緒にいるなんて。
 目があいかけて、慌ててそらした。
「あ、海だ」
 仙崎が車窓の向こう側を指差し、声をあげる。ユキナも振り向いて、感嘆する。
「わあ」
 海面に日が当たり、きらきら輝いている。
「綺麗ですね」
「そうだね。青を見ると、落ち着く」
 仙崎が穏やかに言う。

「特別な色だね」
 だから、花器の色を青にしたのだろうか。
 駅について、二人は電車から降りた。ホームから降りたつと、潮騒が聞こえてくる。階段を下りていき、砂を踏むと、足が沈んだ。
 仙崎は靴と靴下を脱ぎ、波打ち際までいく。

「濡れますよ」
「大丈夫、靴は脱いだし。黒田さんもおいでよ」
 ユキナは波が引いたのを確認し、波打ち際に向かった。足元の砂を、波がさらっていく。寄せてはかえす、波の形を目に焼き付ける。
「あ、ヤドカリ」
 ユキナはヤドカリに目を止めた。
「可愛い」
 しゃがみこんで、手に乗せたら、仙崎が覗きこんできた。
「ほんとだ、可愛い」
 仙崎に黒い髪が、視界を覆う。視線があう。
 黒い瞳に見つめられ、心臓がうるさくなる。
 ユキナは咄嗟に、立ち上がった。その拍子に、砂に足を取られ、尻餅をつく。
「っ」

 ヤドカリが、地面にポトリと落ちた。
「大丈夫?」
 差し出された手に掴まった。ユキナは顔を赤らめる。
「すいません」
 なんて間抜けなんだろう。立ち上がり、砂を払う。仙崎は目を細めて、ユキナを見ている。
「帰ろうか」
「はい」

 海が夕焼けで赤く染まっている。
 カタンカタン、電車が揺れる。ユキナはかくん、と頭を揺らした。仙崎がくすりと笑うのが聞こえる。
「眠い?」
「いえ」
 なんだかぼうっとする。昨日、遅くまで花器のスケッチをしていたせいだろう。
「いいよ、寝て。起こしてあげるから」
「すいません」
 ユキナは目を閉じた。カタンカタン、電車が揺れる。心地いいリズム。誰かが、頭を撫でる。
 ──仙崎さん?
 頭を撫でる、その手が優しくて、ほっとしたユキナは、そのまま眠りに落ちていった。
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