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ゆきの話
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喪服というものは、妙にからだにまとわりついてくるような気がする。おそらくは、重い色と形のせいだ。
黒田ユキナは小さな真珠のネックレスをして、位牌の横に佇んでいた。親類たちが、ひそひそ話す声が聞こえてくる。
──まだ20だそうだ。
──かわいそうに。
──どうなるのかね。
三日前、母が死んだ。出先で、交通事故にあったそうだ。ユキナはその事実を、うまく受け止められていなかった。朝はあんなに元気だったのに。
いまにも、母がどこかからひょこりと現れるのではないかと思う。
どうなるのだろう。それはこちらが聞きたい。ユキナには母しかいない。
これから、どうすればいいのだろう。
棺に、花が入れられていく。白く塗られた母の顔が、花で彩られていく。
世の中に、こんなに悲しい入れ物はない。
ユキナはそう思い、きつく目を閉じた。
黒田ユキナは、都内にある芸術大学の陶芸科に通っていた。芸術系大学の学費はただでさえ高い。前期分は払ってあるが、後期分は未納だ。しかも卒業まであと二年。母が残した遺産など、たかが知れている。
「……材料費も、生活費もいるし」
無理ではないか。大学へといたるゆるい坂道を歩きながら、ユキナはつぶやく。母さんが死んだのに、金のことばかり考えている。
父は陶芸家だった。山の中にアトリエを持っていて、土砂崩れで生き埋めになったという。
──苦しかったろう。
生き埋めになった父も、交通事故で死んだ母も、苦しくて、怖かっただろう。もう話すことも食べることも、笑うこともできない。
それにくらべ、ユキナはちゃんと生きている。大学を辞めるくらい、大したことではない。
キャンパスに入り、陶芸科の教室に向かう。作陶をする際は、ここで土を練るのだ。
扉を開けたら、見知らぬ男がいた。
すらりとした後ろ姿。陶芸科の生徒ではない、と思う。他学科だろうか。
男は歩きながら、教室に並べられた作品を順に見ている。 ふと、ユキナがつくった花器の前で足を止めた。動かずにいる男に、声をかける。
「──あの」
男が振り向いた。花のように美しいひとだ。ユキナはそう思った。艶のある黒髪に、切れ長の瞳。落ち着いた雰囲気ながら、立ち姿には華やかさがあった。くらい教室に、ひかりが灯ったようだった。
ユキナはしばらく言葉を失った。先に口を開いたのは彼だった。
「陶芸科の生徒さん?」
「はい」
「城山先生に会いたいんだけど、どこにいるか知らないかな」
「たぶん、工房に」
「工房?」
「はい。宜しければ、ご案内しますが」
「ありがとう」
ユキナに伴い、男はついてくる。
「名前、聞いてもいいかな」
「黒田ユキナです」
「陶芸科っぽい名前だ」
男が笑う。どこがだろう。そう思いながら、尋ねる。
「あなたは、他の学部の?」
「ああ、俺は部外者。城山先生に、昔お世話になったよしみで訪ねた。仙崎っていうんだ、よろしく」
差し出された手を握るが、陶芸をやっているような感じはしない。何者だろう。
「仙崎、さん。陶芸家っぽい名前ですね」
ユキナはそう返した。何者かはわからないが、これだけ目立つ男がキャンパスを歩き回っていたら、話題になっていそうだ。
「そうかな?」
キャンパスから少し行ったところに、工房がある。窯がひとつあり、許可が下りれば作品を焼くことができる。
「城山先生」
声をかけたら、城山が振り返る。仙崎を認めて、その目が見開かれた。
「……坊」
「お久しぶりです」
「なにしてるんです、こんなとこで」
「あなたにお願いがあって」
城山がちらりとユキナを見た。ユキナはその場を離れて、工房の周りを歩く。ユキナも、城山に話さなければならないことがあった。
──大学を、やめる。
反対はされないだろう。昨今、ただでさえ授業料の滞納が問題になっているのだ。しかも、ユキナが進もうとしているのは簡単には食えるようにはならない世界。突出した才能と運がなければ先が見えている。
問題は、やめたあとどうするかだ。
そろそろ話が終わっただろうか。ユキナはそう思い、二人の方へと向かう。建物の中から、囁き声が聞こえてきた。
「……無理です」
会話の合間に城山がつぶやく。
「どうしてですか?」
「坊は天才だ。あんたの花に見合う器を作る自信がありません」
「よくわからないな。僕はあなたの花器が好きだから、そこに花を活けたいんです。何か問題がありますか?」
花を活ける? ということは、彼は華道家か。随分若いが。城山は固い声で答えた。
「人間、齢をとると色々なものを捨てるのが惜しくなる。花に負ける器など作ったら、なんと言われるかわからない」
なるほど、と仙崎が言う。
「つまり、あなたは怖いんですね」
ユキナはひやりとした。かすかに軽蔑の滲んだ口調だった。
「なんとでも言ってください。きっと坊のように才能にも家柄にも恵まれた方には理解できんでしょう」
「がっかりしました。まさか断わられるなんて思わなかったので」
ため息をついた仙崎が、ユキナのほうに目を向ける。視線が合ったので、ユキナは慌てて背を向けた。
「彼女、先生に何か話があるんじゃないですか」
城山もユキナの方を見て「どうした、黒田」と問う。仙崎がその場を離れたのを見て、ユキナは城山に近づく。
「……先日、母が亡くなりまして」
「ああ……そうだったな」
城山が目を伏せる。
「不幸なことだ」
「それで、授業料を払うのに触りが出るので、退学したいんです」
「奨学金という手もあるが」
「いえ。返せる見込みが、あまりないので」
ユキナはそう言って、「学生課に相談に行くので、正式に決まったらまたご報告します」
「ああ、わかった」
ユキナは城山に礼をして、少し離れたところにいた仙崎にも頭をさげる。
工房を出て歩き始めたら、足音が追いかけてきた。艶のある髪が視界の端で揺れて、すらりとした男が隣に並ぶ。
「お母さんが、亡くなったの?」
「……聞こえてましたか」
「うん。おいくつだったのかな」
「45です」
「お若いね」
ため息まじりに、仙崎が言う。
「大学を、やめちゃうんだ?」
「はい、お金ないですし、陶芸が仕事になる見込みもないので」
「勿体無いね。才能あるのに」
ユキナは思わず仙崎を見た。彼は軽く笑む。
「さっき、作品についてる名札を見たんだ。君の作った器、すごくよかった」
「……お世辞は結構です」
「お世辞なんかじゃないよ。他にもあるなら見たいんだけど」
大学を辞めると言った矢先に、そんなことを言われたら後ろ髪が引かれてしまう。
「私には才能なんかありません」
ユキナは仙崎の台詞を断ち切るように言い、足早に歩き出した。
黒田ユキナは小さな真珠のネックレスをして、位牌の横に佇んでいた。親類たちが、ひそひそ話す声が聞こえてくる。
──まだ20だそうだ。
──かわいそうに。
──どうなるのかね。
三日前、母が死んだ。出先で、交通事故にあったそうだ。ユキナはその事実を、うまく受け止められていなかった。朝はあんなに元気だったのに。
いまにも、母がどこかからひょこりと現れるのではないかと思う。
どうなるのだろう。それはこちらが聞きたい。ユキナには母しかいない。
これから、どうすればいいのだろう。
棺に、花が入れられていく。白く塗られた母の顔が、花で彩られていく。
世の中に、こんなに悲しい入れ物はない。
ユキナはそう思い、きつく目を閉じた。
黒田ユキナは、都内にある芸術大学の陶芸科に通っていた。芸術系大学の学費はただでさえ高い。前期分は払ってあるが、後期分は未納だ。しかも卒業まであと二年。母が残した遺産など、たかが知れている。
「……材料費も、生活費もいるし」
無理ではないか。大学へといたるゆるい坂道を歩きながら、ユキナはつぶやく。母さんが死んだのに、金のことばかり考えている。
父は陶芸家だった。山の中にアトリエを持っていて、土砂崩れで生き埋めになったという。
──苦しかったろう。
生き埋めになった父も、交通事故で死んだ母も、苦しくて、怖かっただろう。もう話すことも食べることも、笑うこともできない。
それにくらべ、ユキナはちゃんと生きている。大学を辞めるくらい、大したことではない。
キャンパスに入り、陶芸科の教室に向かう。作陶をする際は、ここで土を練るのだ。
扉を開けたら、見知らぬ男がいた。
すらりとした後ろ姿。陶芸科の生徒ではない、と思う。他学科だろうか。
男は歩きながら、教室に並べられた作品を順に見ている。 ふと、ユキナがつくった花器の前で足を止めた。動かずにいる男に、声をかける。
「──あの」
男が振り向いた。花のように美しいひとだ。ユキナはそう思った。艶のある黒髪に、切れ長の瞳。落ち着いた雰囲気ながら、立ち姿には華やかさがあった。くらい教室に、ひかりが灯ったようだった。
ユキナはしばらく言葉を失った。先に口を開いたのは彼だった。
「陶芸科の生徒さん?」
「はい」
「城山先生に会いたいんだけど、どこにいるか知らないかな」
「たぶん、工房に」
「工房?」
「はい。宜しければ、ご案内しますが」
「ありがとう」
ユキナに伴い、男はついてくる。
「名前、聞いてもいいかな」
「黒田ユキナです」
「陶芸科っぽい名前だ」
男が笑う。どこがだろう。そう思いながら、尋ねる。
「あなたは、他の学部の?」
「ああ、俺は部外者。城山先生に、昔お世話になったよしみで訪ねた。仙崎っていうんだ、よろしく」
差し出された手を握るが、陶芸をやっているような感じはしない。何者だろう。
「仙崎、さん。陶芸家っぽい名前ですね」
ユキナはそう返した。何者かはわからないが、これだけ目立つ男がキャンパスを歩き回っていたら、話題になっていそうだ。
「そうかな?」
キャンパスから少し行ったところに、工房がある。窯がひとつあり、許可が下りれば作品を焼くことができる。
「城山先生」
声をかけたら、城山が振り返る。仙崎を認めて、その目が見開かれた。
「……坊」
「お久しぶりです」
「なにしてるんです、こんなとこで」
「あなたにお願いがあって」
城山がちらりとユキナを見た。ユキナはその場を離れて、工房の周りを歩く。ユキナも、城山に話さなければならないことがあった。
──大学を、やめる。
反対はされないだろう。昨今、ただでさえ授業料の滞納が問題になっているのだ。しかも、ユキナが進もうとしているのは簡単には食えるようにはならない世界。突出した才能と運がなければ先が見えている。
問題は、やめたあとどうするかだ。
そろそろ話が終わっただろうか。ユキナはそう思い、二人の方へと向かう。建物の中から、囁き声が聞こえてきた。
「……無理です」
会話の合間に城山がつぶやく。
「どうしてですか?」
「坊は天才だ。あんたの花に見合う器を作る自信がありません」
「よくわからないな。僕はあなたの花器が好きだから、そこに花を活けたいんです。何か問題がありますか?」
花を活ける? ということは、彼は華道家か。随分若いが。城山は固い声で答えた。
「人間、齢をとると色々なものを捨てるのが惜しくなる。花に負ける器など作ったら、なんと言われるかわからない」
なるほど、と仙崎が言う。
「つまり、あなたは怖いんですね」
ユキナはひやりとした。かすかに軽蔑の滲んだ口調だった。
「なんとでも言ってください。きっと坊のように才能にも家柄にも恵まれた方には理解できんでしょう」
「がっかりしました。まさか断わられるなんて思わなかったので」
ため息をついた仙崎が、ユキナのほうに目を向ける。視線が合ったので、ユキナは慌てて背を向けた。
「彼女、先生に何か話があるんじゃないですか」
城山もユキナの方を見て「どうした、黒田」と問う。仙崎がその場を離れたのを見て、ユキナは城山に近づく。
「……先日、母が亡くなりまして」
「ああ……そうだったな」
城山が目を伏せる。
「不幸なことだ」
「それで、授業料を払うのに触りが出るので、退学したいんです」
「奨学金という手もあるが」
「いえ。返せる見込みが、あまりないので」
ユキナはそう言って、「学生課に相談に行くので、正式に決まったらまたご報告します」
「ああ、わかった」
ユキナは城山に礼をして、少し離れたところにいた仙崎にも頭をさげる。
工房を出て歩き始めたら、足音が追いかけてきた。艶のある髪が視界の端で揺れて、すらりとした男が隣に並ぶ。
「お母さんが、亡くなったの?」
「……聞こえてましたか」
「うん。おいくつだったのかな」
「45です」
「お若いね」
ため息まじりに、仙崎が言う。
「大学を、やめちゃうんだ?」
「はい、お金ないですし、陶芸が仕事になる見込みもないので」
「勿体無いね。才能あるのに」
ユキナは思わず仙崎を見た。彼は軽く笑む。
「さっき、作品についてる名札を見たんだ。君の作った器、すごくよかった」
「……お世辞は結構です」
「お世辞なんかじゃないよ。他にもあるなら見たいんだけど」
大学を辞めると言った矢先に、そんなことを言われたら後ろ髪が引かれてしまう。
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