乙女の涙と悪魔の声

あた

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何者

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   長い間、夢を見ていた気がする。父と母と、食事をしている夢だ。テーブルの上にはレイチェルの好きなものが並び、ケーキにはろうそくが立っている。

「レイチェル、開けてごらん」
 誕生日プレゼントだよ。そう言って、父がリボンを巻いた箱を差し出す。なんだろう。レイチェルはリボンを解いて、箱に手をかけた。しかし、開かない。

「開かないわ」
「まだ、開けるべき時じゃないのかもしれないわね」
 母がやんわりと言う。レイチェルは、どういう意味? と尋ねた。両親は答えずに、ろうそくを消すよう勧めた。

 もう、そんな歳じゃないのに。そう思いながら、レイチェルは十七本のろうそくを吹き消した。ろうそくが消えると、両親がそろって拍手をした。

「おめでとう、レイチェル」
「ありがとう」
 レイチェルは照れながら礼を言い、だが、開けられなかったプレゼントが気になって、視線を動かす。

 視線を戻すと、両親がいなくなっていた。
「お父様? お母様?」
 レイチェルは椅子から立ち上がり、あたりを見回した。テーブルに乗っていた、ケーキや食べものが消えていく。まだ中身を確かめていないプレゼントの箱も、なくなってしまう。

 視界が、しろくなっていく。
 ああ、意識が段々、浮上していく──。

 ****

 レイチェルは、そっと瞳を開いた。視界がぼんやりして、定まらない。最初に認識できたのは、じっとこちらを見下ろしている、一人の女性だった。メイド服姿で、黒の巻き毛。赤い瞳は、バアルとよく似ている。しかし、見知らぬ女性だ。

 彼女はレイチェルと目があうと、微笑んだ。人形のように美しい顔立ちをしている。
「おはようございます」
 困惑しつつ、レイチェルは応えた。
「お、はよう」
「目を覚まされたんですね、レイチェル様。よかった」
「あなたは……」
「メイドです」

 それは、見ればわかるけど。彼女は困惑するレイチェルに微笑みかけ、「お支度を手伝いましょうか」と言う。
「大丈夫、一人で着替えるわ」
「では、準備ができましたら階下へどうぞ」
 そう言って、メイドは部屋を出て行く。レイチェルはそれを見送って、ベッドから起き上がった。カーテンを開けると、眩しい日差しが差し込んでくる。窓の外に見えるのは、バベルの塔だ。自分の?茲にふれ、ひっぱってみる。
「いた」
 とたんに、痛みを覚えた。

「私、生きてる……」
 レイチェルはつぶやいて、チェストに目をやった。置いてあったはずの、遺書としおりがなくなっている。バアルが持って行ってくれたんだろうか。

 レイチェルが着替え、階下に降りていくと、キッチンからかぐわしい匂いがした。
「バラム?」
 そう声をかけるが、キッチンに立っているのは先ほどのメイドだ。彼女はレイチェルを振り向いて、笑みを浮かべた。

「どうぞ、お席でお待ちください」
「手伝うわ」
 そう言うが、彼女はにこにこ笑って食堂を指差している。有無を言わさない様子に気圧され、レイチェルは椅子に座った。いったい彼女は、何者なのだろう……。
 しばらくして、盆を持ったメイドがやってきた。

「お待たせいたしました」
 そう言って、テーブルの上に皿を並べる。カリカリに焼かれたトースト、朝摘みの紅茶。英国式のモーニングだ。レイチェルはゆで卵を割りながら、
「あの、あなた、名前は?」
「エディと申します」
 少女はそう言って微笑んだ。聞いたことのない名前だ。

「エディ、バアルやバラムは?」
「ええ、ちゃんとご説明いたします」
 やんわりと言い、少女は紅茶を注ぐ。左手の薬指には、ソロモンの指輪がはめられていた。

「あ、それ」
「ああ、これ。預かったんですよ、バアル様から」
 少女は指輪を撫でながら微笑む。
「大事だから持っていてくれ、って。まるで婚約指輪みたいですよね?」
「え」
 レイチェルは目を見開いた。なぜか、その言葉に動揺していた。そんなレイチェルを、少女は瞳を緩めて見ている。
「バアルが、どこかへ行ったの?」
「ええ、バラムとかいうぬいぐるみと一緒に」

 レイチェルは少しむっとして、
「バラムはぬいぐるみじゃないわ」
「あらそうなんですか?」
「あなた、悪魔なの?」
「はい。街を歩いていたところをバアル様にスカウトされました。留守の間レイチェル様をお世話するように、と」
 スカウト……? そんなこと、バアルがするだろうか。

「二人はどこへ行ったの?」
 エディが首をかしげる。
「存じません。私は留守を任されただけですから」
 レイチェルは違和感を感じていた。いったい、自分が寝ている間に何があったのだろう。食事を進めないレイチェルに、メイドが尋ねる。
「お口に合いませんか?」
「いえ、美味しいわ……ただ、ちょっと食欲がなくて」

 毒の後遺症なのか、ひどくだるかった。
「無理もありません。レイチェル様は一か月もお倒れになっていたんですから」
 エディはそう言って、皿をさげる。一か月も? レイチェルは驚いた。
「二人はいつ家を出たの?」
「ちょうど今朝です」

 もしかして、ルイスを向こうに連れて帰ったんだろうか――レイチェルがそう思っていると、エディがそうだわ、と言った。
「レイチェル様、後でお散歩しませんか? 無理をしない程度に外の空気を吸うのもいいでしょう」
「ええ、そうね……」
 レイチェルは頷いて、バアルがいつも座っている椅子をじっと見た。


 食堂を出たレイチェルは、何か手がかりはないかとバアルの部屋に向かった。そっと扉を開くと、誰もいない室内が目に入る。足を踏み入れ、扉を閉める。主のいない部屋はさみしい。
  椅子に腰掛け、ため息をついた。部屋の隅に布がかけられた物体があったのでめくってみたら、金塊が積まれていた。

「こんなの置いて出かけるなんて……」
 悪魔には泥棒という概念がないのだろうか?

 ふと、バアルがいつも読んでいる「ゴエティア」という本が目に入ったので、手にとって、なんとなくめくってみた。文面は英語に見えるが、バアルの言葉によれば違うのだろう。どうやら、悪魔の呼び出し方が書いてあるようだ。
「あ、バラムの名前が載ってる」

 挿絵にはおそろしい熊に乗った男が描かれていた。レイチェルはくすりと笑う。これを書いた人は、きっとバラムに会ったことがないのだろう。

 バアルは一番最初のページに描かれていた。変身してみせた、蜘蛛の足が生えたカエルの顔で。いかにも気味が悪い。
 きっと、とレイチェルは思う。これを書いた人は、悪魔はおそろしいものだ、と思いたかったんだ。おそろしい悪魔もいるのかもしれない。だけど、あの二人は優しかった。二人とも、どこへ行ってしまったのだろう。

 ふと、本の間に何かが挟まっているのに気づいた。
「!」
 それは、レイチェルが書いた遺書だった。
「なんで……」

 ルイスは向こうに帰っていないのか? バアルはいったい、どこへ行ったんだろう……
 混乱するレイチェルの耳に、ノックの音が聞こえた。レイチェルは慌てて遺書をポケットに入れる。
「はい」
「レイチェル様、お庭を散歩しましょう」
 ドアが開き、にこやかな笑みのエディが現れた。
「え、ええ、今行くわ」
 レイチェルは「ゴエティア」を手に、部屋を出た。
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