乙女の涙と悪魔の声

あた

文字の大きさ
17 / 30

正体

しおりを挟む
「ここのお庭、中々素敵ですよね」
 後ろをのんびり歩くエディが言う。レイチェルはええ、とうなずきながら、
「ねえ、エディ。あなたもソロモンの悪魔なの?」
「いいえ」
 エディは首を振って、花壇の前に屈んだ。眼を閉じて、においをかぐ。
「きれいな花」
「気をつけたほうがいいわ。毒のある花ばかりらしいから」
「人間が勝手に毒だと思っているだけですわ」

 エディの手が、ホワイト・ベルを撫でた。
「花はただそこにあるだけ」
「そうね」
 レイチェルはつぶやいて、エディの隣にしゃがみこんだ。メイドの瞳がこちらへ向かう。
「レイチェル様、顔色が悪いです」
「大丈夫。自業自得なの。自分で毒を飲んだんだから」

 バアルにしてみれば迷惑だったろう。自分の家で自殺騒ぎを起こされたのだから。エディはじっとこちらを見て、
「レイチェル様は、死んだほうが良かったとお思いですか」
「いいえ。死にたくなかった。でも、あの時はああするしかないと思ったのよ」

 馬鹿なことをした、と今ではわかる。
「たとえルイスが向こうに戻っても、再捜査されるかどうかなんて、わからないもの」
 レイチェルは顔を伏せた。エディがそっと、レイチェルの背中を撫でた。悪魔なのに、彼女の手は不思議と温かい。
「人間界に、戻りたいとは思われないのですか?」

 未練がないわけではなかった。向こうには、思い出の詰まった家がある。両親がくれたプレゼントがなんだったかも、わからずじまいだ。でも、あの家はもう、レイチェルのものじゃない。
「いいえ」
 レイチェルは首を振り、私は、とつぶやく。
「ただ、バアルとバラムに会いたい」

 エディに向き直る。
「あの二人はどこにいるの?」
「バアル様から、教えるな、と言われております。ただし」
「ただし?」
「レイチェル様ご自身が見つけられたのなら、きっとお二人も観念することでしょう」
 エディはそう言って立ち上がった。
「私、夕食の用意をして参ります。レイチェル様は部屋でお休みください」
 去っていったエディの後ろ姿を見送り、レイチェルは立ち上がった。


  ◇


 夕飯を食べ終えたレイチェルは、自室のベッドに寝転んでいた。ぼんやり天井を見上げながら、エディの言っていた言葉を思い出す。
 もし、レイチェル様が、見つけられたなら――
 どういう意味だろう。レイチェルの探せる範囲に、バアルたちがいるということか?

 枕元に置いた「ゴエティア」を手に取り、パラパラとめくる。バアルがいつも手にしている、悪魔の取り扱い書。何気なく裏表紙を見て、ハッとした。
 そうか。思わず、息を吐く。

 レイチェルは起き上がり、階下に向かった。台所をのぞいてみると、エディがこちらに背を向け、なべをかき混ぜているのが見える。彼女は振り向かずに、
「おなかがすきましたか? もう少し待っていてください、すぐできますから」

「ソロモン」
 レイチェルの言葉がけに、エディがぴくりと肩を揺らした。
「……なぜその名で私を呼ぶのですか?」
「あなたはソロモン王なのでしょう。バアルとバラムは、その指輪に封印されている」

 エディが振り返り、じっとレイチェルを見た。ふっ、と口元を緩める。
「なぜ、おわかりになったんでしょう」
「エディはソロモンの二つ名ね」
 そう言って本を示すと、
「ええ」
 答えて、火を止める。「ゴエティア」の裏表紙には、ソロモンのサインが記されていたのだ。「Solomonソロモン/Jedidiahエディデヤ

「この姿ではいまいち威厳がないがね」
 がらりと口調を変えたエディに、レイチェルは尋ねる。
「あなたを復活させるために、二人は犠牲に……?」
「いいや、君を助けるためだ。バアルには指輪は使用できないからね。彼にできるのは悪魔の封印――自らを封印し、私に君を守るようにと」
 そんな、とレイチェルは呟いた。
「もう一度二人と会いたいの、どうしたら会える?」

 ソロモンが目を緩める。
「悪魔に会うことを望むのか」
「そうよ」
「バアルのせいで、君はこんなところに連れてこられたのに?」
「私は、自分を不幸だって嘆いてたわ」
 レイチェルは、手を組み合わせ、言う。

「急に両親が死んで、家を奪われて、見知らぬ場所に召喚されて、なんでこんな目に合うんだろうって思ってた」
 でも、とつぶやく。
「バアルとバラムに会えたことは、私にとっては幸運だった」

 彼らと会えたから、レイチェルは両親の死を乗り越えられたのだ。彼らと一緒だったから、寂しいとは思わなかった。
 だから、バアルとバラムが、自分のために犠牲になるなんて嫌だ。
「そうか」
 ソロモンは指輪を外し、レイチェルに差し出した。
「どうぞ。これは君が持っているといい」

 指輪を受け取ると、メイドの姿がうっすらと消えていく。
「あ……」
「指輪の使い方は、知っているね?」
「ええ……」
 くれぐれも名前を間違えないように。ソロモンはそう言って、人差し指をたて、自身の唇に押し当てた。グッドラック。そう呟いて、すうっと姿を消す。

 メイドが消え、鍋がぐつぐつ煮える音だけが響いている。レイチェルは一人、厨房に立っていた。手のひらには、ソロモンの指輪が乗っている。レイチェルはストーブの火をかちりと消した。掌にある指輪をぎゅ、と握りしめ、バアルの部屋に向かう。

 部屋の中に入り、チョークで書かれた魔法陣を足でさっ、と消した。「ゴエティア」を手に取り、パラパラとめくる。

 つづりを確認しながら、バラムの名前を書く。
 それから、じっと眼をつむる。バアルが語った、バラムの物語を思い出す。天使だったのに、悪魔になってしまったバラム。
 レイチェルが落ち込んでいると、ぽん、と足を叩いてくれた。野菜の収穫に誘ってくれた。
 笑顔もみせてくれた。
 かわいいバラム。あなたに会いたい。
 涙がすうっと零れ落ちた。床に落下した涙が、魔法陣に触れたことで反応して光る。
「バラム、来て」

 発光した魔法陣から、ぬうっとくまの帽子が現れた。ついで、こぐまがぽんっ、と姿を現す。帽子をかぶったバラムは、レイチェルを見て、驚いたように目を見開いている。
「バラム」

 レイチェルはしゃがみこんで、ぎゅ、とバラムを抱きしめる。暖かいからだとふわふわした感触に、自然と目じりが熱くなる。
「会いたかった」
 バラムは小さな手で、ぽんぽん、とレイチェルの腕をたたいた。身体を離すと、口をおさえて、首をかしげる。レイチェルの身体を心配しているのだろう。

「ええ、もう大丈夫」
 微笑んでそう答え、レイチェルは立ち上がった。
「次は、バアルを呼ぶわ」
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

靴屋の娘と三人のお兄様

こじまき
恋愛
靴屋の看板娘だったデイジーは、母親の再婚によってホークボロー伯爵令嬢になった。ホークボロー伯爵家の三兄弟、長男でいかにも堅物な軍人のアレン、次男でほとんど喋らない魔法使いのイーライ、三男でチャラい画家のカラバスはいずれ劣らぬキラッキラのイケメン揃い。平民出身のにわか伯爵令嬢とお兄様たちとのひとつ屋根の下生活。何も起こらないはずがない!? ※小説家になろうにも投稿しています。

王妃は涙を流さない〜ただあなたを守りたかっただけでした〜

矢野りと
恋愛
理不尽な理由を掲げて大国に攻め入った母国は、数カ月後には敗戦国となった。 王政を廃するか、それとも王妃を人質として差し出すかと大国は選択を迫ってくる。 『…本当にすまない、ジュンリヤ』 『謝らないで、覚悟はできています』 敗戦後、王位を継いだばかりの夫には私を守るだけの力はなかった。 ――たった三年間の別れ…。 三年後に帰国した私を待っていたのは国王である夫の変わらない眼差し。……とその隣で微笑む側妃だった。 『王妃様、シャンナアンナと申します』 もう私の居場所はなくなっていた…。 ※設定はゆるいです。

私の存在

戒月冷音
恋愛
私は、一生懸命生きてきた。 何故か相手にされない親は、放置し姉に顎で使われてきた。 しかし15の時、小学生の事故現場に遭遇した結果、私の生が終わった。 しかし、別の世界で目覚め、前世の知識を元に私は生まれ変わる…

【完結】伯爵令嬢の25通の手紙 ~この手紙たちが、わたしを支えてくれますように~

朝日みらい
恋愛
煌びやかな晩餐会。クラリッサは上品に振る舞おうと努めるが、周囲の貴族は彼女の地味な外見を笑う。 婚約者ルネがワインを掲げて笑う。「俺は華のある令嬢が好きなんだ。すまないが、君では退屈だ。」 静寂と嘲笑の中、クラリッサは微笑みを崩さずに頭を下げる。 夜、涙をこらえて母宛てに手紙を書く。 「恥をかいたけれど、泣かないことを誇りに思いたいです。」 彼女の最初の手紙が、物語の始まりになるように――。

今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。 そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。 だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。 そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。

処理中です...