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「ここのお庭、中々素敵ですよね」
後ろをのんびり歩くエディが言う。レイチェルはええ、とうなずきながら、
「ねえ、エディ。あなたもソロモンの悪魔なの?」
「いいえ」
エディは首を振って、花壇の前に屈んだ。眼を閉じて、においをかぐ。
「きれいな花」
「気をつけたほうがいいわ。毒のある花ばかりらしいから」
「人間が勝手に毒だと思っているだけですわ」
エディの手が、ホワイト・ベルを撫でた。
「花はただそこにあるだけ」
「そうね」
レイチェルはつぶやいて、エディの隣にしゃがみこんだ。メイドの瞳がこちらへ向かう。
「レイチェル様、顔色が悪いです」
「大丈夫。自業自得なの。自分で毒を飲んだんだから」
バアルにしてみれば迷惑だったろう。自分の家で自殺騒ぎを起こされたのだから。エディはじっとこちらを見て、
「レイチェル様は、死んだほうが良かったとお思いですか」
「いいえ。死にたくなかった。でも、あの時はああするしかないと思ったのよ」
馬鹿なことをした、と今ではわかる。
「たとえルイスが向こうに戻っても、再捜査されるかどうかなんて、わからないもの」
レイチェルは顔を伏せた。エディがそっと、レイチェルの背中を撫でた。悪魔なのに、彼女の手は不思議と温かい。
「人間界に、戻りたいとは思われないのですか?」
未練がないわけではなかった。向こうには、思い出の詰まった家がある。両親がくれたプレゼントがなんだったかも、わからずじまいだ。でも、あの家はもう、レイチェルのものじゃない。
「いいえ」
レイチェルは首を振り、私は、とつぶやく。
「ただ、バアルとバラムに会いたい」
エディに向き直る。
「あの二人はどこにいるの?」
「バアル様から、教えるな、と言われております。ただし」
「ただし?」
「レイチェル様ご自身が見つけられたのなら、きっとお二人も観念することでしょう」
エディはそう言って立ち上がった。
「私、夕食の用意をして参ります。レイチェル様は部屋でお休みください」
去っていったエディの後ろ姿を見送り、レイチェルは立ち上がった。
◇
夕飯を食べ終えたレイチェルは、自室のベッドに寝転んでいた。ぼんやり天井を見上げながら、エディの言っていた言葉を思い出す。
もし、レイチェル様が、見つけられたなら――
どういう意味だろう。レイチェルの探せる範囲に、バアルたちがいるということか?
枕元に置いた「ゴエティア」を手に取り、パラパラとめくる。バアルがいつも手にしている、悪魔の取り扱い書。何気なく裏表紙を見て、ハッとした。
そうか。思わず、息を吐く。
レイチェルは起き上がり、階下に向かった。台所をのぞいてみると、エディがこちらに背を向け、なべをかき混ぜているのが見える。彼女は振り向かずに、
「おなかがすきましたか? もう少し待っていてください、すぐできますから」
「ソロモン」
レイチェルの言葉がけに、エディがぴくりと肩を揺らした。
「……なぜその名で私を呼ぶのですか?」
「あなたはソロモン王なのでしょう。バアルとバラムは、その指輪に封印されている」
エディが振り返り、じっとレイチェルを見た。ふっ、と口元を緩める。
「なぜ、おわかりになったんでしょう」
「エディはソロモンの二つ名ね」
そう言って本を示すと、
「ええ」
答えて、火を止める。「ゴエティア」の裏表紙には、ソロモンのサインが記されていたのだ。「Solomon/Jedidiah」
「この姿ではいまいち威厳がないがね」
がらりと口調を変えたエディに、レイチェルは尋ねる。
「あなたを復活させるために、二人は犠牲に……?」
「いいや、君を助けるためだ。バアルには指輪は使用できないからね。彼にできるのは悪魔の封印――自らを封印し、私に君を守るようにと」
そんな、とレイチェルは呟いた。
「もう一度二人と会いたいの、どうしたら会える?」
ソロモンが目を緩める。
「悪魔に会うことを望むのか」
「そうよ」
「バアルのせいで、君はこんなところに連れてこられたのに?」
「私は、自分を不幸だって嘆いてたわ」
レイチェルは、手を組み合わせ、言う。
「急に両親が死んで、家を奪われて、見知らぬ場所に召喚されて、なんでこんな目に合うんだろうって思ってた」
でも、とつぶやく。
「バアルとバラムに会えたことは、私にとっては幸運だった」
彼らと会えたから、レイチェルは両親の死を乗り越えられたのだ。彼らと一緒だったから、寂しいとは思わなかった。
だから、バアルとバラムが、自分のために犠牲になるなんて嫌だ。
「そうか」
ソロモンは指輪を外し、レイチェルに差し出した。
「どうぞ。これは君が持っているといい」
指輪を受け取ると、メイドの姿がうっすらと消えていく。
「あ……」
「指輪の使い方は、知っているね?」
「ええ……」
くれぐれも名前を間違えないように。ソロモンはそう言って、人差し指をたて、自身の唇に押し当てた。グッドラック。そう呟いて、すうっと姿を消す。
メイドが消え、鍋がぐつぐつ煮える音だけが響いている。レイチェルは一人、厨房に立っていた。手のひらには、ソロモンの指輪が乗っている。レイチェルはストーブの火をかちりと消した。掌にある指輪をぎゅ、と握りしめ、バアルの部屋に向かう。
部屋の中に入り、チョークで書かれた魔法陣を足でさっ、と消した。「ゴエティア」を手に取り、パラパラとめくる。
つづりを確認しながら、バラムの名前を書く。
それから、じっと眼をつむる。バアルが語った、バラムの物語を思い出す。天使だったのに、悪魔になってしまったバラム。
レイチェルが落ち込んでいると、ぽん、と足を叩いてくれた。野菜の収穫に誘ってくれた。
笑顔もみせてくれた。
かわいいバラム。あなたに会いたい。
涙がすうっと零れ落ちた。床に落下した涙が、魔法陣に触れたことで反応して光る。
「バラム、来て」
発光した魔法陣から、ぬうっとくまの帽子が現れた。ついで、こぐまがぽんっ、と姿を現す。帽子をかぶったバラムは、レイチェルを見て、驚いたように目を見開いている。
「バラム」
レイチェルはしゃがみこんで、ぎゅ、とバラムを抱きしめる。暖かいからだとふわふわした感触に、自然と目じりが熱くなる。
「会いたかった」
バラムは小さな手で、ぽんぽん、とレイチェルの腕をたたいた。身体を離すと、口をおさえて、首をかしげる。レイチェルの身体を心配しているのだろう。
「ええ、もう大丈夫」
微笑んでそう答え、レイチェルは立ち上がった。
「次は、バアルを呼ぶわ」
後ろをのんびり歩くエディが言う。レイチェルはええ、とうなずきながら、
「ねえ、エディ。あなたもソロモンの悪魔なの?」
「いいえ」
エディは首を振って、花壇の前に屈んだ。眼を閉じて、においをかぐ。
「きれいな花」
「気をつけたほうがいいわ。毒のある花ばかりらしいから」
「人間が勝手に毒だと思っているだけですわ」
エディの手が、ホワイト・ベルを撫でた。
「花はただそこにあるだけ」
「そうね」
レイチェルはつぶやいて、エディの隣にしゃがみこんだ。メイドの瞳がこちらへ向かう。
「レイチェル様、顔色が悪いです」
「大丈夫。自業自得なの。自分で毒を飲んだんだから」
バアルにしてみれば迷惑だったろう。自分の家で自殺騒ぎを起こされたのだから。エディはじっとこちらを見て、
「レイチェル様は、死んだほうが良かったとお思いですか」
「いいえ。死にたくなかった。でも、あの時はああするしかないと思ったのよ」
馬鹿なことをした、と今ではわかる。
「たとえルイスが向こうに戻っても、再捜査されるかどうかなんて、わからないもの」
レイチェルは顔を伏せた。エディがそっと、レイチェルの背中を撫でた。悪魔なのに、彼女の手は不思議と温かい。
「人間界に、戻りたいとは思われないのですか?」
未練がないわけではなかった。向こうには、思い出の詰まった家がある。両親がくれたプレゼントがなんだったかも、わからずじまいだ。でも、あの家はもう、レイチェルのものじゃない。
「いいえ」
レイチェルは首を振り、私は、とつぶやく。
「ただ、バアルとバラムに会いたい」
エディに向き直る。
「あの二人はどこにいるの?」
「バアル様から、教えるな、と言われております。ただし」
「ただし?」
「レイチェル様ご自身が見つけられたのなら、きっとお二人も観念することでしょう」
エディはそう言って立ち上がった。
「私、夕食の用意をして参ります。レイチェル様は部屋でお休みください」
去っていったエディの後ろ姿を見送り、レイチェルは立ち上がった。
◇
夕飯を食べ終えたレイチェルは、自室のベッドに寝転んでいた。ぼんやり天井を見上げながら、エディの言っていた言葉を思い出す。
もし、レイチェル様が、見つけられたなら――
どういう意味だろう。レイチェルの探せる範囲に、バアルたちがいるということか?
枕元に置いた「ゴエティア」を手に取り、パラパラとめくる。バアルがいつも手にしている、悪魔の取り扱い書。何気なく裏表紙を見て、ハッとした。
そうか。思わず、息を吐く。
レイチェルは起き上がり、階下に向かった。台所をのぞいてみると、エディがこちらに背を向け、なべをかき混ぜているのが見える。彼女は振り向かずに、
「おなかがすきましたか? もう少し待っていてください、すぐできますから」
「ソロモン」
レイチェルの言葉がけに、エディがぴくりと肩を揺らした。
「……なぜその名で私を呼ぶのですか?」
「あなたはソロモン王なのでしょう。バアルとバラムは、その指輪に封印されている」
エディが振り返り、じっとレイチェルを見た。ふっ、と口元を緩める。
「なぜ、おわかりになったんでしょう」
「エディはソロモンの二つ名ね」
そう言って本を示すと、
「ええ」
答えて、火を止める。「ゴエティア」の裏表紙には、ソロモンのサインが記されていたのだ。「Solomon/Jedidiah」
「この姿ではいまいち威厳がないがね」
がらりと口調を変えたエディに、レイチェルは尋ねる。
「あなたを復活させるために、二人は犠牲に……?」
「いいや、君を助けるためだ。バアルには指輪は使用できないからね。彼にできるのは悪魔の封印――自らを封印し、私に君を守るようにと」
そんな、とレイチェルは呟いた。
「もう一度二人と会いたいの、どうしたら会える?」
ソロモンが目を緩める。
「悪魔に会うことを望むのか」
「そうよ」
「バアルのせいで、君はこんなところに連れてこられたのに?」
「私は、自分を不幸だって嘆いてたわ」
レイチェルは、手を組み合わせ、言う。
「急に両親が死んで、家を奪われて、見知らぬ場所に召喚されて、なんでこんな目に合うんだろうって思ってた」
でも、とつぶやく。
「バアルとバラムに会えたことは、私にとっては幸運だった」
彼らと会えたから、レイチェルは両親の死を乗り越えられたのだ。彼らと一緒だったから、寂しいとは思わなかった。
だから、バアルとバラムが、自分のために犠牲になるなんて嫌だ。
「そうか」
ソロモンは指輪を外し、レイチェルに差し出した。
「どうぞ。これは君が持っているといい」
指輪を受け取ると、メイドの姿がうっすらと消えていく。
「あ……」
「指輪の使い方は、知っているね?」
「ええ……」
くれぐれも名前を間違えないように。ソロモンはそう言って、人差し指をたて、自身の唇に押し当てた。グッドラック。そう呟いて、すうっと姿を消す。
メイドが消え、鍋がぐつぐつ煮える音だけが響いている。レイチェルは一人、厨房に立っていた。手のひらには、ソロモンの指輪が乗っている。レイチェルはストーブの火をかちりと消した。掌にある指輪をぎゅ、と握りしめ、バアルの部屋に向かう。
部屋の中に入り、チョークで書かれた魔法陣を足でさっ、と消した。「ゴエティア」を手に取り、パラパラとめくる。
つづりを確認しながら、バラムの名前を書く。
それから、じっと眼をつむる。バアルが語った、バラムの物語を思い出す。天使だったのに、悪魔になってしまったバラム。
レイチェルが落ち込んでいると、ぽん、と足を叩いてくれた。野菜の収穫に誘ってくれた。
笑顔もみせてくれた。
かわいいバラム。あなたに会いたい。
涙がすうっと零れ落ちた。床に落下した涙が、魔法陣に触れたことで反応して光る。
「バラム、来て」
発光した魔法陣から、ぬうっとくまの帽子が現れた。ついで、こぐまがぽんっ、と姿を現す。帽子をかぶったバラムは、レイチェルを見て、驚いたように目を見開いている。
「バラム」
レイチェルはしゃがみこんで、ぎゅ、とバラムを抱きしめる。暖かいからだとふわふわした感触に、自然と目じりが熱くなる。
「会いたかった」
バラムは小さな手で、ぽんぽん、とレイチェルの腕をたたいた。身体を離すと、口をおさえて、首をかしげる。レイチェルの身体を心配しているのだろう。
「ええ、もう大丈夫」
微笑んでそう答え、レイチェルは立ち上がった。
「次は、バアルを呼ぶわ」
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