乙女の涙と悪魔の声

あた

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危機

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 ──どさっ。
 乾いた音がして、レイチェルの身体が地面を転がった。鼻先に、つんとした土のにおいが香る。
「っ……」

 呻きながら身体を起こしたレイチェルは、ぼんやりとした視界が慣れるのを待った。目の前に、瓦礫の山がある。レイチェルは、瓦礫の中に倒れていた。視線をあげると、天井がぽっかりなくなって、空が見えていた。まるで巻貝を上から押しつぶしたかのように──。

 今倒れている部分、これはきっと、バベルの塔の残骸なのだ。帰ってきた、バビロンに。
 行こう、二人のところに。
 立ち上がり、瓦礫を踏むと、パラパラと崩れて行く。一つ間違えば、つぶされておしまいだろう。レイチェルは瓦礫の隙間から慎重に這い出て、外に出ようとした。
 ふと、視界の端に、誰かが倒れているのに気づく。
「!」

 レイチェルはその人物に駆け寄り、しゃがみこんで、肩を揺さぶった。
「大丈夫ですか!?」
 こちらに向いた顔を見て、レイチェルは息を飲む。
「……ルイス」
「レイチェル?」
 ルイスはぼんやりとレイチェルを見た。ずいぶんとやつれて見える。
 レイチェルは彼を警戒しつつ、
「あなた……今までどこに?」
「ああ、混沌にいたんだ……一生出られないって、悪魔に言われた……」
 ルイスは額を押さえ、うつろな目で微笑んだ。

「だけど出られたよ。また君に会えた」
 手を伸ばしてきたルイスから、レイチェルは後ずさった。腕を掴まれ、もがく。
「いや、離して」
「どうして逃げるんだ? 僕たちは従兄弟じゃないか。血がつながってるんだよ? 家族も同然だ。血は水よりも濃いって言うだろ……」
 彼はやけに優しい声を出しながら、レイチェルにすがりつく。

「仲良くしようよ、レイチェル」
 レイチェルはルイスの手を振り払い、叫んだ。
「私はあなたと仲良くなろうと思ったわ! だけど無理だったの、どうしてもあなたを好きになれなかった!」
「君がそんなことを言うから、僕はおじさんたちを殺さなきゃならなかったんだよ」
 ルイスが眉をさげた。
「僕だって鬼じゃないんだ、君が僕を受け入れてくれたら、あんなことしなかったのに」
「いいえ」
 レイチェルは震える声で言い、ルイスをにらんだ。
「あなたはいつか私のことも殺したわ。そういう人なの。だから、好きになれなかった」

 ルイスは目を瞬いたあと、ため息をついて首を振った。
「分かり合えないんだね、僕たちは」
「ええ、そうよ。──さよなら」

 背を向けたレイチェルの首を、ルイスが締め上げた。
「っ!」
「残念だな、君に家族をあげようと思ったのに」
「ぐ、っ……」
 レイチェルはせめてもの抵抗をしようと、彼の手に爪を立てた。ルイスは無駄な抵抗だといわんばかりにあざ笑う。
「だめだな、レイチェル。そんなことをする女は野蛮だよ」
「あなたにどう思われても、気にしないわ」
 首にかかる力が強くなる。
「なあ、あの悪魔がどこにいるか知ってるんだろ? 連れてってくれよ」
「いわ、ないわ」
「へえ、言わないと死んじゃうけどいいのか?」

 自分の首をしめている男をにらむ。
「殺せばいい。バアルとバラムには、何もさせない」
 ルイスの瞳が歪んだ。
「悪魔と仲良くなるなんて、君はまるで魔女だな、レイチェル」
「あのふたりは、あなたよりずっと優しくて、いいひとだわ」
 そう言った瞬間、レイチェルの?茲に痛みが走った。叩かれたのだ。
「黙れよ」

 レイチェルは震えながら唇をかむ。怯えたくないのに、誰かに叩かれたのは初めてで、身体が縮こまってしまう。
「……まあいいさ、君が言わなくても、あいつを呼ぶ方法はたくさんある」
 ルイスはそう言って、口元を歪めた。



 ◆


 ──ねえ、バアル。どれがいいと思う?
 レイチェルが、三着の服を見せてくる。どれでもいい、と言ったら不満げな顔をする。君は何を着たって似合うだろう、とでもいえばよかったのだろうか。
 情緒が安定しなくて、すぐに泣いて、臆病なのかと思えば、危ない真似もする。

 バラムを虐めるなと怒っている顔、真っ赤になって恥ずかしがる顔。夕暮れの庭で見せた憂い顔。それから、一番目にした、泣き顔。
 泣くな。泣かないで、レイチェル。そばに行って、だきしめたい。
 手を伸ばす前に、レイチェルの姿は消えた。

 バアルはふっ、とうたたねから目を覚ました。椅子から立ち上がり、締め切っていたカーテンを開く。天まで届いていたバベルの塔は、いまや半分ほどの高さになってしまっている。

 修復まで、百年はかかるそうだ。
 悪魔には、大した年数ではないが。
 ──百年経ったら、レイチェルはもうこの世にはいない。バベルの塔が崩れてしまった今、彼女にはもう会えないだろう。せめて、幸せでいてくれたらいい。

 バアルは懐から、レイチェルがくれたしおりを取り出した。ネモフィラの押し花を、そっと撫でる。と、いきなり扉が開いた。バアルはしおりを懐にしまい、
「バラム、いきなり開けるな」

 バラムは謝るでもなく、焦りながらバアルに駆け寄った。ぐいぐいバアルの腕を引く。彼がこんなに焦るのは珍しい。
「どうしたんだ」

 バラムに腕を引かれるまま外に出た。
 こぐまが必死に指さす通りを見たら、看板を持ったキツネが歩いていた。たしか、バベルの塔で案内人をしていた悪魔だ。
 頭には、バラムの帽子をかぶっていた。なぜ、あのキツネが帽子を?

「ちょっと待ってくれ」
 呼びとめたら、キツネがくるりと振り返る。
「なんだヨ」
「その帽子、どこで手に入れた」
「ああ……人間の男にもらったのさ。イイだろ?」
「人間の、男?」

 バビロンに人間が? 何かの拍子で迷い込んだのか。しかしどうやって。バベルの塔はもう使い物にならないはずなのに……。バラムは帽子を見ながら、くやしげに目を潤ませている。レイチェルにあげたのに、と言いたげな顔だ。
 看板に書いてある文字を見て、バアルは目を見開いた。

『バベルの塔に来い。来ないと、レイチェルが死ぬ』
「おい、それはなんだ」
「だから、人間の男が頼んできたんだヨ。バベルの塔が崩れて暇しててさ。看板持って歩いたら、この帽子をくれるっていうから」
 いったいどういうことだ。なぜレイチェルがこちらに――バアルは目を歪め、バラムを見下ろした。
「バラム、家にいろ。僕はバベルの塔に行ってくる」

 こぐまはぶんぶん首を振る。バアルはしゃがみこんで、その小さな肩に触れた。
「頼む、必ずレイチェルを連れて帰るから」
 バラムは口をきゅ、と閉じて、こくこく頷いた。
 翼を広げ、飛び立ったバアルに向かい、後にはぶんぶん手を振るこぐまと、バアルをぽかんと見上げるキツネが残された。
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