乙女の涙と悪魔の声

あた

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傲慢

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 破壊されたバベルの塔に、かん、かん、と小石をつみあげる音が響く。
「悪魔はいつ来るかなあ、ねえレイチェル」
 ルイスはがれきの上に座って、小石を高く積み上げながら、レイチェルに尋ねた。
「……バアルは来ないわ」

 レイチェルはルイスに髪を掴まれて、地面に跪いていた。
 時々引っ張られてひどく痛かったが、泣いてなどやるものかと涙をこらえる。
「君が叫んだら焦って駆けつけるんじゃないかな。あいつ、悪魔のくせに君に惚れてるみたいだからさ」
 ルイスはぐい、とレイチェルの髪を引っ張る。

「っ」
「なあ、叫べよ、あいつの名前を泣き叫べ」
「嫌よ」
「髪を抜かれたいのか? 痛いだろうなあ。二度と生えなくなるかもしれないよ?」
 レイチェルは首を振った。ルイスが仕方ないな、と言って、髪を掴む手に力を込める。痛みに耐えるため、ぎゅっと目をつむったその時、かつん、と靴音がした。

 レイチェルはハッとして、顔をあげる。靴音が近づいてくるたび、すらりとしたシルエットが、徐々に姿を明らかにする。漆黒の髪、ルビーのような瞳。端正な顔立ちは人形めいていて、一見冷たくすら見える。

「レイチェルを離せ、ルイス・デュフォー」
 心を溶かすように、美しい声。
「バアル……」
「おお、悪魔さまが来た。よかったねレイチェル、髪が抜ける前で」
 バアルの姿が消えた、と思ったら、一瞬でルイスの前に現れる。そのまま、爪をルイスの首筋に向ける。殺す気だ。――だめ。レイチェルはとっさに声をあげようとした。
「っ、待て!」
 ルイスが慌てたように、レイチェルを羽交いじめにする。
「僕に手を出すと、レイチェルが痛い目にあうぞ」

 バアルは冷たい声で、
「僕は間違っていたな。おまえにふさわしい罰は死だった」
「はっ、悪魔が人間に罰を与えようなんていうのが間違ってる!」
 ルイスはレイチェルを拘束したままで、じりじりと後ずさった。
「人間は悪魔よりずっと優れた存在だ」
「そうかもしれないが、少なくともおまえは違う。レイチェルを離せ」
 悪魔は低い声で言う。
「うるさい! レイチェルは僕のものだ。悪魔なんかには渡さない」
「レイチェルは誰のものでもない」

 ルイスはまたうるさい、と叫んだ。鼓膜をたたくような大声に、レイチェルはぎゅ、と目を瞑る。それを見て、バアルが瞳を歪めた。
「要求を言え。僕に何か用があるんだろう?」
「指輪をよこせ」
「なんだと?」

 ルイスの言葉に、バアルが目を見開く。ルイスは、バアルが指にはめているソロモンの指輪を見て、
「それ、悪魔に言うことを聞かせられるんだろう? 指輪を手に入れて、僕はこの世界で王になるんだ」

「馬鹿馬鹿しい。悪魔を呼び出すには、おまえは不適格だ」
「なに言ってるんだ、悪魔め! 僕はルイス・デュフォー男爵だ。おまえたちなんかよりずっと優れた存在なんだ!」
 ルイスが高笑いをする。それは崩れたバベルの塔に、空虚に響いた。
 レイチェルは、ぽつりと呟いた。
「あなたはもう、男爵じゃないわ」
 その言葉に、ルイスがぴた、と笑うのをやめる。
「なんだって?」
「いま、キーズ家を継いでいるのはミシェルよ。あの屋敷も、庭も爵位も、もうあなたのものじゃないの」

 わなわなと震えだしたルイスの瞳がぐにゃりと歪んだ。レイチェルの?茲を思い切りたたく。
「やめろ!」
 バアルが鋭い声で言う。ルイスはバアルに向かって喚いた。
「指輪を渡せ、でなきゃもっとひどい目に合わせてやる!」
「そんなに欲しいならくれてやる」
 バアルは怒りに声を震わせ、指輪を投げ捨てた。それは地面を転がっていく。
「!」

 ルイスはレイチェルを突き飛ばし、そちらに手を伸ばした。彼は指輪を拾い上げ、うっとり眺める。
「なんて綺麗なんだ……よほど高い宝石なんだろうなあ」

 バアルはレイチェルを抱き起こし、
「それは綺麗なだけの指輪じゃない。心の正しくないものが使うと、破滅を呼ぶ」
「心が正しい? 悪魔がなにを言うんだ!」
 ルイスは指輪をはめ、天に向かって手を突き上げた。
「さあ、出でよ、悪魔たち、あの男を殺して、レイチェルを僕のものに!」
 しかし、何も起こらない。

「ん? どうしたんだ、早くしろ!」
 しびれを切らしたルイスは、舌打ちし、指輪を外そうとした。
「外れない」
 次の瞬間、指輪が黒く濁った。
「!」
 ぶわりと黒い煙が吹き出し、ルイスの身体を取り囲む。レイチェルは思わず口元を覆った。
「なんだこれは、おい、なんとかしろ!」
 パニックに陥ったルイスに、バアルが淡々と言う。
「言っただろう、心の正しいものには恩恵を──正しくないものにはそれ相応の対価を」
「ふざけるな、レイチェル、助けてくれ」

 すがるように名前を呼ばれ、レイチェルは思わずルイスに近づきかけた。
 バアルがそれを留める。
「だめだ、レイチェル」
「でも」
「巻き込まれる。いくら君が手を差し伸べても、あの男は変わりはしない」
 ルイスは泣きながら、その姿を灰へと変えていく。
 黒いもやが完全に身体を隠した瞬間、大量の灰がざあっ、と地面に落ちた。指輪は灰に落下して埋もれる。もやが完全に晴れて、上空から日差しが差し込んだ。

 ルイスが積み上げていた石ころの塔が、からん、と音を立てて崩れる。
「……」
 レイチェルはしゃがみこんで、そっと灰に触れた。日に照らされたソロモンの指輪が、きらきら輝いている。
 埋もれた指輪をそっと拾い上げ、灰をぬぐった。指輪を見つめながら、
「昔……一緒に野原で遊んだことがあるの。ルイスは私に、レンゲで作った指輪をくれたわ」
「ああ」
 人間は変わるんだ。バアルは呟いた。悪魔なのに、彼はそれを知っているのだ。

「肉と骨が灰へと変わっただけ。──いつかまた、蘇ることもある」
 その時は、正しい心を持てるだろうか。レンゲの指輪をくれた、あの頃のような優しさを、取り戻してくれるだろうか。
 レイチェルの白い?茲を、涙が流れていく。それはぽたりと、灰に落ちた。

「……あんなやつのために、泣かなくていい」
「まえ、言ったでしょう? 泣きたくないのに、泣いてしまうの」
 ルイスがああなったのには、レイチェルにも責任があるのかもしれない。だけど、心に嘘はつけないのだ。
 バアルはそっとレイチェルの髪を撫でた。
「泣くな」

 レイチェルはバアルにしがみついて、喉を震わせた。優しくレイチェルの髪を撫でていた彼が、ふ、と身体を離す。
 レイチェルは、涙で濡れた瞳でバアルを見上げた。バアルはその涙を指先でぬぐい、うちに帰ろう、と言った。
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