乙女の涙と悪魔の声

あた

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告白

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 夕食が終わった後、レイチェルはバラムと一緒に皿洗いをしていた。結局あの後、なんとなく気まずくて、バアルとは口をきいていない。ふきんを煮沸しようとしていたら、バラムがお盆を差し出してきた。スコーンと茶器が乗っている。食後のお茶だろう。

「これ、バアルに?」
 こぐまはこくこくうなずく。持っていけ、ということらしい。レイチェルとバアルのことを気遣っているのだろうか?
「でも……まだふきんが」
 バラムはふるふる首を横に振って、ぐいぐいお盆を押し付けてくる。レイチェルはそれを手に、バアルの部屋へ向かった。

 ノックをしてしばらく待つと、ガチャリとドアが開いた。顔を出したバアルが、意外そうな顔をする。
「あの、バラムは忙しいみたいだから」
「ああ」
 バアルはお盆を受け取り、レイチェルを中に入るよう促した。
「どうぞ」
「いいの?」
「僕はこんなにスコーンを食べられない」

 レイチェルは彼に続いて部屋に入った。バアルは積んであった本をどけ、レイチェルに座るよう促す。紅茶を一口飲んで、レイチェルはちら、とバアルを見た。赤い瞳と視線が合って、どきりとする。ごまかすように、早口で言った。
「あなたって、本をたくさん読むのね」
「暇つぶしに」
「『アーサー王物語』って読んだことある?」
「ない」
「シェイクスピアは?」
「ない」
「そ、そう……」
 会話が途切れてしまった。人間の書いた小説を、悪魔が読むわけはないか……。

 バアルはカップを置き、
「昼間のことだが」
「え?」
「マルファスのこと。あいつの話に耳を傾けたらダメだ。君を利用しようとしてるだけなんだから」
「どうして協力してあげないの? 仲間なんでしょう?」

「仲間なんかじゃない。あいつの懐を温める必要はない」
「彼と仲が悪いの?」
「悪魔同士で仲がいいわけないだろう」
「でも」
「大量の悪魔を解放するには、大量の涙がいる」
 レイチェルは目を瞬いた。
「それなら私が」
 バアルはその言葉を遮り、じっとこちらを見つめた。
「君を……泣かせたくない」
「っ」

 顔がかあっと赤くなった。バアルが顔を覗き込んできたので、慌てて目をそらす。それが協力できない理由だなんて。
「レイチェル?」
「あなたはずるい」
「なにがだ」
 レイチェルは赤い顔のままで、
「だって……そんな言い方、告白みたいだわ」
「どこが?」

 その問いに脱力する。やっぱり、バアルの「好き」はレイチェルの「好き」とは違うのだ。悪魔には恋愛感情なんてないのかもしれない。それでも、親しみはもってくれているのだと思う。だから、伝えなければ、と思った。

「私はよく泣く、って、あなた言ったでしょう?」
「ああ」
「泣くのって、ダメなことだと思ってたの。みっともないでしょう? それに、周りの人を心配させてしまう。人前で泣くのはよくないことなんだって、思ってた」

 彼女はカップのふちを指でなぞって、目を伏せた。
「だけど私の涙が誰かの役に立つなら、悲しいことでも、つらいことでも、思い出して、泣くわ」
「レイチェル……」
「私ね、あなたの役に立ちたい」
 伏せた瞳が揺れて、白い頬が紅潮する。
「あなたが、だいすき、だから」

 しばらく、バアルは沈黙した。レイチェルは不安そうにバアル? と名前を呼ぶ。
「……あの茶髪がすきなんじゃないのか」
「茶髪?」
「向こうで、君のそばにいた」
「向こう? もしかして……ミシェルのこと?」
 レイチェルはそうつぶやいて、はっとする。思わず立ち上がった。
「覗き見したの!? ひどい!」
「様子を見ただけだ」
「同じよ、ひどい」
 鳥に見張りをさせたり、レイチェルをなんだと思っているのだ。
「心配だった」
 そんなことをいうのは、本当にずるい。

「どんなこと言ったって、きれいな声だから、あなたはずるい」
「ずるいと言われても困る」
 嘘だ。困ったりしないくせに。困るのはいつもレイチェルだ。きれいな声に、いつだって翻弄されてしまう。
「とにかく、マルファスに協力しましょう」
 やりきれない思いで立ち上がったレイチェルの腕を、バアルが掴んだ。引き寄せられて、びくりとする。赤い瞳がこちらを見ていた。

「腹が立つ」
「え?」
「君がほかの悪魔や、人間の男を気にしてるのを見ると、腹が立つんだ」
「ど、うして?」
「君が好きだから」
 レイチェルは目を見開いた。
「うそ」
「嘘じゃない」
 じわじわと頬が熱くなる。瞳が潤み始めて、レイチェルは慌てて下を向いた。

「レイチェル?」
「泣いてないわ」
「泣いてるんだな。どうして?」
「わからない、たぶんうれしいから……」

 バアルはレイチェルの背中に腕を回して抱きしめた。肩に顔を埋めて、レイチェルは涙を流す。彼の声が、耳介に触れた。
「本当は、いかないでほしかった」
「全然、そうは見えなかったわ」
「君は鈍い」
「あなたに言われたくない」

 ――あ、心臓の音が、聞こえる。どきどきいっている。バアルもレイチェルと同じくらい、どきどきしている。バアルの手が、レイチェルの髪をなでている。幸せだ。ずっと、こうしていたい。

 ふっと身体が離れた。もう少し、心臓の音を聞いていたかった……そう思ったレイチェルの唇に、バアルの唇が近づいてきた。
「!」
 ぎゅっと目を閉じたレイチェルの耳に、がたん、という物音が聞こえてきた。バアルが動きを止め、ドアまで歩いていき、押し開ける。

 ドアの向こう、バラムが転がっていた。のろのろ起き上がってバアルを見上げた子ぐまは、その冷たい表情を見て、つぶらな瞳に怯えを走らせる。頭を抱え、がたがた震えだした。
 レイチェルは慌ててバラムに駆け寄った。
「バラム!」

 抱き起こすと、こぐまがしがみついてくる。ぶるぶる震えるバラムを抱きかかえ、バアルを非難した。
「バラムをいじめないで」
「何もしてない」
「そんなに怖い顔でにらんだらかわいそう」

 バアルが目を細め、部屋の中へと踵を返す。戸口に戻ってきて、お盆をバラムに突き出した。
「持っていけ」
 そのままバタン、とドアを閉める。

「……前から思ってたけど、バアルってかなり大人げないわ」
 バラムは涙目でレイチェルを見上げている。悪いことをした、とその顔に書いてある。――きっと、レイチェルたちのことが心配だったんだ。レイチェルは微笑んで、バラムの頭を撫でた。
「大丈夫、心配しないで。お互いの気持ちはわかったんだから」
 そう言って、閉まったドアを眺めた。
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