乙女の涙と悪魔の声

あた

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指輪

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 ◆


 バアルは鉛を手にしていた。指先で触れたら、一瞬で、それが金に変わる。錫や鉄、銅など、どんな金属でも金に変えてしまえる職能を持っているのだ。人間は錬金術、と呼ぶらしい。
  これを換金所に持っていけば、一定の金を得られる。

 指先に熱を込め、金を細くして、円を作った。端と端を接合する。それを眺める。ただの輪だ。宝石すらついていない。それでも指にはめたら指輪だといえた。
 なぜこんなものを作ったのだろう。 

 デスクの引き出しにしまおうとしていたら、ノックの音がした。バラムだろうか。面倒だから寝たふりでもしようかと思う。

「バアル?」
 レイチェルの声だ。先ほどのことを思い出すと、なんとも言えない気分になる。どうぞ、というと、彼女はそっとドアを開けた。寝間着姿で、なぜか枕を持っている。

「どうしたんだ?」
 グリーンアイズが、上目遣いでこちらを見つめる。白い?茲が紅潮した。
「あの……一緒に、寝ない?」

 思わず指輪を落とした。それはころころと床を転がっていき、レイチェルの足元で止まる。
 彼女の細い指先が、それを拾い上げた。
「指輪?」
「……なに言ってるんだ、君は」
「あなたはどうやって眠るんだろう、って思って」

 興味本位? それにしたって唐突だ。そういえば、一緒に寝ようといわれたのは初めてではない。以前は犬の姿だったが。
「だめ?」
「僕はベッドでは寝ない」
「じゃあ、私あのソファで寝るわ」
 彼女はそう言って、ソファに向かった。よいしょ、と言ってソファを引きずってこようとするので、そちらに向かう。
「なにしてるんだ」

「あなたはデスクチェアーで寝るでしょう? 隣で寝たいから」
「椅子を動かせばいい」
 バアルがデスクチェアーをもっていくと、ありがとう、と言ってほほ笑んだ。彼女はソファに横たわり、
「手をつないでもいい?」
 そう言って、小さな手を伸ばしてくる。バアルはその手を握った。緑の瞳が、じっとこちらを見上げている。

「寝ないのか」
「あなたが寝るのを待ってるの」
「前にも言ったが、僕はほとんど寝ない」
「それでも、待ってるわ」
 このままでは、レイチェルは寝ないだろう。寝たふりをするしかない。彼女は意外と頑固なのだ。仕方なく、バアルは目を閉じた。


 しばらくして、寝息が聞こえてきた。もう寝たらしい。早いな。片目を開くと、案の定レイチェルはすやすや寝息をたてていた。ため息をついて、手を離そうとしたら、小さな唇が動いた。
「バアル、だいすき」

 そうつぶやき、離そうとした手をぎゅっと握る。寝ているにも関わらず、嬉しそうに微笑んでいた。先ほどしようとした口づけを思い返すが、寝ている相手に妙なことはできない。

「……君のほうがずるい」
 そう呟いて、バアルはレイチェルの髪をなでた。

 ふと気が付くと、眠りに落ちていた。
   なぜか、人間界のことを思い出す。ソロモンに関する書物を探しに人間界へ行ったとき、女の子に会った。ちょうど、レイチェルみたいな、金髪にグリーンアイズの女の子だった。

   一緒にいた子供がバアルに石を投げてきて、なぜか彼女が泣きそうな顔で謝っていた。こちらの正体など、知らなかっただろうに。
   大したことではなかったのに──なぜ、こんなことを覚えているんだろう。
   もしくは、ただの夢なのか。


  眠る必要のない悪魔の、浅い眠り。しばらくまどろんでから、ふっとさした光に身じろぎする。朝が来たようだ。

 のろのろと瞳を開いたら、金色が目に入った。くすみのない金髪、かすかにかかる重み。いつの間にか、レイチェルがバアルの膝に頭をのせて寝ていた。手はしっかりつながれている。なんでこんな体制で……そう思いながら、細い肩に手をかけ、揺らす。
「レイチェル」

 バアルはため息をついて、彼女が握りしめているもう片方の手にに目をやった。レイチェルを起こさないようそっと手をとり、開かせる。バアルが作った、金の指輪が現れた。朝陽に輝く金を見ていると、ソロモンの言葉を思い出す。

 ――バアル、この世で一番価値のあるものは何だと思う?
 そう問われ、バアルは指折りしながら答えた。
 ――宝石、金、銀、それから……。
 ――おまえ……。夢のない悪魔だな。
 バアルの言葉に、ソロモンは呆れたように返してきた。
 ――じゃあ、なんだっていうんだ。
 ――さあ、私にはわからない。人によって、何が一番大事かは違うんだ。おまえの宝がなんなのか。それは、おまえにしかわからない。

 レイチェルが、ん、と身じろぎをして、目をこすった。ぼんやりとこちらを見たグリーンアイズが瞬く。
「あ、バアル。先に起きちゃったの?」
 若干非難がましい口調だ。
「あなたが起きるところを見たかったのに」
「そんなもの、見てどうする」
「どうするって、あなたのことを知りたいから」 

 でも眠るところはちゃんと見られたわ。レイチェルは嬉しそうに言う。よかったな、と相槌を打って、は、とする。つまり、あの寝言を口にしたとき、本当は起きていたということなんだろうか。

「バアル?」
「寝言をいってた」
 そう言ったら、白い頬が赤くなった。
「さ……さあ、覚えてないわ」
「顔が赤い」
「気のせいよ」
 知らないふりをしてそっぽを向くレイチェルが愛おしくなった。
「手を出して」

 不思議そうに手を差し出してきたレイチェルの細い指に、金の指輪を通す。彼女は驚いたようにバアルを見た。
「君に作った」
「あなたが……?」
 レイチェルは指輪を眺めている。心なしか、動揺しているようだった。

「いらないなら」
「いるわ!」
 外そうとしたら、あわてて手を引く。それからはにかんで、
「ありがとう。大事にする」
 バアルはふ、と笑い、彼女の頬を撫でた。そのまま、金髪をかきあげる。金の髪はさらさらと落ちて、朝日に輝いた。唇を近づけたら、まつ毛が震える。 

「いや?」
  レイチェルは首を振って、目を閉じた。唇が重なる。唇を離し、額を合わせたら、彼女が恥ずかしそうに微笑んだ。

 ――あんたの言っていた宝を、やっと見つけた気がする。
  ソロモンの笑い声が、かすかに聞こえたような気がした。




 バアルとレイチェル、バラムは、崩れたバベルの塔の中央に立っていた。巨大な魔法陣が描かれている。傍らには建築士のマルファスがいた。彼はにこやかに、
「いやあ、その気になってくれるなんて嬉しいです~」
「勘違いするな。お前のためじゃない」
  バアルが冷たく言う。
「おっ、それあれですよね、えーと、ツンドラだっけ?」

 冷たい視線を向けられたマルファスは、ハイスイマセン黙ります、と言って後ずさった。レイチェルはツンドラってなんだろうと考える。バラムも同じく首をかしげていた。バアルはそんな二人を見て、
「考えなくていい。……侯爵位から一気に召喚する。おまえが統治して建設作業を進めろ、マルファス」
「はいはい、もちろん」

 バアルに指示され、マルファスは上機嫌で答える。
「頑張ってくださいね、お二人の愛の力で」

「茶々を入れるな。灰になりたいのか」
「うわ、怖―い」
 レイチェルはそっとバアルの袖をつかんだ。
「喧嘩しないで。協力して作業するんでしょう?」
   バアルが気まずそうに答えた。
「……ああ、悪い」
「うわーバアルが手玉に取られてますよ。ウケますね。ねえバラム」
 マルファスに耳打ちされたバラムは、一緒にするなとでも言いたげに、ふるふる首を横に動かした。

「じゃあお願いしまーす」
 マルファスが手を打ち鳴らすと、バアルが魔法陣に瓶を向ける。レイチェルの涙がぽとりと落ちた。
「我が名はバアル。ソロモン七十二柱における序列一位および指輪を所有するものの権限により、汝を召喚する。いでよ、レラージェ」

 魔法陣が発光し、悪魔が現れた。あれは確か……レイチェルが名前のつづりを間違えられた悪魔。
「ひゃっほーい! 自由だー!」
 早速にげだそうとするその首根っこを、マルファスが掴む。レラージェは悔し気にキーキーわめいた。
「なんだよ、せっかく指輪から出られたと思ったのに!」
「はいはい、残念でしたねえ」

 レイチェルとバラムは、魔法陣に書かれた悪魔の名前を消し、次に召喚されるもののの名前を大きなチョークで書く。
 あっという間に、バベルの塔は悪魔で埋め尽くされた。マルファスは持っていた名簿を開き、ペンを顎に当てた。

「ふむ、あとは王の悪魔たちですかあ、ベリアルは出てこなさそうですよねえ、協調性ないしなー、あいつ」
「あいつ呼ばわりしていいのか。万が一出てきたとき、焼き殺されるぞ」
 マルファスはぺろっと舌を出した。
「あっ、内緒の方向で☆」

 バアルは空になった瓶を振る。レイチェルは彼の隣に行き、私、泣くわ、と言った。
「すまない、レイチェル」
「ううん」
 レイチェルは目を閉じ、何か悲しいことを思い出そうとした。だけど、できない。両親の死を、ルイスの死を、悲しんでいたはずなのに。
 ――異世界に来たから? 現実のことはもう、どうでもよくなってしまったのだろうか。私は、冷たい人間なのだろうか。

 手に冷たい感触がした。バアルが、レイチェルの手を握ったのだ。冷たい、悪魔の手。だけど、彼の思いが伝わってくる。
 楽しいことを、考えよう。

 ロンドンの、ウエストミンスター宮殿は、もう修復されただろうか。ロンドン塔に住む伝説の王は、まだカラスに餌をやり続けているだろうか。
 占い師のグレモリーは元気だろうか。オルゴール、大事にしていてくれるだろうか。
 ミシェルはかわいい奥さんをもらっただろうか。
 モリ―は長生きして、田舎暮らしでもしているんだろうか。
 あの屋敷は、レイチェルの生まれた家は、まだあそこにたたずんでいるだろうか。

 頭の奥に、「別れの曲」のメロディーが鳴り響く。いや、実際に、音が聞こえた。レイチェルははっとして、召喚された悪魔たちを見た。見覚えのある女性が、こちらに向かって手を振っている。
「グレモリー……」

 グレモリーが持っているオルゴールから、曲が流れているのだ。曲に呼応するように、バアルの言葉がよみがえった。ブラックなんて、どこにもいないんだ。君は、両親の死に引きずられてる――よくないものが、戻ってきてる、レイチェル。

 ピアノを弾いているときに、あの影は現れた。ショパンの「別れの曲」
 レイチェル、じょうずよ。そういって、拍手をしてくれたのは。
 あの影は。レイチェルを、グレモリーのところへ連れて行ったあの影は。いつだってそばにいた、あの影は。

 ――レイチェル。
 あの時、私を呼んだのは。バアルじゃなかったのだ。
 ――レイチェル。
 二人いた。ずっとレイチェルを、見ていてくれた。悲しい時も、苦しい時も、影となって、そばにいてくれたのだ。

「お父さま、お母さま」
 レイチェルの頬を、涙が流れ落ち、魔法陣が発光した。バアルが美しい声で唱える。
「我が名はバアル。ソロモン七十二柱における序列一位および指輪を所有するものの権限により、汝を召喚する。いでよ――」
 崩れ落ちたバベルの塔に、再び光の柱が立った。
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