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31.わたしの恋のためにも
フランツィスカ陛下は紛糾する顧問会議が休憩に入り、席をお立ちになられるや、崩れ落ちるようにしてお倒れになられたらしい。
あの、いつも毅然とされ、快活に笑っておられたフランツィスカ陛下。
わたしは、長くお会いできていない。
「……顧問会議は〈暫時休憩〉となり、再開の目途は立たないそうだ」
息を整えながら、リリが苦しそうな声を絞りだした。
顧問会議は、あくまでも国王陛下の諮問機関。王権を代行されるフランツィスカ陛下のご臨席なしで開かれることはない。
「……相当、お悪いということね」
「命に別状はないと、エミリー殿下は仰られていたが……」
国王陛下に続き、王妃陛下までお倒れになられ、王太子アルパード殿下はご不在。
いや、その王太子殿下が他国で捕囚という、王国を揺るがす一大事。
なのに、国の舵取りを担われる方がいない……。
そして、王国を支えるはずの、三大公爵家の足並みがそろわない。
「まだ、近衛兵からの聴取は続いてる。私は王妃宮殿に戻らないといけない」
「ええ……。リリ、お願いするわね」
「うん。……だけど、私自身に出来ることが何もなくて、もどかしい限りだ」
今、リリが必要とされているのは、リリ自身ではなく、伝奏という役目の方だ。
花乙女宮からの使者、それに随伴するという形で、かろうじて花衣伯爵家のご令嬢方が王妃宮殿での聴取にあたれている。
近衛兵の身柄を王妃陛下が引き取られたといえども、その建前自体に変化はない。
リリが虚しさを覚えるのも無理はない。
「いや、すまない」
「え? ……なにが?」
「今いちばん、もどかしい思いをしてるのはガブの方だった。……言わなくていいことを言ってしまった。忘れてくれ」
「ううん。ツンとした顔のリリが側にいるから、テレーズ様たちも安心して聴取できてるんだと思うわよ?」
「ははっ。私は護衛か」
「そうよ。手持無沙汰を嘆いては、護衛は務まらないわよ? バルバーラを見習ったら? いつも暇そうなのに、集中力を切らせてるところを見たことがないわ」
「ふふっ。では、その線で〈活躍〉させてもらうことにする」
「ええ。わたしも〈ツン顔同盟〉の同志として、鼻が高いわ」
ふたりでククッと笑い、リリを送り出す。
だけど、リリの姿が見えなくなると、盛大に眉間にしわを寄せてしまった。
――なにか……、なにか、わたしに出来ることはないか……?
しばらく、色鮮やかな花壇を睨み、それから花乙女宮のなかに戻ろうと、踵を返したら、
バルバーラが、いじけていた。
「……暇そう、ですか?」
「あら、聞いてたの?」
「まあ……、騎士の役目なんて待つだけですから」
「そ、そうね。……騎士が一生、暇でいてくれるなら、ずいぶん平和な時代なんだと思うわよ?」
「一生かぁ……」
「遠い目をしないでくれる? バルバーラに似合ってるわよ? 騎士服姿」
騎士は、待つ。
それは、戦塵舞う日の訪れを待つということだ。
ふと、バルバーラの嘆きが、なにか不吉を暗示しているような気がして、ブルッと身をひとつ震わせてしまった。
「バルバーラ?」
「……なんでしょう?」
「久しぶりに、ひとつ手合せをお願いできないかしら?」
「えっと……」
「身体を動かしてないと……、考え込んじゃうから。相手をしてくれない?」
「そういうことでしたら、喜んで」
「念のため、わたしの騎槍を持ってきてたのよね。たまには使わないと錆びついちゃうわ」
「……王国女子憧れの花乙女宮に、騎槍……」
「念のためよ、念のため。念入りに隠してあるし、先例にも遺さないわよ?」
「……そんな先例が遺ったら、誰も王太子妃になれなくなってしまいます」
「だから、遺さないってば」
さすがに花壇で手合せという訳にもいかないので、手ごろな地下室で汗をかいた。
今は、不安に押し潰されて散り散りになってしまいそうな、自分の思考をひとつにまとめておきたい。
無事を祈る心と矛盾するようだけど、アルパード殿下のやさしい笑顔を思い浮かべると、今は胸が引き千切られそうに苦しい。
守る。
支える。
助ける。
そう誓った、わたしの恋のためにも、今だけは、なんでもいいから手を動かしておきたかった。
Ψ
「それ……、バルシャ船じゃない」
わたしのつぶやきに、花衣伯爵家のご令嬢方が、キョトンとした顔をされた。
異民族語の勉強会を兼ね、深夜、近衛兵からの聴取内容を共有してもらっている。
そして、近衛兵がアルパード殿下と一緒に乗船したという帰りの船について、わたしは愕然とした。
バルシャ船は、いわば小型の帆船。
船体幅が広くとられるので、喫水が浅く、乾舷も低いので、波に弱い。
極端すぎる言い方をすれば〈いかだ〉のような船だ。
ホルヴァース侯爵家領が面する〈地裂海〉のような、波の穏やかな内海での沿岸航行には適している。
水深の浅い桟橋にも着岸できて、小回りもきく。
だけど――、
「外洋に出たら難破するの、……当たり前だわ」
近衛兵の証言では、東方の港を出航して7日目の晩に遭難したという。
イロナに地図を持って来てもらい、慎重に確認する。
わたしの記憶通り、アルパード殿下が出港された港町は〈碧海〉という内海に面していた。
〈碧海〉の中だけで航行する分には、漁船としても交易船としても重宝するだろう。
「……ピッタリね。外洋に出た途端に難破したと考えるのが、自然だわ」
地図上で距離を測って、船が7日目の晩に〈碧海〉を抜け、外洋に出たと考えると、矛盾がなかった。
リリが地図を睨む。
「なんだって、そんな小さな船に……」
「リリ」
「なんだ?」
「……問題は、それだけじゃないわ」
「ん?」
「バルシャ船で外洋に出ようだなんて、船乗り――、乗組員が嫌がるはずよ」
「あっ……」
「……誰かが、難破させるためにアルパード殿下を乗せたとしか思えない」
わたしは口元に手をあて、考え込む。
事故ではない。
なにか裏がある。遠く東の果てで、誰かが何かを企んでいた。
けれど、謀殺するには手が込んでいるし、そもそも不確実だ。
いや、船と海のことを知らない者が企んだのなら、船が難破したら、即死ぬと考えたのかもしれない。
イロナに紙を何枚か持って来てもらい、サラサラっと絵を描いた。
「バルシャ船にも、様々なタイプがあります」
花衣伯爵家ご令嬢方の前に、絵を広げる。
「櫂がついているものや、マストが1本のもの、2本のもの。櫂があるものなら漕ぎ手も乗っていたはず。……明日の聞き取りで、近衛兵に確認していただけませんでしょうか」
わたしの言葉に、教育役筆頭テレーズ様が呆れたように応えられた。
「ガブリエラ様……。ほんとに、なんでもよくご存知ですわねぇ……」
「あ……、えっと……。あははっ」
「絵もお上手ですし」
まあ、自分が世間一般の〈ご令嬢〉のイメージとかけ離れてるのは、自覚してる。
でも、面と向かって言われると反応に困るものだ。
――まあ、もう、嫁のもらい手に悩む必要はないんだし……。
結局、ご令嬢方から船の種類や構造についての講義をせがまれ、
今晩も夜更かしになってしまった。
Ψ
翌晩、ご令嬢方とふたたび〈勉強会〉をひらく。
「……そうですか。たしかに、無理もないことでした」
近衛兵は、遊牧騎馬民族の異民族。
海には縁遠く、乗った船の形状をよく覚えていない様子だったとのことだった。
だけど、収穫もある。
アルパード殿下と一緒に捕囚されたという約20名の近衛兵。船に乗り込んだのが、それで全員だと分かったのだ。
――アルパード殿下を守る近衛兵は、千名いたはず。だけど、そのうちの20名しか船に乗せていない。
やはり、船は充分に小型で、外洋の波に耐えられなかったに違いない。
そして、乗組員が出港前に、そのことに気付かないはずがない……。
明日は、乗組員のことも聞き取るようにとご令嬢方にお願いする。一度に頼めたら良かったのだけど、ここはやむを得ない。
想定できることを、明日中にまとめて、また明日の晩にお伝えすることにした。
ご令嬢方も新しい知見に興奮気味だけど、夜更かしが続いている。
はやめに解散して、すこし身体を休めるようにとお願いした。
わたしも、気を張り詰めすぎている。
イロナが「よく眠れるように」と、カモミールティーを淹れてくれた。
「さすが、出来る侍女様は違いますね?」
「ちょ……、ガブリエラ様? からかわないでくださいよぉ~」
「ふふっ。ほんとうに、そう思ってるのよ? これでも、とても感謝しているの。ありがとう、イロナ」
「あ……、はい」
「……カモミールの花言葉は『逆境に耐える』。今のわたしに、ピッタリだわ」
「あ、えと……」
「うん?」
「……ありがとうございます」
「いいえ。こちらこそ、ありがとう」
イロナの気遣いもあって、その晩は、グッスリと眠ることができた。
アルパード殿下をお支えすると誓ったわたしだけど、わたしのことも沢山の人たちが支えてくれている。
そのことが、なにより嬉しかった。
翌朝。近衛兵からの聴取のため花乙女宮を出発する、リリとご令嬢方を見送り、
気になることをまとめるため、居室でペンを手に取った。
考え始めると、おかしな点がたくさん思い浮かんだ。思い付くままに、サラサラと書き留めてゆく。
「……エラ様? ……ガブリエラ様?」
ふと、わたしを呼ぶ声に顔をあげた。
イロナが、緊張した面持ちで立っていた。
「あ……、ごめんなさい。すこし集中しすぎてたわね」
「いえ……」
「それで、用件はなに?」
「……王宮よりのご使者として、騎士様がおみえに」
「騎士が?」
花乙女宮を訪れるということは、女騎士だろう。だけど、騎士を使者に立てるということは……。
――フランツィスカ陛下のご容体に、なにかあったか?
不吉な考えしか浮かばない。
貴賓室ではなく、入口のエントランスで待っているとのことだったけれど、
国王陛下の正使をお迎えするのと同様の扱いとして、正装のドレスに着替えた。
月光を受ける湖面のような神秘的な雰囲気を醸すあわい水色をした、ドレープの映えるジョーゼットのAライン。
肩はオフショルダーで、細く光沢のあるベルトがウエストをすらりと強調。裏地は頑丈なものを選んであり、スカートは幅広。
動きやすくて、優美なデザイン。
翡翠のイヤリングを着け、交易商から買い求めたエキゾチックな銅のカチューシャでスモーキーシルバーの銀髪を飾る。
侍女であるイロナと護衛のバルバーラを従えて、エントランスに出ると、
桔梗色の髪をした女騎士が、片膝を突いてわたしを待っていた。
「エステル家属の騎士、シャルロタ・チッラーグと申します。騎士座はアマリリスにございます」
「チッラーグ子爵家のご縁戚ですか?」
「……お知り置きくださっていたとは、光栄にございます。曽祖父が先々代のチッラーグ子爵にございました」
「先々代といえば、ボトンド様ですわね。新種の薔薇を先代王バルタザール陛下ご即位の折に献上され、随分と家名を上げられました」
「は……、ははっ。恐れ入りましてございます」
「……たしか、カールマーン公爵家の花壇で咲いておりましたわ。鮮やかな青紫色をした、見事な薔薇でした」
「お褒めに預かり、この上ない栄誉。曽祖父も冥府で喜んでおりましょう」
「ふふっ……。して、ご用件は?」
「はっ」
と、顔をあげたシャルロタは、まだ若い。
恐らくは、わたしとバルバーラの中間くらい。20か21。花乙女宮に遣わすのに、未婚の者を選んだか……。
「花乙女宮の主ガブリエラ様に、恐れながら申し上げます」
「はい」
「……花壇の外にて、王弟ヨージェフ殿下がお待ちです」
「……え?」
「至急、ガブリエラ様にお話しされたき儀がおありになるとのことで、お出ましを願われております」
「王弟殿下が……」
「はっ」
たとえ王弟殿下であられようと、男性が花乙女宮に足を踏み入れることはない。
取り囲む、広大な花壇も同様だ。
だけど、王妃宮殿には伝奏のリリがいる。
伝奏ではなく、わたしと直接話がしたいとは、よほどのことだ。
花壇越しなら、王太子妃候補が男性と言葉を交わした先例はある。
わたしはシャルロタに先導され、イロナとバルバーラを引きつれて、花壇のなかを静かに進む。
色々と、不吉な考えが脳裏をよぎるのだけど、顔には出さず、微笑みを絶やさない。
やがて、花壇の端に立たれる王弟殿下のお姿が見えた。
いつも目の奥が笑っていない王弟ヨージェフ殿下が、彫りの深いお顔いっぱいに、笑顔を広げられた。
「おお、ガブリエラ。迎えに参った」
あの、いつも毅然とされ、快活に笑っておられたフランツィスカ陛下。
わたしは、長くお会いできていない。
「……顧問会議は〈暫時休憩〉となり、再開の目途は立たないそうだ」
息を整えながら、リリが苦しそうな声を絞りだした。
顧問会議は、あくまでも国王陛下の諮問機関。王権を代行されるフランツィスカ陛下のご臨席なしで開かれることはない。
「……相当、お悪いということね」
「命に別状はないと、エミリー殿下は仰られていたが……」
国王陛下に続き、王妃陛下までお倒れになられ、王太子アルパード殿下はご不在。
いや、その王太子殿下が他国で捕囚という、王国を揺るがす一大事。
なのに、国の舵取りを担われる方がいない……。
そして、王国を支えるはずの、三大公爵家の足並みがそろわない。
「まだ、近衛兵からの聴取は続いてる。私は王妃宮殿に戻らないといけない」
「ええ……。リリ、お願いするわね」
「うん。……だけど、私自身に出来ることが何もなくて、もどかしい限りだ」
今、リリが必要とされているのは、リリ自身ではなく、伝奏という役目の方だ。
花乙女宮からの使者、それに随伴するという形で、かろうじて花衣伯爵家のご令嬢方が王妃宮殿での聴取にあたれている。
近衛兵の身柄を王妃陛下が引き取られたといえども、その建前自体に変化はない。
リリが虚しさを覚えるのも無理はない。
「いや、すまない」
「え? ……なにが?」
「今いちばん、もどかしい思いをしてるのはガブの方だった。……言わなくていいことを言ってしまった。忘れてくれ」
「ううん。ツンとした顔のリリが側にいるから、テレーズ様たちも安心して聴取できてるんだと思うわよ?」
「ははっ。私は護衛か」
「そうよ。手持無沙汰を嘆いては、護衛は務まらないわよ? バルバーラを見習ったら? いつも暇そうなのに、集中力を切らせてるところを見たことがないわ」
「ふふっ。では、その線で〈活躍〉させてもらうことにする」
「ええ。わたしも〈ツン顔同盟〉の同志として、鼻が高いわ」
ふたりでククッと笑い、リリを送り出す。
だけど、リリの姿が見えなくなると、盛大に眉間にしわを寄せてしまった。
――なにか……、なにか、わたしに出来ることはないか……?
しばらく、色鮮やかな花壇を睨み、それから花乙女宮のなかに戻ろうと、踵を返したら、
バルバーラが、いじけていた。
「……暇そう、ですか?」
「あら、聞いてたの?」
「まあ……、騎士の役目なんて待つだけですから」
「そ、そうね。……騎士が一生、暇でいてくれるなら、ずいぶん平和な時代なんだと思うわよ?」
「一生かぁ……」
「遠い目をしないでくれる? バルバーラに似合ってるわよ? 騎士服姿」
騎士は、待つ。
それは、戦塵舞う日の訪れを待つということだ。
ふと、バルバーラの嘆きが、なにか不吉を暗示しているような気がして、ブルッと身をひとつ震わせてしまった。
「バルバーラ?」
「……なんでしょう?」
「久しぶりに、ひとつ手合せをお願いできないかしら?」
「えっと……」
「身体を動かしてないと……、考え込んじゃうから。相手をしてくれない?」
「そういうことでしたら、喜んで」
「念のため、わたしの騎槍を持ってきてたのよね。たまには使わないと錆びついちゃうわ」
「……王国女子憧れの花乙女宮に、騎槍……」
「念のためよ、念のため。念入りに隠してあるし、先例にも遺さないわよ?」
「……そんな先例が遺ったら、誰も王太子妃になれなくなってしまいます」
「だから、遺さないってば」
さすがに花壇で手合せという訳にもいかないので、手ごろな地下室で汗をかいた。
今は、不安に押し潰されて散り散りになってしまいそうな、自分の思考をひとつにまとめておきたい。
無事を祈る心と矛盾するようだけど、アルパード殿下のやさしい笑顔を思い浮かべると、今は胸が引き千切られそうに苦しい。
守る。
支える。
助ける。
そう誓った、わたしの恋のためにも、今だけは、なんでもいいから手を動かしておきたかった。
Ψ
「それ……、バルシャ船じゃない」
わたしのつぶやきに、花衣伯爵家のご令嬢方が、キョトンとした顔をされた。
異民族語の勉強会を兼ね、深夜、近衛兵からの聴取内容を共有してもらっている。
そして、近衛兵がアルパード殿下と一緒に乗船したという帰りの船について、わたしは愕然とした。
バルシャ船は、いわば小型の帆船。
船体幅が広くとられるので、喫水が浅く、乾舷も低いので、波に弱い。
極端すぎる言い方をすれば〈いかだ〉のような船だ。
ホルヴァース侯爵家領が面する〈地裂海〉のような、波の穏やかな内海での沿岸航行には適している。
水深の浅い桟橋にも着岸できて、小回りもきく。
だけど――、
「外洋に出たら難破するの、……当たり前だわ」
近衛兵の証言では、東方の港を出航して7日目の晩に遭難したという。
イロナに地図を持って来てもらい、慎重に確認する。
わたしの記憶通り、アルパード殿下が出港された港町は〈碧海〉という内海に面していた。
〈碧海〉の中だけで航行する分には、漁船としても交易船としても重宝するだろう。
「……ピッタリね。外洋に出た途端に難破したと考えるのが、自然だわ」
地図上で距離を測って、船が7日目の晩に〈碧海〉を抜け、外洋に出たと考えると、矛盾がなかった。
リリが地図を睨む。
「なんだって、そんな小さな船に……」
「リリ」
「なんだ?」
「……問題は、それだけじゃないわ」
「ん?」
「バルシャ船で外洋に出ようだなんて、船乗り――、乗組員が嫌がるはずよ」
「あっ……」
「……誰かが、難破させるためにアルパード殿下を乗せたとしか思えない」
わたしは口元に手をあて、考え込む。
事故ではない。
なにか裏がある。遠く東の果てで、誰かが何かを企んでいた。
けれど、謀殺するには手が込んでいるし、そもそも不確実だ。
いや、船と海のことを知らない者が企んだのなら、船が難破したら、即死ぬと考えたのかもしれない。
イロナに紙を何枚か持って来てもらい、サラサラっと絵を描いた。
「バルシャ船にも、様々なタイプがあります」
花衣伯爵家ご令嬢方の前に、絵を広げる。
「櫂がついているものや、マストが1本のもの、2本のもの。櫂があるものなら漕ぎ手も乗っていたはず。……明日の聞き取りで、近衛兵に確認していただけませんでしょうか」
わたしの言葉に、教育役筆頭テレーズ様が呆れたように応えられた。
「ガブリエラ様……。ほんとに、なんでもよくご存知ですわねぇ……」
「あ……、えっと……。あははっ」
「絵もお上手ですし」
まあ、自分が世間一般の〈ご令嬢〉のイメージとかけ離れてるのは、自覚してる。
でも、面と向かって言われると反応に困るものだ。
――まあ、もう、嫁のもらい手に悩む必要はないんだし……。
結局、ご令嬢方から船の種類や構造についての講義をせがまれ、
今晩も夜更かしになってしまった。
Ψ
翌晩、ご令嬢方とふたたび〈勉強会〉をひらく。
「……そうですか。たしかに、無理もないことでした」
近衛兵は、遊牧騎馬民族の異民族。
海には縁遠く、乗った船の形状をよく覚えていない様子だったとのことだった。
だけど、収穫もある。
アルパード殿下と一緒に捕囚されたという約20名の近衛兵。船に乗り込んだのが、それで全員だと分かったのだ。
――アルパード殿下を守る近衛兵は、千名いたはず。だけど、そのうちの20名しか船に乗せていない。
やはり、船は充分に小型で、外洋の波に耐えられなかったに違いない。
そして、乗組員が出港前に、そのことに気付かないはずがない……。
明日は、乗組員のことも聞き取るようにとご令嬢方にお願いする。一度に頼めたら良かったのだけど、ここはやむを得ない。
想定できることを、明日中にまとめて、また明日の晩にお伝えすることにした。
ご令嬢方も新しい知見に興奮気味だけど、夜更かしが続いている。
はやめに解散して、すこし身体を休めるようにとお願いした。
わたしも、気を張り詰めすぎている。
イロナが「よく眠れるように」と、カモミールティーを淹れてくれた。
「さすが、出来る侍女様は違いますね?」
「ちょ……、ガブリエラ様? からかわないでくださいよぉ~」
「ふふっ。ほんとうに、そう思ってるのよ? これでも、とても感謝しているの。ありがとう、イロナ」
「あ……、はい」
「……カモミールの花言葉は『逆境に耐える』。今のわたしに、ピッタリだわ」
「あ、えと……」
「うん?」
「……ありがとうございます」
「いいえ。こちらこそ、ありがとう」
イロナの気遣いもあって、その晩は、グッスリと眠ることができた。
アルパード殿下をお支えすると誓ったわたしだけど、わたしのことも沢山の人たちが支えてくれている。
そのことが、なにより嬉しかった。
翌朝。近衛兵からの聴取のため花乙女宮を出発する、リリとご令嬢方を見送り、
気になることをまとめるため、居室でペンを手に取った。
考え始めると、おかしな点がたくさん思い浮かんだ。思い付くままに、サラサラと書き留めてゆく。
「……エラ様? ……ガブリエラ様?」
ふと、わたしを呼ぶ声に顔をあげた。
イロナが、緊張した面持ちで立っていた。
「あ……、ごめんなさい。すこし集中しすぎてたわね」
「いえ……」
「それで、用件はなに?」
「……王宮よりのご使者として、騎士様がおみえに」
「騎士が?」
花乙女宮を訪れるということは、女騎士だろう。だけど、騎士を使者に立てるということは……。
――フランツィスカ陛下のご容体に、なにかあったか?
不吉な考えしか浮かばない。
貴賓室ではなく、入口のエントランスで待っているとのことだったけれど、
国王陛下の正使をお迎えするのと同様の扱いとして、正装のドレスに着替えた。
月光を受ける湖面のような神秘的な雰囲気を醸すあわい水色をした、ドレープの映えるジョーゼットのAライン。
肩はオフショルダーで、細く光沢のあるベルトがウエストをすらりと強調。裏地は頑丈なものを選んであり、スカートは幅広。
動きやすくて、優美なデザイン。
翡翠のイヤリングを着け、交易商から買い求めたエキゾチックな銅のカチューシャでスモーキーシルバーの銀髪を飾る。
侍女であるイロナと護衛のバルバーラを従えて、エントランスに出ると、
桔梗色の髪をした女騎士が、片膝を突いてわたしを待っていた。
「エステル家属の騎士、シャルロタ・チッラーグと申します。騎士座はアマリリスにございます」
「チッラーグ子爵家のご縁戚ですか?」
「……お知り置きくださっていたとは、光栄にございます。曽祖父が先々代のチッラーグ子爵にございました」
「先々代といえば、ボトンド様ですわね。新種の薔薇を先代王バルタザール陛下ご即位の折に献上され、随分と家名を上げられました」
「は……、ははっ。恐れ入りましてございます」
「……たしか、カールマーン公爵家の花壇で咲いておりましたわ。鮮やかな青紫色をした、見事な薔薇でした」
「お褒めに預かり、この上ない栄誉。曽祖父も冥府で喜んでおりましょう」
「ふふっ……。して、ご用件は?」
「はっ」
と、顔をあげたシャルロタは、まだ若い。
恐らくは、わたしとバルバーラの中間くらい。20か21。花乙女宮に遣わすのに、未婚の者を選んだか……。
「花乙女宮の主ガブリエラ様に、恐れながら申し上げます」
「はい」
「……花壇の外にて、王弟ヨージェフ殿下がお待ちです」
「……え?」
「至急、ガブリエラ様にお話しされたき儀がおありになるとのことで、お出ましを願われております」
「王弟殿下が……」
「はっ」
たとえ王弟殿下であられようと、男性が花乙女宮に足を踏み入れることはない。
取り囲む、広大な花壇も同様だ。
だけど、王妃宮殿には伝奏のリリがいる。
伝奏ではなく、わたしと直接話がしたいとは、よほどのことだ。
花壇越しなら、王太子妃候補が男性と言葉を交わした先例はある。
わたしはシャルロタに先導され、イロナとバルバーラを引きつれて、花壇のなかを静かに進む。
色々と、不吉な考えが脳裏をよぎるのだけど、顔には出さず、微笑みを絶やさない。
やがて、花壇の端に立たれる王弟殿下のお姿が見えた。
いつも目の奥が笑っていない王弟ヨージェフ殿下が、彫りの深いお顔いっぱいに、笑顔を広げられた。
「おお、ガブリエラ。迎えに参った」
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けれど、実際に待っていたのは──想像とはまるで違う、温かくて優しい人々と、穏やかで心が満たされていくような暮らし。
そして、誰より誠実なダリウスの隣で、ルーチェは少しずつ自分の居場所を取り戻していく。
静かな辺境から始まる、甘く優しい逆転マリッジラブ物語。
【追記】無事完結できました。ありがとうございました。
〖完結〗終着駅のパッセージ
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