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37.わたしの声は大きくない
前庭だけでホルヴァース侯爵家の王都屋敷がいくつも入る、広大な王宮。
花冠巡賜で何度も揺られた壮麗な馬車に乗り、城門へと急ぐ。
近づくにつれて騒ぎの声が大きく聞こえ、衛兵の数万という報告が決して大げさなものではなかったと、眉を寄せた。
平民が数万の徒党を組んで、
王宮に押し寄せる。
身分秩序に厳しいわが国では、前例のない出来事だ。
ただ、前列がないのは、王家が国民から熱烈に支持されているということでもある。
わが国では創建の〈花の会盟〉によって、主祭神である花の女神ヴィラーグの祭祀権を、王家が独占すると定められた。
もちろん、ふだん祈りを捧げるのは、誰でも自由。
だけど、正式な神殿は王宮だけだし、祝祭をはじめとした祭祀は国王陛下と王妃陛下しか執り行えない。
そもそもすべての花に宿る〈花の女神〉に神殿が必要か? という神学論争はさておき、王家は司祭としての尊崇も受ける。
ゆえに、祭祀はすべて税で賄われる。
わが国で生きる民は、どれだけ信仰心が篤くても――結果的にだけど――お布施的なものが必要ない。
教義も曖昧だし、聖職者もいない。
当然、宗教勢力の政治介入もない。
平民レベルでは常に政情が安定している。
それは、花の女神ヴィラーグ、豊穣や繁栄も司る主祭神のご加護ということになり、
ひいては、祭祀王である国王陛下、王家のおかげということになる。
信仰と統治が緩やかに結合している。
本当に〈花の会盟〉は、よくできている。
エルハーベン帝国ですら宗教勢力を政治から排除できたのは、ようやく100年前。
ピエカル家の開祖で〈無頼令嬢〉と謳われた刺青入りの令嬢、マウゴジャータが起こした〈パン窯戦争〉によるものだ。
今を生きるわたしには意味が分からないのだけど、当時のエルハーベン帝国では〈地母神教会〉が、皇帝承認のもとパン窯を独占していた。
平民は小麦粉を教会に持って行き、パンを焼いてもらう。
そのパン窯の使用料が、パン窯税と呼ばれるほどに高かった。
「はあ!? なんだそりゃ!? それなら、わたしは地母神を捨てて〈パンの女神〉を信仰する!!」
と、どこかのガラッパチみたいなことを宣言した帝国の名門、バウォダフ家の令嬢マウゴジャータ・バウォダフが、
自らを〈パン屋のマウゴジャータ〉と称し、つまり、パン屋を意味するピエカルと姓を変え、
帝国全土を巻き込んだ5年に及ぶ大内戦を勝ち抜いて、ようやくパン窯税を根絶。
地母神教会は衰退し、帝政からの排除に成功した。
ちなみに、パンの女神について問われたマウゴジャータは、
――さあ? ……美味いんじゃねぇか?
と、答えたそうだ。
そんな無茶苦茶でもなければ、一度喰い込んだ宗教勢力を政治から引き剥がすのは難しい。
民衆の信仰を背景にした宗教勢力との距離感には、どの国も頭を悩ませる。
わが国には、それがない。
だけど、祭祀を司る王権が、代行とはいえ王家の人間ではないわたしに移った。
民が動揺するのも無理はない。
祭祀王たる国王陛下が病に倒れ、王妃陛下もお倒れになられた。そして、あとを継がれる王太子殿下はご不在。
いまだ詳細不明ながら、……捕囚。
――花の女神ヴィラーグのご加護は絶えたのか……?
と、民が疑心暗鬼に動揺しても、鎮める聖職者がいない。
わたしが、行くしかない。
やがて、城門が見えてくると、耳が割れるかと思うほどの騒ぎ声。
閉じた城門の鉄柵の向こうでは、無数の民衆が殺気立って喚き声をあげていた。
一旦、馬車を止めたバルバーラが、わたしに振り向いた。
「……どうされますか? このまま城門に向かってよろしいでしょうか?」
「ええ。ありがとう、バルバーラ。向かってちょうだい」
その声も、腹から張り上げないと互いの声が聞き取りにくい。
思わず、眉間に深いシワを刻み、奥歯をかたく噛みしめる。
だけど、わたしはアルパード殿下の妃であったと思い返す。
ひとりの平民の死に心を傷め、泥団子を投げ付けられても笑って立ち去る。
心優しき、わたしの〈ふわふわ王太子〉。
わたしの愛しいアルパード殿下なら、王宮に押し寄せた民衆にもニコニコと笑顔を見せられることだろう。
ゆっくりと息を吸い込みながら、意識して丁寧に顔の強張りを取り除いてゆく。
心を鎮め、アルパード殿下の笑顔を思い浮かべる。
そして、わたしが穏やかにうなずくと、バルバーラはふたたび馬車を出発させた。
Ψ
わたしを乗せた馬車が城門に近づくと、潮が引いて行くように騒ぎ声が収まる。
それは、なにか巨大な怪物がゆっくりと遠くに去っていくかのように、大きな騒ぎ声が遠のいていった。
城門に近い者から順に騒ぎ声を止めていったのだと気付くのに、すこし時間がかかるほど不気味な静寂。
鉄柵の向こうから、数万人の群衆がわたしを見ている。
城門の正面で、馬車から降り立つ。
随伴しようとするバルバーラを止め、御者台で不測の事態に備えるよう命じた。
対応にあたろうとしていた多くの衛兵たちが一斉に、わたしに片膝を突く。
だけど、群衆はピクリとも動かず、わたしを凝視している。
いくつもの瞳。
まっすぐに、わたしを見ている。
鉄柵製の城門は軍事的な意味での防衛機能を果たさない。他国からの侵攻はもちろん、民衆蜂起も想定されていない。
数万の群衆が本気になれば、容易に押し破れるだろう。
――追い払って参ります。
わたしにそう言った騎士たちに対応させれば、躊躇うことなく刃を振るう。
流血の惨事は、火を見るより明らか。
民衆が、数万以上の民の一人ひとりが、わたしに何を訴えたくて押し寄せたのか。
まずは、それを見極めなくては。
と、歩み出そうとしたときに気が付いた。
――城門の鉄柵から見えるのが、女性ばかりだ……。それも、わたしと同じ年齢くらいの、見るからに若い女性……。
耳を破りそうだった騒ぎ声には、確かに男性の声も多く含まれていた。
鉄柵越しにひとりの女の子と目が合う。
ハッとした表情を浮かべた女の子が、地面に融けていくかのように平伏した。
すると、周囲の女性たちも次々に平伏し、さらには平伏が大波のように、はるか遠くまでつづいて行く。
遠く離れた者も、まえの者が平伏して開けた視界の先にわたしの姿を確認しては、
ハッ――……、
という表情をして、平伏し、その後ろ立つ者もまた同じように、
城門から伸びる王都の大路の先の先まで、それが延々と続いてゆく。
――悪意や敵意のある群衆ではない……。
そう確信したわたしは、それでも彼らを刺激してしまわないように、ゆったりとした歩調で近付いてゆく。
わたしの視界の先では、まだ平伏の大波が続いている。
衛兵たちはすこし顔をあげ、わたしを不安そうに見守っている。
やがて、城門の鉄柵にまで至り、わたしは歩みを止めた。
支配するのは沈黙。
ふと、甘い香りに気が付いて視線を下げると、最初に目が合った女の子の手に、
鮮やかなオレンジ色をした、ちいさなキンモクセイの花が握られていた。
そ~っと、腰をおろし、女の子に小声で尋ねる。
「えっと……、な、なにしてるの……?」
女の子は緊張しているのか、身体を強張らせてピクリとも動かない。
その周囲で平伏する女の子たちも同じ。
わたしは、ジッと待った。
しばらくして、遠くから男性のダミ声が響いてきた。
「頑張れ――っ!!」
その声に押されたかのように、女の子がすこし顔をあげた。
「……は、花を、……お捧げしたく」
「あら、そう。嬉しいわ」
わたしの言葉に、女の子がキンモクセイの花を捧げ持つ。
受け取ろうと鉄柵の隙間から腕を伸ばす。
と、女の子が私の手を、花と一緒に両手でガッシリと強くつかんだ。
「……ど、どうか」
女の子に飛びかかろうとする衛兵たちを反対の手で制し、微笑みかける。
「ええ、なにかしら?」
「ふ……、アルパード殿下を取り返してくださいませ」
哀願するようなその小さな震え声は、
わたしの胸を、突き抜けた。
――みな……、アルパード殿下のことが心配で、いても立ってもいられず王宮に足が向いてしまったのだ……。
そして、女の子の口から漏れた、
最初の〈ふ〉は、
きっと〈ふわふわ王太子〉の〈ふ〉だ。
貴族社会では、頼りなくてつかみどころがないと、ややもすれば軽侮されていた、
ふわふわ王太子は、
これほど多くの民から愛されていたのだ。
身分秩序に厳しいわが国の、それも王都では、ハッキリと口に出して話すことはなかったかもしれない。
だけど――、
「ガ、ガブリエラ様なら……」
「ええ……」
「……花冠巡賜の沿道で、私たち平民からの声掛けにも……、イヤな顔ひとつされなかったガブリエラ様ならば……、と思い……、はせ参じてしまいました」
ゆっくりと、うんうんと頷きながら、女の子から話を聞く。
最初のひとりが誰かは分からないけれど、次第に集まる人々が増えてくると、誰からともなく、
――城門の前は、未婚の女子だけに……。
という声が上がったそうだ。
いまだ〈花乙女宮〉にいるわたしへの、先例を守ろうとしてくれたのだ。
花婿が結婚間近に突然囚われたわたしに心を寄せ、やさしい王太子に心を寄せ、集まってくれた人たち。
「わたしの声は、みなに届かせるほど大きくないわ。……後ろの人に伝えていってくれる?」
「は、……はい」
「必ず、取り戻すわ」
女の子と、その周囲の女性たちが後ろの者に伝えてくれ、さらにその後ろへと、
――必ず、取り戻す。
という声が、どこまでも響いていく。
そして、
「みなの気持ちに、とても励まされたわ」
「でも、王宮のみな様が心配してる」
「持って来てくれた花は、城門に捧げて、それからゆっくり帰ってね」
「……あと、全員はとても無理だけど、未婚の女の子だけなら〈花乙女宮〉に招待するわ。それでいいかしら?」
と、わたしが話しかけ、その言葉がずっと後ろの方にまで響いていく。
やがて、今度は後ろの方から、
「いいよ、いいよ!!」
という声が、大波となってわたしに押し寄せてきた。
数万の群衆。
そのひとりひとりが、アルパード殿下に寄せる敬愛の念がわたしを包み込んでいくかのようだった。
「ガブリエラ陛下――っ!! 頑張れぇ――っ!!」
「俺たちのふわふわ王太子を、取り戻してくださ――っい!!」
遠くから響いて来た声に、女の子たちが肩をすくめた。
「さっき我慢してくれたのに、言っちゃったら台無しよねぇ? ……ふわふわ王太子って」
と、わたしが眉を寄せて笑うと、女の子たちもクスクスと笑った。
Ψ
アルパード殿下の奪還を祈って、みなが捧げてくれる花で城門が塞がれそうになってしまったので、
騎士たちが場所を定め、整理にあたってくれる。
衛兵たちが城門の外に出て、聞き取りをしてくれた結果、未婚の女子は2000人ほどだったので、そのまま招き入れた。
広大な花壇を案内し、お茶を1杯ずつ供した。
わたしの気まぐれで、イロナとエレノールは大忙しだ。すまん。
さすがに花乙女宮の中までは入り切らないので、花壇で10人くらいずつ、あらためて拝礼を受け、土産に花菓子をひとつずつ持たせた。
城門の前からは、徐々に人が引けていったらしく、
王宮にのぼられたカタリン様とエルジェーベト様がわたしに並んでくださり、
女子たちの感激ぶりも上がった。
そして、空が茜色に染まった頃、ようやく王宮は静穏を取り戻した。
夕闇に染まる貴賓室で、カタリン様がため息を吐かれた。
「……そのお顔は、ご自分の弱点にようやくお気付きになられたってお顔ね。ガブリエラ陛下?」
「ええ……、痛切に」
薄明りのつくる陰影が、エルジェーベト様のやさしげな微笑みを美しく浮かび上がらせていた。
わたしは窓に目を向け、夕陽の落ちた黄昏空のオレンジ色と濃紺の境目を見詰めた。
「……わたしがこれでは、アルパード殿下の救出、奪還など……、望むべくもない」
わたしは……、なんでも自分ひとりで解決しようとし過ぎる。
花冠巡賜で何度も揺られた壮麗な馬車に乗り、城門へと急ぐ。
近づくにつれて騒ぎの声が大きく聞こえ、衛兵の数万という報告が決して大げさなものではなかったと、眉を寄せた。
平民が数万の徒党を組んで、
王宮に押し寄せる。
身分秩序に厳しいわが国では、前例のない出来事だ。
ただ、前列がないのは、王家が国民から熱烈に支持されているということでもある。
わが国では創建の〈花の会盟〉によって、主祭神である花の女神ヴィラーグの祭祀権を、王家が独占すると定められた。
もちろん、ふだん祈りを捧げるのは、誰でも自由。
だけど、正式な神殿は王宮だけだし、祝祭をはじめとした祭祀は国王陛下と王妃陛下しか執り行えない。
そもそもすべての花に宿る〈花の女神〉に神殿が必要か? という神学論争はさておき、王家は司祭としての尊崇も受ける。
ゆえに、祭祀はすべて税で賄われる。
わが国で生きる民は、どれだけ信仰心が篤くても――結果的にだけど――お布施的なものが必要ない。
教義も曖昧だし、聖職者もいない。
当然、宗教勢力の政治介入もない。
平民レベルでは常に政情が安定している。
それは、花の女神ヴィラーグ、豊穣や繁栄も司る主祭神のご加護ということになり、
ひいては、祭祀王である国王陛下、王家のおかげということになる。
信仰と統治が緩やかに結合している。
本当に〈花の会盟〉は、よくできている。
エルハーベン帝国ですら宗教勢力を政治から排除できたのは、ようやく100年前。
ピエカル家の開祖で〈無頼令嬢〉と謳われた刺青入りの令嬢、マウゴジャータが起こした〈パン窯戦争〉によるものだ。
今を生きるわたしには意味が分からないのだけど、当時のエルハーベン帝国では〈地母神教会〉が、皇帝承認のもとパン窯を独占していた。
平民は小麦粉を教会に持って行き、パンを焼いてもらう。
そのパン窯の使用料が、パン窯税と呼ばれるほどに高かった。
「はあ!? なんだそりゃ!? それなら、わたしは地母神を捨てて〈パンの女神〉を信仰する!!」
と、どこかのガラッパチみたいなことを宣言した帝国の名門、バウォダフ家の令嬢マウゴジャータ・バウォダフが、
自らを〈パン屋のマウゴジャータ〉と称し、つまり、パン屋を意味するピエカルと姓を変え、
帝国全土を巻き込んだ5年に及ぶ大内戦を勝ち抜いて、ようやくパン窯税を根絶。
地母神教会は衰退し、帝政からの排除に成功した。
ちなみに、パンの女神について問われたマウゴジャータは、
――さあ? ……美味いんじゃねぇか?
と、答えたそうだ。
そんな無茶苦茶でもなければ、一度喰い込んだ宗教勢力を政治から引き剥がすのは難しい。
民衆の信仰を背景にした宗教勢力との距離感には、どの国も頭を悩ませる。
わが国には、それがない。
だけど、祭祀を司る王権が、代行とはいえ王家の人間ではないわたしに移った。
民が動揺するのも無理はない。
祭祀王たる国王陛下が病に倒れ、王妃陛下もお倒れになられた。そして、あとを継がれる王太子殿下はご不在。
いまだ詳細不明ながら、……捕囚。
――花の女神ヴィラーグのご加護は絶えたのか……?
と、民が疑心暗鬼に動揺しても、鎮める聖職者がいない。
わたしが、行くしかない。
やがて、城門が見えてくると、耳が割れるかと思うほどの騒ぎ声。
閉じた城門の鉄柵の向こうでは、無数の民衆が殺気立って喚き声をあげていた。
一旦、馬車を止めたバルバーラが、わたしに振り向いた。
「……どうされますか? このまま城門に向かってよろしいでしょうか?」
「ええ。ありがとう、バルバーラ。向かってちょうだい」
その声も、腹から張り上げないと互いの声が聞き取りにくい。
思わず、眉間に深いシワを刻み、奥歯をかたく噛みしめる。
だけど、わたしはアルパード殿下の妃であったと思い返す。
ひとりの平民の死に心を傷め、泥団子を投げ付けられても笑って立ち去る。
心優しき、わたしの〈ふわふわ王太子〉。
わたしの愛しいアルパード殿下なら、王宮に押し寄せた民衆にもニコニコと笑顔を見せられることだろう。
ゆっくりと息を吸い込みながら、意識して丁寧に顔の強張りを取り除いてゆく。
心を鎮め、アルパード殿下の笑顔を思い浮かべる。
そして、わたしが穏やかにうなずくと、バルバーラはふたたび馬車を出発させた。
Ψ
わたしを乗せた馬車が城門に近づくと、潮が引いて行くように騒ぎ声が収まる。
それは、なにか巨大な怪物がゆっくりと遠くに去っていくかのように、大きな騒ぎ声が遠のいていった。
城門に近い者から順に騒ぎ声を止めていったのだと気付くのに、すこし時間がかかるほど不気味な静寂。
鉄柵の向こうから、数万人の群衆がわたしを見ている。
城門の正面で、馬車から降り立つ。
随伴しようとするバルバーラを止め、御者台で不測の事態に備えるよう命じた。
対応にあたろうとしていた多くの衛兵たちが一斉に、わたしに片膝を突く。
だけど、群衆はピクリとも動かず、わたしを凝視している。
いくつもの瞳。
まっすぐに、わたしを見ている。
鉄柵製の城門は軍事的な意味での防衛機能を果たさない。他国からの侵攻はもちろん、民衆蜂起も想定されていない。
数万の群衆が本気になれば、容易に押し破れるだろう。
――追い払って参ります。
わたしにそう言った騎士たちに対応させれば、躊躇うことなく刃を振るう。
流血の惨事は、火を見るより明らか。
民衆が、数万以上の民の一人ひとりが、わたしに何を訴えたくて押し寄せたのか。
まずは、それを見極めなくては。
と、歩み出そうとしたときに気が付いた。
――城門の鉄柵から見えるのが、女性ばかりだ……。それも、わたしと同じ年齢くらいの、見るからに若い女性……。
耳を破りそうだった騒ぎ声には、確かに男性の声も多く含まれていた。
鉄柵越しにひとりの女の子と目が合う。
ハッとした表情を浮かべた女の子が、地面に融けていくかのように平伏した。
すると、周囲の女性たちも次々に平伏し、さらには平伏が大波のように、はるか遠くまでつづいて行く。
遠く離れた者も、まえの者が平伏して開けた視界の先にわたしの姿を確認しては、
ハッ――……、
という表情をして、平伏し、その後ろ立つ者もまた同じように、
城門から伸びる王都の大路の先の先まで、それが延々と続いてゆく。
――悪意や敵意のある群衆ではない……。
そう確信したわたしは、それでも彼らを刺激してしまわないように、ゆったりとした歩調で近付いてゆく。
わたしの視界の先では、まだ平伏の大波が続いている。
衛兵たちはすこし顔をあげ、わたしを不安そうに見守っている。
やがて、城門の鉄柵にまで至り、わたしは歩みを止めた。
支配するのは沈黙。
ふと、甘い香りに気が付いて視線を下げると、最初に目が合った女の子の手に、
鮮やかなオレンジ色をした、ちいさなキンモクセイの花が握られていた。
そ~っと、腰をおろし、女の子に小声で尋ねる。
「えっと……、な、なにしてるの……?」
女の子は緊張しているのか、身体を強張らせてピクリとも動かない。
その周囲で平伏する女の子たちも同じ。
わたしは、ジッと待った。
しばらくして、遠くから男性のダミ声が響いてきた。
「頑張れ――っ!!」
その声に押されたかのように、女の子がすこし顔をあげた。
「……は、花を、……お捧げしたく」
「あら、そう。嬉しいわ」
わたしの言葉に、女の子がキンモクセイの花を捧げ持つ。
受け取ろうと鉄柵の隙間から腕を伸ばす。
と、女の子が私の手を、花と一緒に両手でガッシリと強くつかんだ。
「……ど、どうか」
女の子に飛びかかろうとする衛兵たちを反対の手で制し、微笑みかける。
「ええ、なにかしら?」
「ふ……、アルパード殿下を取り返してくださいませ」
哀願するようなその小さな震え声は、
わたしの胸を、突き抜けた。
――みな……、アルパード殿下のことが心配で、いても立ってもいられず王宮に足が向いてしまったのだ……。
そして、女の子の口から漏れた、
最初の〈ふ〉は、
きっと〈ふわふわ王太子〉の〈ふ〉だ。
貴族社会では、頼りなくてつかみどころがないと、ややもすれば軽侮されていた、
ふわふわ王太子は、
これほど多くの民から愛されていたのだ。
身分秩序に厳しいわが国の、それも王都では、ハッキリと口に出して話すことはなかったかもしれない。
だけど――、
「ガ、ガブリエラ様なら……」
「ええ……」
「……花冠巡賜の沿道で、私たち平民からの声掛けにも……、イヤな顔ひとつされなかったガブリエラ様ならば……、と思い……、はせ参じてしまいました」
ゆっくりと、うんうんと頷きながら、女の子から話を聞く。
最初のひとりが誰かは分からないけれど、次第に集まる人々が増えてくると、誰からともなく、
――城門の前は、未婚の女子だけに……。
という声が上がったそうだ。
いまだ〈花乙女宮〉にいるわたしへの、先例を守ろうとしてくれたのだ。
花婿が結婚間近に突然囚われたわたしに心を寄せ、やさしい王太子に心を寄せ、集まってくれた人たち。
「わたしの声は、みなに届かせるほど大きくないわ。……後ろの人に伝えていってくれる?」
「は、……はい」
「必ず、取り戻すわ」
女の子と、その周囲の女性たちが後ろの者に伝えてくれ、さらにその後ろへと、
――必ず、取り戻す。
という声が、どこまでも響いていく。
そして、
「みなの気持ちに、とても励まされたわ」
「でも、王宮のみな様が心配してる」
「持って来てくれた花は、城門に捧げて、それからゆっくり帰ってね」
「……あと、全員はとても無理だけど、未婚の女の子だけなら〈花乙女宮〉に招待するわ。それでいいかしら?」
と、わたしが話しかけ、その言葉がずっと後ろの方にまで響いていく。
やがて、今度は後ろの方から、
「いいよ、いいよ!!」
という声が、大波となってわたしに押し寄せてきた。
数万の群衆。
そのひとりひとりが、アルパード殿下に寄せる敬愛の念がわたしを包み込んでいくかのようだった。
「ガブリエラ陛下――っ!! 頑張れぇ――っ!!」
「俺たちのふわふわ王太子を、取り戻してくださ――っい!!」
遠くから響いて来た声に、女の子たちが肩をすくめた。
「さっき我慢してくれたのに、言っちゃったら台無しよねぇ? ……ふわふわ王太子って」
と、わたしが眉を寄せて笑うと、女の子たちもクスクスと笑った。
Ψ
アルパード殿下の奪還を祈って、みなが捧げてくれる花で城門が塞がれそうになってしまったので、
騎士たちが場所を定め、整理にあたってくれる。
衛兵たちが城門の外に出て、聞き取りをしてくれた結果、未婚の女子は2000人ほどだったので、そのまま招き入れた。
広大な花壇を案内し、お茶を1杯ずつ供した。
わたしの気まぐれで、イロナとエレノールは大忙しだ。すまん。
さすがに花乙女宮の中までは入り切らないので、花壇で10人くらいずつ、あらためて拝礼を受け、土産に花菓子をひとつずつ持たせた。
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女子たちの感激ぶりも上がった。
そして、空が茜色に染まった頃、ようやく王宮は静穏を取り戻した。
夕闇に染まる貴賓室で、カタリン様がため息を吐かれた。
「……そのお顔は、ご自分の弱点にようやくお気付きになられたってお顔ね。ガブリエラ陛下?」
「ええ……、痛切に」
薄明りのつくる陰影が、エルジェーベト様のやさしげな微笑みを美しく浮かび上がらせていた。
わたしは窓に目を向け、夕陽の落ちた黄昏空のオレンジ色と濃紺の境目を見詰めた。
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ある冬の日に、ローランの上官であり北の地を治める領主ハルシオン公爵が、カレン夫妻の邸にやってきた。
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他愛もない会話と、節度を守ったやり取り。ほんの僅かな時間を重ねていく。
そのうちに、お互いに灯り始めた小さな心の想い。
だが二人は、それを決して明かさず語ることはなかった。
それから一年ほどたった冬の夜。
カレンから届いた手紙に、たった一度だけハルシオンは返事を書く。
そこには彼の想いが書かれてあった。
月日は流れ、カレンとローランが婚姻して三年目の冬の日。
カレンはひとつの決意と想いを胸に、北へ向かう汽車に乗った。
※微さまぁか、もしくはざまぁになっていないかもしれないです。
※舞台は近世・産業革命初頭を基にした架空世界だと思っていただけましたら有難いです。
稚拙な作品ではありますがご覧くださいましたら凄く嬉しいです。よろしくお願い致します。
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