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33.居心地のよき朝
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日が昇り、人獣たちの攻撃が止むと、剣士たちのほとんどは城壁上から撤収する。
ただ、人獣たちが日中は攻撃してこないということには、何の確証もない。「どうやら、そうらしい」という域を出るものではない。現に城壁の外側では無数の人獣たちがウロついている。
いつ何時、日中であろうと攻撃してくるか分からない。限られた人数だけど、剣士たちが歩哨に立って監視している。
俺はシアユンさんだけを伴い、城壁の上で外を睨み付けているフェイロンさんのところに足を運んだ。同時に、城壁の上から、朝日に照らされた人獣たちを、初めて自分の目で確かめた。確かに夜の凶暴さ、獰猛さは鳴りを潜めているけど、充分に怖い。
「フェイロン様。マレビト様がお見えです」
と、シアユンさんが声を掛けてくれた。剣の達人ぶりを何度も見せつけられて、その威厳に気圧されてたので、ありがたかった。
ふむ。と、言ったフェイロンさんが、俺に軽く頭を下げた。フェイロンさんからは、何も言ってくれない。鋭い眼光は、再び城壁の外に向けられている。
「あの……」
と、正直、かなり緊張して口を開いた。フェイロンさんが、俺の方に顔を向ける。ひとつ息を呑んでから、思い切って問いかけた。
「剣士ではない住民も、闘いに加わるっていうのは……、どうでしょうか?」
「シキタリに反しますな」
フェイロンさんは、にべもない。ただ、何の感情も見せなかった。あの、俺のことを激しく睨み付けたオレンジ髪の剣士のことを思い起こすと、少し反応が違う。話は聞いてくれるつもりがあるのかもしれない。
「今日、みんなが石を投げてたのは、どうでした?」
「戦場で石礫が飛んで来ることなど、常あることです」
なるほど。そう整理されてるのか。確かに、あの人獣に石を投げつけたところで「命を奪う」ことは出来ない。それに、どうやら剣士たちに集団戦の概念は、ない。あれを戦闘に参加させたとは考えないのかもしれない。
ひとつ大きく息を吸い込んでから、父親ほどの年齢の、威厳溢れる剣士長に、俺が考えていることを率直にぶつけてみた。
「俺が考えてるのは、狩人の弓です。弓矢を戦列に加えたいです」
「人の命を奪うのは剣士。狩人は鳥獣の命を奪う者です」
「こ、こうは考えられませんか? あいつら、あの顔、あの体、あの爪です。半分は獣と言ってもいい、って?」
という俺の言葉に、フェイロンさんは、ふむと言ったきり、何も応えてくれない。ただ、その視線は眼下をウロつく人獣たちに向けられている。
「フェイロン様。侍女ごときが差し出がましいことですが、私からも一言よろしいでしょうか?」
と、シアユンさんが小さく頭を下げた。
「なんですかな?」
「シキタリには『マレビトの言葉は受け入れよ』とあります。ですが、私は常々、不思議に思っていたことがあります。祖霊はなぜ『マレビトの言葉に従え』と、シキタリを定めなかったのか」
フェイロンさんの目に、興味深げな色が浮かんだ。シアユンさんは、少し間を空けてから口を開いた。
「私は、こう思うのです。マレビト様の言葉をもとに、自分の頭でよく考えることを、祖霊は求めているのではないかと。自分で考え、自分で決める。そのことを、祖霊は訴えているのではないかと思うのです」
と、シアユンさんはいつもの冷静な口調で言った。無理に説得しようというような気配は、微塵もなかった。
けれど、フェイロンさんは、大きく二度三度と頷いて見せた。そして、少し緩んだ口元を開いた。
「弓矢で仕留められたなら、獣。剣で仕留めたなら、人。でしょうな」
認めてくれた。
俺は、そっと胸をなで下ろした。
「ただし、剣士の皆が皆、納得する訳ではないでしょう」
「分かります。俺から、話をさせてもらってもいいですか?」
「……いいでしょう」
「ただ、あの激しくて苦しい戦闘に、迷いがある状態で挑んでもらうことは出来ません」
「ふむ……」
「狩人さんたちに先に話をして、志願してくれる人たちを集めて、準備が全部整ってから、話させてもらいたいと思うんですけど、どうでしょうか?」
「それで結構かと」
あの大浴場での女子たちの大激論を見た限り、きっと剣士さんたちの意見も割れる。結論も出ない。皆さんの意見がまとまってから準備してたのでは、その間ずっと、モヤモヤした気持ちにさせてしまう。……それは、きっと、死に直結してしまう。
気を悪くする人も出てくるだろうけど、一気呵成に始めてしまう以外に、たぶん方法がない。とにかく、全部がギリギリだ。
ふっと、フェイロンさんが俺の耳元に口を寄せた。
「儂もです」
おっさんに耳打ちされたのは初めてだ。なんのことかと思ってフェイロンさんの顔を見ると、さっきまでとは全然違う、柔らかな、いたずらっ子のような笑みを浮かべてる。
「儂も、幼馴染にフラれたのです」
――はあ?
と、変な顔をしてしまった俺が戸惑っているのをよそに、フェイロンさんは姿勢を戻し、元の鋭い視線で城壁の外を睨み付けている。
うん。その話は、また今度、詳しく聞こう。シアユンさんに聞かれたくなかったんですよね? 分かりますよ、その男心。なんなら、分かることにホッとしてます。
朝日に照らされるおっさんは渋くて、俺はちょっとだけ居心地の良さを感じてた――。
ただ、人獣たちが日中は攻撃してこないということには、何の確証もない。「どうやら、そうらしい」という域を出るものではない。現に城壁の外側では無数の人獣たちがウロついている。
いつ何時、日中であろうと攻撃してくるか分からない。限られた人数だけど、剣士たちが歩哨に立って監視している。
俺はシアユンさんだけを伴い、城壁の上で外を睨み付けているフェイロンさんのところに足を運んだ。同時に、城壁の上から、朝日に照らされた人獣たちを、初めて自分の目で確かめた。確かに夜の凶暴さ、獰猛さは鳴りを潜めているけど、充分に怖い。
「フェイロン様。マレビト様がお見えです」
と、シアユンさんが声を掛けてくれた。剣の達人ぶりを何度も見せつけられて、その威厳に気圧されてたので、ありがたかった。
ふむ。と、言ったフェイロンさんが、俺に軽く頭を下げた。フェイロンさんからは、何も言ってくれない。鋭い眼光は、再び城壁の外に向けられている。
「あの……」
と、正直、かなり緊張して口を開いた。フェイロンさんが、俺の方に顔を向ける。ひとつ息を呑んでから、思い切って問いかけた。
「剣士ではない住民も、闘いに加わるっていうのは……、どうでしょうか?」
「シキタリに反しますな」
フェイロンさんは、にべもない。ただ、何の感情も見せなかった。あの、俺のことを激しく睨み付けたオレンジ髪の剣士のことを思い起こすと、少し反応が違う。話は聞いてくれるつもりがあるのかもしれない。
「今日、みんなが石を投げてたのは、どうでした?」
「戦場で石礫が飛んで来ることなど、常あることです」
なるほど。そう整理されてるのか。確かに、あの人獣に石を投げつけたところで「命を奪う」ことは出来ない。それに、どうやら剣士たちに集団戦の概念は、ない。あれを戦闘に参加させたとは考えないのかもしれない。
ひとつ大きく息を吸い込んでから、父親ほどの年齢の、威厳溢れる剣士長に、俺が考えていることを率直にぶつけてみた。
「俺が考えてるのは、狩人の弓です。弓矢を戦列に加えたいです」
「人の命を奪うのは剣士。狩人は鳥獣の命を奪う者です」
「こ、こうは考えられませんか? あいつら、あの顔、あの体、あの爪です。半分は獣と言ってもいい、って?」
という俺の言葉に、フェイロンさんは、ふむと言ったきり、何も応えてくれない。ただ、その視線は眼下をウロつく人獣たちに向けられている。
「フェイロン様。侍女ごときが差し出がましいことですが、私からも一言よろしいでしょうか?」
と、シアユンさんが小さく頭を下げた。
「なんですかな?」
「シキタリには『マレビトの言葉は受け入れよ』とあります。ですが、私は常々、不思議に思っていたことがあります。祖霊はなぜ『マレビトの言葉に従え』と、シキタリを定めなかったのか」
フェイロンさんの目に、興味深げな色が浮かんだ。シアユンさんは、少し間を空けてから口を開いた。
「私は、こう思うのです。マレビト様の言葉をもとに、自分の頭でよく考えることを、祖霊は求めているのではないかと。自分で考え、自分で決める。そのことを、祖霊は訴えているのではないかと思うのです」
と、シアユンさんはいつもの冷静な口調で言った。無理に説得しようというような気配は、微塵もなかった。
けれど、フェイロンさんは、大きく二度三度と頷いて見せた。そして、少し緩んだ口元を開いた。
「弓矢で仕留められたなら、獣。剣で仕留めたなら、人。でしょうな」
認めてくれた。
俺は、そっと胸をなで下ろした。
「ただし、剣士の皆が皆、納得する訳ではないでしょう」
「分かります。俺から、話をさせてもらってもいいですか?」
「……いいでしょう」
「ただ、あの激しくて苦しい戦闘に、迷いがある状態で挑んでもらうことは出来ません」
「ふむ……」
「狩人さんたちに先に話をして、志願してくれる人たちを集めて、準備が全部整ってから、話させてもらいたいと思うんですけど、どうでしょうか?」
「それで結構かと」
あの大浴場での女子たちの大激論を見た限り、きっと剣士さんたちの意見も割れる。結論も出ない。皆さんの意見がまとまってから準備してたのでは、その間ずっと、モヤモヤした気持ちにさせてしまう。……それは、きっと、死に直結してしまう。
気を悪くする人も出てくるだろうけど、一気呵成に始めてしまう以外に、たぶん方法がない。とにかく、全部がギリギリだ。
ふっと、フェイロンさんが俺の耳元に口を寄せた。
「儂もです」
おっさんに耳打ちされたのは初めてだ。なんのことかと思ってフェイロンさんの顔を見ると、さっきまでとは全然違う、柔らかな、いたずらっ子のような笑みを浮かべてる。
「儂も、幼馴染にフラれたのです」
――はあ?
と、変な顔をしてしまった俺が戸惑っているのをよそに、フェイロンさんは姿勢を戻し、元の鋭い視線で城壁の外を睨み付けている。
うん。その話は、また今度、詳しく聞こう。シアユンさんに聞かれたくなかったんですよね? 分かりますよ、その男心。なんなら、分かることにホッとしてます。
朝日に照らされるおっさんは渋くて、俺はちょっとだけ居心地の良さを感じてた――。
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