【完結】側妃のわたしが王子を地下に匿い、王位に就けます! でも、真の敵は姉でした。

三矢さくら

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1.地下の密室、ふたりきり

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晩秋の涼風から隔絶された、せまい地下の密室。意識の戻らないアーヴィド王子の荒い呼吸音だけが響く。

側妃であるわたしの離宮で、秘密の小部屋にふたりきり。

危急のとき一時的に身を隠すための空間には、ソファ替わりの粗末なベッドがひとつ置いてあるだけ。

アーヴィド王子のすらりとした長身がベッドいっぱいに伸び、手当てで服を脱がせた厚い胸板が、荒く上下する。

深手を負っていたアーヴィド王子に、応急処置は施した。けれど、王子の命は生死のはざまで激しく揺らめいている。

いつもは優しげで天真爛漫なアーヴィド王子の整った顔立ちは苦悶の色に染まり、口に水を含ませても吐き出してしまう。


「……死んじゃうよ?」


耐え切れずに声をかけ、むき出しの厚い胸板にそっと指先をあてる。

年老いた国王の、第3王子。

アーヴィド王子は、わたしより4歳年上なだけの22歳。

無実の罪を着せられ、この地下室を出ればたちまち捕縛され、処刑されてしまう。

水を拒むのは、生きることに絶望したからなのか。


「わたしを生かしておいて、先に逝こうとするなんて、……ひどいわ」


わたしは水差しを両手で持ち上げ、自分の口に直接あてる。

これで最期なのだというのなら、わたしの望みをひとつだけ叶えてほしい。

王子の額に手をやりレモンブロンドの前髪をかきあげ、美しいお顔をのぞき込む。

唇を重ねる。

目を閉じて、すこしずつ王子に溶かし込むように、わたしの舌を王子の口のなかへと進ませ、唇を開かせる。

そしてゆっくりと、わたしの頬に蓄えた水を王子の口のなかへと移してゆく。


――あ。


王子のやわらかな舌先が、わたしの舌に触れたかと思った次の瞬間、


――ゴクリ。


王子の喉から、かすかな音が漏れた。

意識のない王子と唇を重ねたまま、安堵の涙がひと筋、ほほを伝った。

味方のいない王宮で、ひとり震えていたわたしを生かしてくれたのは、4つしか歳の違わない義理の息子、この第3王子アーヴィド殿下だった。

今度はわたしが王子を生かす番だ。


   Ψ Ψ Ψ


にぶい銀色をした鎧に身を包む髭モジャの大男が、ニヤニヤと下卑た視線でわたしを見下ろし、8つ歳上の姉トゥイッカがほそい両腕でギュッと抱き締めてくれていた。

わたしが10歳、姉が18歳の冬。

族長の娘だったわたしたちは、侵略してきた王国軍への降伏の証しとして差し出されることになった。

おおきな身体をした敵兵に取り囲まれて、どこかに連れて行かれる。

すっかり葉の落ちた樹々の間を、寒風に吹き付けられながら歩く。

姉はわたしを励ますように手を強く握りしめてくれるのだけど、その指先は冷たく冷え切っていた。


「大丈夫だからね。ヴェーラのことは、お姉ちゃんが守るから……」


と、わたしの名を呼ぶ姉の声からはいつもの快活さが消え、すこし震えていた。

見あげた姉の顔は青ざめていて、族長の長女として兵士を率いることもあった勇敢で凛々しい面影も消えている。

いつものポニーテールをほどいた姉のアッシュブラウンの髪も、わたしのココアブラウンの髪も、風に吹かれて荒く舞っていた。

わたしの物心がついたときには既に始まっていた戦争。それが終わったことに、わたしは現実感を持つことができなかった。

いや、部族を存亡の危機に陥れた戦争は、わたしたち姉妹ふたりだけに封じ込められたのだ。

部族の戦争は終わり、わたしと姉の戦争は終わらない。

どれほど歩かされたのか、やがて金ピカの鎧を着た男のまえで膝を突かされた。

棒のようになった脚をうまく動かせず、わたしは転げるように跪いた。

金ピカの男はたくさんの兵士に囲まれながら、ひとり豪勢な料理を食べている。

わたしたちを威丈高に囲んでいた大男たちが皆、金ピカの男に怯えるかのように身体を小さくたたんだ。


「なんだ、女ではないか」


チラッとわたしたちを見た金ピカの男が、食事の手を止めることもなく不機嫌そうに吐き捨てる。

金ピカの男が放つ、暴風のような威圧感。

わたしは気を失ってしまうのではないかというほどに恐れ慄き、身を堅くした。


「それが、陛下……。人質を出そうにも族長の息子たちは皆、戦で死んでしまったとのことにございまして……」


3人いたわたしの兄、姉の弟はみんな、こいつらに殺された。

取り囲む屈強な男たちが、ひとり食事の手を止めない金ピカの男の言葉を待っている。

わたしたちレトキ族に、理不尽な侵略をしてきたギレンシュテット王国の国王。

この男の言葉に、部族の運命も、わたしと姉の命も握られているのだと理解できた。

不満そうに顔をあげた国王の顔には深いシワが刻まれいて、だけど目付きは鷲のように鋭かった。

姉とふたり馬車に乗せられ、部族の住む山々と王土の境、ふかい渓谷にかけられた大きな石橋を渡った。


――もう、戻れないんだ……。


と、泣きそうになるわたしの手を、姉がギュウッと握り締めてくれた。


わたしは10歳とまだ幼かったけれど、

あの老いてなお精悍な国王に、わたしも姉もいずれ慰み者にされるのだと、理解していた。

けれど、それで愛する部族のみなは平穏な生活を取り戻すことができるのだ。


   Ψ


白亜の王宮に一室を与えられ、身体をきつく締めつけるドレスを着せられた。

姉とは引き離され、わたしを見下すメイドたちから作法をうるさく仕込まれた。

料理は口にあわなくていつも吐き出しそうになったし、ピカピカの王宮がいくら広くても、山野を駆けて育ったわたしには窮屈で仕方なかった。

それでも、いつも命の危機を感じて暮らしていた頃に比べたら、いくぶんマシな生活だと自分を慰めた。


「あら、いたんですか?」


と、後ろからぶつかられ、転んだわたしをクスクス笑うメイドたち。

ギュウギュウと腰を締めつけるドレスのベルトが苦しくて呻き声を漏らすと、


「ドレスもまともに着れないとは。これだから蛮族の娘は」

「王宮ではなく地下牢にでも押し込めておけばいいものを」

「ほんとに見苦しい、日に焼けた肌。粗野がこちらにまでうつりそう」

「なんでこんな娘の世話を私たちが」


わたしを疎む大人の女の人たちに蔑まれ小突かれ、罵られる。

わたしを大事にしてくれる人は誰もいない。

メイドたちが休憩している間は、ひとり中庭に出た。

まえを向いていると、楽しそうにお喋りしてる貴族のお姉さんやお兄さんたちの笑顔が目に入ってしまう。

だから、いつも空を見あげた。

とおく北にあるわたしの故郷。部族のみんなはどうしているだろう。戦争の間に放牧しているトナカイもずいぶん数を減らしてしまった。みんなちゃんとご飯を食べられているだろうか。

部屋を分けられ、会うことのできない姉トゥイッカはひどい目にあっていないだろうか。

涙がこぼれそうになったとき、わたしの視界をニュッとキレイな顔が覆った。


「やあ、キミがヴェーラ?」

「あ……、はい」


人質の娘が珍しいのか、ニヤニヤと見物に来る貴族たちの、わたしを蔑む視線にはもう慣れていた。

だけど、その少年はニコニコと親しみを感じさせる笑顔でわたしを見詰める。

真っ白な肌に、宝石のように青い瞳。陽光に透ける髪の毛がレモン色に美しく輝いていた。


「ボクはアーヴィド。この国の第3王子だ」


そう言うと、アーヴィド王子はわたしの隣に腰をおろした。


「ヴェーラたちが来てくれて、戦争が終わった。寂しいだろうけど、ボクたちが仲良くしてれば、もう戦争は起きないよ」


王宮に入ってから初めて、やさしい言葉をかけてもらった。

それも、わたしがいちばん聞きたかった言葉だ。


――戦争は起きない。


わたしがあの恐ろしい国王に耐え、メイドたちからぞんざいに扱われひとり寂しくとも、それで部族のみなが戦争に怯えることはなくなる。

族長の娘として人質の役目を果たせている。顔は見れなくとも、わたしはみなの役に立っている。


「ほんとう?」


と、聞き返すわたしの目から涙がこぼれた。

それに慌てたのか、アーヴィド王子はポケットから小さな石をとりだし、わたしの手に乗せてくれた。


「石じゃない、飴だよ」

「……飴? 飴ってなに?」

「口に入れてごらん。おいしいよ?」


恐る恐る口に入れると、ふわっと甘さが広がった。

初めて味わう甘さに目を丸くするわたしに、アーヴィド王子が目をほそめた。


「頑張ったね、ヴェーラ」


穏やかで優しげな表情。

天真爛漫な笑顔に、わたしもぎこちなく微笑みを返すことができた。

世界に優しさというものが存在していたことを、わたしに思い出させてくれた。


   Ψ


その日の夕食時、ふらりとアーヴィド王子がわたしの部屋に姿を現した。

わたしに笑顔を見せたことなどないメイドたちが「あらあら、まあまあ」と媚びるように迎え入れる。


「夕食時に悪いね、ヴェーラ」

「う、ううん……」

「まあ!」


と、太ったメイド長が金切り声をあげた。


「アーヴィド殿下に対して、なんという口のきき方! ……申し訳ございません、殿下。あとでキツく叱っておきますので……」

「かまわぬ。ヴェーラはまだ子どもではないか」


そう言うアーヴィド王子の声は低く、メイド長を押し黙らせる威厳を放っていた。

戦死した三番目の兄と同い年だという14歳の王子が、やはりあの恐ろしい国王の息子なのだと、わたしの心胆も震え上がった。


「せっかくだから、ボクもヴェーラと夕食をいただこうと思ってね」


と、アーヴィド王子の手がわたしの前の皿に伸びると、メイド長が慌てた。


「で、殿下……、すぐに料理の用意を……」


それにかまわず、アーヴィド王子は手づかみにつまんだ肉片をパクッと口にいれるや、ペッと床に吐き出した。


「こんなことだろうと思った」

「で、殿下、これは……」


整った顔立ちに怒気を浮かべるアーヴィド王子と、狼狽するメイドたち。

わたしはなにが起きているのか分からず、ただ茫然としていた。
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