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22.油断していた
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ギレンシュテット王国の先代国王、偉大なるオロフ王の毒殺を企てたテオドール。
それに共謀したニクラスとアーヴィド。
すでに王室から除籍され、王子ではなくなった大逆の謀反人たち。
彼らを罵り、追討を誓うことは、王国貴族たちが王国への忠誠を証す、重要な儀式と化していた。
もしも、肩を持つような態度を見せれば、どこからともなく黒狼の騎士が現れる。
査問にかけられ、粛清の対象となる。
それを知らない訳でもないのに、つい油断してしまった。
きっと、令息たちのくだらないお喋りに飽きて、楽しみにしてるふたり舞踏会のことを考えていたからだ。
アーヴィド王子の胸に抱かれ、泉のほとりで踏むステップのことを考えていた。
そこに、アーヴィド王子を罵る言葉が耳に入り、ついムッとした。
つい、反論してしまった。
サロンに集う令息たちが空気を凍りつかせて、わたしを凝視している。
首筋にヒヤリとしたものを感じる。
どう取り繕ったものか、頭が回らない。
もとは小さな山荘でしかないわたしの離宮に、応接室や貴賓室まではなく、茶会をひらくのに謁見室では様にならないので、
わたしの居室を使っている。
つまり、扉を開けば狩り小屋があり、その地下にはアーヴィド王子がいらっしゃる。
ながく感じられた沈黙だけど、実際は数瞬といったところだっただろうか。
「さすがは白太后ヴェーラ陛下」
と、なめらかでムラのない声がした。
声の主に目だけ向けると、黒髪をながく伸ばし、スラリとした体格の貴公子がテーブルに手をついて立っていた。
たしか……、伯爵家の令息。
「……オロフ王の清らかなる愛情を象徴されるお方に、われら王国貴族が誓うのは、飽くまでも追討。討ち果たすべき大罪人に野垂れ死になどさせては、王国貴族の名に泥を塗る行いだと仰せにございますな?」
「はて? ……ほかにどのような意味が?」
わたし史上、最大にとぼけた。
この黒髪をした伯爵令息……、そうだ、たしか、エルンスト……、オクスティエルナ伯爵家の次男、
エルンスト・オクスティエルナ。
ということは、たしかアーヴィド王子と同世代だったはず。もっと上に見えたけど、23歳か24歳といったところ。
その黒髪のエルンストが、やれやれというように端正な顔を左右に振った。
「われらがあげるべきは野犬の糞ではなく、謀反人の首。まこと、追討に怯み、野垂れ死にを願うがごとき誤解を生む発言、白太后陛下に恥じねばなりませんぞ?」
「いや、これは確かに……」
と、アーヴィド王子を罵った令息が、あたまをかいた。
「必ずや大逆の謀反人めの首をあげ、清らかなる白太后陛下の御前にお捧げいたしましょうぞ」
「お勇ましいこと。泉下のオロフ陛下もお喜びになられましょう……」
と、扇で口元を覆い、目を伏せた。
――あ……、危なかった。
内心では胸を撫でおろしつつ、亡き国王、亡き夫を想い、悼んでいる顔をつくった。
居室にみちみちに入っている令息たちの空気はゆるみ、夫を亡くして間もないわたしに同情する空気が流れた。
わたしも、美貌の王太后の妹だ。
本気をだせば、そこそこ、やれる。
エルンストの出した助け船は、かなり強引ではあったけど、ともかくわたしは危地を脱した。
――それにしても、うら若き乙女を前にして糞はないだろう、糞は……。
と、思わないでもないけど、助けられた身だ。不満は忘れ、感謝だけ残す。
令息たちの話題は夏の終わりにひらかれる闘技会のことに移り、剣筋がどうの、間合いがどうのと盛り上がっている。
呼吸を整えて目をひらき、微笑みながら皆の話に耳を傾ける。
――みなさん、いつまでも男の子ですのね。
という顔をしておく。
だいたいこれで、みんな気分良く過ごしてくれる。
チラッと、エルンストのよく目鼻立ちの通った顔を窺うと、素知らぬ様子でお茶を飲んでいた。
闘技会の話には興味のない様子で、退屈そうにも見える。
――どちらかと言えば、文官型かな?
と思いながら、視線を戻す。
エルンストがわたしに、助け船を出してくれた意図は分からない。
ただ、助かった。
黒髪のエルンストのことは、わたしの中につよく印象がのこった。
Ψ
ほぼすべての王国貴族と周辺諸国から贈られた祝いの品への返礼を終え、ようやく慌ただしい日々にひと区切りついた。
この間もアーヴィド王子のお食事はわたしが運んでいたし、お顔は拝見していた。
だけど、ようやく約束のふたり舞踏会の続きに出かけられたのは、季節がすっかり夏になった頃だった。
「不思議と、隠し部屋のほうが涼しいな」
と、笑われるアーヴィド王子と、泉のほとりでステップを踏んだ。
わたしの腰を抱いていただき、アーヴィド王子の逞しい肩に手をあてる。
そして手を握り合い、ステップを踏む。
もう、これだけを楽しみに頑張ってきた。
アーヴィド王子の踏まれるステップは力強さを増していて、順調に回復されていることが窺える。
あらためて、わたしはアーヴィド王子の御命をお預かりしているのだということに、気を引き締め直した。
あまり離宮に人を招きたくないわたしとしては、喧騒にまぎれて貴族令息たちとの茶会が定例化したのは痛恨事だ。
もちろん、わたしの直臣であるフレイヤとイサクの命も預かっている。
部族のために命を差し出したわたしは、もともと、家臣にはわたしのために命をかけてほしいとは思っていない。
人質の役目とは本来、ふたたび戦争になったとき、見せしめに殺されることだ。
だから、オロフ陛下も当初は族長の跡取りである兄たちを人質に求めていた。
それが、姉トゥイッカを王妃にまでしたのは、
「……ボクの母上の面影を、トゥイッカ陛下に見付けたんだって」
と、アーヴィド王子に教えていただいた。
アーヴィド王子の御母君。先代王妃イングリッド様。
ご次男であるニクラス殿下を21歳でお産みになられた24年後に、45歳でアーヴィド王子をお産みになられ亡くなられた。
「父上はね、母上のことが大好きだったんだよ」
「へぇ~」
「テオドール兄上もニクラス兄上も、全然似てないって言うんだけどね」
御母君のことを肖像画でしかご存知ないアーヴィド王子は、すこし寂しげに笑われた。
暴虐の王だけが姉トゥイッカに見ていた、溺愛した亡き王妃の面影。
アーヴィド王子もイングリッド様の面影を色濃くのこすと聞いていたけれど、姉とアーヴィド王子に共通点は見つけられない。
オロフ陛下のなかだけに、愛妃イングリッド様に通じるなにかがあったのだろう。
それが、姉にだけ労苦を背負わせ、わたしを守ってくれていたのかもしれない。
いや、姉の肢体にご執心だった暴虐の王だ。
いざというとき見せしめで血祭りにあげる人質は、わたしだけでいいと思っていたのかもしれない。
だからこそ、姉はわたしを離宮に逃がしたのかもしれない……、
いまさら、考えても仕方のないことだ。
いずれにしても、族長の娘に生まれ、部族を愛するわたしに、逃げるという選択肢はなかった。いまもない。
人質の務めを果たすほかない。
命を預ける重み、命を握られる重みをよく知るわたしが、気をゆるめて油断している場合ではない。
わたしが査問にかかれば、離宮は黒狼騎士団によって徹底的に調べられるだろう。
ミアには見付けられない隠し部屋の入口も、シモンのほそい切れ込みのような目には見抜かれるかもしれない。
うかつなひと言でアーヴィド王子の御命を危険に晒したことに、唇を噛んだ。
――はやく、アーヴィド王子の追討令を取り消させる方法を考えないと……。
気持ちは焦るけど、隙も見せられない。
アーヴィド王子の踏まれた鋭いステップに合わせ、わたしはクルリと軽やかにターンした。
Ψ
アーヴィド王子は泉で沐浴され、ダンスでかいた汗を流される。
――わたしも一緒に……、生まれたままの姿で……、キャッ。
なーんて、心のなかでだけ遊ぶのだけど、それはさすがに一線を超えている。
アーヴィド王子の王室復帰を願うわたしは、側妃と王子という、わたしたちの間に引かれた一線を守らなくてはいけない。
もちろん、アーヴィド王子も、
――こっちにおいで。冷たくて気持ちいいよ?
とは、仰られない。
……仰られたら、どうしよう。
いやいや、なにを考えているんだか。
上着だけ脱いで、布巾で汗をぬぐった。
フレイヤが選んでくれた、コットン素材の白いノースリーブが森を抜ける風に涼しくて爽やか。
肩口にはちいさなフリルがあしらわれていて、まるで蝶々の羽のようにヒラヒラと揺れていた。
泉からあがられたアーヴィド王子と、木陰に寝転ぶ。
「もうすっかり、お身体は元に戻られたみたいですね」
「いや、まだまだだね」
「ふふっ。まだ鍛えられるんですか?」
俗世の喧騒から隔絶された、穏やかな時間。
泉は、方向感覚を失いやすい迷路のような岩場に囲まれた窪地になっていて、さらに背のたかい樹々が繁っている。
もし、黒狼騎士団が山狩りに入っても、この泉を見付けるのには骨が折れるはずだ。
獲物の鹿を追い込んでいるうちに、偶然見つけた、わたしの聖域のような場所だ。
「ふふっ……。樵にでも生まれ変わった気分だよ」
夏の濃い緑色をした葉っぱ越しに空を見あげるアーヴィド王子が、楽しそうにつぶやかれた。
「いいですわね、樵」
もしも、わたしとアーヴィド王子が樵に生まれていたら、どんな出会い方をしてたんだろう。
いや、樵同士として出会っていたら……。
「奥さんにしてもらえたかなぁ……」
油断していた。ゆるんでいた。
いや、浮かれていたんだ。
口を突いて出た自分の言葉に、全身を硬直させてしまう。
こっちも、誰にも知られてはいけない、心の奥底に仕舞い込んでいたはずの秘密だったのに。
気付かれただろうか。
アーヴィド王子に、わたしの気持ちを知られてしまっただろうか。
となりに寝そべるアーヴィド王子が、ごろりと身体をわたしの方に向けられた。
わたしは風に揺れる葉っぱを見詰めたまま動けず、暑さのせいではない汗が、こめかみをつたっていくのを感じた。
それに共謀したニクラスとアーヴィド。
すでに王室から除籍され、王子ではなくなった大逆の謀反人たち。
彼らを罵り、追討を誓うことは、王国貴族たちが王国への忠誠を証す、重要な儀式と化していた。
もしも、肩を持つような態度を見せれば、どこからともなく黒狼の騎士が現れる。
査問にかけられ、粛清の対象となる。
それを知らない訳でもないのに、つい油断してしまった。
きっと、令息たちのくだらないお喋りに飽きて、楽しみにしてるふたり舞踏会のことを考えていたからだ。
アーヴィド王子の胸に抱かれ、泉のほとりで踏むステップのことを考えていた。
そこに、アーヴィド王子を罵る言葉が耳に入り、ついムッとした。
つい、反論してしまった。
サロンに集う令息たちが空気を凍りつかせて、わたしを凝視している。
首筋にヒヤリとしたものを感じる。
どう取り繕ったものか、頭が回らない。
もとは小さな山荘でしかないわたしの離宮に、応接室や貴賓室まではなく、茶会をひらくのに謁見室では様にならないので、
わたしの居室を使っている。
つまり、扉を開けば狩り小屋があり、その地下にはアーヴィド王子がいらっしゃる。
ながく感じられた沈黙だけど、実際は数瞬といったところだっただろうか。
「さすがは白太后ヴェーラ陛下」
と、なめらかでムラのない声がした。
声の主に目だけ向けると、黒髪をながく伸ばし、スラリとした体格の貴公子がテーブルに手をついて立っていた。
たしか……、伯爵家の令息。
「……オロフ王の清らかなる愛情を象徴されるお方に、われら王国貴族が誓うのは、飽くまでも追討。討ち果たすべき大罪人に野垂れ死になどさせては、王国貴族の名に泥を塗る行いだと仰せにございますな?」
「はて? ……ほかにどのような意味が?」
わたし史上、最大にとぼけた。
この黒髪をした伯爵令息……、そうだ、たしか、エルンスト……、オクスティエルナ伯爵家の次男、
エルンスト・オクスティエルナ。
ということは、たしかアーヴィド王子と同世代だったはず。もっと上に見えたけど、23歳か24歳といったところ。
その黒髪のエルンストが、やれやれというように端正な顔を左右に振った。
「われらがあげるべきは野犬の糞ではなく、謀反人の首。まこと、追討に怯み、野垂れ死にを願うがごとき誤解を生む発言、白太后陛下に恥じねばなりませんぞ?」
「いや、これは確かに……」
と、アーヴィド王子を罵った令息が、あたまをかいた。
「必ずや大逆の謀反人めの首をあげ、清らかなる白太后陛下の御前にお捧げいたしましょうぞ」
「お勇ましいこと。泉下のオロフ陛下もお喜びになられましょう……」
と、扇で口元を覆い、目を伏せた。
――あ……、危なかった。
内心では胸を撫でおろしつつ、亡き国王、亡き夫を想い、悼んでいる顔をつくった。
居室にみちみちに入っている令息たちの空気はゆるみ、夫を亡くして間もないわたしに同情する空気が流れた。
わたしも、美貌の王太后の妹だ。
本気をだせば、そこそこ、やれる。
エルンストの出した助け船は、かなり強引ではあったけど、ともかくわたしは危地を脱した。
――それにしても、うら若き乙女を前にして糞はないだろう、糞は……。
と、思わないでもないけど、助けられた身だ。不満は忘れ、感謝だけ残す。
令息たちの話題は夏の終わりにひらかれる闘技会のことに移り、剣筋がどうの、間合いがどうのと盛り上がっている。
呼吸を整えて目をひらき、微笑みながら皆の話に耳を傾ける。
――みなさん、いつまでも男の子ですのね。
という顔をしておく。
だいたいこれで、みんな気分良く過ごしてくれる。
チラッと、エルンストのよく目鼻立ちの通った顔を窺うと、素知らぬ様子でお茶を飲んでいた。
闘技会の話には興味のない様子で、退屈そうにも見える。
――どちらかと言えば、文官型かな?
と思いながら、視線を戻す。
エルンストがわたしに、助け船を出してくれた意図は分からない。
ただ、助かった。
黒髪のエルンストのことは、わたしの中につよく印象がのこった。
Ψ
ほぼすべての王国貴族と周辺諸国から贈られた祝いの品への返礼を終え、ようやく慌ただしい日々にひと区切りついた。
この間もアーヴィド王子のお食事はわたしが運んでいたし、お顔は拝見していた。
だけど、ようやく約束のふたり舞踏会の続きに出かけられたのは、季節がすっかり夏になった頃だった。
「不思議と、隠し部屋のほうが涼しいな」
と、笑われるアーヴィド王子と、泉のほとりでステップを踏んだ。
わたしの腰を抱いていただき、アーヴィド王子の逞しい肩に手をあてる。
そして手を握り合い、ステップを踏む。
もう、これだけを楽しみに頑張ってきた。
アーヴィド王子の踏まれるステップは力強さを増していて、順調に回復されていることが窺える。
あらためて、わたしはアーヴィド王子の御命をお預かりしているのだということに、気を引き締め直した。
あまり離宮に人を招きたくないわたしとしては、喧騒にまぎれて貴族令息たちとの茶会が定例化したのは痛恨事だ。
もちろん、わたしの直臣であるフレイヤとイサクの命も預かっている。
部族のために命を差し出したわたしは、もともと、家臣にはわたしのために命をかけてほしいとは思っていない。
人質の役目とは本来、ふたたび戦争になったとき、見せしめに殺されることだ。
だから、オロフ陛下も当初は族長の跡取りである兄たちを人質に求めていた。
それが、姉トゥイッカを王妃にまでしたのは、
「……ボクの母上の面影を、トゥイッカ陛下に見付けたんだって」
と、アーヴィド王子に教えていただいた。
アーヴィド王子の御母君。先代王妃イングリッド様。
ご次男であるニクラス殿下を21歳でお産みになられた24年後に、45歳でアーヴィド王子をお産みになられ亡くなられた。
「父上はね、母上のことが大好きだったんだよ」
「へぇ~」
「テオドール兄上もニクラス兄上も、全然似てないって言うんだけどね」
御母君のことを肖像画でしかご存知ないアーヴィド王子は、すこし寂しげに笑われた。
暴虐の王だけが姉トゥイッカに見ていた、溺愛した亡き王妃の面影。
アーヴィド王子もイングリッド様の面影を色濃くのこすと聞いていたけれど、姉とアーヴィド王子に共通点は見つけられない。
オロフ陛下のなかだけに、愛妃イングリッド様に通じるなにかがあったのだろう。
それが、姉にだけ労苦を背負わせ、わたしを守ってくれていたのかもしれない。
いや、姉の肢体にご執心だった暴虐の王だ。
いざというとき見せしめで血祭りにあげる人質は、わたしだけでいいと思っていたのかもしれない。
だからこそ、姉はわたしを離宮に逃がしたのかもしれない……、
いまさら、考えても仕方のないことだ。
いずれにしても、族長の娘に生まれ、部族を愛するわたしに、逃げるという選択肢はなかった。いまもない。
人質の務めを果たすほかない。
命を預ける重み、命を握られる重みをよく知るわたしが、気をゆるめて油断している場合ではない。
わたしが査問にかかれば、離宮は黒狼騎士団によって徹底的に調べられるだろう。
ミアには見付けられない隠し部屋の入口も、シモンのほそい切れ込みのような目には見抜かれるかもしれない。
うかつなひと言でアーヴィド王子の御命を危険に晒したことに、唇を噛んだ。
――はやく、アーヴィド王子の追討令を取り消させる方法を考えないと……。
気持ちは焦るけど、隙も見せられない。
アーヴィド王子の踏まれた鋭いステップに合わせ、わたしはクルリと軽やかにターンした。
Ψ
アーヴィド王子は泉で沐浴され、ダンスでかいた汗を流される。
――わたしも一緒に……、生まれたままの姿で……、キャッ。
なーんて、心のなかでだけ遊ぶのだけど、それはさすがに一線を超えている。
アーヴィド王子の王室復帰を願うわたしは、側妃と王子という、わたしたちの間に引かれた一線を守らなくてはいけない。
もちろん、アーヴィド王子も、
――こっちにおいで。冷たくて気持ちいいよ?
とは、仰られない。
……仰られたら、どうしよう。
いやいや、なにを考えているんだか。
上着だけ脱いで、布巾で汗をぬぐった。
フレイヤが選んでくれた、コットン素材の白いノースリーブが森を抜ける風に涼しくて爽やか。
肩口にはちいさなフリルがあしらわれていて、まるで蝶々の羽のようにヒラヒラと揺れていた。
泉からあがられたアーヴィド王子と、木陰に寝転ぶ。
「もうすっかり、お身体は元に戻られたみたいですね」
「いや、まだまだだね」
「ふふっ。まだ鍛えられるんですか?」
俗世の喧騒から隔絶された、穏やかな時間。
泉は、方向感覚を失いやすい迷路のような岩場に囲まれた窪地になっていて、さらに背のたかい樹々が繁っている。
もし、黒狼騎士団が山狩りに入っても、この泉を見付けるのには骨が折れるはずだ。
獲物の鹿を追い込んでいるうちに、偶然見つけた、わたしの聖域のような場所だ。
「ふふっ……。樵にでも生まれ変わった気分だよ」
夏の濃い緑色をした葉っぱ越しに空を見あげるアーヴィド王子が、楽しそうにつぶやかれた。
「いいですわね、樵」
もしも、わたしとアーヴィド王子が樵に生まれていたら、どんな出会い方をしてたんだろう。
いや、樵同士として出会っていたら……。
「奥さんにしてもらえたかなぁ……」
油断していた。ゆるんでいた。
いや、浮かれていたんだ。
口を突いて出た自分の言葉に、全身を硬直させてしまう。
こっちも、誰にも知られてはいけない、心の奥底に仕舞い込んでいたはずの秘密だったのに。
気付かれただろうか。
アーヴィド王子に、わたしの気持ちを知られてしまっただろうか。
となりに寝そべるアーヴィド王子が、ごろりと身体をわたしの方に向けられた。
わたしは風に揺れる葉っぱを見詰めたまま動けず、暑さのせいではない汗が、こめかみをつたっていくのを感じた。
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