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46.いまこの道しかない
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立ち上がった男の人の頬はこけ、黒い髭がザンバラに伸びている。
日に焼けた顔の落ち窪んだ瞳が、爛々と輝いていた。
そして、わたしの顔をみて微かに笑った。
今日、レトキ族の皆から、はじめて見た笑顔だった。
「ヴェーラは、俺のことなんか覚えちゃいねぇだろうが」
「え、ええ……、ごめんなさい」
「……俺は、ヴェーラに手当てしてもらわなかったら、この世にいなかった。あの戦争で死んでたんだ」
幼いわたしが手当てした兵士は無数にいる。ジッと目を凝らしたけれど、男の人を思い出すことは出来なかった。
だけど、男の人の瞳には、親しげに懐かしむ穏やかな光があった。
「トゥイッカ陛下……、いや、トゥイッカは手遅れだって、俺のことを見捨てた。だけどヴェーラは諦めずに手当てを続けてくれた」
男の人は、グルリと一座を見渡した。
「……どうせ、ヴェーラに繋ぎ止めてもらった命だ。俺はヴェーラの好きに使ってもらったのでいい」
わたしの後ろで、カチャリと音がした。
スッと、前に出た謎の客将アーヴィ――アーヴィド王子は兜をかぶったまま、上半身の鎧を脱いでいた。
そして、上着の前をはだけさせる。
「ボクもです。……ボクもヴェーラ陛下の懸命な手当てで、命を救われたのです」
バシッとおおきな音を響かせ、アーヴィド王子がご自分の厚い胸板を叩かれた。
肩口から胸にかけて、おおきな傷跡が這っている。
医師にも薬師にも診せられなかった傷跡は、決してきれいな状態ではない。
けれど、アーヴィド王子はまるで誇られるかのように胸を張り、身体をグルっと半回転させみなに見せた。
「皆さんの知る族長の娘ヴェーラは、人質としてギレンシュテット王国に送られてなお、レトキの族長の娘である誇りを守り続けていたのです」
氏族の長たちの何人かが立ち上がった。
どの瞳にも、光が宿っている。わたしを睨むかのように力強く見詰めてくれる。
意志の力が、わたしに押し寄せる。
「お話は、よく分かりました」
ひとりの長が、口をひらいた。
「私どもの女王になっていただきたい」
そして、次々にわたしへの忠誠を誓い、あたまを下げてゆく氏族の長たち。
やがて、戸惑っていたほかの長たちも、意を決したように次々と立ち上がり、声をあげ、あたまをさげてゆく。
――それで、ワシらになにをお命じになられたんですか?
と、最初に声をあげた老齢の長が、わたしをまっすぐに見た。
もう瞳に迷いも淀みも見られなかった。
「……国と言われても、ワシらには何も分かりません。それでもよければ、ワシらの女王になってくださいませ」
わたしは、静かに車座の中心へと歩み出た。
ぬかるんだ地面。
姉トゥイッカにもらった黄色のドレスの裾は、レトキの土で汚れ、そこからクロユリの刺繍が伸びている。
「わたしをレトキの女王と認めますか?」
「はは――っ!!」
約500人の部族のみなが、わたしに向かって一斉にひれ伏した。
「……あるいは、いまよりツラい現実が待っているかもしれません」
わたしの言葉に、みなが顔を伏せたまま耳を傾けている。
――わたしは、みなの命を預かるのだ。
それでも……、姉に徴発され、王国の内乱を鎮める兵として犬死させられるよりは、きっとマシだと、……信じた。
「わたしは約束します。みずから育てたトナカイの肉は、みずからの子どもたちに。みずから獲った魚も、みずからの子どもたちに。女衆の編んだ織物は、子どもたちを寒さから守るために……。子どもたちを飢えさせず凍えさせない国とすることを、レトキの大地に約束します!!」
「お、お……」
魂を震わせるようなうめき声が、そこかしこから聞こえてくる。
グッと、泣きたい気持ちを抑えた。
ここまで部族の者たちの心を折っていたのかと、わたしは初めて、姉を憎んだ。
「叫べ!!」
「お、おおぉ……」
「喚け!! 大地を震わせよ! それでも、レトキの勇士か!?」
「ウ、ウォ――――ッ!!」
顔をあげた皆が、天にむかって吠えた。
「もっとだ! もっと喚け! レトキの大地を取り戻すのだ!!」
ガラにない、わたしの絶叫に男たちが応え、500人の咆哮が、山々に木霊する。
どの瞳も、涙に濡れていた。
わたしは、ついに帰ってきた。レトキの大地に、故郷に帰還した。
わたしの肩に、後ろからそっと手を乗せてくれたアーヴィド王子。
わたしはふり返り、その兜を取った。
「わが夫になる者にして、王国より取った人質です。王国の第3王子、アーヴィド殿下です」
レモンブロンドの髪を揺らし、アーヴィド王子が優雅な所作でお辞儀をした。
そして、悪戯っぽく笑った。
「ヴェーラ陛下が受け継がれる、レトキ族の技に、命を救われた者でもあります」
わたしがアーヴィド王子に寄り添うと、みなが両膝を突いて、あたまを下げた。
レトキ族が捧げる拝礼。
みなに、すべてを理解してもらってはいないだろう。勢いに流された者たちが大半だろう。
それでも、わたしは進むしかない。
姉トゥイッカが奪ったレトキ族の尊厳を奪い返すには、いましかなく、この道しかないのだ。
わたしはレトキの女王になる。
日に焼けた顔の落ち窪んだ瞳が、爛々と輝いていた。
そして、わたしの顔をみて微かに笑った。
今日、レトキ族の皆から、はじめて見た笑顔だった。
「ヴェーラは、俺のことなんか覚えちゃいねぇだろうが」
「え、ええ……、ごめんなさい」
「……俺は、ヴェーラに手当てしてもらわなかったら、この世にいなかった。あの戦争で死んでたんだ」
幼いわたしが手当てした兵士は無数にいる。ジッと目を凝らしたけれど、男の人を思い出すことは出来なかった。
だけど、男の人の瞳には、親しげに懐かしむ穏やかな光があった。
「トゥイッカ陛下……、いや、トゥイッカは手遅れだって、俺のことを見捨てた。だけどヴェーラは諦めずに手当てを続けてくれた」
男の人は、グルリと一座を見渡した。
「……どうせ、ヴェーラに繋ぎ止めてもらった命だ。俺はヴェーラの好きに使ってもらったのでいい」
わたしの後ろで、カチャリと音がした。
スッと、前に出た謎の客将アーヴィ――アーヴィド王子は兜をかぶったまま、上半身の鎧を脱いでいた。
そして、上着の前をはだけさせる。
「ボクもです。……ボクもヴェーラ陛下の懸命な手当てで、命を救われたのです」
バシッとおおきな音を響かせ、アーヴィド王子がご自分の厚い胸板を叩かれた。
肩口から胸にかけて、おおきな傷跡が這っている。
医師にも薬師にも診せられなかった傷跡は、決してきれいな状態ではない。
けれど、アーヴィド王子はまるで誇られるかのように胸を張り、身体をグルっと半回転させみなに見せた。
「皆さんの知る族長の娘ヴェーラは、人質としてギレンシュテット王国に送られてなお、レトキの族長の娘である誇りを守り続けていたのです」
氏族の長たちの何人かが立ち上がった。
どの瞳にも、光が宿っている。わたしを睨むかのように力強く見詰めてくれる。
意志の力が、わたしに押し寄せる。
「お話は、よく分かりました」
ひとりの長が、口をひらいた。
「私どもの女王になっていただきたい」
そして、次々にわたしへの忠誠を誓い、あたまを下げてゆく氏族の長たち。
やがて、戸惑っていたほかの長たちも、意を決したように次々と立ち上がり、声をあげ、あたまをさげてゆく。
――それで、ワシらになにをお命じになられたんですか?
と、最初に声をあげた老齢の長が、わたしをまっすぐに見た。
もう瞳に迷いも淀みも見られなかった。
「……国と言われても、ワシらには何も分かりません。それでもよければ、ワシらの女王になってくださいませ」
わたしは、静かに車座の中心へと歩み出た。
ぬかるんだ地面。
姉トゥイッカにもらった黄色のドレスの裾は、レトキの土で汚れ、そこからクロユリの刺繍が伸びている。
「わたしをレトキの女王と認めますか?」
「はは――っ!!」
約500人の部族のみなが、わたしに向かって一斉にひれ伏した。
「……あるいは、いまよりツラい現実が待っているかもしれません」
わたしの言葉に、みなが顔を伏せたまま耳を傾けている。
――わたしは、みなの命を預かるのだ。
それでも……、姉に徴発され、王国の内乱を鎮める兵として犬死させられるよりは、きっとマシだと、……信じた。
「わたしは約束します。みずから育てたトナカイの肉は、みずからの子どもたちに。みずから獲った魚も、みずからの子どもたちに。女衆の編んだ織物は、子どもたちを寒さから守るために……。子どもたちを飢えさせず凍えさせない国とすることを、レトキの大地に約束します!!」
「お、お……」
魂を震わせるようなうめき声が、そこかしこから聞こえてくる。
グッと、泣きたい気持ちを抑えた。
ここまで部族の者たちの心を折っていたのかと、わたしは初めて、姉を憎んだ。
「叫べ!!」
「お、おおぉ……」
「喚け!! 大地を震わせよ! それでも、レトキの勇士か!?」
「ウ、ウォ――――ッ!!」
顔をあげた皆が、天にむかって吠えた。
「もっとだ! もっと喚け! レトキの大地を取り戻すのだ!!」
ガラにない、わたしの絶叫に男たちが応え、500人の咆哮が、山々に木霊する。
どの瞳も、涙に濡れていた。
わたしは、ついに帰ってきた。レトキの大地に、故郷に帰還した。
わたしの肩に、後ろからそっと手を乗せてくれたアーヴィド王子。
わたしはふり返り、その兜を取った。
「わが夫になる者にして、王国より取った人質です。王国の第3王子、アーヴィド殿下です」
レモンブロンドの髪を揺らし、アーヴィド王子が優雅な所作でお辞儀をした。
そして、悪戯っぽく笑った。
「ヴェーラ陛下が受け継がれる、レトキ族の技に、命を救われた者でもあります」
わたしがアーヴィド王子に寄り添うと、みなが両膝を突いて、あたまを下げた。
レトキ族が捧げる拝礼。
みなに、すべてを理解してもらってはいないだろう。勢いに流された者たちが大半だろう。
それでも、わたしは進むしかない。
姉トゥイッカが奪ったレトキ族の尊厳を奪い返すには、いましかなく、この道しかないのだ。
わたしはレトキの女王になる。
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