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第一章 代筆屋と客じゃない客
第十片 恋人たちの終わり
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代筆屋までロイに送られた後、予約の客が来るまでの間、彼は店の中にいた。朝方戻ってきていたはずのゼンは、すでに出かけたようで家には誰もいない。
「ねぇ、仕事に戻らなくてもいいの?」
ロイは今、店の中で本を読んでいる。代筆屋の店内にあった本だ。
仕事中だろうに、こんなところでサボっていていいのか。私はロイに尋ねた。
「ん?これが仕事だ」
「どういうことよ」
私は仕方なく、二人分の珈琲を淹れてテーブルに置く。
本を読むのが仕事ってどういうことなのだろう。腑に落ちないけれど、構ってもいられない。
私は本棚の埃を取るために、薄い布地でできた布巾を手にする。
しばらくすると、本を手に持ったままロイが話しかけてきた。
「そういえば……アルト・ジャックマンは婚約を破棄したそうだ」
本棚を拭く手を止めて、ロイの方を見た。昨日の今日で、どうしてそうなるのか。不思議には思ったが、「そう」とだけ答えてまた手を動かした。
「わかってたみたいだな。ふたりがうまくいかなくなってたこと」
ロイは掃除を続ける私を見ながら、今朝上司から聞いた話をそのまま伝えてきた。ふたりはルベルトの娘が王都で働くようになった一年前から婚約し、手紙のやりとりで遠距離恋愛をしてきたが、今年に入ってからうまくいかなくなっていたらしい。
代筆屋を訪れなくなったのが二か月前、というからすでに関係性は破綻していたのは間違いない。
ルベルトの娘は、自分たちがうまくいかなくなったのは私のせいだと思いたかったのかもしれない。でも私には、もっと早くからふたりの気持ちは少しずつずれていっていたように思えた。
「そうね。わかっていた。何となくだけれど」
私は手を止めずに、そっけない返事をする。ロイはじっとこちらを見ていた。
何となく気まずくて、私は顔を上げることができなかった。
ルベルトの娘が一生懸命仕事をすればするほど、アルトは自分が必要とされていないような気持ちになり、また彼女の優秀さに劣等感を抱くようになっていた。手紙を書くときによく愚痴っていたから知っている。
男の嫉妬は厄介なものだな、と思う。私はそれをすぐ近くで感じ取っていて、それでもふたりにしあわせになって欲しいと願っていた。これは本心だ。
「ふたりの関係性をつなぎとめることはできなかったのか?」
一年以上、彼らのやりとりを見守ってきた私に対して、ロイが何気なく言い出した。
できるわけない。人の気持ちはその人のものなのに……。
「無理に決まってるじゃない」
それは冷めた声だった。どこか投げやりで少し悲しい、自分でも驚くほど冷めた声が出た。
「恋文指南でも何でも……代筆屋の仕事はお客様の心の中をのぞいて、それを文章として現わすことよ。そこに愛情があればそれを表現できるけど、ないものを生み出すことはできないわ。消えていくものを増やすことも。人に心がある以上……どうしようもないのよ」
私は自分で言っていて、さみしくなって視線を落とした。
でも全部本当だ。ないものは生み出せない。失われていく情熱は、驚くほどその人からするすると零れ落ちていく。
別にあの二人だけじゃない。そんな恋人同士なんて何人も見てきた。
目を伏せて沈黙した私を見て、ロイは静かな声で言った。
「すまなかった。不要なことを聞いた」
ロイが真剣に謝ってきたので、なんだか調子が狂う。私はゆっくりとかぶりを振る。
「あなたが悪いわけじゃない。それに、今回はうまくいかなかったかもしれないけれど、あのふたりだってきっとまた良い人に出会えるわ。誰かに恋をして、その人のために手紙を書くって素敵なことだから。時が経てば思い出になるし、自分の宝物になる。手紙にして相手に贈った言葉は、自分の心の中にずっと残ってるものなのよ?」
私はふっと笑うと、本棚に並ぶ書物を何冊か手に取って移動させた。ロイは本を閉じ、それを仕舞おうとしてすぐ隣に立った。
「あなたが誰かに恋をして手紙を書くときは、しっかり協力させてもらうわね?」
それを聞いたロイは、きょとんとした顔をして私の目を見つめる。ロイのその表情があまりに幼く見えつい笑ってしまった。
「手紙を書きたくなるほどに、誰かに恋したらまた来てね」
私はロイの顔を見上げ、冗談でそう言った。こんな風に誰かと笑ったのは、ゼン以外では久しぶりかも。ロイは、しばらく考えた後、呟くように返事をした。
「……了承した」
「ふふっ。楽しみ」
いつになく自然に笑みが零れる。
こんな風に警戒心なく笑えるのは、ロイが警吏だからかそれとも気安い態度だからか。
ただ、ロイの言った言葉は意味がわからなかった。
「さっそく通うとしよう」
「は?」
用事もないのに来る必要はない。きょとんとしていると、ロイはクツクツと笑って背を向けた。
――カラン
ふたりの耳に、心地よい鐘の音が届く。
「あの、書類の代筆をお願いした者ですが……」
「あ、はい!いらっしゃいませ、こちらへどうぞ」
私はロイのために用意していたカップをさっと手に取ると、やってきた男性をすぐにテーブルに案内する。ロイはそれを見て、客と入れ替わりに扉の方へと向かった。
すれ違いざまに彼は私の肩にそっと手を置き、耳元で囁く。
「また来る」
吐息がかるほどの距離の近さに、耳元を手で押さえ真っ赤になってしまう。
何なの!?知り合って間もないのに、距離が近すぎる!かっこいいと何してもいいの!?
しかし私はすぐに冷静になろうと努め、すでに座って待っている客のために新しいお茶を淹れようとカウンターの奥へと向かった。
「ねぇ、仕事に戻らなくてもいいの?」
ロイは今、店の中で本を読んでいる。代筆屋の店内にあった本だ。
仕事中だろうに、こんなところでサボっていていいのか。私はロイに尋ねた。
「ん?これが仕事だ」
「どういうことよ」
私は仕方なく、二人分の珈琲を淹れてテーブルに置く。
本を読むのが仕事ってどういうことなのだろう。腑に落ちないけれど、構ってもいられない。
私は本棚の埃を取るために、薄い布地でできた布巾を手にする。
しばらくすると、本を手に持ったままロイが話しかけてきた。
「そういえば……アルト・ジャックマンは婚約を破棄したそうだ」
本棚を拭く手を止めて、ロイの方を見た。昨日の今日で、どうしてそうなるのか。不思議には思ったが、「そう」とだけ答えてまた手を動かした。
「わかってたみたいだな。ふたりがうまくいかなくなってたこと」
ロイは掃除を続ける私を見ながら、今朝上司から聞いた話をそのまま伝えてきた。ふたりはルベルトの娘が王都で働くようになった一年前から婚約し、手紙のやりとりで遠距離恋愛をしてきたが、今年に入ってからうまくいかなくなっていたらしい。
代筆屋を訪れなくなったのが二か月前、というからすでに関係性は破綻していたのは間違いない。
ルベルトの娘は、自分たちがうまくいかなくなったのは私のせいだと思いたかったのかもしれない。でも私には、もっと早くからふたりの気持ちは少しずつずれていっていたように思えた。
「そうね。わかっていた。何となくだけれど」
私は手を止めずに、そっけない返事をする。ロイはじっとこちらを見ていた。
何となく気まずくて、私は顔を上げることができなかった。
ルベルトの娘が一生懸命仕事をすればするほど、アルトは自分が必要とされていないような気持ちになり、また彼女の優秀さに劣等感を抱くようになっていた。手紙を書くときによく愚痴っていたから知っている。
男の嫉妬は厄介なものだな、と思う。私はそれをすぐ近くで感じ取っていて、それでもふたりにしあわせになって欲しいと願っていた。これは本心だ。
「ふたりの関係性をつなぎとめることはできなかったのか?」
一年以上、彼らのやりとりを見守ってきた私に対して、ロイが何気なく言い出した。
できるわけない。人の気持ちはその人のものなのに……。
「無理に決まってるじゃない」
それは冷めた声だった。どこか投げやりで少し悲しい、自分でも驚くほど冷めた声が出た。
「恋文指南でも何でも……代筆屋の仕事はお客様の心の中をのぞいて、それを文章として現わすことよ。そこに愛情があればそれを表現できるけど、ないものを生み出すことはできないわ。消えていくものを増やすことも。人に心がある以上……どうしようもないのよ」
私は自分で言っていて、さみしくなって視線を落とした。
でも全部本当だ。ないものは生み出せない。失われていく情熱は、驚くほどその人からするすると零れ落ちていく。
別にあの二人だけじゃない。そんな恋人同士なんて何人も見てきた。
目を伏せて沈黙した私を見て、ロイは静かな声で言った。
「すまなかった。不要なことを聞いた」
ロイが真剣に謝ってきたので、なんだか調子が狂う。私はゆっくりとかぶりを振る。
「あなたが悪いわけじゃない。それに、今回はうまくいかなかったかもしれないけれど、あのふたりだってきっとまた良い人に出会えるわ。誰かに恋をして、その人のために手紙を書くって素敵なことだから。時が経てば思い出になるし、自分の宝物になる。手紙にして相手に贈った言葉は、自分の心の中にずっと残ってるものなのよ?」
私はふっと笑うと、本棚に並ぶ書物を何冊か手に取って移動させた。ロイは本を閉じ、それを仕舞おうとしてすぐ隣に立った。
「あなたが誰かに恋をして手紙を書くときは、しっかり協力させてもらうわね?」
それを聞いたロイは、きょとんとした顔をして私の目を見つめる。ロイのその表情があまりに幼く見えつい笑ってしまった。
「手紙を書きたくなるほどに、誰かに恋したらまた来てね」
私はロイの顔を見上げ、冗談でそう言った。こんな風に誰かと笑ったのは、ゼン以外では久しぶりかも。ロイは、しばらく考えた後、呟くように返事をした。
「……了承した」
「ふふっ。楽しみ」
いつになく自然に笑みが零れる。
こんな風に警戒心なく笑えるのは、ロイが警吏だからかそれとも気安い態度だからか。
ただ、ロイの言った言葉は意味がわからなかった。
「さっそく通うとしよう」
「は?」
用事もないのに来る必要はない。きょとんとしていると、ロイはクツクツと笑って背を向けた。
――カラン
ふたりの耳に、心地よい鐘の音が届く。
「あの、書類の代筆をお願いした者ですが……」
「あ、はい!いらっしゃいませ、こちらへどうぞ」
私はロイのために用意していたカップをさっと手に取ると、やってきた男性をすぐにテーブルに案内する。ロイはそれを見て、客と入れ替わりに扉の方へと向かった。
すれ違いざまに彼は私の肩にそっと手を置き、耳元で囁く。
「また来る」
吐息がかるほどの距離の近さに、耳元を手で押さえ真っ赤になってしまう。
何なの!?知り合って間もないのに、距離が近すぎる!かっこいいと何してもいいの!?
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