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3章
10.偽聖者は教皇に会う《3》
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手首から溢れている、美しい金色の霧が段々と弱まって光を失っていく。
「……ゴート?」
俺が呼び掛けても、いつものように文字を描いて答えてくれない。その手を動かして、感情を伝えようとしてくれない。
初めて貰った好意の言葉なのに、嬉しさが沸いてこない。むしろ身が切られたかのように、心が痛い。目が熱くなって、視界が歪む。ぽたぽたと俺の目から零れ落ちる涙が、ゴートへ降り注ぐ。
ゴートは、俺を好きになってはいけない。傍観者として平等でいなければならない。ゴートは本当に優しくて、いつだって俺のために怒ってくれて、悲しんでくれていたから、彼のために見て見ない振りをし続けていた。
けれど──
「ず、ずっと、知っていたよ」
──知っていた。彼が優しい気持ちを向けてくれていることも、好意を持っていてくれていることも。
──俺の初めてできた友人は、彼であったことも。
「……ッく……っ」
ゴートを俺の頬に押し当てるように抱きしめる。涙がずっと止まらない。苦しくて堪らない。こんなに泣いたことは一度もない。
家族に愛されていないと知った時も、殺されると決まった時も、辛くはあったが悲しくなかった。それはきっと自分にとって大切なものを失うということではなかったからだ。けれど、ゴートは違う。
五歳の時からずっと俺の側にいてくれた、大切な友人。
「ご、ゴート……ゴートッ」
涙で声を詰まらせながら、何度も何度も名前を呼んだ。けれど、ゴートが何かを返してくれることはなかった。
「……そんなに泣いて、可哀想に」
突如聞こえた声に驚き、びくりと肩が震える。声の方向を見ると、床へ倒れこんでいた教皇が上体を起こした。その時の動作はどこか機械的で不気味だ。
ゴートに殴られた教皇の頬は赤くなっており、痛々しい。しかし彼は何事もなかったように先ほどと同じように穏やかに微笑んだ。
「悲しいことでも、ありましたか?」
教皇の何の感情も感じられない声を聞いて、背筋に悪寒が走る。
こいつは、絶対にまともな人間じゃない。
あそこまで強く殴られたのに、苦痛を一切感じていないような態度と動きは明らかに異常だ。
俺は、彼からゴートを守るように自分の胸に押し付けて隠す。その時だった、自分の手の中で小さく何かが動く。
「ッ!」
慌てて手の中を見ると、そこには灰色に変色してしまったゴートがいる。ぴくりとも動かないはずの左手を黙って見続けていると、次の瞬間、その指先が微かに動いた。
「ゴート!!」
逸る気持ちを抑え付けながらしっかりと、ゴートの姿を確認する。確かに金色の霧は小さくなったが、まだ完全に消えていない。さらにゴートの体温はまだ温かい。
俺はその時、先ほどのゴートの文字を思い出す。
「呪いを受けた……」
彼が言っていた呪いは、多分この灰色の何かだろう。きっとこれがゴートが動けなくなった原因で間違いないはずだ。
つまり、これさえどうにか出来ればゴートはまた動き出すということではないだろうか。
そう気づいた瞬間、真っ暗闇の思考に鋭い光が差し込んだように感じた。じわじわと喜びが四肢に伝わっていき、動く力になる。ゴートをしっかりと握りしめながら、俺は立ち上がった。
そして、座り込んだままの教皇を射殺すように睨みつける。
「俺に、近付くな。汚らわしい」
威嚇するように低い声で、冷たく言い放つ。
──ゴートは俺が、絶対に助ける。
ゴートを侵している汚れが何なのかはわからないが、その原因は間違いなく教皇にあるだろう。彼をこれ以上、こちらに近づかせる訳にはいかない。
俺はゆっくりと後退りながらストールを床へ投げ捨てる。そのまま、背後の扉へたどり着くと後ろ手に扉を叩く。
「ここを、開けてくれ! 早く!」
俺一人では開けている間に、教皇に捕まってしまう。外にいる誰かが、開けてくれたらその隙に離れることができるはずだ。
しかし、俺がどれだけ激しく叩いても、扉は開かない。
「無駄ですよ。扉の神官には私が言うまで扉は開けないようにと言いつけてあります」
「な、なんだと?」
「扉の外に貴方を助けようとする人物は、いないということです」
教皇の言葉は、新たな絶望を俺に突きつける。しかし、それを跳ね付けるように声を上げる。
「──フシェン! 頼む、開けてくれ! フシェン、助けてくれ!」
この声はきっと彼には届く。そう信じて腹の底から声を絞り出して、呼び続ける。しかし、それでも扉は動かなかった。
「無駄だと言いましたよ。彼も聖騎士である限り、私の意向には逆らいません」
俺は教皇から目を逸らさず、睨み続ける。彼はそんな視線を気にした様子もなく、ゆっくりと立ち上がった。
俺が逃げようとしているのに、焦る様子はどこにもない。衣服についた汚れを丁寧に払うと、穏やかに微笑んでから、また俺に向かって手を差し伸ばした。
「さあ。祝福を与えましょう」
教皇は一歩一歩、ゆっくりとこちらに近付いてくる。広間に響くその靴音がやけに大きく聞こえ、俺に恐怖を与える。
俺は、扉に体が密着するまで下がるしかできない。
フシェンは本当に来ないのだろうか。もしかして、フシェンもこのことに手を貸していたのだろうか。
いや、違う。そんなことはない。
俺は彼が信じている存在が何かを知っている。彼は教皇に従っている訳ではない、フシェンが信じて従うのは、どんな時も絶対に──。
「何……?」
教皇の顔が初めて穏やかな微笑から怪訝そうな表情に歪む。そして、小さく軋む音が背後から聞こえて、俺は振り返った。
「──レダ」
そこには、あの大扉を一人で押し開けるフシェンの姿があった。
──そうだ。フシェンが従うのは絶対に、自分が信奉する神の声だけなのだから。
「……ゴート?」
俺が呼び掛けても、いつものように文字を描いて答えてくれない。その手を動かして、感情を伝えようとしてくれない。
初めて貰った好意の言葉なのに、嬉しさが沸いてこない。むしろ身が切られたかのように、心が痛い。目が熱くなって、視界が歪む。ぽたぽたと俺の目から零れ落ちる涙が、ゴートへ降り注ぐ。
ゴートは、俺を好きになってはいけない。傍観者として平等でいなければならない。ゴートは本当に優しくて、いつだって俺のために怒ってくれて、悲しんでくれていたから、彼のために見て見ない振りをし続けていた。
けれど──
「ず、ずっと、知っていたよ」
──知っていた。彼が優しい気持ちを向けてくれていることも、好意を持っていてくれていることも。
──俺の初めてできた友人は、彼であったことも。
「……ッく……っ」
ゴートを俺の頬に押し当てるように抱きしめる。涙がずっと止まらない。苦しくて堪らない。こんなに泣いたことは一度もない。
家族に愛されていないと知った時も、殺されると決まった時も、辛くはあったが悲しくなかった。それはきっと自分にとって大切なものを失うということではなかったからだ。けれど、ゴートは違う。
五歳の時からずっと俺の側にいてくれた、大切な友人。
「ご、ゴート……ゴートッ」
涙で声を詰まらせながら、何度も何度も名前を呼んだ。けれど、ゴートが何かを返してくれることはなかった。
「……そんなに泣いて、可哀想に」
突如聞こえた声に驚き、びくりと肩が震える。声の方向を見ると、床へ倒れこんでいた教皇が上体を起こした。その時の動作はどこか機械的で不気味だ。
ゴートに殴られた教皇の頬は赤くなっており、痛々しい。しかし彼は何事もなかったように先ほどと同じように穏やかに微笑んだ。
「悲しいことでも、ありましたか?」
教皇の何の感情も感じられない声を聞いて、背筋に悪寒が走る。
こいつは、絶対にまともな人間じゃない。
あそこまで強く殴られたのに、苦痛を一切感じていないような態度と動きは明らかに異常だ。
俺は、彼からゴートを守るように自分の胸に押し付けて隠す。その時だった、自分の手の中で小さく何かが動く。
「ッ!」
慌てて手の中を見ると、そこには灰色に変色してしまったゴートがいる。ぴくりとも動かないはずの左手を黙って見続けていると、次の瞬間、その指先が微かに動いた。
「ゴート!!」
逸る気持ちを抑え付けながらしっかりと、ゴートの姿を確認する。確かに金色の霧は小さくなったが、まだ完全に消えていない。さらにゴートの体温はまだ温かい。
俺はその時、先ほどのゴートの文字を思い出す。
「呪いを受けた……」
彼が言っていた呪いは、多分この灰色の何かだろう。きっとこれがゴートが動けなくなった原因で間違いないはずだ。
つまり、これさえどうにか出来ればゴートはまた動き出すということではないだろうか。
そう気づいた瞬間、真っ暗闇の思考に鋭い光が差し込んだように感じた。じわじわと喜びが四肢に伝わっていき、動く力になる。ゴートをしっかりと握りしめながら、俺は立ち上がった。
そして、座り込んだままの教皇を射殺すように睨みつける。
「俺に、近付くな。汚らわしい」
威嚇するように低い声で、冷たく言い放つ。
──ゴートは俺が、絶対に助ける。
ゴートを侵している汚れが何なのかはわからないが、その原因は間違いなく教皇にあるだろう。彼をこれ以上、こちらに近づかせる訳にはいかない。
俺はゆっくりと後退りながらストールを床へ投げ捨てる。そのまま、背後の扉へたどり着くと後ろ手に扉を叩く。
「ここを、開けてくれ! 早く!」
俺一人では開けている間に、教皇に捕まってしまう。外にいる誰かが、開けてくれたらその隙に離れることができるはずだ。
しかし、俺がどれだけ激しく叩いても、扉は開かない。
「無駄ですよ。扉の神官には私が言うまで扉は開けないようにと言いつけてあります」
「な、なんだと?」
「扉の外に貴方を助けようとする人物は、いないということです」
教皇の言葉は、新たな絶望を俺に突きつける。しかし、それを跳ね付けるように声を上げる。
「──フシェン! 頼む、開けてくれ! フシェン、助けてくれ!」
この声はきっと彼には届く。そう信じて腹の底から声を絞り出して、呼び続ける。しかし、それでも扉は動かなかった。
「無駄だと言いましたよ。彼も聖騎士である限り、私の意向には逆らいません」
俺は教皇から目を逸らさず、睨み続ける。彼はそんな視線を気にした様子もなく、ゆっくりと立ち上がった。
俺が逃げようとしているのに、焦る様子はどこにもない。衣服についた汚れを丁寧に払うと、穏やかに微笑んでから、また俺に向かって手を差し伸ばした。
「さあ。祝福を与えましょう」
教皇は一歩一歩、ゆっくりとこちらに近付いてくる。広間に響くその靴音がやけに大きく聞こえ、俺に恐怖を与える。
俺は、扉に体が密着するまで下がるしかできない。
フシェンは本当に来ないのだろうか。もしかして、フシェンもこのことに手を貸していたのだろうか。
いや、違う。そんなことはない。
俺は彼が信じている存在が何かを知っている。彼は教皇に従っている訳ではない、フシェンが信じて従うのは、どんな時も絶対に──。
「何……?」
教皇の顔が初めて穏やかな微笑から怪訝そうな表情に歪む。そして、小さく軋む音が背後から聞こえて、俺は振り返った。
「──レダ」
そこには、あの大扉を一人で押し開けるフシェンの姿があった。
──そうだ。フシェンが従うのは絶対に、自分が信奉する神の声だけなのだから。
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