貴族の次男に転生した俺はこの身分を手放して自由を求めて生きていく

陽花紫

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捕まる

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 次の日の仕事帰り。
 俺とアルは、かつて世話になったあの施設へと再び足を向けていた。

 そこでは沈みかけた夕陽が建物の隙間に長い影を落として、昼間の賑わいが嘘であるのように静まり返っていた。
 新しい家を探すため。それだけの理由で、ここへ来たはずでもあった。

 けれど現実は、あまりにも冷たかった。
 空き家がすぐに見つかるはずもなく、あってもすぐに埋まってしまった。
 事情を説明するたびに、相手は気まずそうに首を振るばかりだった。
「……難しいな」
「そうだな」
 互いにそう言いながらも、言葉の奥には焦りが滲んでいた。

 ここを離れなければならないとわかっているのに、行き先がない。
 長い長い、帰り道。
 足取りは、自然と重くなっていた。

 ふと、道の向こうから人影が近づいてくるのが目に入る。
 陽が暮れきったこの時間に、一人きりで。

「……フレイさん?」
 街灯の下に入ったその顔は、確かにフレイのものだった。
「リオさん、アルさん……。こんばんは」
 しかしその声は落ち着いているはずなのに、瞳にはひどく生気がなかった。
 まるで何かを諦めきったような、あるいは何かを心に決めたかのような。

「こんばんは。フレイさん、こんな時間に……」
 アルが声をかけた、その直後だった。
 視界が、突然暗転した。
 足元が崩れて、俺の身は地面に叩きつけられていた。
「リオ!」
 遠くで、アルが俺の名を叫ぶ声がした。

 それだけを最後に、意識は闇へと沈んでいく。

***

 次に俺の目に入ってきたのは、忌々しいほど見覚えのある天井だった。
 淡い色合いに、繰り返される金色の歪な模様。幼いの頃から何度も見せつけられてきた、あの柄。

 ぞわりと、背筋を悪寒が走った。
 やけに柔らかな寝台からこの身を起こして、ふらつきながら扉に手を伸ばした。
 だが外側から鍵をかけられているのか、びくともしなかった。

 その構造が、心の奥底に沈めていた嫌な記憶を呼び覚ます。

 ――間違いない。

 ここは兄の部屋の中に存在する、秘密の小部屋だった。
 さらにこの部屋は、兄が俺を閉じ込めるためだけに使っていた、あの部屋でもあったのだ。
 寝台が一つあるだけの、ひどく狭い空間。
 窓もなく、逃げ道はこの一枚の扉しかなかった。
 悪趣味な兄はよく俺をここへ押し込んで、外から鍵をかけては笑っていた。

「……アル」
 掠れた声で、その名前を呼ぶ。
 だが、返事はなかった。

 扉に耳を当てても、外の物音は何一つとして聞こえなかった。
 不思議なことに、使用人の気配さえもなかた。
 兄は、いつも必要以上に人を周囲に置く男だったはずだ。
 嫌な予感が、胸の奥で膨らんでいく。
 なぜ、兄は俺を探していたのか。なぜ、ここに連れてきたのか。
 考えれば考えるほど、答えは悪い方向へと転がっていく。

「アル……」

 もう一度、その名をこぼした瞬間だった。
 がちゃり、と鍵の外れる音がした。
 俺は咄嗟に口を結んで、表情を失くしたような振りをする。
 重い扉が開いて、大きな影が落ちた。

「久しいな、リオン」
 地を這うような、懐かしさなど欠片もない無機質なその声。
 ばたり、と扉が音をたてて閉まった。

 兄のレオナルドは、記憶の中よりもさらに逞しい体つきをしていた。
 俺の身を覆い隠してしまいそうなほど、恐ろしいまでに鍛え上げられた肩と腕。
 威圧感のあるその身に、臆してしまいそうになる。
 それでも俺は、足に力を込めて立っていた。
「なぜ、地位を捨てた」
 鋭い声が、部屋を打つ。
「なぜ、この屋敷から出ていった」
 黒い革の手袋を外して、兄は俺の手を強く握った。
 その手に目を向ければ、数え切れないほどの傷が走っていた。

 ”剣痕のレオナルド”
 いつしかそう付けられた、血生臭い兄の異名が脳裏をよぎる。

 俺は、その手を振り払うような真似はしなかった。
 ただ、静かに青い瞳を見つめ返すのみ。
 相変わらず、冷たく感情の読めない瞳をしていた。

「なぜ、俺に何も言わなかった」

 沈黙が落ちる。

 今から俺は、その手によって殺されてしまうのだろうか。
 何の理由も分からぬまま。

 脳裏に浮かぶのは、愛しいアルの顔だけだった。
「……何も言わないつもりか!」
 吐き捨てるように叫び、兄は俺の腕を捻り上げた。
「っ……!」
 強い痛みに、思わず声が漏れてしまう。

 そのまま寝台へと押し倒され、力の限り組み伏せられた。
 息が詰まり、肺が悲鳴を上げていた。
「あの男のことが、気になるのか?」
 その言葉に、わずかに肩が震えてしまう。
「アルベルト……だったか。あのような没落貴族と、どこで知り合った」
 けれど決して、答えるようなことはしなかった。
 一言でも吐いてしまえば、それを餌にされるとわかっていたからだ。
 兄の体重が、さらにかかる。骨が軋み、息をすることさえも苦しかった。

 まるでそれを楽しむかのように、片方の手が俺の髪を撫でた。
 嫌悪が、全身を駆け巡る。
「周囲には、親戚だと偽っているそうじゃないか」
 硬く太いその指は、頬から耳へ、そして目元へと這わされていく。
「駆け落ちか?……それとも……」
 低く囁く声が、やけに近くに感じられた。
 ついに額まで上り詰めた頃、俺は浅く息を吐く。

「リオン、何も言えないのか?」
  さらに兄は俺の身を反転させて、この背に寄り添うかのように強くその身を押し付けた。
 あろうことか、何やら大きく張り詰めたものを俺の臀部にあてながら。

「昔はよく、こうして遊んだものだな」

 その言葉とともに、長年封じ込めていた記憶が浮かび上がる。
 忘れたはずの、あの忌々しい過去が。

「リオン、覚えているか?」

 俺は歯を食いしばり、ただ心の中でアルの名を叫び続けていた。
 ここで折れてなるものか、と。
 この先に待つものが何であろうと、俺はもうあの頃の俺ではないのだから。
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