貴族の次男に転生した俺はこの身分を手放して自由を求めて生きていく

陽花紫

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番外編 セドリックが掴んだ幸せ

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 思い返せば、すべては本から始まっていた。

 屋敷の奥にある、陽の当たらない静かな書庫で。
 あの場所で、俺は初めてリオンとまともに言葉を交わしていた。

 同じ年頃の子供たちが、剣だ狩りだと声を荒らげている中で、俺たちはただ黙って本を読んでいた。
 それが不思議と心地よくて、誰かと競う必要も、その力を誇示する必要もなかったんだ。

「この表現、少し大袈裟であるかのように思わないか?」
 そのような俺の呟きに、リオンは本から顔を上げて少し困ったように笑っていた。
「……でも、こういう言い回しがあるから、気持ちが伝わるんだと思うよ」
 その一言で、俺は悟ってしまったのだと思う。

 リオンは、俺とは違う場所を見ているのだと。

 幼い頃から、俺は人よりも鈍かった。
 人の感情を読み取るのも、その場の空気に合わせるのも苦手で、だからこそ本に逃げ込んでいた。
 活字は決して裏切るようなことはなく、確かに理屈が通っていた。
 けれど、リオンは違っていた。
 人の心の揺れを、自然にその身に受け止めていた。
 俺には見えないその景色を、当たり前であるかのように見ていたんだ。

 ――それが、羨ましかった。

 そして、気づけば。
 俺は幼い頃から、ずっとリオンのことが好きだったような気がする。
 それは恋と呼ぶにはあまりにも静かで、穏やかなものでもあった。
 ただ隣にいられることが嬉しくて、同じ本を読んで、同じ感想を語れる時間が愛おしくもあった。

 しかし貴族というこの身分は、それを許してはくれなかった。
 社交、政略、期待。
 長男でもない俺にすら、家名という重荷は容赦なくのしかかってきた。
 日々、息が詰まりそうで。その言葉を失い、いつしか俺は笑うことすら苦手になっていた。

 そのようなある日、ふと気づいた。

 ――何のために、生きているのだろう。

 考えても、答えは出なかった。
 だから、捨てた。
 この身分も、名前も、過去さえも。

 必要最低限の荷物と数冊の本だけを抱えて、俺は旅に出ることにした。

 世界は思ったよりも広く残酷で、それでも楽しみもあって、何より自由でもあった。
 道中で出会う人々は俺が元貴族だと知ることもなく、ただの旅人として気安く接してくれていた。

 その果てに辿り着いたのが、とある商家だった。
 住み込みで働き、金を稼ぎ、そして俺は本に囲まれて生きていた。
 活字に触れている間だけは、心が穏やかなものだった。
 しかしある日、目が霞んだ。そこから、眼鏡をしているというのにこの視力は失われていく。
 本の読みすぎだと、人々は笑っていた。
 それでも俺は、本を読むことをやめなかった。
 本の中に広がる知らない世界だけが、俺の心の拠り所でもあったのだから。

 そのような日々の中で、再会は突然訪れた。
 そこにいいた青年の声は、確かにリオンのものだった。
 いや、今は俺と同じく身分を捨てて、彼はリオと名乗っていた。

 成長しても、その愛らしさは変わらなかった。
 しかし柔らかな雰囲気を纏いながらも、その奥に深い影を抱えていた。
 一目でわかった。
 彼は、たくさん傷ついてきたのだと。

 俺たちは相部屋になり、夜ごと語り合った。
 彼は多くを語りはしなかったけれども、それでも言葉の端々からその痛みが滲んでいた。
 俺は、何も言えなかった。
 慰めるような言葉も態度も、正解が見つからなかった。
 それでも、そばにいたかった。

 ――その心を、癒したい。

 その想いだけが、日に日に強くなっていく。

 いつしか視界は、狭まっていた。
 医者にも、言われていた。この目はいずれ光を失うであろうと。
 だからこそ、焦っていたのかもしれない。

 ある日、気づけば俺は詩を書いていた。
 誰に見せるつもりもなく、ただ心の内を言葉にしただけのもの。
 しかしそれを、リオンに読ませていた。

 リオンの声で、その言葉が聞きたかっただけなのかもしれない。
 けれどその瞬間、この胸の奥は震えていた。

 ――俺は、この声が好きだ。

 リオンの声で、言葉が生きる。その姿も、肌の温もりでさえも。
 触れ合う指先の、確かな感覚も。
 その時、ようやく理解した。
 これは、逃げ場のない恋なのだと。

 好きだと告げた言葉は、情けなく震えていたと思う。
 それでも、後悔はなかった。
 彼は驚きながらも、優しく受け止めてくれていた。

 それ以上は、望まなかった。
 欲しがれば、また彼を傷つけてしまうに違いない。

 だから、ただそばにいるだけに努めていた。
 本を読み、その声を聞き、同じ時間を生きる。
 それだけで、満たされていた。
 この目が見えなくなっても、その声は忘れることがない。

 リオンの声が、俺の生きる喜びそのものでもあるのだから。
 死ぬまで、俺は彼のことを幸せにしたい。
 もう二度と、傷つくことがないように。
 それが、俺の選んだ生き方でもあり幸せでもあった。

END
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