貴族の次男に転生した俺はこの身分を手放して自由を求めて生きていく

陽花紫

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番外編 フレイの恋心

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 あの屋敷で働くことになったのは、父が亡くなってから数年の時が流れた頃だった。

 かつて父が仕えていたその場所から、直々に声がかかったのだ。

「フランに、よく似ているな」

 レオナルド様の口から父の名が出たとき、胸の奥がかすかに温かくなったのを覚えている。
 しかし私は身分も低く、任される仕事も雑多なものばかりであった。
 それでも私は、精一杯この身を尽くして働いた。
 床を磨き食器を洗い、主の機嫌を損ねぬよう言葉を選び、背筋を伸ばして過ごしていた。
 かつて父が、そうしてきたように。
 生前、父は使用人としての何たるかを私に叩き込んでいた。
 私は父のような、貴族の屋敷の使用人になることを夢みていた。

 レオナルド様は、父のことをよく知っている方でもあった。
 時折、思い出したように父の名を口にすることがあれば私はすぐさま側に控えて頭を下げた。

「真面目な男だった」

 その言葉を聞くたびに、誇らしさと同時に、どうしようもない寂しさが胸へと広がる。
 父は、もういない。
 しかしその名は、確かにこの屋敷に刻まれていた。

 いつしか、私はレオナルド様に叶わぬ恋心を抱くようになっていた。
 気高い主と、一介の使用人にしか過ぎないこの私。
 その距離がどれほど遠いものか、理解していなかったわけではない。

 凍てつくようなその青い瞳の奥に、時に垣間見る焦りや孤独。
 その色を目にした瞬間に、私はこの心を奪われてしまっていた。

 しかし、ある日。
 弟を探しているという、その事実を知った瞬間に。
 私の心は凍り付いてしまう。

 ――そのように、誰かを想われることがあるのですね……。

 レオナルド様は弟のことを語るときだけ、言葉を荒らげて理性を失っていた。
 怒りと執着と、そして歪んだほどの愛情。
 それらが入り混ざった声を耳にしたとき、私は悟ってしまう。
 この人の心に、私の居場所はないのだと。
 初めから、なかったのだと。
 その瞬間に、この恋は終わってしまった。


 それから、しばらくした頃のことだった。
 早朝、家の用事で立ち寄ったその雑貨屋で、私は一人の青年と出会っていた。

 素朴で、どこか品のあるその青年。
 こちらを見て驚いたように目を見開き、そして父と私のことを間違えていた。

「……フラン?」

 その呼び名に、胸が震えた。
 しかし決して、不快であるようには思わなかった。
 むしろ懐かしい匂いに包まれたかのような、不思議な安らぎがあったのだ。

 リオさんは丁寧に謝り、照れたように笑っていた。
 その笑顔が、なぜだか忘れられなかった。
 まるで貴族であるような品を持ち合わせながらも、平民の私と同じ感覚を持ち気さくに笑う。
 私はすぐに、彼のことを気に入った。

 それからというものの、私は開店前の雑貨屋に通うようになっていた。
 リオさんは真面目で優しく、けれどどこか寂しげな様子でもあったからだ。
 笑っていても、その瞳の奥にわずかな影を落としていた。
 その姿が、なぜだかレオナルド様のお姿と重なった。
 そしてその隣には、親戚であるというアルさんの姿があった。

 いつしか私は、この恋心を自覚してしまう。
 しかし、現実はあまりにも残酷なものでもあった。
 リオさんこそが、レオナルド様が血眼になって探していたあの弟。リオン様であったのだから。

 その事実を知ったとき、この息が止まるかと思った。
 あの屋敷で、あの方の口から何度も聞かされたその名。
 その名前が、目の前の青年と繋がる。

 それでも私は、声をかけることをやめなかった。
 父の名をあげて、卑しくもその気を引こうとさえしていた。
 運命から目を背けることなど、できなかった。

 ある日ついに、レオナルド様はお心を決められた。

「直ちに、リオンを連れてこい!」

 命じられるまま、私はその身を屋敷へと連れ帰る。
 それが、私の役目だった。
 使用人として、主に従う。それだけのはずであった。
 この役目を終えて、私は屋敷から離れようと考えていた。

 しかし、小部屋の前で見張るようにと声がかかる。
 主の命令には、逆らえない。
 その扉の先に何が待ち受けているのか、どのようなことが行われているのかは使用人の私は知る由もなかった。

 再び、声がかけられた。
 そして扉の先で目にしたものは、この目を覆いたくなるほどに惨い歪んだ愛の残影であったのだ。
 鼻をつくような臭いと、辺りに漂う不快な熱気。
 窓のない小部屋に、寝台が一つ。
 その上に、リオン様は裸のまま横たわっていた。その身は白濁と、噛み跡から流れる赤い血によって穢されていた。

 私は、何もすることができなかった。
 ただその身を清める役を命じられ、涙を堪えながら柔らかな布を握りしめるほかなかった。

 それでも、彼の身に触れてしまえばどうしようもなくこの心は揺れてしまう。

 父の面影を、彼は求めていた。そのことに、私は気づいていた。
 それでも、いいと思った。
 それが私にできる、唯一の愛し方でもあったのだから。

 そして私は、共謀した。
 ほんのわずかな隙、ほんの一度きりの賭け。
 それだけで、運命は静かに動いていく。

 あの短いひととき。
 夜明けの気配の中で、身を寄せ合ったその時間。確かに、私は幸せだった。
 彼は最後まで、父の姿をその目に映していた。
 けれど、それでいい。
 私は、誰かの代わりでもよかった。誰かの面影としてでも、彼の心に触れることができたのなら。
 それが、私の選んだ愛のかたちであるのだから。

 今、私は名前と住む場所を変えて、静かに生きている。
 父の眠る墓を守り、花を供え、日々を穏やかに過ごしていた。
 時折、思い出す。
 茶色の髪に黒い瞳をしたあの青年の、穏やかな声を。
 そして最後に向けられた、かすかな微笑みを。

 ――どうか彼が、幸せでありますように。

 それだけを祈りながら、
 私は今日も、静かに朝を迎えている。

END
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