萎んだ花が開くとき

陽花紫

文字の大きさ
3 / 5

永遠に花開く

しおりを挟む
 時はゆっくりと、流れていた。
 陽の光は少しずつ柔らかくなり、まるで二人の間に生まれた穏やかな時間をそのまま映しているようでもあった。

 クレアは離れの小屋で目を覚ますと、静かにカーテンを開けた。
 露に濡れた草花が、その光を受けて輝いていた。
「おはようございます」
 すぐ近くで声がして、振り返るとライアンが立っていた。
 いつもより、少し早い時間である。
 彼の手には、庭で摘んだばかりの白い花束があった。
「こんなに早く起きて……、また庭の手入れをしていたのね」
「はい。あなたが好きだと言っていた香りの花です。覚えていらっしゃいますか?」
「そうね。よく、覚えていたわね」
 ライアンは照れくさそうに笑い、花束をクレアへと差し出した。
 クレアはそれを受け取り、静かにその香りを吸い込む。
 ほのかな甘さと、少しの苦み。まるで人生の残り香であるかのような落ち着いた匂いであった。

 このようにして過ごす朝が、いつしかふたりの日常となっていたのだ。

 ライアンは日中、多忙な様子でもあった。
 屋敷の書類を片づけたり、客を迎えたり。
 しかしクレアが窓辺に顔を見せると、どれほど疲れていてもその目じりはさらに垂れ下がる。

「今夜は、庭で食事をしませんか?あなたの好きなワインを開けましょう」
 そのような言葉を交わすたびに、クレアの心は少しずつやわらいでいった。
 ライアンが見せる爽やかな笑みは、若さの象徴でもあるようにクレアの瞳に映る。
 輝きに満ちあふれ、まっすぐで曇りがなかった。
 それがあまりにも眩しく思えてしまい、時にクレアは目を背けてしまうこともあった。

***

 ある夜、星がよく見える晩のこと。
 ふたりは庭の縁側に腰を下ろし、静かに空を見上げていた。
「あの星に、見覚えはありませんか?」
 そうライアンが指差したのは、小さな白い光であった。
「……ええ。昔の舞踏会の夜でも、同じ星を見たことがあるような気がするわ」
「その時、あなたが私に声をかけてくれた……」
「そんな昔のこと、よく覚えているわね」
「私にとっては、忘れられない夜なのです。この人生が変わった夜でもありますから」

 クレアは黙って、星を見つめていた。
 遠くでその光が輝き、かすかに消えていく。
「……ねえ、ライアン。あなたの人生を変えたのは私じゃないわ。きっと、時間よ」
「時間?」
「そう。あなたは成長して、強くなって、そして優しくなった。それはあなたの努力の結果よ。私はただの、通りすがりにしかすぎないの」
「それは違います」
 ライアンの声が、強くなる。
「あなたがいなければ、私は、優しくなろうだなんて思わなかったのですから」
 クレアは言葉を失った。
 胸の奥が、じんわりと熱くなる。ライアンの瞳は、まっすぐ自らの身を映していたのだから。
 その真っ直ぐさが、かえって痛くも思えた。

「そう、それは……ありがとう」
 それだけを言って、クレアは視線を落とした。
 白い手に浮かぶ細い血管が、月の光を受けて青く透けて見えた。
 その手を、ライアンはそっと包みこむ。
「とても、冷たい」
「あなたの手が、温かいだけよ」
「私はいつまでも、あなたの身を温めていたい」
 クレアは微笑みながらも、心の奥に小さな恐れを感じていた。

 ――いつまで、彼にこの手を取ってもらえるのだろう。

 ライアンは若く、未来を持っていた。それに比べ、自らはもう過去の人間であるのだと。
 日に日にその皺は増え、髪には白いものが表れていた。
 彼がそれを気にしないと笑っても、時の流れは誰にも止めることはできないのだ。

***

 ある夜、クレアはなかなか眠りにつくことができないでいた。
 離れの小屋の窓辺へと座り、月の光を受けながらそっと鏡をのぞきこむ。
 そこに映るのは、見慣れぬ顔であった。若き頃の輝きは消え、代わりに静かな影が頬をなぞっていた。
 しかし今となっては、その影が嫌いではなかった。
 ただその影が彼の光を曇らせるのではないかと思うと、途端に胸が苦しくなる。

 翌朝、ライアンはいつものように明るい声でその名を呼んでいた。
「クレア、今日は街まで行きませんか?」
「街へ?」
「ええ。少し買い物を。それに、新しい布地を見に行かなくては」
「でも、私はもうそんな華やかな場所には……」
「似合いますよ。誰よりも」
 その一言に、クレアの胸の奥は震える。
 彼は、いつだってそうであったのだ。彼女が壁を作ろうとすると、静かにそれを壊してしまう。その優しさで、まっすぐな眼差しで。

***

 街へ向かう馬車の中、クレアは窓から外を眺めていた。
 道を歩く若い娘たちが、笑いながら鮮やかに咲く花を買っている。かつては彼女も、あの中にいたのだ。
 今はもう、遠い風景であるかのように見えてしまう。
「……ねえ、ライアン」
「はい」
「あなたは、後悔しない?」
「何をですか?」
「もっと若い人と出会う機会を、私なんかのせいで失ってしまうことを」
「そのようなこと、考えたこともありませんね」
 その言葉に、クレアはかすかな笑みを浮かべる。
「でも、人はきっと言うわ。どうしてあんな年上の女を、って」
「人の言葉より、私はあなたの言葉がほしい」
「私は……、怖いのよ。いつかあなたが私を置いていってしまうんじゃないかって」
 その言葉を聞いたライアンは、クレアに向けて静かに手を伸ばした。
 馬車の中、彼女の指先をそっと握る。
「置いていきませんよ。あなたは、私の花なのですから」
「花?」
「冬の庭に咲いた、最初の花。誰も気づかない場所で咲いて、それでも確かに光を求めていた」
 クレアの目に、その光がにじむ。
 言葉にならない想いが、胸の奥へと溢れてくる。

 馬車が止まる頃、クレアは静かにライアンの肩へと寄りかかる。
「ライアン」
「はい」
「あなたに会えて、よかったわ」
「私も、あなたに会うために今日まで生きてきました」
 その言葉に、クレアの唇がかすかに震えた。
 年齢の差は、消えることはない。しかし心が重なる瞬間だけは、その時の流れも止まるのだと知った。


 屋敷に戻ると、空は茜色に染まっていた。
 クレアは花束を抱え、離れの部屋へと戻る。花瓶に水を入れ、一輪の花をそっと挿した。

 甘い香りを胸に吸い込んで、クレアは微笑んだ。
「まだ、開いていけるのかしらね……」
 その呟きに、背後からライアンの声が重なる。
「ええ。あなたが私を信じてくださるのなら、いつまでも」
 クレアは振り向き、そっとライアンの広い胸に顔を埋めた。
 その鼓動は、穏やかに響く。まるで時の音そのものであるかのように、深く、優しく。

 時の流れは、二人を隔てるものではなかった。
 それは二人を、ゆっくりとひとつにしていく見えない糸のようなものでもあったのだ。

 外では風が吹き、花々が揺れていた。
 その中で、クレアの胸の奥の花も静かに息づいていた。ゆっくりと、確かに。
 彼女の時は、ようやく彼と同じ歩幅で進み始めていたのだ。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

狼隊長さんは、私のやわはだのトリコになりました。

汐瀬うに
恋愛
目が覚めたら、そこは獣人たちの国だった。 元看護師の百合は、この世界では珍しい“ヒト”として、狐の婆さんが仕切る風呂屋で働くことになる。 与えられた仕事は、獣人のお客を湯に通し、その体を洗ってもてなすこと。 本来ならこの先にあるはずの行為まで求められてもおかしくないのに、百合の素肌で背中を撫でられた獣人たちは、皆ふわふわの毛皮を揺らして眠りに落ちてしまうのだった。 人間の肌は、獣人にとって子犬の毛並みのようなもの――そう気づいた時には、百合は「眠りを売る“やわはだ嬢”」として静かな人気者になっていた。 そんな百合の元へある日、一つの依頼が舞い込む。 「眠れない狼隊長を、あんたの手で眠らせてやってほしい」 戦場の静けさに怯え、目を閉じれば仲間の最期がよみがえる狼隊長ライガ。 誰よりも強くあろうとする男の震えに触れた百合は、自分もまた失った人を忘れられずにいることを思い出す。 やわらかな人肌と、眠れない心。 静けさを怖がるふたりが、湯気の向こうで少しずつ寄り添っていく、獣人×ヒトの異世界恋愛譚。 [こちらは以前あげていた「やわはだの、お風呂やさん」の改稿ver.になります]

手出しさせてやろうじゃないの! ~公爵令嬢の幼なじみは王子様~

薄影メガネ
恋愛
幼なじみの王子様ジュードは天使のような容姿で文武両道の完璧な男性。ジュードと幼なじみの公爵令嬢エルフリーデはそんな完璧王子と婚約していて、二人は親公認の仲でもある。ちょっとおてんばなエルフリーデと大人なジュード、二人は幼い頃から仲良しでいつも傍にいるのが当たり前の大切な存在。けれど、エルフリーデにはある不満があって…… 結婚するまで手を出さない? なら手出しさせてやろうじゃないの!

俺様御曹司は十二歳年上妻に生涯の愛を誓う

ラヴ KAZU
恋愛
藤城美希 三十八歳独身 大学卒業後入社した鏑木建設会社で16年間経理部にて勤めている。 会社では若い女性社員に囲まれて、お局様状態。 彼氏も、結婚を予定している相手もいない。 そんな美希の前に現れたのが、俺様御曹司鏑木蓮 「明日から俺の秘書な、よろしく」 経理部の美希は蓮の秘書を命じられた。     鏑木 蓮 二十六歳独身 鏑木建設会社社長 バイク事故を起こし美希に命を救われる。 親の脛をかじって生きてきた蓮はこの出来事で人生が大きく動き出す。 社長と秘書の関係のはずが、蓮は事あるごとに愛を囁き溺愛が始まる。 蓮の言うことが信じられなかった美希の気持ちに変化が......     望月 楓 二十六歳独身 蓮とは大学の時からの付き合いで、かれこれ八年になる。 密かに美希に惚れていた。 蓮と違い、奨学金で大学へ行き、実家は農家をしており苦労して育った。 蓮を忘れさせる為に麗子に近づいた。 「麗子、俺を好きになれ」 美希への気持ちが冷めぬまま麗子と結婚したが、徐々に麗子への気持ちに変化が現れる。 面倒見の良い頼れる存在である。 藤城美希は三十八歳独身。大学卒業後、入社した会社で十六年間経理部で働いている。 彼氏も、結婚を予定している相手もいない。 そんな時、俺様御曹司鏑木蓮二十六歳が現れた。 社長就任挨拶の日、美希に「明日から俺の秘書なよろしく」と告げた。 社長と秘書の関係のはずが、蓮は美希に愛を囁く 実は蓮と美希は初対面ではない、その事実に美希は気づかなかった。 そして蓮は美希に驚きの事を言う、それは......

コワモテ軍人な旦那様は彼女にゾッコンなのです~新婚若奥様はいきなり大ピンチ~

二階堂まや♡電書「騎士団長との~」発売中
恋愛
政治家の令嬢イリーナは社交界の《白薔薇》と称される程の美貌を持ち、不自由無く華やかな生活を送っていた。 彼女は王立陸軍大尉ディートハルトに一目惚れするものの、国内で政治家と軍人は長年対立していた。加えて軍人は質実剛健を良しとしており、彼女の趣味嗜好とはまるで正反対であった。 そのためイリーナは華やかな生活を手放すことを決め、ディートハルトと無事に夫婦として結ばれる。 幸せな結婚生活を謳歌していたものの、ある日彼女は兄と弟から夜会に参加して欲しいと頼まれる。 そして夜会終了後、ディートハルトに華美な装いをしているところを見られてしまって……?

敵将を捕虜にしたら夫になって、気づけば家族までできていました

蜂蜜あやね
恋愛
戦場で幾度も刃を交えてきた二人―― “赤い鷲”の女将軍イサナと、 “青狼”と恐れられたザンザの将軍ソウガ。 最後の戦いで、ソウガはイサナの軍に捕らえられる。 死を覚悟したその瞬間―― イサナは思わず、矢面に立っていた。 「その者は殺させない。命は……私が引き受けます」 理由などなかった。 ただ、目の前の男を失いたくなかった。 その報告を受けた皇帝エンジュは、 静かに、しかし飄々とした口調で告げる。 「庇いたいというのなら――夫として下げ渡そう」 「ただし、子を成すこと。それが条件だ」 敵国の将を“夫”として迎えるという前代未聞の処置。 拒否権はない。 こうしてソウガは、捕虜でありながら 《イサナの夫》としてアマツキ邸に下げ渡される。 武でも策でも互角に戦ってきた男が、 今は同じ屋根の下にいる。 捕虜として――そして夫として。 反発から始まった奇妙な同居生活。 だが、戦場では知り得なかった互いの素顔と静かな温度が、 じわじわと二人の距離を変えていく

【完結】酒はのんでものまれるな

海月くらげ
恋愛
「ずっと先輩に近付きたかった」 自信のない28歳OLが、 完璧すぎる年下のエースと過ごした、たった一夜。 ひょんな一夜から始まるのは、 私史上いちばん不器用で、 いちばん大切な恋だった。

真面目な王子様と私の話

谷絵 ちぐり
恋愛
 婚約者として王子と顔合わせをした時に自分が小説の世界に転生したと気づいたエレーナ。  小説の中での自分の役どころは、婚約解消されてしまう台詞がたった一言の令嬢だった。  真面目で堅物と評される王子に小説通り婚約解消されることを信じて可もなく不可もなくな関係をエレーナは築こうとするが…。 ※Rシーンはあっさりです。 ※別サイトにも掲載しています。

雨はまだ降り続いている…〜秘密の契約結婚〜

和泉 花奈
恋愛
主人公の観月 奈緒(25)は、ある日突然仕事に行けなくなり、ずっとお家の中に引きこもっている。 そんな自分を変えたくて足掻き苦しんでいるが、なかなかあと一歩が踏み出せずにいる。 勇気を出して家から出た奈緒は、たまたまぶつかった須藤 悠翔という男に出会い、運命が大きく揺れ動く。 ※突然で申し訳ないのですが、投稿方式を変えました。 これまで1〜3話をまとめて1話にしておりますが、各話1話ずつそれぞれで公開することにしました。 急な変更に伴い、読者の皆様にご迷惑をお掛けして申し訳ございません。 これからも引き続き作品の応援をよろしくお願い致します。                   2025/10/21 和泉 花奈

処理中です...