びんびんどろっぷしぃるを求めて父親はその扉を開けてしまう

陽花紫

文字の大きさ
1 / 2

びんどろしぃる

しおりを挟む
 今、空前のブームを巻き起こしている”シール交換”。

 なかでもぷくぷくとした厚みと、光を受けてきらきらと揺れるその一枚は、まるで砂糖菓子のようでもあると噂をされ、発売のたびに瞬く間に消えていった。

 一児の父であるユウトもまた、例外なく日夜シールを求めていた。

  朝の食卓で、いつもなら聞き分けのいい娘がその小さな手を伸ばして。

「ほしい」

 と、遠慮がちに言ったあの日から。

 彼の週末は、行列と抽選と、読み込み画面の回転に捧げられていたのであった。
 オンライン販売にも、業務の合間を縫ってはスマホを片手に果敢に挑んでいた。


 しかしその結果は、ことごとく惨敗。

 「だいじょうぶだよ、パパ」

 と娘は笑うものの、その笑顔が、かえって胸に深く刺さる。


「俺は、娘を笑顔にしてやることさえできないのか……」

 日々、ユウトは深いため息をついていた。

「そもそも、本当に実在しているのか?フェイク画像とかじゃないよな?」

 しかし諦めかけたその時、同僚であり、同じく一児の娘を持つパパ友の男が、声を潜めてこう教えた。

「俺もこないだ貰ったんですけど。……ある場所に行けば、手に入りますよ?」

「本当か!?だが、交換しなきゃいけないんだろう?」

「……それが、交換しなくても貰えるんですよ。ほら……」

 そう男は、懐からシール帳を取り出しては一瞬だけ開いてみせた。
 その確かな光に、ユウトの目にも希望の光が宿っていた。

***

 その夜、気づけばユウトはとある夜の街に立っていた。
 ネオンの光は水面であるかのように揺れ、仕事帰りのスーツは少しだけ場違いであるかのように思えていた。
 しかし、そのようなことは言ってはいられない。
 今のユウトは、一人の戦士の顔をしていたのだから。

 黒塗りの扉の前で、深呼吸をひとつ。
 そして、覚悟を決めて、扉を押した。

 一歩足を踏み入れれば、そこには未知の世界が広がっていた。
 意外にも、中は想像よりもずっと明るく、あたたかな光を放っていた。

 奥へと足を進めれば、賑やかな声が耳に入る。
 誰もが皆、片手に収まるサイズの可愛らしいシール帳を広げていた。

 様々な笑い声が泡のように弾け、グラスの中で氷が鳴る。

「やっだー!これ、めちゃめちゃかわいいー!」
「交換してー!」
「こっちも、こっちも!」

 しかし、ユウトは目を見張る。
 そこには、見渡す限り、男しかいなかったのだから。

「あ、ママー!お客さんきたよー!」

 ユウトは一瞬、帰ろうかと思った。
 けれどすでに遅く、がしりと腕を掴まれていた。

「あらあら、可愛いお客さん。いらっしゃいませー!」
「もしかして、新入りさん? よかったら……このキラキラシールあげちゃうわ」

「あはは、どうも……」

 と、ユウトは頭を下げることしかできずにいた。

 何を隠そう、ここは、知る人ぞ知る男の楽園でもあったのだ。

「そんなに緊張しないで、まずは私たちとお話しましょう?」
「なにか飲む?」

 しかしママの話術は見事なもので、気づけばユウトの手元には愛らしいピンク色のシール帳と、可愛らしいシールがいくつも集まっていた。

「……これなんか、娘ちゃんにいいんじゃなーい?」
「いいわねぇ。かわいいー」
「じゃあ私は、これあげるわね。……で、こっちと交換ね!」
「かわいぃー、潤うわぁー」

 しかし、肝心の一枚だけは、待てど暮らせど出てこない。

 ユウトは酒を一息に飲み干した後に、周囲の男たちにこう尋ねた。

「あのう……。俺、”びんびんどろっぷしぃる”を、探しているのですが……」

 その言葉が落ちた瞬間、バーの空気が凍り付く。

 まさかという視線が、辺りを飛び交う。

「……その、……確認だけど。びん……びんどろっぷしぃるが、ほしいの?」

 顎髭を生やした男が、ゆっくりと確かめるようにユウトに向けてこう言った。

「……そうですけど」

 一瞬の間があった後、ママがにっこりとした笑みを浮かべていく。

「わかったわ。それじゃあ、案内してあげて?」

「はーい!ユウトさん、こっちよー」

***

 ユウトが通されたのは、細い廊下の先に並ぶ、とある二つの扉であった。
 どちらも静かで、どちらも、何かを秘めているような不気味さがあった。

「ユウトさん」

 背後でママは柔らかく、しかしやけに真剣味を帯びた口調でこう問いかけた。

「タチ、ウケ…… どっち?」

 聞き慣れぬその単語に、思わずユウトは言葉を失う。

 ――何かの、呪文か?

 迷える頭の中で真っ先に浮かんだのは、あどけなく眠る娘の寝顔であった。

 シール帳を抱えて眠る、小さな背中。
 控えめな娘が、勇気を出して欲しいと言ったそのシール。
 守りたいものがあるのだ、という事実。

 その選択は、ひどく恐ろしいものでもあった。
 けれど同時に、その胸の奥で、長いあいだ眠っていた何かが、かすかに目を覚ますような音もしていたのだ。

 ――俺の答え次第で、手に入るシールが変わるとでもいうのか?

 ユウトは、静かに息を吸った。
 そして、一方の扉を選んでいく。

 この先に何が待ち受けていようとも、それでも、彼は前に進むしかないのだ。
 愛する、たった一人の娘のために。

 そして、まだ名前がつかない自らのその気持ちのために。

 見知らぬ街の夜は、深く、優しく、ユウトの身を包み込んでいくのであった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

騙されて快楽地獄

てけてとん
BL
友人におすすめされたマッサージ店で快楽地獄に落とされる話です。長すぎたので2話に分けています。

邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ

BL
鍛えられた肉体、高潔な魂―― それは選ばれし“供物”の条件。 山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。 見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。 誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。 心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。

魔王に飼われる勇者

たみしげ
BL
BLすけべ小説です。 敵の屋敷に攻め込んだ勇者が逆に捕まって淫紋を刻まれて飼われる話です。

捜査員達は木馬の上で過敏な反応を見せる

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

スライムパンツとスライムスーツで、イチャイチャしよう!

ミクリ21
BL
とある変態の話。

後輩が二人がかりで、俺をどんどん責めてくるー快楽地獄だー

天知 カナイ
BL
イケメン後輩二人があやしく先輩に迫って、おいしくいただいちゃう話です。

真・身体検査

RIKUTO
BL
とある男子高校生の身体検査。 特別に選出されたS君は保健室でどんな検査を受けるのだろうか?

処理中です...