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#10 二人の天才
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「ん……んぅ……」
「あ、起きた? おはよ」
甘い香りが鼻孔をくすぐった。
ハッとなって目を覚ます。
瞬間視界に飛び込んだのは、目鼻立ちの良い少女の顔だった。毛穴の一つすら見つからない、雪のように白い肌。
そして、俺、稲葉颯太は思う。
……可愛い、じゃなくてっ。
「いや……誰?」
あたりを見渡す。
ティッシュの山……OK、カップ麺のゴミ……OK、脱ぎっぱの洋服……OK、どうやらここは俺の家らしい。
いつもと違うことといえば、目の前に見知らぬ美少女がいることと、テーブルにほかほかの美味そうな料理が並んでいること、その二点だ。
……つか、まじで可愛い。理屈抜きで瞳を奪われる。
透き通ってるっていうか、形容し難いほど清楚だ。
黒髪ボブカットの少女は「そりゃ分かんないよね」と淡白に吐き捨てると、「ほっ」と無愛想に猫耳のカチューシャを着けてみせた。
蘇るのは昨夜の記憶。格上殺しの高揚感と、体を襲う疲労感。
そして記憶の中に登場する一人と、目の前の少女の面影が重なる。
「まさか……ヒヨりん?」
「せーかい」
ぶいっ、と無感情な表情でピースサインを向ける彼女からは、あの活発で元気で「にゃぁああ!?」なんて騒ぐお調子者の姿など想像できない。
いや、確かにヒヨりんは可愛かったんだけど、ちょっとこれはレベルが違うというか、毛色が違いすぎるというか。ピンク髪のロリガキが黒髪清楚のお姉さん系になった、といえばその異常さが伝わるだろう。
結論は一つ。
……まじで可愛い
「顔、見すぎ」
むっとした顔をするヒヨりんに、思わず心臓が飛び跳ねる。
「ご、ごめ……っ!?」
「謝ることでもないよ。ほら、座って。ご飯食べよ」
ヒヨりんはすたすたと去っていく。
……なんか、馴染みすぎ、っていうか。
いそいそと箸を並べ、安っぽい家庭的なエプロンを脱いで畳むヒヨりんの後ろ姿に、なんともいえない感情が湧く。
こうなった経緯には、概ねの予想がつく。
気絶した俺をヒヨりんが運んでくれて、そのまま身の世話をしてくれているのだろう。それは分かるんだけど……にしても、馴染み過ぎだ。
まるで昨日からそうだったみたいっていうか、もはや同棲している正妻の風格……って、自分で言うのはキモイ、よな、流石に。
でもさ、キャラ違いすぎない? MeTuberってみんなこんなもんなの……かな。
「いつつ……」
体を襲う痛みを堪えつつ立ち上がる。満身創痍もいいところだよ、まじで。
「大丈夫?」
「あ、うん。ありがと……う、ござます?」
居心地の悪さを感じつつ席に座る。
当たり前のように目の前に腰を下ろすと、ヒヨりんはじっとこちらを見つめてきた。
「食べないの?」
食べろ、という圧。
「じゃ、じゃあ、いただきます……」
期待の眼差しを浴びながら、生姜焼きに箸を伸ばす。
にしても料理が上手い。盛り付けにもこだわりがあるのか、緑に赤に黄に、色彩豊かだ。
照り光る生姜焼きを恐る恐る口に含む。
瞬間、味蕾を刺激する旨味成分。
「……うっめぇ。つか、美味すぎね?」
気づけばまた箸が伸びていた。米をかきこみ、生姜焼きを食べ、これまた繊細な味噌汁で口を流す。
「……やばい、感動するくらい美味い」
「褒め過ぎだよ。それに、そんな勢いよく食べたら、喉詰まっちゃうよ?」
朗らかに微笑むヒヨりん。しかしニヤつきが隠せないのか、緩くなった口元を隠すように組んだ腕に顔を埋めた。サラサラの黒髪が机に溢れる。
……可愛すぎね?
めっちゃいい匂いするし。
ちんちくりんロリガキMeTuberというヒヨりんのイメージが、音を立てて崩れていく。ヒヨりんといえば適当で、飄々としていて、バカっぽいキャラだ。
それが、こんな……。
「美味しい?」
期待するように上目遣いで確認してくるヒヨりんに、ガクガクとロボットみたいに頷いて返す。すると、ヒヨりんは嬉しそうに目を細めた。
「……やった」
……完璧すぎる。
卒倒しそうになって、堪えた。
なんだこれ、なんだよこれ。……もう、俺たちカップルじゃん。
「じゃあ、仕事の話を始めよっか。ご飯食べながらでごめんね、君が寝てる間に、予想外の事態が起きちゃって」
「予想外の事態?」
ヒヨりんはなぜかピンク髪のウィッグと猫耳カチューシャを取り出すと、すぽっ、とそれを装着する。
……なんで? 困惑していると、その理由はすぐに分かった。
「まったく困りものにゃよ、ほんと」
ふてぶてしいヒヨりんの様子に眉をひそめる。
……なんか、急に可愛げがなくなったっていうか。
「ほんとやってらんねーのにゃ!」
……あーね。確信する。そのカチューシャつけると、入っちゃうんだ、スイッチ。
まあ、こっちはこっちでラフに喋れるから良いのかもしれない。
「で、何がやってらんないんですか」
「お前、【フロントライン】って知ってるかにゃ?」
フロントライン。知らぬはずがない。
日本最高峰の冒険者ギルドで、Sランクを8人も有する圧倒的実力派ギルドだ。大抵の冒険者は【フロントライン】の加入を目標にしている。
ガンジョーさんもメンバーの一人だ。
「勿論ですよ。俺も憧れてた時期、ありましたから」
「なら、鹿ヶ瀬《ししがせ》樂人《がくと》はどうにゃ?」
「テレビでたまに程度」
「一応説明するにゃ。鹿ヶ瀬は【フロントライン】につい最近電撃加入した、新進気鋭のCランク冒険者にゃ……。冒険者歴1週間でCランクに到達した紛れもない本物にゃ。そいつが――」
ヒヨりんは冷めた米を口いっぱいに頬張ると、箸の先をこちらに向けてきた。
「――一ヶ月後に【格上殺し】に挑むことを発表したのにゃ」
「んなっ!? 俺と同じタイミングで!?」
「話題に乗じて仕掛けてきたにゃ。しかも奴ら、お前よりも一日先に挑む予定にゃ。つぶやいたーを確認してみるにゃ」
いわれるがままにスマホを開く。
まず視界に飛び込んだのは、つぶやいたーのトレンドだった。
『格上殺し』
トッププレンドに並ぶ検索ワード、しかし実際に検索すると――出てくるのは俺の話題ではなく、ほとんどがフロントラインの方の格上殺しについてだった。
確かにちらほらと、”いなばんの格上殺しわくわくすぎる”だの書いてあるが、比率でいえば2;8ほどか。
つか……。
絶え間なく流れてくるつぶやいたーのメッセージに視界が釘付けになる。
『気をつけろいなばん! ヒヨりんは痴女だぞ! 男喰いまくってるって噂!』
『ヒヨりんはまじで男遊びで有名だから気をつけろよ』
『ヒヨりんは悪い噂多いからやめろ。これ証拠→【URL】』
……ち、痴女ね。いや、ネットには嘘と真実が入り乱れているというし。こんな下らないに情報に踊らされる俺ではない。
努めて平静を装って、動揺を押し殺す。
「か、完全に、話題をかっさわれてらぁ……」
動揺しすぎて完全に江戸っ子だった。
ヒヨりんは気にする様子もないが。
「そうなのにゃ。だから……」
……強烈な嫌な予感。
それは果たして、的中した。
「こっちの【格上殺し】の予定日を早めるのにゃ。具体的には三週間後、7月21日に行うにゃ」
「は? 三週間……?」
頭がくらくらする。一ヶ月ですら無謀と思えた【格上殺し】を、さらにその一週間早く……?
冷や汗が吹き出る。それはもう、やるやらないの話じゃない。
「……出来ない」
「やるしかないのにゃ。ただ、それなりのリスクはともなうのにゃ。普通の手段は使えないにゃ」
寂れた部屋に、秒針の進む音だけが響いている。
ヒヨりんは何か策があるということか。もとより俺も覚悟はしている。命をかけるくらいなら――
「――これに、サインをしてほしいのにゃ」
一枚の書類を手渡される。
かしこまった書類だった。注意事項や要望まで、隅々まで細かく要項が書かれている。しかし肝心なタイトルの様子がおかしかった。
「……『どんな命の危険があることも、稲葉颯太に無許可でなんでもやっていい契約』」
頭悪そうな内容。なんだこれ。こいつ正気か?
ヒヨりんの凄まじく真面目そうな顔に頷く。……OK,正気らしい。
「って、一体何させる気なんすかっ!」
「秘密にゃ! 言ったら、お前絶対やらないのにゃ!」
駄々をこねるように騒ぐヒヨりんに絶句する。
……一体、一体何する気だよまじでっ!?
「つかそもそも、事前報告無しでやる気かよ!? ドッキリみたいな!」
「視聴者受けも狙うにゃ! 話題作りにはドッキリが最適ニャ! フロントラインに話題性を奪われるわけにはいかないのにゃ!」
それっぽい理由を並べられ押し黙る。
……まったくもってなんだというのだ。しかし、逃げないと誓ったばかり。ため息を付いて、渡された印鑑を握る。……って、俺の印鑑、どっからくすねてきたんだこの泥棒猫。
「ま、なんでもやってやるよ」
印鑑をぽんと押して、書類を突き返す。
「あんたに従ってやれば絶対なんだろ? だったら、俺はあんたからの要望に応えるだけだよ」
路地裏で交わした話を思い出す。
配信を切ってから、俺とヒヨりんはいくつかの話をした。契約内容の話、これからの話。
「――収益は2:8。お前が8で良いにゃ。いなばんチャンネルで今日から、【最弱冒険者を最強に育ててみた】っていう企画を始めるにゃ。編集、プロデュース、企画立案、スポンサー周りは全てヒヨりんが担当してやるにゃ。お前は、カメラの前で演じるだけで良いにゃ。……どう? 悪い話じゃ無いにゃ」
「――具体的に自分は何をすればいいんですか?」
「――えっとにゃ。まず、『雑魚でモブキャラで陰キャ、のくせに誰もが恐れるような格上殺しに果敢に挑む』……そのキャラの良さが人気に火をつけた、とヒヨりんは思うのにゃ」
「――雑魚で……モブキャラで……陰キャ……」
「――だから、やるのは勿論格上殺しにゃ。まずは大鬼から。その後も色々やるにゃ。そのあいだあいだも色々企画をするつもりにゃが……ま、安心するにゃ。ヒヨりんに従えば問題ないのにゃ。ヒヨりんは天才にゃからな」
ヒヨりんは非凡を見抜く『嗅覚』が優れている、とか自称してたっけ。
だったら、俺にも似たような才がある。
だから分かる。
……ヒヨりんは、紛れもない天才だ。
「ま、なんでも言ってよ。俺は天才なんだろ? だったら、それなりのことはやるよ」
ぶいっ、とピースサインを向けてやる。
ヒヨりんはあっけにとられたような顔をしてから、クスリと口元に手を当てて上品に笑った。
「言っちゃったね……なんでもするって」
「……ん?」
静かで清楚な狂気が垣間見える。
ヒヨりんは立ち上がると、契約書を手にとって微笑んだ。
「じゃあ、早速明日の九時から始動にゃ。明日は今日以上の地獄にゃ! 覚悟……できてるかにゃ?」
手向けているブイサインを更にぐっと押し出す。
「もちのろんだ」
「そうかにゃ。じゃあ」
ヒヨりんはカチューシャを外すと、すんっとまた清楚で無愛想な顔に戻って、ドヤ顔でこちらにブイサインを返してきた。
「これからよろしくね、蒼汰くん」
「よろしく……えっと」
「小野花《おのはな》日和《ひより》」
「そ。じゃあよろしく、日和」
ヒヨりん……もとい日和はムスっとした顔をすると、不服そうに嘆く。
「私、19だから君より年上なんだよ?」
「あー」そういえばと、頬をかいて笑う。キャラのせいで忘れていたが、れっきとした年上、もといお姉さんだったか。「よろしくね、日和サン」
日和さんは満足げに笑うと、「じゃ」と振り返った。
「お風呂、借りても良い?」
「ああ、ならそっちに……って、は?」
一瞬、思考が停止する。風呂? ……なんで?
言葉を返せない俺に、更に彼女は追撃をしかけてきた。
「今日、泊まらせて頂きます……。というかこれから泊まり込みで活動するから。改めてよろしくね、蒼汰くん」
ブイサインを向けてくる日和さん。
いや……それで済ませていい問題じゃないでしょ!
なんて思いながらも、落胆して、はぁ、と息を漏らした。
「ま、いいけど。これからよろしく、日和サン」
お風呂へと向かう日和さんの後ろ姿を見送って。
まったくもって数奇な運命だと、笑いたくなった。
……つか、泊まりかぁ。
日和さんが消えていった方を見つめて、数秒固まって、「うがぁぁあああ!」と床に伏して転がりまわる。
「あんな可愛い人と……お泊まり?」
何も起きないはずもなく……?
『――ヒヨりんは痴女だからな! 気をつけろよ、いなばん!』
不意についさっき流れてきたつぶやいたーのメッセージを思い出して、カァアァアと顔が熱くなっていくのが分かった。
……俺の貞操、大丈夫かな。
「って、期待しすぎ……俺。きもちわり」
ふと部屋を見渡すと、たった一人いなくなっただけで随分と寂寞して見えるもんだなと、少し淋しくなって、早く出てこないかなーだとか、気づいたら天井のシミを数えていた。
つい昨日まで、それが当たり前だったくせに。
「あ、起きた? おはよ」
甘い香りが鼻孔をくすぐった。
ハッとなって目を覚ます。
瞬間視界に飛び込んだのは、目鼻立ちの良い少女の顔だった。毛穴の一つすら見つからない、雪のように白い肌。
そして、俺、稲葉颯太は思う。
……可愛い、じゃなくてっ。
「いや……誰?」
あたりを見渡す。
ティッシュの山……OK、カップ麺のゴミ……OK、脱ぎっぱの洋服……OK、どうやらここは俺の家らしい。
いつもと違うことといえば、目の前に見知らぬ美少女がいることと、テーブルにほかほかの美味そうな料理が並んでいること、その二点だ。
……つか、まじで可愛い。理屈抜きで瞳を奪われる。
透き通ってるっていうか、形容し難いほど清楚だ。
黒髪ボブカットの少女は「そりゃ分かんないよね」と淡白に吐き捨てると、「ほっ」と無愛想に猫耳のカチューシャを着けてみせた。
蘇るのは昨夜の記憶。格上殺しの高揚感と、体を襲う疲労感。
そして記憶の中に登場する一人と、目の前の少女の面影が重なる。
「まさか……ヒヨりん?」
「せーかい」
ぶいっ、と無感情な表情でピースサインを向ける彼女からは、あの活発で元気で「にゃぁああ!?」なんて騒ぐお調子者の姿など想像できない。
いや、確かにヒヨりんは可愛かったんだけど、ちょっとこれはレベルが違うというか、毛色が違いすぎるというか。ピンク髪のロリガキが黒髪清楚のお姉さん系になった、といえばその異常さが伝わるだろう。
結論は一つ。
……まじで可愛い
「顔、見すぎ」
むっとした顔をするヒヨりんに、思わず心臓が飛び跳ねる。
「ご、ごめ……っ!?」
「謝ることでもないよ。ほら、座って。ご飯食べよ」
ヒヨりんはすたすたと去っていく。
……なんか、馴染みすぎ、っていうか。
いそいそと箸を並べ、安っぽい家庭的なエプロンを脱いで畳むヒヨりんの後ろ姿に、なんともいえない感情が湧く。
こうなった経緯には、概ねの予想がつく。
気絶した俺をヒヨりんが運んでくれて、そのまま身の世話をしてくれているのだろう。それは分かるんだけど……にしても、馴染み過ぎだ。
まるで昨日からそうだったみたいっていうか、もはや同棲している正妻の風格……って、自分で言うのはキモイ、よな、流石に。
でもさ、キャラ違いすぎない? MeTuberってみんなこんなもんなの……かな。
「いつつ……」
体を襲う痛みを堪えつつ立ち上がる。満身創痍もいいところだよ、まじで。
「大丈夫?」
「あ、うん。ありがと……う、ござます?」
居心地の悪さを感じつつ席に座る。
当たり前のように目の前に腰を下ろすと、ヒヨりんはじっとこちらを見つめてきた。
「食べないの?」
食べろ、という圧。
「じゃ、じゃあ、いただきます……」
期待の眼差しを浴びながら、生姜焼きに箸を伸ばす。
にしても料理が上手い。盛り付けにもこだわりがあるのか、緑に赤に黄に、色彩豊かだ。
照り光る生姜焼きを恐る恐る口に含む。
瞬間、味蕾を刺激する旨味成分。
「……うっめぇ。つか、美味すぎね?」
気づけばまた箸が伸びていた。米をかきこみ、生姜焼きを食べ、これまた繊細な味噌汁で口を流す。
「……やばい、感動するくらい美味い」
「褒め過ぎだよ。それに、そんな勢いよく食べたら、喉詰まっちゃうよ?」
朗らかに微笑むヒヨりん。しかしニヤつきが隠せないのか、緩くなった口元を隠すように組んだ腕に顔を埋めた。サラサラの黒髪が机に溢れる。
……可愛すぎね?
めっちゃいい匂いするし。
ちんちくりんロリガキMeTuberというヒヨりんのイメージが、音を立てて崩れていく。ヒヨりんといえば適当で、飄々としていて、バカっぽいキャラだ。
それが、こんな……。
「美味しい?」
期待するように上目遣いで確認してくるヒヨりんに、ガクガクとロボットみたいに頷いて返す。すると、ヒヨりんは嬉しそうに目を細めた。
「……やった」
……完璧すぎる。
卒倒しそうになって、堪えた。
なんだこれ、なんだよこれ。……もう、俺たちカップルじゃん。
「じゃあ、仕事の話を始めよっか。ご飯食べながらでごめんね、君が寝てる間に、予想外の事態が起きちゃって」
「予想外の事態?」
ヒヨりんはなぜかピンク髪のウィッグと猫耳カチューシャを取り出すと、すぽっ、とそれを装着する。
……なんで? 困惑していると、その理由はすぐに分かった。
「まったく困りものにゃよ、ほんと」
ふてぶてしいヒヨりんの様子に眉をひそめる。
……なんか、急に可愛げがなくなったっていうか。
「ほんとやってらんねーのにゃ!」
……あーね。確信する。そのカチューシャつけると、入っちゃうんだ、スイッチ。
まあ、こっちはこっちでラフに喋れるから良いのかもしれない。
「で、何がやってらんないんですか」
「お前、【フロントライン】って知ってるかにゃ?」
フロントライン。知らぬはずがない。
日本最高峰の冒険者ギルドで、Sランクを8人も有する圧倒的実力派ギルドだ。大抵の冒険者は【フロントライン】の加入を目標にしている。
ガンジョーさんもメンバーの一人だ。
「勿論ですよ。俺も憧れてた時期、ありましたから」
「なら、鹿ヶ瀬《ししがせ》樂人《がくと》はどうにゃ?」
「テレビでたまに程度」
「一応説明するにゃ。鹿ヶ瀬は【フロントライン】につい最近電撃加入した、新進気鋭のCランク冒険者にゃ……。冒険者歴1週間でCランクに到達した紛れもない本物にゃ。そいつが――」
ヒヨりんは冷めた米を口いっぱいに頬張ると、箸の先をこちらに向けてきた。
「――一ヶ月後に【格上殺し】に挑むことを発表したのにゃ」
「んなっ!? 俺と同じタイミングで!?」
「話題に乗じて仕掛けてきたにゃ。しかも奴ら、お前よりも一日先に挑む予定にゃ。つぶやいたーを確認してみるにゃ」
いわれるがままにスマホを開く。
まず視界に飛び込んだのは、つぶやいたーのトレンドだった。
『格上殺し』
トッププレンドに並ぶ検索ワード、しかし実際に検索すると――出てくるのは俺の話題ではなく、ほとんどがフロントラインの方の格上殺しについてだった。
確かにちらほらと、”いなばんの格上殺しわくわくすぎる”だの書いてあるが、比率でいえば2;8ほどか。
つか……。
絶え間なく流れてくるつぶやいたーのメッセージに視界が釘付けになる。
『気をつけろいなばん! ヒヨりんは痴女だぞ! 男喰いまくってるって噂!』
『ヒヨりんはまじで男遊びで有名だから気をつけろよ』
『ヒヨりんは悪い噂多いからやめろ。これ証拠→【URL】』
……ち、痴女ね。いや、ネットには嘘と真実が入り乱れているというし。こんな下らないに情報に踊らされる俺ではない。
努めて平静を装って、動揺を押し殺す。
「か、完全に、話題をかっさわれてらぁ……」
動揺しすぎて完全に江戸っ子だった。
ヒヨりんは気にする様子もないが。
「そうなのにゃ。だから……」
……強烈な嫌な予感。
それは果たして、的中した。
「こっちの【格上殺し】の予定日を早めるのにゃ。具体的には三週間後、7月21日に行うにゃ」
「は? 三週間……?」
頭がくらくらする。一ヶ月ですら無謀と思えた【格上殺し】を、さらにその一週間早く……?
冷や汗が吹き出る。それはもう、やるやらないの話じゃない。
「……出来ない」
「やるしかないのにゃ。ただ、それなりのリスクはともなうのにゃ。普通の手段は使えないにゃ」
寂れた部屋に、秒針の進む音だけが響いている。
ヒヨりんは何か策があるということか。もとより俺も覚悟はしている。命をかけるくらいなら――
「――これに、サインをしてほしいのにゃ」
一枚の書類を手渡される。
かしこまった書類だった。注意事項や要望まで、隅々まで細かく要項が書かれている。しかし肝心なタイトルの様子がおかしかった。
「……『どんな命の危険があることも、稲葉颯太に無許可でなんでもやっていい契約』」
頭悪そうな内容。なんだこれ。こいつ正気か?
ヒヨりんの凄まじく真面目そうな顔に頷く。……OK,正気らしい。
「って、一体何させる気なんすかっ!」
「秘密にゃ! 言ったら、お前絶対やらないのにゃ!」
駄々をこねるように騒ぐヒヨりんに絶句する。
……一体、一体何する気だよまじでっ!?
「つかそもそも、事前報告無しでやる気かよ!? ドッキリみたいな!」
「視聴者受けも狙うにゃ! 話題作りにはドッキリが最適ニャ! フロントラインに話題性を奪われるわけにはいかないのにゃ!」
それっぽい理由を並べられ押し黙る。
……まったくもってなんだというのだ。しかし、逃げないと誓ったばかり。ため息を付いて、渡された印鑑を握る。……って、俺の印鑑、どっからくすねてきたんだこの泥棒猫。
「ま、なんでもやってやるよ」
印鑑をぽんと押して、書類を突き返す。
「あんたに従ってやれば絶対なんだろ? だったら、俺はあんたからの要望に応えるだけだよ」
路地裏で交わした話を思い出す。
配信を切ってから、俺とヒヨりんはいくつかの話をした。契約内容の話、これからの話。
「――収益は2:8。お前が8で良いにゃ。いなばんチャンネルで今日から、【最弱冒険者を最強に育ててみた】っていう企画を始めるにゃ。編集、プロデュース、企画立案、スポンサー周りは全てヒヨりんが担当してやるにゃ。お前は、カメラの前で演じるだけで良いにゃ。……どう? 悪い話じゃ無いにゃ」
「――具体的に自分は何をすればいいんですか?」
「――えっとにゃ。まず、『雑魚でモブキャラで陰キャ、のくせに誰もが恐れるような格上殺しに果敢に挑む』……そのキャラの良さが人気に火をつけた、とヒヨりんは思うのにゃ」
「――雑魚で……モブキャラで……陰キャ……」
「――だから、やるのは勿論格上殺しにゃ。まずは大鬼から。その後も色々やるにゃ。そのあいだあいだも色々企画をするつもりにゃが……ま、安心するにゃ。ヒヨりんに従えば問題ないのにゃ。ヒヨりんは天才にゃからな」
ヒヨりんは非凡を見抜く『嗅覚』が優れている、とか自称してたっけ。
だったら、俺にも似たような才がある。
だから分かる。
……ヒヨりんは、紛れもない天才だ。
「ま、なんでも言ってよ。俺は天才なんだろ? だったら、それなりのことはやるよ」
ぶいっ、とピースサインを向けてやる。
ヒヨりんはあっけにとられたような顔をしてから、クスリと口元に手を当てて上品に笑った。
「言っちゃったね……なんでもするって」
「……ん?」
静かで清楚な狂気が垣間見える。
ヒヨりんは立ち上がると、契約書を手にとって微笑んだ。
「じゃあ、早速明日の九時から始動にゃ。明日は今日以上の地獄にゃ! 覚悟……できてるかにゃ?」
手向けているブイサインを更にぐっと押し出す。
「もちのろんだ」
「そうかにゃ。じゃあ」
ヒヨりんはカチューシャを外すと、すんっとまた清楚で無愛想な顔に戻って、ドヤ顔でこちらにブイサインを返してきた。
「これからよろしくね、蒼汰くん」
「よろしく……えっと」
「小野花《おのはな》日和《ひより》」
「そ。じゃあよろしく、日和」
ヒヨりん……もとい日和はムスっとした顔をすると、不服そうに嘆く。
「私、19だから君より年上なんだよ?」
「あー」そういえばと、頬をかいて笑う。キャラのせいで忘れていたが、れっきとした年上、もといお姉さんだったか。「よろしくね、日和サン」
日和さんは満足げに笑うと、「じゃ」と振り返った。
「お風呂、借りても良い?」
「ああ、ならそっちに……って、は?」
一瞬、思考が停止する。風呂? ……なんで?
言葉を返せない俺に、更に彼女は追撃をしかけてきた。
「今日、泊まらせて頂きます……。というかこれから泊まり込みで活動するから。改めてよろしくね、蒼汰くん」
ブイサインを向けてくる日和さん。
いや……それで済ませていい問題じゃないでしょ!
なんて思いながらも、落胆して、はぁ、と息を漏らした。
「ま、いいけど。これからよろしく、日和サン」
お風呂へと向かう日和さんの後ろ姿を見送って。
まったくもって数奇な運命だと、笑いたくなった。
……つか、泊まりかぁ。
日和さんが消えていった方を見つめて、数秒固まって、「うがぁぁあああ!」と床に伏して転がりまわる。
「あんな可愛い人と……お泊まり?」
何も起きないはずもなく……?
『――ヒヨりんは痴女だからな! 気をつけろよ、いなばん!』
不意についさっき流れてきたつぶやいたーのメッセージを思い出して、カァアァアと顔が熱くなっていくのが分かった。
……俺の貞操、大丈夫かな。
「って、期待しすぎ……俺。きもちわり」
ふと部屋を見渡すと、たった一人いなくなっただけで随分と寂寞して見えるもんだなと、少し淋しくなって、早く出てこないかなーだとか、気づいたら天井のシミを数えていた。
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だが、此の状態は彼にとっては『本当の幸せ』を掴む事に必要だった
何故なら、彼は『転生者』だから…
今度は違う切り口からのアプローチ。
追放の話しの一話は、前作とかなり似ていますが2話からは、かなり変わります。
こうご期待。
男女比1対5000世界で俺はどうすれバインダー…
アルファカッター
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ひょんな事から男女比1対5000の世界に移動した学生の忠野タケル。
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