冴えない最弱冒険者な俺の日常が、大人気配信者の撮影に映り込んでしまったことで一変し始めている件

ぷぷぷ

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#10 二人の天才

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「ん……んぅ……」
「あ、起きた? おはよ」
 甘い香りが鼻孔をくすぐった。
 ハッとなって目を覚ます。
 
 瞬間視界に飛び込んだのは、目鼻立ちの良い少女の顔だった。毛穴の一つすら見つからない、雪のように白い肌。
 そして、俺、稲葉颯太は思う。
 
 ……可愛い、じゃなくてっ。
 
「いや……誰?」
 
 あたりを見渡す。
 ティッシュの山……OK、カップ麺のゴミ……OK、脱ぎっぱの洋服……OK、どうやらここは俺の家らしい。 
 いつもと違うことといえば、目の前に見知らぬ美少女がいることと、テーブルにほかほかの美味そうな料理が並んでいること、その二点だ。
 
 ……つか、まじで可愛い。理屈抜きで瞳を奪われる。
 透き通ってるっていうか、形容し難いほど清楚だ。
 
 黒髪ボブカットの少女は「そりゃ分かんないよね」と淡白に吐き捨てると、「ほっ」と無愛想に猫耳のカチューシャを着けてみせた。
 蘇るのは昨夜の記憶。格上殺しの高揚感と、体を襲う疲労感。
 
 そして記憶の中に登場する一人と、目の前の少女の面影が重なる。
 
「まさか……ヒヨりん?」
「せーかい」
 ぶいっ、と無感情な表情でピースサインを向ける彼女からは、あの活発で元気で「にゃぁああ!?」なんて騒ぐお調子者の姿など想像できない。
 
 いや、確かにヒヨりんは可愛かったんだけど、ちょっとこれはレベルが違うというか、毛色が違いすぎるというか。ピンク髪のロリガキが黒髪清楚のお姉さん系になった、といえばその異常さが伝わるだろう。
  
 結論は一つ。
 ……まじで可愛い
 
「顔、見すぎ」
 むっとした顔をするヒヨりんに、思わず心臓が飛び跳ねる。
 
「ご、ごめ……っ!?」
「謝ることでもないよ。ほら、座って。ご飯食べよ」
 
 ヒヨりんはすたすたと去っていく。
 
 ……なんか、馴染みすぎ、っていうか。
 いそいそと箸を並べ、安っぽい家庭的なエプロンを脱いで畳むヒヨりんの後ろ姿に、なんともいえない感情が湧く。
 
 こうなった経緯には、概ねの予想がつく。
 気絶した俺をヒヨりんが運んでくれて、そのまま身の世話をしてくれているのだろう。それは分かるんだけど……にしても、馴染み過ぎだ。
 
 まるで昨日からそうだったみたいっていうか、もはや同棲している正妻の風格……って、自分で言うのはキモイ、よな、流石に。
 
 でもさ、キャラ違いすぎない? MeTuberってみんなこんなもんなの……かな。
 
「いつつ……」
 体を襲う痛みを堪えつつ立ち上がる。満身創痍もいいところだよ、まじで。

「大丈夫?」
「あ、うん。ありがと……う、ござます?」
 居心地の悪さを感じつつ席に座る。
 当たり前のように目の前に腰を下ろすと、ヒヨりんはじっとこちらを見つめてきた。
 
「食べないの?」
 食べろ、という圧。

「じゃ、じゃあ、いただきます……」
 
 期待の眼差しを浴びながら、生姜焼きに箸を伸ばす。
 にしても料理が上手い。盛り付けにもこだわりがあるのか、緑に赤に黄に、色彩豊かだ。
 
 照り光る生姜焼きを恐る恐る口に含む。
 瞬間、味蕾を刺激する旨味成分。
 
「……うっめぇ。つか、美味すぎね?」
 気づけばまた箸が伸びていた。米をかきこみ、生姜焼きを食べ、これまた繊細な味噌汁で口を流す。 
  
「……やばい、感動するくらい美味い」
「褒め過ぎだよ。それに、そんな勢いよく食べたら、喉詰まっちゃうよ?」
 朗らかに微笑むヒヨりん。しかしニヤつきが隠せないのか、緩くなった口元を隠すように組んだ腕に顔を埋めた。サラサラの黒髪が机に溢れる。
 
 ……可愛すぎね?
 めっちゃいい匂いするし。

 ちんちくりんロリガキMeTuberというヒヨりんのイメージが、音を立てて崩れていく。ヒヨりんといえば適当で、飄々としていて、バカっぽいキャラだ。
 それが、こんな……。

「美味しい?」
 期待するように上目遣いで確認してくるヒヨりんに、ガクガクとロボットみたいに頷いて返す。すると、ヒヨりんは嬉しそうに目を細めた。
「……やった」
 
 ……完璧すぎる。 
 卒倒しそうになって、堪えた。
 
 なんだこれ、なんだよこれ。……もう、俺たちカップルじゃん。
 
「じゃあ、仕事の話を始めよっか。ご飯食べながらでごめんね、君が寝てる間に、予想外の事態が起きちゃって」
「予想外の事態?」 
 
 ヒヨりんはなぜかピンク髪のウィッグと猫耳カチューシャを取り出すと、すぽっ、とそれを装着する。
 ……なんで? 困惑していると、その理由はすぐに分かった。 
 
「まったく困りものにゃよ、ほんと」
 ふてぶてしいヒヨりんの様子に眉をひそめる。
 
 ……なんか、急に可愛げがなくなったっていうか。
 
「ほんとやってらんねーのにゃ!」
 ……あーね。確信する。そのカチューシャつけると、入っちゃうんだ、スイッチ。
 まあ、こっちはこっちでラフに喋れるから良いのかもしれない。

「で、何がやってらんないんですか」
「お前、【フロントライン】って知ってるかにゃ?」
 
 フロントライン。知らぬはずがない。
 日本最高峰の冒険者ギルドで、Sランクを8人も有する圧倒的実力派ギルドだ。大抵の冒険者は【フロントライン】の加入を目標にしている。
 ガンジョーさんもメンバーの一人だ。
 
「勿論ですよ。俺も憧れてた時期、ありましたから」
「なら、鹿ヶ瀬《ししがせ》樂人《がくと》はどうにゃ?」
「テレビでたまに程度」
「一応説明するにゃ。鹿ヶ瀬は【フロントライン】につい最近電撃加入した、新進気鋭のCランク冒険者にゃ……。冒険者歴1週間でCランクに到達した紛れもない本物・・にゃ。そいつが――」
 
 ヒヨりんは冷めた米を口いっぱいに頬張ると、箸の先をこちらに向けてきた。

「――一ヶ月後に【格上殺し】に挑むことを発表したのにゃ」
「んなっ!? 俺と同じタイミングで!?」
「話題に乗じて仕掛けてきたにゃ。しかも奴ら、お前よりも一日先に挑む予定にゃ。つぶやいたーを確認してみるにゃ」
 
 いわれるがままにスマホを開く。
 まず視界に飛び込んだのは、つぶやいたーのトレンドだった。

『格上殺し』
 トッププレンドに並ぶ検索ワード、しかし実際に検索すると――出てくるのは俺の話題ではなく、ほとんどがフロントラインの方の格上殺しについてだった。
 確かにちらほらと、”いなばんの格上殺しわくわくすぎる”だの書いてあるが、比率でいえば2;8ほどか。
 
 つか……。
 絶え間なく流れてくるつぶやいたーのメッセージに視界が釘付けになる。

『気をつけろいなばん! ヒヨりんは痴女だぞ! 男喰いまくってるって噂!』
『ヒヨりんはまじで男遊びで有名だから気をつけろよ』
『ヒヨりんは悪い噂多いからやめろ。これ証拠→【URL】』
 
 ……ち、痴女ね。いや、ネットには嘘と真実が入り乱れているというし。こんな下らないに情報に踊らされる俺ではない。
 努めて平静を装って、動揺を押し殺す。
 
「か、完全に、話題をかっさわれてらぁ……」
 
 動揺しすぎて完全に江戸っ子だった。
 ヒヨりんは気にする様子もないが。
 
「そうなのにゃ。だから……」
 
 ……強烈な嫌な予感。
 それは果たして、的中した。

「こっちの【格上殺し】の予定日を早めるのにゃ。具体的には三週間後、7月21日に行うにゃ」
「は? 三週間……?」
 
 頭がくらくらする。一ヶ月ですら無謀と思えた【格上殺し】を、さらにその一週間早く……?
 冷や汗が吹き出る。それはもう、やるやらないの話じゃない。

「……出来ない」
「やるしかないのにゃ。ただ、それなりのリスクはともなうのにゃ。普通の手段は使えないにゃ」
 
 寂れた部屋に、秒針の進む音だけが響いている。
 ヒヨりんは何か策があるということか。もとより俺も覚悟はしている。命をかけるくらいなら――

「――これに、サインをしてほしいのにゃ」
 
 一枚の書類を手渡される。
 かしこまった書類だった。注意事項や要望まで、隅々まで細かく要項が書かれている。しかし肝心なタイトルの様子がおかしかった。

「……『どんな命の危険があることも、稲葉颯太に無許可でなんでもやっていい契約』」
 
 頭悪そうな内容。なんだこれ。こいつ正気か?
 ヒヨりんの凄まじく真面目そうな顔に頷く。……OK,正気らしい。 

「って、一体何させる気なんすかっ!」
「秘密にゃ! 言ったら、お前絶対やらないのにゃ!」
 
 駄々をこねるように騒ぐヒヨりんに絶句する。
 ……一体、一体何する気だよまじでっ!?

「つかそもそも、事前報告無しでやる気かよ!? ドッキリみたいな!」
「視聴者受けも狙うにゃ! 話題作りにはドッキリが最適ニャ! フロントラインに話題性を奪われるわけにはいかないのにゃ!」

 それっぽい理由を並べられ押し黙る。
 ……まったくもってなんだというのだ。しかし、逃げないと誓ったばかり。ため息を付いて、渡された印鑑を握る。……って、俺の印鑑、どっからくすねてきたんだこの泥棒猫。
 
「ま、なんでもやってやるよ」
 印鑑をぽんと押して、書類を突き返す。
「あんたに従ってやれば絶対なんだろ? だったら、俺はあんたからの要望に応えるだけだよ」
 
 路地裏で交わした話を思い出す。
 配信を切ってから、俺とヒヨりんはいくつかの話をした。契約内容の話、これからの話。
 
「――収益は2:8。お前が8で良いにゃ。いなばんチャンネルで今日から、【最弱冒険者を最強に育ててみた】っていう企画を始めるにゃ。編集、プロデュース、企画立案、スポンサー周りは全てヒヨりんが担当してやるにゃ。お前は、カメラの前で演じるだけで良いにゃ。……どう? 悪い話じゃ無いにゃ」

「――具体的に自分は何をすればいいんですか?」

「――えっとにゃ。まず、『雑魚でモブキャラで陰キャ、のくせに誰もが恐れるような格上殺しに果敢に挑む』……そのキャラの良さが人気に火をつけた、とヒヨりんは思うのにゃ」

「――雑魚で……モブキャラで……陰キャ……」

「――だから、やるのは勿論格上殺しにゃ。まずは大鬼から。その後も色々やるにゃ。そのあいだあいだも色々企画をするつもりにゃが……ま、安心するにゃ。ヒヨりんに従えば問題ないのにゃ。ヒヨりんは天才にゃからな」
 
 ヒヨりんは非凡を見抜く『嗅覚』が優れている、とか自称してたっけ。
 だったら、俺にも似たような才がある。
 
 だから分かる。
 ……ヒヨりんは、紛れもない天才だ。

「ま、なんでも言ってよ。俺は天才なんだろ? だったら、それなりのことはやるよ」
 
 ぶいっ、とピースサインを向けてやる。
 ヒヨりんはあっけにとられたような顔をしてから、クスリと口元に手を当てて上品に笑った。

「言っちゃったね……なんでもするって」
「……ん?」 

 静かで清楚な狂気が垣間見える。
 ヒヨりんは立ち上がると、契約書を手にとって微笑んだ。
 
「じゃあ、早速明日の九時から始動にゃ。明日は今日以上の地獄にゃ! 覚悟……できてるかにゃ?」

 手向けているブイサインを更にぐっと押し出す。

「もちのろんだ」
「そうかにゃ。じゃあ」
 
 ヒヨりんはカチューシャを外すと、すんっとまた清楚で無愛想な顔に戻って、ドヤ顔でこちらにブイサインを返してきた。

「これからよろしくね、蒼汰くん」
「よろしく……えっと」
「小野花《おのはな》日和《ひより》」
「そ。じゃあよろしく、日和」

 ヒヨりん……もとい日和はムスっとした顔をすると、不服そうに嘆く。

「私、19だから君より年上なんだよ?」
「あー」そういえばと、頬をかいて笑う。キャラのせいで忘れていたが、れっきとした年上、もといお姉さんだったか。「よろしくね、日和サン」
 
 日和さんは満足げに笑うと、「じゃ」と振り返った。

「お風呂、借りても良い?」
「ああ、ならそっちに……って、は?」
 
 一瞬、思考が停止する。風呂? ……なんで?
 言葉を返せない俺に、更に彼女は追撃をしかけてきた。

「今日、泊まらせて頂きます……。というかこれから泊まり込みで活動するから。改めてよろしくね、蒼汰くん」
 
 ブイサインを向けてくる日和さん。
 いや……それで済ませていい問題じゃないでしょ!
 
 なんて思いながらも、落胆して、はぁ、と息を漏らした。

「ま、いいけど。これからよろしく、日和サン」
 
 お風呂へと向かう日和さんの後ろ姿を見送って。
 まったくもって数奇な運命だと、笑いたくなった。
 
 ……つか、泊まりかぁ。
 日和さんが消えていった方を見つめて、数秒固まって、「うがぁぁあああ!」と床に伏して転がりまわる。

「あんな可愛い人と……お泊まり?」
 何も起きないはずもなく……?

『――ヒヨりんは痴女だからな! 気をつけろよ、いなばん!』
 不意についさっき流れてきたつぶやいたーのメッセージを思い出して、カァアァアと顔が熱くなっていくのが分かった。 

 ……俺の貞操、大丈夫かな。

「って、期待しすぎ……俺。きもちわり」
 ふと部屋を見渡すと、たった一人いなくなっただけで随分と寂寞せきばくして見えるもんだなと、少し淋しくなって、早く出てこないかなーだとか、気づいたら天井のシミを数えていた。
 つい昨日まで、それが当たり前だったくせに。
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