嘘つき世界のサンタクロースと鴉の木

麻婆

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第二章 ポストクリスマス

デバッグ (2)

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 ほんの一瞬。物語世界同士の狭間。世界観を移動するとき、足元と言っていいのだろうか――二森の主観では下方に見える黒い底。一瞬だけ見える、黒く淀んだ底なし。
 その場所が、二森は苦手だった。見なければいいのに、高所から下をのぞき込んでしまう心理のように、つい目が行ってしまうのだ。

 しかし、それも瞬きの間。
 バックヤードのゲートに飛び込んで、次に足をついたのは四季ノ国屋超時空支店である。作業員と書店員が行き交う観測所。その忙しなさが、二森にはひどく懐かしく思えた。

「サトさん、およそ二年ぶりのサトさん! 相変わらず背が高いですね。愛子はパーツ交換でしか背は伸ばせませんので、うらやましいです」
「そうね。二年ぶりの我が家だというのに、いきなりうっとうしいね」

 作業員に挨拶をし、観測所を出たところで愛子に声をかけられた二森。あからさまに態度が悪くなる。

「パーツ交換でホイホイ伸び縮みできるほうが便利でしょうが」
「そんなことはどうでもよいのです、サトさん」
「こいつ……」
「博士の行方を知りませんか?」
「だから、なんでわたしに聞く? わたしが知るわけない。どうせまた町で遊んでるんでしょ」
「いえ、この支店から消えてしまったのです」
「そっかそっか、それは一大事だ。がんばれ。わたしは忙しいんだ。それじゃ」

 二森は、愛子の頭をぽんぽんと叩くと、かかとを鳴らして歩き出す。
 すると、呼吸のような駆動音と機械仕掛け独特の音をともなって、愛子も二森を追うように歩き出した。

「なに? ついて来ないで」
「トキオに報告ですよね? サトさんを連れてくるように言われて、待機していました」
「なんでわざわざ……」
「愛子とサトさんの関係におけるサブルーチンには、重大な欠陥があるそうです。デバッグを行え、との指示です」
「なんなの……。『二森沙兎には関わらないで.fix』でも突っ込んでおけばいいじゃない」
「エラーを吐き出しそうなファイル名はやめてください」
「なんだか、おかしな具合に錯綜してきたぞ……。今回の件に、愛子と金剛博士は無関係のはず」

 二森はおかっぱ頭をかき乱す。

「ところで、サトさん。関係性というのは、クラウドデータとそれを扱うソフトウェアとみなしてよいのでしょうか? アクセス可能であるのなら、愛子がバグを探して修正を試みますが……」

 言いながら、愛子は二森の手に自分の手を絡めてきた。

「そんなものがあるとしたら、いまはアクセス過多でビジー状態だぜ……。あんた、クラッカーかなんかなの?」

 二森は愛子の手を振りほどく。愛子は残念そうな表情を浮かべてみせ、二森は胡散臭そうにそれを見ている。

「こんなことで関係性なんて変わらないから。可愛い顔で見上げてきたってダメだから」
「手をつなぐのは、仲良しアルゴリズムだと、トキオから聞いたのですが」
「時雄は馬鹿だぞ」
「それに、愛子は、サトさんの知るAIKOではありません。なぜ愛子を嫌うのでしょうか」
「うるさいな。わかってるよ、そんなこと」
「では、なぜ……」
「それをあんたに話してわかってもらえるなら、デバッグだろうとバグフィックスだろうと、できたかもね」
「おそらく、それには人格モジュールが必要です」
「いいや、ベッドに地雷を設置するのと同じくらい、考えるまでもなく必要ない」

 そして、それ以上話すことはないとばかりに、二森は先を行く。愛子も押し黙り、独特の駆動音だけをともない、後を付いて行った。

「なんだ。さっそく、やりあったのか?」

 オフィススペースの一角。二森時雄に与えられた個室で、二森沙兎と愛子は無言で並んでいた。

「時雄、これどういうこと?」
「あとでわかる。さきに報告しろ」

 愛子を横目に深くため息をついた沙兎は、二年間の出来事をおおまかに報告した。適宜、八九二を通して報告は行っていたので、それほど時間はかからなかった。

「ハザードが起こってしまえば、お前の二年間は無駄になるかも知れんな。CFSも動いてることだし、もう墓守遺伝子の解明は待ってられん。物語因子の回収を急げ。変異のほうな。それさえあれば、別の場所でも研究は続けられる」

 物語や物語世界を構成する要素――物語因子。

「現状、銀次郎は死亡し、国葬連からその細胞やDNAなどを持ち出すのは困難。だから、嶽優衣子の墓守遺伝子が変異している可能性に賭ける」

 沙兎の言葉に、博打かよ、と時雄は苦い顔をする。

「沙兎。“楽園計画”に適合する可能性があるのは変異墓守遺伝子のほうだ。普通のほうは要らない。“思い出がない”なんてのは駄目だ。そりゃあ、もう別人だ。お前だって嫌だろう?」
「それは……」
「嶽優衣子が変異していなかった場合、なにがなんでも国葬連から奪取しろ。なんのために国葬連に入ったんだよ」
「……わかった」

 うつむいたまま、沙兎は小さくうなずいた。

「それで、時雄。悪戸吉彦はどうなった?」
「遅かったよ。もう逃げた後だ。まあ、仲間を疑うことになるから、お前も慎重になったんだろうが、もうすこし報告が早ければなあ」
「ごめんなさい」
「いや、いい。すまん。いまのは言っても詮無いことだった。お前に落ち度はない。どちらかというと、人事部と警備部の落ち度だ。いま、あそこはえらい騒ぎだぞ。CFSを招き入れたんだからな」

 非常に拙い状況であるはずが、時雄はどこか楽しそうに話した。

「わたしたちサークルの情報が流れた可能性は?」
「致命的な情報は流れてない。ただ、お前がサークル構成員だということには、気付いてるだろうな。殺されないように気を付けるんだな」
「……それにしても、悪戸はあの物語世界でなにをしようとしてたんだろう。巽くんのような一般人にまで接触していたようだったし」
「たぶん、ハザードの誘発じゃねえかな」
「どうして? CFSは、四季ノ国屋のサークル活動に反抗することで、“物語世界の保護”をうたった組織。ハザードは正反対の現象だ」
「そうだな。CFSならハザードは避ける。だが、あいつらも一枚岩ではないらしいんだ。別口の報告だが、過激な思想に染まった連中が、CFS本体から離れて新生CFSを組織しているらしい」
「悪戸はそのメンバーってこと?」
「あの物語世界は、言ってみればイレギュラーだ。崩壊ハザードを起こした物語世界は、普通は狭間に落ちる。ことになる。永遠にうかばれない真っ黒な底なしに、投げ捨てられる」
「だけど、あの物語世界は違和感から持ち直した」
「そうだ。初めてのことだ。ハザードなんてそうそう起こらないから、サンプルが少なすぎるが、もしかしたら俺たちが考えているよりも、ずっと物語世界はしぶといのかも知れない」
「それが、新生CFSとなんの関係が?」
「ハザードから持ち直したあの物語世界は、もはや別物だ。そして、そのハザードを起こしたのは誰だ? あの物語世界は、四季ノ国屋のサークルが“汚染”した世界なんだろうよ」

 そこで、沙兎は唇をかみしめた。言葉は出ない。

「そして、そのことを許せない連中がCFS内部に現れた。まあ、当然だろう。そして、そいつらは、サークルに汚染された世界は存在しちゃいけない、破壊するべきだ、そう考えた。しかし、CFSは物語世界保護を旨とする。だから意見が割れて、本体から離れたのが過激な思想を持った新生CFSだ」
「悪戸がその新生CFSだという確証は?」
「ない。確証はないが、お前の報告にあった手紙。あれは一見、CFSへの勧誘に思える。だけど、どうも変だ。ただの勧誘であれば、ストレートに誘えばいい。なのにどうして、あの御神木に向かえと指示するんだ?」
「それは、わたしも妙だと思った。あの御神木がなんであれ、いまの物語世界にとって不都合だから禁忌になってるんだと思う。それに触れられるのは、CFSの本意じゃないはず……」
「そうだな。ハザードを起こす可能性が十分にある。だから、手紙の本当の目的は、物語世界に――物語世界の住人に、違和感を与えること。つまり、物語世界の崩壊を誘っているんじゃないかと考えた」
「なるほど。サークルに汚染された物語世界は存在してはいけない、という新生CFSの主張と一致するってことか……」
「そういうことだ。たんに事実を住人に話したところで、信じるわけがないからな。狂人だと思われるだけだ。じわじわ攻めるしかない。よくやるよ、悪戸も」
「感心するな。でも、そうなるとホントに時間がない。行かなきゃ」

 沙兎はくるりと踵を返す。

「待て、沙兎。まだ話がある」

 時雄は、愛子を指して沙兎を引きとめた。

「あー、忘れてた」
「嘘つけ。お前が愛子を忘れるかよ」
「……で、なに?」

 わかりやすく機嫌を損なう沙兎に、時雄は苦笑いをこぼす。

「悪戸吉彦の件で、警備部が観測所のログを漁った。すると、登録のない八九二のログが残ってた」
「どういうこと?」
「観測所の連中の話では、金剛博士がよく門をくぐっていたらしい」
「登録のない八九二……。どうやって手に入れたんだろ。あれを手に入れた物語世界は、もうないはずだよね?」
「あの御仁、自分で作ったみたいだぞ。管理部で、八九二の構造についていろいろと聞いていたらしい」
「お喋りな管理部はクビだな」
「まったくだな。特性上、ここには想像もつかないようなことを成すやつがいる」
「しかし八九二を作れるとなると……」
「八九二が慢性的に不足しているCFSが飛びつくだろうな」

 誘拐か。
 沙兎は苦虫を噛み潰しながら、そう呟いた。

「博士は、いつも必ず支店に戻っていた。だが今回、ログを見る限り二週間は戻ってない。どこかでCFSに捕まった可能性、確証はないが否定もできない」
「最後のログでは、どこに向かっていたの?」
「わからないそうだ。正規の八九二じゃないからなのか、博士があえてSSBNの情報だけ削除していたのか」
「そっかそっか……」
「博士が八九二を製作できるという情報を知り得たのは、この支店にいる者だけだろう。つまり、元書店員である悪戸もまた知り得た」
「なるほど。現状、誘拐となると新生CFSがもっとも怪しいと」
「あぁ。可能性がある以上、放っとくわけにもいくまい」

 そこで時雄は、傍らに無言で立っていた愛子に目を向ける。

「聞いていたな?」
「はい。すべて記録済みです。いままでの報告にも目を通し、予習も行いました。トキオ、愛子は意気軒昂です」
「うそでしょ……」

 沙兎は、もはや苦虫を噛み千切って吐き捨てるように呻いた。

「連れていけ。なにかと便利だ」
「サトさん、愛子にはさまざまなモジュールが搭載されています。プロトタイプの面目躍如。きっとお役に立てるでしょう」

 時雄と愛子を交互に見つめ、ため息をつく沙兎。

「二森沙兎。お前はもう、シャルロットじゃない。別人だ。弟のりくも、もうパトリースじゃない」
「わたしはともかく、あいつは……!!」
「愛子も、あのAIKOじゃない。……なあ、十四で拾ったお前も、もう二十四だ。いいかげん、“あの頃”に別れを告げてもいいだろう」

 時雄は、オフィスチェアに深く腰かけ直す。

「それとも、二森は嫌か?」

 また、沙兎はため息をついた。大きいため息だ。

「時雄はずるい」
「よく言われる」
「ひとでなし」
「ありがとう」
「独身」
「ふざけんな! 独身でなにが悪い! リンゴぶつけるぞ! さっさと行け!」
「わかったよ。善処する」
「おう。二年ぶりに戻ったのに、早々で悪いな。気を付けて行ってこい」

 そして、沙兎は三度目のため息をついた。どこか吹っ切れたような、短いため息だった。

「うん、行ってくる。……時雄、白髪すこし増えたね」
「まあな。四十代も後半戦だ。そら増える」

 四十代後半とは思えぬ若々しい笑顔で、白髪の増えた髪をなでる時雄。それを見て、沙兎の表情はゆっくりと和らいでいった。

「あ、そうだ。愛子のぶんとは別に、あといくつか八九二を持っていっても構わない?」
「なんだ、友達でもできたか?」
「いや、別にそういうわけじゃないけど……」
「実感したろ? 物語世界だなんて言ってるが、物語でもなんでもない。営みがある一個の世界だ」
「そうだね……」
「でも、お前は選んだ。ひとつの世界よりも弟を選んだんだ。世界を守るだのの規模のデカイ理由は、小さくて身近な理由には勝てない。正気を失う以外に、勝つ方法はない。お前も勝てなかった」
「たまには、たった一人のために、大きななにかが犠牲になってもいいじゃないか。そう、思ってた」
「でも、新しく、小さくて身近な理由が見つかったか?」

 沙兎は答えない。時雄はすこし優しく笑う。

「まあ、いい。たとえ世界を犠牲にしてでも、弟を救う道を模索するんだろ? 初心を忘れるなよ」
「もちろんだよ、時雄。じゃあ、行ってくる」
「死ぬなよ。甘ったれのクソガキ」

 時雄にニヒルな笑顔を残して、沙兎はオフィスを後にした。

「サト、そろそろ準備はいい?」
「だから、距離の詰め方がクラッキングレベルだって言ってるでしょうが」

 支店の居住区。二森の個人宅で、着替えていた沙兎に愛子は馴れ馴れしく話しかけた。

「呼び捨ては構わないけど、その友達みたいな話し方はやめて。なんかイメージじゃない」
「そうですか。残念です、サト」
「そう、それがちょうどいい」

 そして、沙兎がスーツのボタンを留め終えたころ。玄関で物音がした。誰かが部屋に入ってきたのだ。

「え……。姉さん!? 帰ったの!?」
「陸! 起きてて大丈夫なの?」
「姉さんは、年寄りをなんだと思ってるのさ。出歩くくらい、なんでもないよ」

 しわだらけの笑顔。相変わらず、ふにゃっとした締まらない笑顔。二森が二年ぶりに見た弟は、どこか一回り小さくなったように感じた。

「ひさしぶり。陸、元気だった?」
「おかえり、姉さん。僕はぜんぜん平気さ。姉さんこそ、無茶してない?」

 姉を気遣いながら、陸は愛子に手を振っている。

「お邪魔しています、リク」
「こんにちは、愛子さん。いま、お茶入れるね」
「リク、お構いなく!」
「そうそう。こいつに味なんて関係ないんだから、雨水で十分」
「はい。ここの雨水は、混ざり物が少なくてとても助かっています」

 沙兎と陸は、得も言われぬ顔で愛子を見る。

「え。疑似人格モジュールが、“気まずい空気”を認識しました。アトモスフィアプロトコルを開始。押し黙ります」
「ま、まあ。わたしたちは、またすぐ出かけるから、気にしないで」
「そうなんだ……。二年ぶりなのに」
「ごめんね、陸。たぶん、もうちょっとで片付くから」
「そう……」

 陸は、ゆっくりとした動作で、手近な椅子に腰かける。膝や腰を気遣う老人の動きだった。

「僕はね、後悔してるんだ」
「なに?」
「ここに来たばかりのころ、僕は死んでしまっていたほうが楽だったなんて、姉さんに言ってしまった」

 沙兎の眉間が険しくなっていく。二十歳の老人を見る瞳が、湿気をおびていく。

「でもね、姉さん。僕はもう大丈夫。この体も、生活も、それほど悪くないと思ってるんだ」
「嘘つかないでよ」
「ホントだよ。だから、姉さんが無茶する必要はないんだよ。もう無理しなくてもいいんだ」
「無理なんてしてない。それに、希望はあるから」
「希望か……。希望は、重いんだよね。持っていると、前に踏み出せなくなるんだよ。ホントはもう歩けるのにね。それって、損じゃないかな」

 ――希望は、捨てるだけ損じゃないかな――

 むかし、陸がまだパトリースだったころの言葉。それを思い出した沙兎は、言葉を失ってしまった。

「サト、大丈夫ですか? 目元に熱い流体を感知しました」
「それ誤検知。ぜんぜん平気だから」
「そうですか?」
「それじゃあ、行ってくるよ、陸」
「うん。本当に気を付けてね、姉さん」

 二森宅を後にした二人は、観測所へと向かっていた。相変わらず、愛子は二森の手を握っている。面倒くさくなったのか、二森はもう解こうとはしない。

「人は変わる」
「はい。基準は不明瞭ですが、サブルーチンやハードウェアの更新が行われます」
「でも、ただ黙ってたって変わらない。なにかが変えるんだ」
「想定外の外的要因、または内部処理の不具合によって、アップデートを余儀なくされるということですね。運用上、よくあることかと」
「わたしは悔しい。陸に、あんなことを言わせてしまうなんて。わたしが、もっと……しっかりしていれば」
「不具合は、ないほうが不安になる。博士はそう仰っていましたよ? それとも、サトもまた、アップデートの時期ですか?」
「また陸に、希望は捨てるだけ損だと言わせてやる」
「ロールバックは有効な手段ですが、リスクやデメリットも見過ごせませんよ?」
「おい……、アトモスフィアプロトコルとやらを開始しろ」
「すみません。多目的センサーは雰囲気を感知していたようですが、疑似人格モジュールの精度が悪いのです。愛子、押し黙ります」
「黙るしかないのか、それ」

 ふっと、二森は笑った。
 あまり噛み合わない愛子との会話が、二森の深刻な空気を拭い去った。

「バカ愛子」
「え。傷つきます」
「嘘つけ。さあ、行くよ」
「はい!」
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