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第二章 ポストクリスマス

デバッグ (1)

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 一度、支店に戻るため、二森は四季ノ国屋書店へ来ていた。

「話は聞いています。ゲートと端末はバックヤードにありますので、ご自由にどうぞ」
「ありがとうございます」

 二森をバックヤードへ促し、書店員はすぐにレジ横の端末に向き直った。傍らには、『閉店作業』と記載されたマニュアルが置かれていた。

「作業中、ごめんなさい。すこし、お尋ねしても?」
「はい」

 書店員は作業の手を止め、眼鏡の位置を直す。

「なんでしょうか?」

 彼女は忙しそうであったが、話を聞けないほどではなさそうだった。

「この書店では、どんな本を流してます?」

 二森の問いに、書店員は視線を斜め上に向け、すこし考えこむ。

「この物語世界以外からの本、という意味でいいんですよね?」
「そうです」
「それなら、あまり多くないので――すこし待ってください。プリントアウトします」
「お願いします」

 書店員がプリントアウトの作業に入るのを見て、二森は書店内を歩きだす。それほど広くはない店内に、本棚が所狭しと並んでいる。それを眺め、時には手に取り、二森は散策していく。
 この書店自体には、頻繁に訪れていた二森。しかし、書店員として戻ったのは、ずいぶんと久しぶりだった。よく見ていたはずの店内に、二森は懐かしさを覚えた。

「あっ」

 ま行の作家が並ぶ本棚で、二森は足を止める。

「村上龍はあるのに、なぜ村上春樹がないのか」
「悪戸さ――悪戸吉彦の趣味だったみたいですよ」

 書店員が戻り、村上龍を手にしていた二森にそう告げた。

「斜に構えた女子大生みたいな趣味だな」
「ふふっ。こちら、お待たせしました」

 控えめに吹き出し、書店員は二森にA4用紙を二枚ほど手渡した。

「あらら? 書籍だけじゃなくて、映像作品もあるんですね。珍しい」
「はい。そっちは、わたしの趣味です。特撮はとても人気なんですよ」
「そっかそっか。でも、たしかに多くはないですね。ここは標準物語世界じゃないから、やっぱり難しいですよね」
「そうなんですよ。普通の現代ものでも、この世界ではファンタジーやSF扱いになりますから。説明不要なほど流行れば、いけるんですけどねー……」

 眼鏡の書店員は、その後も好きな作品を挙げ、あらゆる世界で流通させたいと熱く語っていた。

「それじゃあ、これもらっていきます」

 熱弁の切れ目を突いて、二森はバックヤードへと向かった。
 書店員は顔を赤くして慌てている。

「すみません! お時間を取らせてしまって! しかも、わたしばかり喋って……」
「いえいえ。また聞かせてくださいね」

 書店員に背を向けた二森は、思わず顔を歪めた。あまりにも書店員の話が長かったからではない。それはむしろ、彼女にとっては楽しい時間だった。

「これ、どういうこと……?」

 二森はプリントアウトされた用紙を眺め、歯噛みした。



 ◆



 俺は、気を失いそうなほど動転していた。
 墓守のロッジを出て、モスグリーンのバギーに乗ったまではよかった。それがいまは、シートの後方にまたがり、自分より小さくて華奢な優衣子にしがみついている。もしかしたら、悲鳴すら漏らしていたかも知れない。

「ワープするな!」
「このほうが早い」
「空飛ぶな!」
「そのほうが早い」
「非常識だろ!」
「古いものさしは捨てて」
「なんでいまスレイベル鳴らしてる!?」
「墓守の仕事」

 埋葬林に突入しようと決めた夜に、ものさしは捨てたはずだった。だけど、新しいものさしを作る暇もない。

「巽。もう一回いくよ」
「無理、吐きそう」
「これで最後。吐いたら許さない。あと、脇腹痛いんだけど」

 視界が、緑閃光に突っ込んだみたいに輝く。
 吹雪にさらされた死者の木。アーチ状になった枝の下を通った時だった。
 そして、眩しさに怯んだ目が次に捉えたのは、林宮の社務所だった。どうやら、三之鳥居から飛び出したらしい。

「サンタクロースが、ワープしたり空飛ぶとは思わないだろ」
「空は飛ぶでしょ。――もう着いたから離して。あばらが折れる」

 俺は倒れこむようにして、バギーから降りた。
 ぜえぜえと喘ぐ俺の呼吸が、舞い落ちる雪の軌道を変える。丸い砂利石についた手のひらが、薄く積もった雪を融かす。優衣子に借りた赤いコート越しに、冷え込んだ空気が染み入ってくる。
 東北とはいえ、桜はとうに咲いた。五月の吹雪など、普通はあり得ない。しかし、その常識は、埋葬林には通用しない。三之鳥居の向こう側であれば、五月の吹雪も納得できるのだが。

「やっぱり、なにか異変が起こってるな……」
「うん、異常」

 埋葬林だけ、すっぱりと気候が変わることはある。しかし、顔を上げ、見回した俺の目には、異常な気候が林宮をまるごと飲み込んでいるように見えた。

「巽……」

 名前を呼ばれ、俺は赤いコートのフードをとった。

「……不魚住。いろいろと迷惑をかけてる。まずは、それを謝るよ。ごめんな」

 不魚住は、俺と優衣子を交互に見て、頭を抱えている。

「それでも、俺は優衣子を見つけることができた。まあ、俺はほとんどなにもしてないんだけどさ」
「だったら、黙って逃げてくれればよかったのに……。僕になにひとつ気取られないで、逃げていてくれれば……!」

 いっそう強さを増したような吹雪のなか、不魚住が泣いている。
 自分の行動が、友人の涙を招いている。そのことに、ひどく胸が痛んだ。

「ごめん……。でも、話がしたいんだ。俺たちは話ができる。同じ言葉を持ってる。隠し事をすべてなくして、どうしても、三人で話がしたいんだよ」
「馴鹿。わたしからもお願い。巽は、わたしがいる限り、わたしみたいにはならないんだよね? なら、場合によっては、これが最後の機会かも知れない」
「僕に――。岩木林宮の宮司に――。国家公務員に――、違反を見逃し、犯せというんだね?」

 隣で、優衣子が怯んだのがわかった。俺だってそうだった。

 俺も優衣子も、もちろん不魚住も、赤信号は渡らない人間だった。どれほど交通量が少なかろうと、だれもが赤信号を渡ろうと、俺たちは青に変わるまで待つ。指をさされ、面倒な奴らだと笑われてもなお、俺たちの行動は変わらないだろう。

 だけど、いまこのとき、俺と優衣子は赤信号を渡った側だった。律義に、真面目に、横断歩道を探して信号が変わるのを待っていた不魚住。それに対して、俺たち二人は、「信号を無視して渡って来い」と言っているのだ。
 そういう人間にはなりたくない。不器用でも真面目な人たちを苦しめるような、そういう人間にはなりたくない。そう思っていた俺は、不器用で真面目な不魚住を苦しめている。

 いつの間にか、俺は赤信号の向こう側に行ってしまっていた。
 いや、“いつの間にか”だなんて、そんなわけがない。俺は選んだ。ほんの小さな選択肢の連続で、その先を想像できていなかったのかも知れない。それでも、俺は赤信号を渡ることを選んだんだ。

 その道行の正しさと、成功を祈ったんだ。

「不魚住。もし、それが正しいとしたら、お前はどうする? 赤信号を無視して渡ることが正しいとしたら、どうする?」
「そんなわけないよ、巽」
「赤信号を渡ってはいけない、というルールのほうが間違っているかも知れない。巽が言いたいことは、そういうこと?」
「そうだ」

 優衣子は俺の言葉を整理し、考え込む。

「いや、待って。とりあえずなかに入ろう。わたしは平気だけど、二人は風邪をひきかねない。ゆっくりしていても平気な状況じゃないかも知れないけど、社務所に入ろう。とりあえず、それだけは正解だと思う」

 それだけ言うと、俺と不魚住をおいて、優衣子はさっさとバギーを車庫に運んでしまう。

「なあ、不魚住。俺はあの優衣子に会って、驚いたんだ。正直、俺の知ってる優衣子は、みんなが言う通り死んだと思った。悲しくて、ちょっと泣いたよ」
「うん……」
「お前はいままで、たった一人で抱え込んでいたのか。……そう思ったら、余計に泣けてきてさ」
「た……つみ……」
「でも、あれ優衣子だろ。あの空気の読まなさは、優衣子だよな?」
「ろくでもない空気なんて、優衣子はわかってて読まないんだ。だから、僕たちが傍にいて、一緒に読まないで……。一緒に……」
「まあな。どっちかといえば、それは副作用みたいなものだけどな。一緒にいたいから、いただけだし。でも、ああなった優衣子の傍に、お前はついていてくれたわけだ。優衣子からしたら、余計なお世話かも知れないけどさ。今度は、そこに俺も混ぜてくれよ、不魚住。話をしよう。せっかく、俺たちは言葉を交わせるんだから。久しぶりに、三人揃ったんだからさ」
「三人――」
「君たち、いい加減にしろ。風邪引く」

 車庫のなかから俺たちを呼ぶ優衣子。心なしか、すこし笑っているように見えた。そう見えたのは、吹雪で視界が悪いからかも知れない。
 そして、不魚住と顔を見合わせ、俺もすこし笑った。不魚住も笑った。いつものように、笑った。
 そんな日は、もう二度と来ないと思っていた。
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