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第二章 ポストクリスマス

非同一性総合人格 (2)

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『墓守様、おはようございます。昨夜は本当に大丈夫でしたか? いちおう、現状の報告を』

 テーブルの上、ガスマスクの横でトランシーバーが声を上げた。知っている声だった。

「う、不魚住か!?」
「……馴鹿、かな」

 優衣子は無表情でトランシーバーを掴み上げる。そして、言いよどむように、トランシーバーのスイッチの上で親指が迷った。

『夜にも話しましたが、二森さんからの報告で、巽が迷い込んだ可能性があるって……。それはないって言っておきましたけど、ホントに大丈夫ですよね? 巽はいないですよね?』

 なるほど。それはそうか。
 林宮の馴鹿と、国葬連の二森さんは、知り合いでないほうがおかしい。

「昨日も言ったけど、誰も埋葬林には入ってない。警察にも連絡は不要。今朝も穏やか。安心していい」

 トランシーバーにむかって、優衣子はそう言った。

『そうですか。よかった。ホントによかった。巽め、なにしてるんだか……あっ。すみません』

 心から安堵している不魚住の声。申し訳なさが募る。あとからものすごく怒られるかも知れないが、そのときは潔く叱られようと思った。
 それにしても、不魚住の優衣子に対する他人行儀さがすこし気になった。しかし、墓守と馴鹿とは、そもそもそういうものなのかも知れない。そう考えると、違和感はない。

「俺がここにいること、不魚住は知らなかったのか……」
「うん。わたしの独断で連れてきた。本来なら、わたしは巽を射殺しなくちゃいけない。墓守失格レベルの大嘘が進行中」
「射殺って……」

 ふたたび優衣子の脚の間に収まっているライフルを見て、俺は身震いを起こす。優衣子の装束同様、赤く塗られたライフル。昨夜から、俺はどれほど射殺されかかっているのか。

「埋葬林で迷わない人間は、必殺が掟。でも、巽を埋葬林に連れ込んだのは、わたし。だから今回は見逃す。うまく逃げて」
「え。迷わないのか、俺。でも、逃げるっていったって、どうしたらいいのか……」
「出口までの安全は確保してあげるから、とにかく埋葬林から逃げて。さもないと、わたしは巽を撃たなきゃならない」
「う、撃つのか……。それは本物?」
「うん、本物。練習はしてるんだけど、下手だから当てられないかも知れない。それでも、そうするのが墓守の仕事だから」

 優衣子は墓守様が大好きだ。だからこそ、自分自身が墓守になったとき、墓守としての振る舞いには拘るだろう。埋葬林への侵入者を殺すのが墓守の仕事だというのなら、彼女はやるに違いない。

「わかった。ひとまず逃げることにする」
「うん。助かる」
「でも、例えば、不魚住が殺さなくていいと言ったら?」

 俺が馴鹿なら、迷うはずだ。優衣子や不魚住を殺さなくてはならない状況になれば、俺は迷う。殺したくない。
 その、ささいな活路に手を伸ばしてみる。

「……情けは、期待できない。巽だろうと、優衣子だろうと、馴鹿は仕事をまっとうする」
「だよな……。あいつ、馬鹿みたいに真面目だもんな」

 それが、不魚住の良いところだ。俺の好きな不魚住だ。

「……あれ? でも、墓守が俺のような侵入者を射殺するなら、どうしてあのとき助けた? ここに連れてきた?」

 俺を助けたそもそもの行動が、墓守としてズレているのではないか。

「気付いてしまったか。難しい質問。うまく答えられない。でも強いて言うなら、わたしにとってのサンタクロースは、むかし、わたしを助けてくれた巽と不魚住将だからかな」
「そ、そうなの」
「わたしの記憶が、そう言ってる」
「な、なるほど……」

 なんだか急に気恥ずかしくなって、コーヒーカップを傾ける。目の前の黒い液体を凝視しながら、なるべくゆっくり飲んで、心を落ち着かせた。

「でも、次はない。巽はここから逃げるべき」
「わかった」

 そう返事をかえし、俺は左腕に触れる。冷えた金属の感触。祖父の腕時計。祖母からもらった宝物。優衣子が届けてくれた硬実。
 これに導かれ、俺はここにいる。そして、優衣子の生存を確認できた。埋葬林の中心部にあるという御神体に行くまでもなく、俺の目的は果たされた。だから、考えてみれば、もう埋葬林に居座る理由はない。だけど、できれば帰りたくないなどと思ってしまう。

「巽」
「ん?」
「それ、あの腕時計だよね? なんであるの?」
「なんでって……。お前が届けてくれたんじゃないか。硬実だろ?」
「知らない。硬実は、林宮か国葬連が届けるはず」

 馬鹿な。
 この腕時計があったから、俺はいまここにいる。優衣子を探して、無茶を通した。だけど、優衣子の言葉で、その根底が揺らいだ。

「じゃあ……、これはいったい、だれが……」

 ひんやりとした腕時計が、とつぜん不気味に思えた。

 腕時計のことを知っているのは、祖母、不魚住、優衣子の三人。祖母と不魚住は除外した。だから、優衣子だと確信した。動機も手段も優衣子にはあった。でも、当の本人が否定した。きょとんとした顔は、嘘をついているとは思えない。理由もない。

 じゃあ、なんだこれは。だれが、なんのために。

 自分自身の行動を思い返してみる。この腕時計を手に入れたことで、俺が取った行動。それは、御神体への接触だ。果たされることはなかったが、俺は埋葬林の中心部を目指した。そこに、優衣子に関する秘密があるかも知れないと思ったから。
 腕時計が、俺を埋葬林の中心部へ向かわせるための、きっかけだった。いや、トドメだった。腕時計は、最後に俺の背中を押した。

 俺は、ベッドのそばに置かれていたリュックサックから、手紙を取り出す。くしゃくしゃになった便箋が二枚。

 ――もし仮に、君の友達が誰かに殺されたのだとしたら、君はどうする?――
 ――そして、その犯人を私が知っているとしたら、君はどうする?――
 ――もしも、外ヶ浜巽に反抗の意思があるのなら、嶽優衣子の死の真相を教えよう――

 優衣子は事故で死んだと、本人が言った。手紙を信じるわけではないが、齟齬がある。故意ではないが、だれかが殺したということだろうか。

 ――この世界は嘘つきだ。バートランド・ラッセルの世界だ――
 ――世界の嘘を暴き、嶽優衣子の死の真相を知りたいのなら、埋葬林を目指せ。中心部にあるという御神体に接触しろ――
 ――その行為をもって、我々は外ヶ浜巽に反抗の意思あり、と認識する。そのとき、すべてを教えよう――

「くそっ」

 俺は思わず吐き捨てた。

 ――埋葬林を目指せ。中心部にあるという御神体に接触しろ――

 これだ。こいつだ。この手紙だ。お前は、だれだ? 我々って、なんだ?
 手紙の主――こいつが、どうやったのかはわからないが、俺に腕時計を寄越した。そして、その思惑通りに、俺は埋葬林の中心部を目指した。俺は操られたのだ。優衣子の死を受け入れられず、それに執着していた俺の心につけ入った。それ以外、思いつかない。

 だとしたら、俺になにをさせたいのだろうか。埋葬林の中心部には、なにがあるのだろうか。御神体とは。そして、世界の嘘とは、いったいなんなのだろうか。

 手紙の主に、いいように操られているのは腹立たしい。だけど、これほど俺たちを振り回す埋葬林という存在に、俺の好奇心が強烈に刺激されているのも事実だった。埋葬林という異様に、どうして普段はだれも関心を持たないのだろうか。気にならないのだろうか。普通の人たちよりも埋葬林を身近に感じていた俺でさえ、気が付けば埋葬林は頭の片隅だった。

 それは、なことではないのか?

 手紙は、そのことを伝えようとしているのだろうか。

「どうした、巽。大丈夫なの? その紙、なに? なんのメモ?」
「あ……あぁ、大丈夫。これは、手紙みたいなもんで……」
「そうなんだ。便箋ぽいもんね。もしやラブレターか。いや、わたしの記憶では、巽はモテないはずだ」
「うるせえな」

 あれ、待て。
 紙? メモ?
 なにか、引っかかりを覚えた。

 ――巽……、その手紙は?――

 あのとき、不魚住はそう言った。
 いきなり取り出した紙を見て、すぐに手紙だと気付くだろうか。優衣子のように、メモかなにかだと思うのが普通ではないのだろうか。
 いや、一概には言えない。すぐに手紙だと思う人がいてもおかしくはない。それに、不魚住は、どちらかといえば俺を止める側だった。

「お? トランシーバーか」

 優衣子の呟きに一瞬遅れ、トランシーバーが音声を受け取った。

『墓守様! なにか異常はありませんか!? 林宮全体が吹雪です。埋葬林から、吹雪がはみ出してます!』
「またか……。わたしの墓守パワーが足りないのか――」

 優衣子は独りごち、トランシーバーを掴んで窓から外をうかがう。

「――馴鹿。たしかに、いつもと粒子の流れは違う。でも、それだけ」

 橋の上、俺の鼻先をかすめて降った雨を思い出す。
 だれもがその異常事態に興味を示し、やがて、だれもが興味を失った。

 なにかが起きている。あり得ないはずの事態が起きている。なにかが、暴かれようとしているようでもあった。
 優衣子の死をきっかけにして、俺のまわりでは奇妙な出来事が起こっている。あるいは、もっと前から。

 手紙の胡散臭さは消えない。それどころか、増すばかりだ。
 でも、隠されたなにかがある。それは間違いないのではないだろうか。物騒な格好で、俺を殺すと脅した二森さん。彼女の行動も、それを後押ししているような気がする。そして、埋葬林で起こっている異常事態。

 ――この世界は嘘つきだ――

 この世から切っても切り離せない埋葬林や墓守。この世界が嘘つきだというのなら、それらも嘘だというのか。いったい、だれの嘘だ。なんの嘘だ。
 不魚住は林宮の宮司だ。優衣子は墓守になった。俺の友達は、その嘘に好き勝手されているというのか。
 学業と両立して頑張っていた不魚住の日々も、墓守に対する優衣子の情熱と現在の姿も、サンタクロースとトナカイに扮して暴れたあの思い出も、ぜんぶ嘘だっていうのか。偽物だっていうのか。

 知りたい。暴いてやりたい。己の立脚点を揺さぶられているような感覚に、怒りを覚える。
 嘘をついているものがなんであれ、引きずり出して、ふざけるなと言ってやりたい。
 嘘ではないのなら、その確信を得たい。

 俺は臆病だから、ひとりでは無理かも知れない。だけど、不魚住がいる。優衣子がいる。三人でなら、それこそ世界だって敵にまわせそうな気がする。

「優衣子。一緒に不魚住を説得しよう」
「なんのこと?」
「知ってること、洗いざらいぜんぶ話してもらう。俺も、二人と同じ側に立ちたい。知りたいことがある」
「いいよ。それは巽っぽい行動のように思う。それに、わたしも取り戻したいものがある。間違いを正したい」

 優衣子はトランシーバーを置いて、赤いコートを羽織った。

「それで? 巽は、なにと闘ってる?」
「というと?」
「わたしの前に立ちはだかったときの、サンタクロースの顔してる」
「どんな顔してるんだ、俺……」
「巽の敵はなに?」
「嘘つき世界」
「え。なにそれ。漫画の話?」
「いや、本気の話」
「そうなんだ。いいよ。でも、納得のいかない話だったら、わたし、巽の敵になるかもよ」
「うん、いいよ。優衣子だもんな」

 思わず笑う。
 思い出を失おうが、感情を抑制されようが、やはり優衣子は優衣子だ。非同一性総合優衣子は、どうやら俺の好きな優衣子らしい。

「なに笑ってる?」
「いや、すまん。こっちの話」
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