ぼくらのオルタナティヴ ~ 屋上より愛をこめて ~

麻婆

文字の大きさ
3 / 13

姉妹

しおりを挟む
「すげえ気が重い」

 俺たちは、八千代の死の真相を探るべく、彼女の家に向かっていた。こいつは初めから自分の家に行きたがったが、俺は頑なに断ってきた。しかし、それももう限界だった。“なぜ駄目なのか”、という問いに答えられないのだ。答えることと、八千代の家に行くことは同義だ。ならば、自分の目で確かめてもらおうと、そう思ったのだ。

「やる気出せよ、深雪。お前の恋人のことだぞ」
「せっかくまたこの世に出てきたんなら、もっと楽しいことすればいいだろ。正直、お前の事件を掘り起こすのしんどいわ。どうせ、“もぅマヂ無理。リスカしょ”とか、そんなだって」
「なにそれおもしれー! どっから声出してんの、きもー」

 八千代はげらげらと品のない笑い声を上げて、俺の頭を叩いている。痛くはないが、激しい違和感を覚えるのでやめて欲しい。
 でも、と八千代は突然真顔になり、俺を見下ろす。なにかを悟っているような、諦めているような、少し悲しい顔をした。

「その気持ち、なんか、分からないでもないかな」

 俺は、なにも言い返せないまま、とぼとぼと歩いた。
 時刻は十六時を回ろうとしているのに、太陽は粘ってなかなか傾いてはくれない。アスファルトが遠くでみずみずしく揺れて、見上げてもいないのに太陽の存在を見せつけられる。踏みしめる靴底が焼け爛れ、粘ついて歩みが遅くなっているような錯覚を起こした。

 俺は、心底、八千代の家へ行くことに怯えていた。
 八千代はずっと黙っていて、俺も喋ろうとしない。やがてその沈黙が気まずい気分に変化し、口を開くも声は出ず、暑苦しい空気だけを馬鹿みたいに飲み込んでいた。

 そんな沈黙の炎天下のなか、右肩だけがやけに冷たくて、そして重たい。ときおり吹く熱風が、どうしてか八千代を煽り、くそ暑そうなブレザーを揺らしていた。
 すい、と八千代の左手が俺の頭を通過し、左の首筋あたりにそっと置かれた。

「冷たい?」
「……あぁ」

 俺の汗を引かせてゆく八千代の手に、こいつは死人なのだと、改めて認識させられた。

「お前、死んだんだな」

 血塗れの八千代を見た。棺桶に入った八千代を見た。灰と骨になった八千代を見た。だが、いま一番、八千代が死んだことを実感した。ずいぶんと、おかしな話もあったものだ。

「うん、死んだよ」

 “ありがとう”みたいな空気で、八千代は自分の死を告げた。そして、でもさ、と八千代は続ける。頭のてっぺんに、八千代の少し申し訳なさそうな視線を感じた。

「でもさ、死んだってこと以外、ほとんど憶えてないし、いきなり深雪の家の前にいたし、自分がなんで死んだか、やっぱ気になるわけよ」

 俺は学校から帰宅して、死んだはずの女を見た。ついに暑さで頭がイカれたなと思って、馬鹿みたいに空を見つめて現実を締め出した。短かったけど、そこそこ面白く過ごしてきたし、ここで頭をやられて死ぬのも、まあそんなもんかなと思った。

 いや、嘘だな。
 びびってた。すげえ怖くて、死にたくねえと思って、逃げた。まだクリアしてないゲームもあるし、漫画も小説も、映画だって積んでる。そりゃ、死にたくない。逃げる。
 もし、あそこで死んでいたら。そして、八千代みたいに、死んだこと以外をほとんど忘れて幽霊になったとしたら。

「そりゃ、気になるわな。手伝うよ……」
「ありがと」

 八千代の脚が、視界の右側で楽しそうにぷらぷらと揺れている。まるで生きているみたいに血色の良い膝小僧が、太陽に当てられて白く眩しかった。生前の痩せすぎ具合がまるで嘘のように、健康的な肉が付いている。

「見すぎ」
「……すまん」
「まあ、いいよ。あたしも深雪の寝顔、ガン見してるし」
「まじかよ、聞きたくなかったわ。今夜から怖くて眠れねえだろ」

 だって眠くねえもん暇じゃんよ、と八千代は笑った。
 腹立たしいほど可愛い笑顔だった。いつもこんな風に笑っていられるような日々だったら、死なずにすんだのかも知れない、と俺は妙に切ない気持ちになった。

「ああ! あたし、好きな言葉思い出した」
「なんだ急に。あんま聞きたくねえな、それ」
 なんだって八千代は、こうも嫌な予感ばかり吐き出すのか。こいつの好きな言葉など、ろくでもないに決まっている。

「束縛」
「うわ……。やっぱ最高に気持ち悪ぃな、お前」
「いまは、深雪くんの右肩に束縛されております」
「俺が束縛されているとは考えないんですかね」
「そこだよな! どっちかなー……」

 と、大はしゃぎで悩みだした八千代。心底どっちでもよかった。そんなことよりも――、

「お前の家、見えてきたぞ」
 もう二度と見ることはないと、思っていた家だ。




 八千代の両親はまだ仕事中らしく、自宅には妹だけがいた。正直、両親に会うよりは何倍もマシだった。線香をあげに来たと言うと、妹は少し怪訝な顔をした。やっぱり変わった人ですね、とも。

 裕福そうな二階建ての一軒家。冷房がきいていて、外の灼熱が嘘のようだった。そして、冷えびえとしたこの家から見る外の明るさもまた、嘘のようだった。どこか、どんよりとスモッグがかかったような空気。こうした、この家の冷ややかさは、冷房だけが原因ではないように思える。

「なにか、飲みますか?」

 線香をあげ終えた俺に、妹が話しかけてきた。
 尋ねているわりには、すでに麦茶が用意されていて、妹は俺にリビングの椅子をすすめる。八千代は俺から少しだけ離れ、あちこちをしげしげと眺めていた。しかたなく、俺は椅子に腰を下ろし、冷えた麦茶を口に運んだ。

「いただきます」

 八千代のショートカットとは対照的に、妹のほうは髪が長かった。黒く艶やかなところはそっくりだ。なにより、整った目鼻立ちが目立つ綺麗な顔が、嘘みたいにそっくりだった。生前の八千代は、目の下にブラックホールみたいな隈があったので、それほど似ているとは思わなかった。しかし、死人として現れた血色の良い八千代には、双子かと思うほど似ている。

「似てますか?」

 俺の視線に気付いて、妹がはにかんだ。

「まあ……、うん」
かがり……!」

 八千代の大声に俺はドキリとした。一瞬、八千代の存在を忘れかけていて背後からの声に驚いてしまった。

「ん?」
「いや、ちょっと喉渇いてて、勢いよく飲みすぎた……、ごほっ」

 妹の訝しげな顔に、苦し紛れの嘘をついた。

篝八千代かがりやちよ。それが、あたしのフルネームだ……。そうだそうだ。んで、こいつは二つ下の妹、篝悠子かがりゆうこ。名前は思い出した。うわ、顔すげえ似てんな」
「……お姉ちゃん、なんで死んじゃったんですかね?」

 似た顔の女が、別回線で同時に別の話をするものだから、俺の頭はぎりぎりと唸りを上げる。

「俺には、なんとも……」

 この妹とは親しくもなんともない、必然的に話題は八千代のことになるだろう。俺に問いかけたかったというより、口をついて出てきた言葉がそれだった、といった感じだ。だから、俺もぼんやりとした返事だけをかえす。
 居心地が悪くて、何度目かのグラスを口に運んだとき――、

「深雪さんが殺したとか?」

 ――そんなことを、八千代に似た顔で言われ、俺は麦茶の入ったグラスを少し噛んだ。

「そんなわけない」

 動揺を抑え込んで、ぴしゃりと言ってのけることができた。さっきから、急に押し黙った右肩が恐ろしく冷える。

「ですよねー」

 妹は、苦笑いなのか、照れ笑いなのか、ぎこちない笑みを浮かべる。

「もしそうだったら、たぶん次はわたしかなって思ったんですよね」
「……どういう意味だ」

 おもわず詰問するような口調になってしまい、少し焦る。

「お姉ちゃんは息が詰まってたんですよ、きっと。そして、死んだ」

 かちり、と時計の短針が落ちる音。深雪さんは無関係なんでしょうけど、と妹は喋り続ける。

「お姉ちゃんの代わりに、今度はわたしの息が詰まってます。そこに、また深雪さんが現れた。なんの根拠もないんですけど、それでなんとなく、次はわたしの番かなと」

 度しがたい。なんて気持ちの悪い台詞だ。むくむくと怒りが込み上げてくる。
 お前は知っているはずだ。他ならぬお前の姉のことだ。知らないはずがない。お前では足りないのだ。てんで足りない。八千代のように、ぶち抜けた熱量をお前からは感じられない。そして、なにより、一番近くにいたはずのお前なら八千代をどうにかできたはずだ。

 と、冷たい手が俺の首筋をなでた。それから、頭の上に顎を載せられている感覚があった。

「深雪。あたしの部屋に行きたい」

 赤く燃え上がった神経が、白く冷たい小さな手と飄々とした声のおかげで、もくもくと水蒸気をともなって静まっていった。

「そんなもん、気のせいと気の迷いだ」

 そんな台詞を妹に吐き捨て、俺は麦茶を飲み干して立ち上がった。八千代の部屋を見せて欲しいと言うと、妹はただ黙って頷いた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました

蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈ 絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。 絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!! 聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ! ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!! +++++ ・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

今更気付いてももう遅い。

ユウキ
恋愛
ある晴れた日、卒業の季節に集まる面々は、一様に暗く。 今更真相に気付いても、後悔してももう遅い。何もかも、取り戻せないのです。

【完結】兄の事を皆が期待していたので僕は離れます

まりぃべる
ファンタジー
一つ年上の兄は、国の為にと言われて意気揚々と村を離れた。お伽話にある、奇跡の聖人だと幼き頃より誰からも言われていた為、それは必然だと。 貧しい村で育った弟は、小さな頃より家の事を兄の分までせねばならず、兄は素晴らしい人物で対して自分は凡人であると思い込まされ、自分は必要ないのだからと弟は村を離れる事にした。 そんな弟が、自分を必要としてくれる人に会い、幸せを掴むお話。 ☆まりぃべるの世界観です。緩い設定で、現実世界とは違う部分も多々ありますがそこをあえて楽しんでいただけると幸いです。 ☆現実世界にも同じような名前、地名、言葉などがありますが、関係ありません。

月弥総合病院

僕君☾☾
キャラ文芸
月弥総合病院。極度の病院嫌いや完治が難しい疾患、診察、検査などの医療行為を拒否したり中々治療が進められない子を治療していく。 また、ここは凄腕の医師達が集まる病院。特にその中の計5人が圧倒的に遥か上回る実力を持ち、「白鳥」と呼ばれている。 (小児科のストーリー)医療に全然詳しく無いのでそれっぽく書いてます...!!

処理中です...