ギプス -Zes vingers-

麻婆

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5.境界領域の子供たち

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「なあ、遥香。どうして僕を選んだんだ?」
「えー、そんなことどうでもいいでしょ」
「まあ、いまとなってはね。でも、知っておきたいんだ。遥香のことは、何でも」
「ボクはいまと未来があればそれでいいや。マイタと一緒にいられれば、何でも」

 病院で検査を受けた日から、僕は自宅で遥香と一緒に住み始めた。毎日が幸福で、いままでの人生が嘘だったかのように晴れ渡っている。

「ロマンチックでもなんでもないんだよ。ただそこにマイタがいたから。かわいそうって、思ってくれたからだよ」
「そうかそうか。それじゃあ、もうひとつ。病院で聞いたんだけど、中学生の男の子って?」
「もー、まだ聞いちゃう?」

 遥香は僕に引っ付いたまま、抗議の視線で僕を見上げた。

「僕はずっと一緒にいられなかった。本当は生まれてからずっと一緒が良かったんだ。でもそれは無理な話だ。だから、知らなかったことを知りたいんだ。せめて、遥香のこれまでをなぞらせて欲しい」
「愛がキモい」
「駄目か」
「いいよ、教えてあげる。あれはね、三厩遥香に感染する前のボクだよ。ボクが生まれたときの宿主。ボクはその姿かたちを模倣して、自分の宿主を探してた」
「じゃあ、本物のその男の子は、遥香にとっては親のような存在ってこと?」
「まあ、そういうことになるかな。最初に被った殻が男の子だったから、“ボク”が癖になっちゃったよね」

 本当の三厩遥香は、この隣で微笑むウイルスに抗い、自害を選んだ。
 僕はというと、完全に彼女の虜である。抗おうとしていたこともあったが、いやはや馬鹿げたことを考えたものである。こんな素晴らしい人は他にいないというのに。

「ねえ、お腹減ったね」
「そうだな」

 僕と遥香は一心同体。すべてが繋がっている。僕が食べたものの栄養は遥香にも届く。僕が遥香を生かし、遥香が僕に生きがいをくれる。

「ご飯作るね」
「手伝うよ」

 僕たちは二人でキッチンへ向かう。

「そういえば、ギプス外したんだな」

 ギプスといっても、小指のつけ根に生じた腫瘍を隠すためのものだったのか、簡単に取り外せるようになっていた。いまは部屋の片隅に置かれている。

「うん。もうマイタには要らないでしょ。綺麗に治ったもんね」

 遥香は猫バスみたいな大きな目を細めて、満面の笑顔を浮かべた。
 まるで、僕の傷を治すためのギプスだったかのような物言いだ。可笑しさと嬉しさとで、僕の顔はほころんでしまう。

「ほら、見てマイタ」

 遥香は右手を掲げて見せる。
 細くて白い指が六本。小指のつけ根から、本来はないはずの指が生えていた。

「あぁ」

 僕も左手を掲げて見せる。
 見慣れた手指。その左端に、遥香と同じく、本来ないはずの六本目の指が生えている。

「マイタと繋ぐための手だよ。愛してるぜ」

 気取った調子で、遥香は愛の言葉をささやいた。

「僕もだ。遥香が僕を選んでくれて嬉しいよ」

 他人から見れば歪なのかも知れない。僕の左手と、遥香の右手のように。だけど、それで構わない。僕の左手は、彼女の右手と繋ぐために変化した。お互いを必要とし、お互いを認め合い、愛し合えるのだ。それは幸せというものである。ほかに何が必要だというのだろう。

 十二本の指が絡む。僕の大きい手と、遥香の細い手が、お互いを確かめるように絡み合う。
 クーラーが効いた部屋。窓の外は夏の青空が広がっている。少し汗ばむ左手は、外の暑さを思わせる。空腹など忘れて、僕たちは見つめ合い、指を絡ませ合っていた。

 遥香の行動指針はいたってシンプルだ。
 増殖と、そのための栄養分の確保。それを単独で行うことができないため、僕にしたように寄生するのだ。

 そして、この歪な手を繋いだとき、初めて遥香というウイルスは感染性を持つ。つまり、増殖する。子供ができるのである。生物とも非生物とも言いがたい、境界領域の子供たち。
 願わくば、僕たちの子供に出会った人が、僕たちのように幸せを感じて欲しい。

 裏切りも、失望も、後悔や悲しみも、すべて遥香の前では無力だ。この充足感が、みんなにも届けばいい。知って欲しい。
 傷は治るんだ、と。



 ◆



「ど、どうしたんですか、蒔田さん!?」

 ボクの左腕を見て、後輩の女性が驚いた。
 それもそのはず、頭の怪我が治ったと思ったら、今度は左腕にギプスをつけて現れたのだ。誰だって驚く。

「頭の次は腕だよ……。困ったもんだ」
「えー、かわいそう。大変ですね」

 同情をもらえた。

 そういえば、この子は仕事に関して伸び悩んでいると、ときおり愚痴をこぼしていたんだっけ。
 この子にしよう。君には、ボクしかいない。ボクなしでは決して生きられない。綺麗には治らないんだ。

「日常生活にも苦労するよー」
「何か手伝いましょうか? いつも愚痴を聞いてもらってますし」
「本当? じゃあ、もっといっぱい愚痴を聞かなきゃ」

 ボクが君を治してあげよう。

「任せてくださいよ、蒔田さん」
「それはどっちの話?」
「さあ、どっちでしょう?」
「えー、まいったなあ」

 ボクは君にとっての、薬か病院さ。綺麗に治してあげよう。
 傷は治るんだよ。






 ― おわり ―
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