5 / 5
5.境界領域の子供たち
しおりを挟む
「なあ、遥香。どうして僕を選んだんだ?」
「えー、そんなことどうでもいいでしょ」
「まあ、いまとなってはね。でも、知っておきたいんだ。遥香のことは、何でも」
「ボクはいまと未来があればそれでいいや。マイタと一緒にいられれば、何でも」
病院で検査を受けた日から、僕は自宅で遥香と一緒に住み始めた。毎日が幸福で、いままでの人生が嘘だったかのように晴れ渡っている。
「ロマンチックでもなんでもないんだよ。ただそこにマイタがいたから。かわいそうって、思ってくれたからだよ」
「そうかそうか。それじゃあ、もうひとつ。病院で聞いたんだけど、中学生の男の子って?」
「もー、まだ聞いちゃう?」
遥香は僕に引っ付いたまま、抗議の視線で僕を見上げた。
「僕はずっと一緒にいられなかった。本当は生まれてからずっと一緒が良かったんだ。でもそれは無理な話だ。だから、知らなかったことを知りたいんだ。せめて、遥香のこれまでをなぞらせて欲しい」
「愛がキモい」
「駄目か」
「いいよ、教えてあげる。あれはね、三厩遥香に感染する前のボクだよ。ボクが生まれたときの宿主。ボクはその姿かたちを模倣して、自分の宿主を探してた」
「じゃあ、本物のその男の子は、遥香にとっては親のような存在ってこと?」
「まあ、そういうことになるかな。最初に被った殻が男の子だったから、“ボク”が癖になっちゃったよね」
本当の三厩遥香は、この隣で微笑むウイルスに抗い、自害を選んだ。
僕はというと、完全に彼女の虜である。抗おうとしていたこともあったが、いやはや馬鹿げたことを考えたものである。こんな素晴らしい人は他にいないというのに。
「ねえ、お腹減ったね」
「そうだな」
僕と遥香は一心同体。すべてが繋がっている。僕が食べたものの栄養は遥香にも届く。僕が遥香を生かし、遥香が僕に生きがいをくれる。
「ご飯作るね」
「手伝うよ」
僕たちは二人でキッチンへ向かう。
「そういえば、ギプス外したんだな」
ギプスといっても、小指のつけ根に生じた腫瘍を隠すためのものだったのか、簡単に取り外せるようになっていた。いまは部屋の片隅に置かれている。
「うん。もうマイタには要らないでしょ。綺麗に治ったもんね」
遥香は猫バスみたいな大きな目を細めて、満面の笑顔を浮かべた。
まるで、僕の傷を治すためのギプスだったかのような物言いだ。可笑しさと嬉しさとで、僕の顔はほころんでしまう。
「ほら、見てマイタ」
遥香は右手を掲げて見せる。
細くて白い指が六本。小指のつけ根から、本来はないはずの指が生えていた。
「あぁ」
僕も左手を掲げて見せる。
見慣れた手指。その左端に、遥香と同じく、本来ないはずの六本目の指が生えている。
「マイタと繋ぐための手だよ。愛してるぜ」
気取った調子で、遥香は愛の言葉をささやいた。
「僕もだ。遥香が僕を選んでくれて嬉しいよ」
他人から見れば歪なのかも知れない。僕の左手と、遥香の右手のように。だけど、それで構わない。僕の左手は、彼女の右手と繋ぐために変化した。お互いを必要とし、お互いを認め合い、愛し合えるのだ。それは幸せというものである。ほかに何が必要だというのだろう。
十二本の指が絡む。僕の大きい手と、遥香の細い手が、お互いを確かめるように絡み合う。
クーラーが効いた部屋。窓の外は夏の青空が広がっている。少し汗ばむ左手は、外の暑さを思わせる。空腹など忘れて、僕たちは見つめ合い、指を絡ませ合っていた。
遥香の行動指針はいたってシンプルだ。
増殖と、そのための栄養分の確保。それを単独で行うことができないため、僕にしたように寄生するのだ。
そして、この歪な手を繋いだとき、初めて遥香というウイルスは感染性を持つ。つまり、増殖する。子供ができるのである。生物とも非生物とも言いがたい、境界領域の子供たち。
願わくば、僕たちの子供に出会った人が、僕たちのように幸せを感じて欲しい。
裏切りも、失望も、後悔や悲しみも、すべて遥香の前では無力だ。この充足感が、みんなにも届けばいい。知って欲しい。
傷は治るんだ、と。
◆
「ど、どうしたんですか、蒔田さん!?」
ボクの左腕を見て、後輩の女性が驚いた。
それもそのはず、頭の怪我が治ったと思ったら、今度は左腕にギプスをつけて現れたのだ。誰だって驚く。
「頭の次は腕だよ……。困ったもんだ」
「えー、かわいそう。大変ですね」
同情をもらえた。
そういえば、この子は仕事に関して伸び悩んでいると、ときおり愚痴をこぼしていたんだっけ。
この子にしよう。君には、ボクしかいない。ボクなしでは決して生きられない。綺麗には治らないんだ。
「日常生活にも苦労するよー」
「何か手伝いましょうか? いつも愚痴を聞いてもらってますし」
「本当? じゃあ、もっといっぱい愚痴を聞かなきゃ」
ボクが君を治してあげよう。
「任せてくださいよ、蒔田さん」
「それはどっちの話?」
「さあ、どっちでしょう?」
「えー、まいったなあ」
ボクは君にとっての、薬か病院さ。綺麗に治してあげよう。
傷は治るんだよ。
― おわり ―
「えー、そんなことどうでもいいでしょ」
「まあ、いまとなってはね。でも、知っておきたいんだ。遥香のことは、何でも」
「ボクはいまと未来があればそれでいいや。マイタと一緒にいられれば、何でも」
病院で検査を受けた日から、僕は自宅で遥香と一緒に住み始めた。毎日が幸福で、いままでの人生が嘘だったかのように晴れ渡っている。
「ロマンチックでもなんでもないんだよ。ただそこにマイタがいたから。かわいそうって、思ってくれたからだよ」
「そうかそうか。それじゃあ、もうひとつ。病院で聞いたんだけど、中学生の男の子って?」
「もー、まだ聞いちゃう?」
遥香は僕に引っ付いたまま、抗議の視線で僕を見上げた。
「僕はずっと一緒にいられなかった。本当は生まれてからずっと一緒が良かったんだ。でもそれは無理な話だ。だから、知らなかったことを知りたいんだ。せめて、遥香のこれまでをなぞらせて欲しい」
「愛がキモい」
「駄目か」
「いいよ、教えてあげる。あれはね、三厩遥香に感染する前のボクだよ。ボクが生まれたときの宿主。ボクはその姿かたちを模倣して、自分の宿主を探してた」
「じゃあ、本物のその男の子は、遥香にとっては親のような存在ってこと?」
「まあ、そういうことになるかな。最初に被った殻が男の子だったから、“ボク”が癖になっちゃったよね」
本当の三厩遥香は、この隣で微笑むウイルスに抗い、自害を選んだ。
僕はというと、完全に彼女の虜である。抗おうとしていたこともあったが、いやはや馬鹿げたことを考えたものである。こんな素晴らしい人は他にいないというのに。
「ねえ、お腹減ったね」
「そうだな」
僕と遥香は一心同体。すべてが繋がっている。僕が食べたものの栄養は遥香にも届く。僕が遥香を生かし、遥香が僕に生きがいをくれる。
「ご飯作るね」
「手伝うよ」
僕たちは二人でキッチンへ向かう。
「そういえば、ギプス外したんだな」
ギプスといっても、小指のつけ根に生じた腫瘍を隠すためのものだったのか、簡単に取り外せるようになっていた。いまは部屋の片隅に置かれている。
「うん。もうマイタには要らないでしょ。綺麗に治ったもんね」
遥香は猫バスみたいな大きな目を細めて、満面の笑顔を浮かべた。
まるで、僕の傷を治すためのギプスだったかのような物言いだ。可笑しさと嬉しさとで、僕の顔はほころんでしまう。
「ほら、見てマイタ」
遥香は右手を掲げて見せる。
細くて白い指が六本。小指のつけ根から、本来はないはずの指が生えていた。
「あぁ」
僕も左手を掲げて見せる。
見慣れた手指。その左端に、遥香と同じく、本来ないはずの六本目の指が生えている。
「マイタと繋ぐための手だよ。愛してるぜ」
気取った調子で、遥香は愛の言葉をささやいた。
「僕もだ。遥香が僕を選んでくれて嬉しいよ」
他人から見れば歪なのかも知れない。僕の左手と、遥香の右手のように。だけど、それで構わない。僕の左手は、彼女の右手と繋ぐために変化した。お互いを必要とし、お互いを認め合い、愛し合えるのだ。それは幸せというものである。ほかに何が必要だというのだろう。
十二本の指が絡む。僕の大きい手と、遥香の細い手が、お互いを確かめるように絡み合う。
クーラーが効いた部屋。窓の外は夏の青空が広がっている。少し汗ばむ左手は、外の暑さを思わせる。空腹など忘れて、僕たちは見つめ合い、指を絡ませ合っていた。
遥香の行動指針はいたってシンプルだ。
増殖と、そのための栄養分の確保。それを単独で行うことができないため、僕にしたように寄生するのだ。
そして、この歪な手を繋いだとき、初めて遥香というウイルスは感染性を持つ。つまり、増殖する。子供ができるのである。生物とも非生物とも言いがたい、境界領域の子供たち。
願わくば、僕たちの子供に出会った人が、僕たちのように幸せを感じて欲しい。
裏切りも、失望も、後悔や悲しみも、すべて遥香の前では無力だ。この充足感が、みんなにも届けばいい。知って欲しい。
傷は治るんだ、と。
◆
「ど、どうしたんですか、蒔田さん!?」
ボクの左腕を見て、後輩の女性が驚いた。
それもそのはず、頭の怪我が治ったと思ったら、今度は左腕にギプスをつけて現れたのだ。誰だって驚く。
「頭の次は腕だよ……。困ったもんだ」
「えー、かわいそう。大変ですね」
同情をもらえた。
そういえば、この子は仕事に関して伸び悩んでいると、ときおり愚痴をこぼしていたんだっけ。
この子にしよう。君には、ボクしかいない。ボクなしでは決して生きられない。綺麗には治らないんだ。
「日常生活にも苦労するよー」
「何か手伝いましょうか? いつも愚痴を聞いてもらってますし」
「本当? じゃあ、もっといっぱい愚痴を聞かなきゃ」
ボクが君を治してあげよう。
「任せてくださいよ、蒔田さん」
「それはどっちの話?」
「さあ、どっちでしょう?」
「えー、まいったなあ」
ボクは君にとっての、薬か病院さ。綺麗に治してあげよう。
傷は治るんだよ。
― おわり ―
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
1
この作品の感想を投稿する
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる