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最後の秘めたる想い
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その夜、閉店後にマスターに呼ばれ、私とイライザさん、そしてレオンさんが残された。いずれもあの「乙女の秘めたる想い」開発に関わった者たちだ。
集められた私達三人の顔を見回して、マスターは心なしか重い口を開く。
「お前らももう知ってるだろうが、うちの『乙女の秘めたる想い』が他店の、しかも複数の菓子屋に真似されたみてえだ。もちろんうちは菓子作りのノウハウなんか無えし、菓子専門店の物なんかと比べりゃ、残念だが味は明らかに劣る。それで、折角お前らが考えてくれたのに悪いんだが……『乙女の秘めたる想い』をメニューから外そうと思ってる」
イライザさんの予想した通りだった。マスターはやはりあのお菓子をこのお店から排除するつもりなのだ。
あのお菓子をきっかけにイライザさんとマスターの距離が縮まればと思っていたのだが、現実はそう甘くは無いようだった。思わず肩を落とす。
隣にいたレオンさんは
「……残念ですけど妥当ですかね。最近は売れ行きも良いとは言えなかったし……」
と、マスターに同意する。
イライザさんもそうなるだろうと言っていたし、真似されて悔しいけど、お店のことを考えればここはマスターに従うしかないのかな……。
その時、イライザさんが声を上げた。
「マスター、今ここで、もう一度だけ私に『乙女の秘めたる想い』を作らせてもらえませんか? ひとつだけで良いんです。お願いします」
静かで、それでいて強い意志を感じる声。
そういえばイライザさんは言っていた。最後に「乙女の秘めたる想い」を作るって。それが今なんだろうか。でも、何のために? 改善案があるのなら「最後に」だなんてわざわざ言ったりしないはず。何か考えがあるんだろうか?
イライザさんの並々ならぬ雰囲気に何かを感じ取ったのか、マスターは少しの間イライザさんを見つめていたが、やがて
「わかった」
と言って厨房を明け渡した。
イライザさんはいつものように小麦粉などの材料を混ぜ合わせて、フライパンでハート形の皮を焼く。普段の楽しげな様子とは違って、真剣な表情で。
そうして皮が焼きあがったところで、何かを思い出したようにこちらを振り向く。
「私ったら大切なものを忘れていたわ。ねえレオンくんにユキちゃん、悪いんだけど倉庫から食材を取ってきてもらえないかしら。入り口を入ってすぐの箱の中にある瓶なんだけれど。見ればすぐにわかるから」
私とレオンさんは顔を見合わせる。一体なんの食材だろう。二人がかりで運ばないといけないような重いもの?
ともあれ、大人しく二人で倉庫に向かったものの、イライザさんの言っていたような箱も瓶も見当たらない。
「おかしいですね。どこにあるんだろ」
探しながらも声を上げると、それに応じるようにレオンさんの声が返ってきた。
「おいネコ子、改めてイライザさんに場所を聞いてきてくれよ。詳しい形状とか中身とかさ」
ええー、めんどくさいなあ……。
しかしこのままでは頼まれたものが見つかりそうにない。私は仕方なく倉庫を出てイライザさんの元へ戻ろうと厨房に向かう。
と、厨房からイライザさんとマスターの声が聞こえてきた。
「ねえマスター。どうしてこのお菓子に『乙女の秘めたる想い』なんて名前をつけたかわかりますか?」
「うん? そりゃハートが乙女心を表してるんだろ? で、中のクリームが『秘めたる想い』ってやつだ」
「そうですね。私もそのつもりで名付けました。建前上では」
「……どういう意味だ?」
「……このハートは私の心なんです。マスターに向けた私の心。『秘めたる想い』は私からのマスターへの気持ち。もう乙女なんて年じゃありませんけど。でも、今はマスターに知って欲しくて……」
私はいつの間にか足を止めて、厨房の手前で二人の会話に耳を澄ましていた。
まさか、イライザさん、今ここでマスターに想いを告げようと……?
「おいネコ子、遅えぞ。一体何をもたもたして――」
突然背後からレオンさんの声がした。私が戻ってこないので様子を見に来たんだろう。
私は咄嗟にレオンさんの口を片手で覆うと、もう片方の人差し指を自分の口に当て「しーっ」と黙るよう指示する。
盗み聞きするようで罪悪感を覚えるが、下手に出て行ける雰囲気でもない。
ここからでは二人の影しか見えないが、私と、大人しくなったレオンさんは、物陰からイライザさんとマスターのやりとりに耳を傾ける。
暫くの間を置いて、イライザさんが意を決したように振り向くのが、影の動きでわかった。両手で何かを差し出しているようだ。
「私、マスターの事が好きです。尊敬とかそういう意味じゃなくて、その……一人の男性として、マスターの事が好きなんです。この『乙女の秘めたる想い』はマスターのために作りました。どうか食べてみてもらえませんか……?」
その声は少し震えている。無理もない。長い間秘めていた想いをついに告白したのだ。
いつのまにか私の手を口から剥ぎ取ったレオンさんは
「マジかよ……」
と囁くように呟く。
マスターはなんて答えるんだろう。
息をひそめて様子を伺っていると、マスターの影がイライザさんの手の中の物を受け取るように動いた。
暫くの沈黙。私とレオンさんも固唾をのんで行方を見守る。
「……美味いな」
やがてマスターの声が聞こえた。
「これ、林檎のジャムが挟んである。俺が林檎好きだって知ってたんだな」
「ええ、だって、好きな人に関する事ですから……」
「……俺はちっともお前の気持ちを知らなかった。いつも料理の事ばっかりで」
「……私はそんなマスターも好きです」
マスターがため息を漏らす。どことなく自嘲気味に。
「思い返せばお前がこの店で働きだした時、ちっとは心配したもんだ。なにしろあの頃のお前は、いつも自信が無さそうで、おどおどしてて、こんな小娘にウェイトレスが務まるのか。すぐに辞めちまうんじゃないかって。それがいつのまにか、こんなにうまいものを作れるしっかり者の別嬪になっちまって。なんで気づかなかったんだろうな」
「確かに昔の私はマスターの言う通りだったと思います。でも、今の私があるのはマスターのおかげです。マスターがいたから私は頑張れたんです……!」
イライザさんが訴える。
マスターは再び「乙女の秘めたる想い」を口にする。
「あー、美味い。美味いな、この菓子は。もっと食いてえよ」
「え?」
イライザさんの戸惑いを含んだ声の後で、マスターの声が真剣味を帯びる。
「なあイライザ、俺はこの通り鈍いし、気の利いた言葉も掛けてやれないかもしれねえ。そんな俺でも構わねえってんなら――」
次の瞬間、マスターの影が手を伸ばしてイライザさんの影を引き寄せる。
二つの影が一つに重なった。
その光景に釘付けになっていると、不意に腕を強く引っ張られた。
「これ以上は野暮ってもんだぜ。ほら、行くぞ」
そう囁くレオンさんに、なかば無理やり倉庫へと引き戻された。
◇◇◇◇◇
「イライザさん、良かったですねえ」
倉庫に戻った私は開口一番そんな言葉を口にする。
長年の想いが叶ったのだ。こんなに素敵な事が他にあるだろうか。
対するレオンさんは気まずそうに頭をかく。
「俺達を倉庫に追いやったのはこのためだったんだな。結局は覗き見しちまったけど」
どうやら隠れて二人のやり取りを見てしまった事に罪悪感を覚えているようだ。言われてみればそうかもしれない。イライザさんだって、見られたくないからこそマスターと二人きりになりたかったんだろうし。
そう考えると、今後あの二人に対してどんな対応をすればいいんだろう。やっぱり何も知らなかったように接するのが一番なのかな。
「まあ、とりあえずめでたい事には変わりねえな。イライザさんがずっとこの店にいてくれりゃ安泰だし。そしたらネコ子、お前はお役御免かもな。料理をよくひっくり返すウェイトレスなんて不要だろ」
「えっ!? そんなの困ります! 私だってお店の発展に貢献してるじゃないですか! 『幼子の秘密の宝島』とか考案してるし! こんな有能な人材を手放すはずがないですよ! まだメニュー表作りという仕事も残ってますし! もっともっとこのお店を発展させて、助けて貰った恩に報いたいんです!」
「ふうん。その話って前も聞いたけど、俺と似たようなもんだな」
「え?」
レオンさんは近くにあった木箱に腰掛ける。
「俺もこの店の前で行き倒れ寸前だったところを助けて貰ったんだよ。その時に食わせてもらった『妖精の森の秋の収穫祭』がめちゃくちゃ美味くてさ。でもって、他に行くところも無かった俺にマスターは仕事を与えてくれて……それからここで料理人として働いてるってわけだ。少しでもマスターの助けになれるようにって」
イライザさんだけでなくレオンさんも行き倒れ組だったとは……本当にこのお店の前には行き倒れが多いんだな……。
そんな事を考えていると、くしゃみをしてしまった。私自身もあの雪の夜の事を思い出して、思わず背中が寒くなってしまったのだ。
そもそも、こんな食物を貯蔵するような室温の低い場所なんて余計寒いに決まってる。
レオンさんは小さく笑うと、少し横にずれて、自分の隣を指さす。
「ほら、こっち来いよ。隣り合ってれば少しは寒さもマシになるだろ。マスター達はもうちょっとだけ二人きりにさせとくのが優しさってもんだ」
大人しく隣に座ると、確かにレオンさんの温もりが伝わってきて、さっきまでよりは遥かに温かい。
「ネコ子、お前は好きな男とかいないのか?」
「何を言い出すんですかいきなり。私はここに来て間もないんですから、そんな事考える暇も無いですよ」
「へえ、じゃあ好きな男のタイプは?」
「そうですねえ……かっこよくて黒髪で冷静で、どんな問題事が起こっても『想定の範囲内です』とか言いながら眼鏡を指で押し上げて解決するような頭のいい人です」
「なんだそりゃ。ピンポイントすぎるだろ。そんな奴この世界に存在するのか?」
「存在するかは知らないですよ。私はただ好きなタイプを答えただけですから。ていうか、本当にそんな頭のいい人が存在したとしても、会話レベルがかみ合わなくて上手くいかないに決まってます」
頭のいい人と話しているといつも思う。「この人は一体何を言っているのか」と。
自分に無いものを持っているからこそ憧れを抱くのかもしれない。
でも、よく考えたら、それって「憧れ」であって「好き」とは違うかな……。
「レオンさんは、好きな人いないんですか?」
先ほどのお返しとばかりに尋ねてみるも、
「お、俺は別に……」
レオンさんは何故か目を泳がせ挙動不審になった。
「あー、あやしい。ほんとは好きな人いるんじゃないんですか!? 誰ですか!? 私の知ってる人ですか!?」
「ちげーよ。そういうんじゃなくて……」
そういうんじゃなくて? どういう事?
「ほら、女ってやたらと騒いだりするし『レオン様』とか様付けして呼んでくるし。こっちは何もしてないのに、何故かプレゼントと称して一方的に色んなもの渡そうとしてくるし、こえーっていうか……」
あ、これは美形ゆえの贅沢な悩みだ。嫉妬しか湧かない。
しかしおかしいぞ。私だって花咲きさんに美少女認定されたのに、異性から「ユキ様」とか呼ばれた事なんてないぞ。どういうことだ。
あれ、でも、それじゃあレオンさんが普段あまり厨房から出ようとしなかったのはそのせいだったのかな?
「それなら『男前すぎる料理人』とか提案しちゃってすみませんでした。あのせいでそういう女の人が増えちゃったんじゃないですか? この間行ったパン屋さんの人とか……」
「そりゃまあちょっとは居心地悪いけどさ……結果的に効果はあったみてえだし文句は言えねえよ」
おお、意外にも許してくれた。
「わー、レオン様優しい」
「お前が言うのは許さねえ」
レオンさんは言うなり私の尻尾を掴んだ。
「ぎゃあ!」
私はレオンさんの手を払いのけると咄嗟に距離を取る。
しっぽに触られるのはやっぱり慣れない。ぞわぞわする。
「お前も俺の落ち着かない気分を思い知れ」
そう言ってレオンさんが笑ったところで、倉庫のドアが開いた。
「レオンくんにユキちゃん。私ってば勘違いしてたみたい。探してたものは厨房にあったわ。無駄な事させて本当にごめんなさいね」
イライザさんだ。口では謝っているが、その声にはちょっと嬉しさが滲み出ているような気がする。顔もなんだか赤いような……。
まあ、仕方がないか。彼女は今幸せの絶頂なのだろうから。
「わあ、そうだったんですか? なかなか見つからないから焦っちゃいましたよ。でも、厨房にあってよかった」
私とレオンさんは視線を交わすと、何事も無かったかのように倉庫を出た。
心の中でイライザさんとマスターを祝福しながら。
集められた私達三人の顔を見回して、マスターは心なしか重い口を開く。
「お前らももう知ってるだろうが、うちの『乙女の秘めたる想い』が他店の、しかも複数の菓子屋に真似されたみてえだ。もちろんうちは菓子作りのノウハウなんか無えし、菓子専門店の物なんかと比べりゃ、残念だが味は明らかに劣る。それで、折角お前らが考えてくれたのに悪いんだが……『乙女の秘めたる想い』をメニューから外そうと思ってる」
イライザさんの予想した通りだった。マスターはやはりあのお菓子をこのお店から排除するつもりなのだ。
あのお菓子をきっかけにイライザさんとマスターの距離が縮まればと思っていたのだが、現実はそう甘くは無いようだった。思わず肩を落とす。
隣にいたレオンさんは
「……残念ですけど妥当ですかね。最近は売れ行きも良いとは言えなかったし……」
と、マスターに同意する。
イライザさんもそうなるだろうと言っていたし、真似されて悔しいけど、お店のことを考えればここはマスターに従うしかないのかな……。
その時、イライザさんが声を上げた。
「マスター、今ここで、もう一度だけ私に『乙女の秘めたる想い』を作らせてもらえませんか? ひとつだけで良いんです。お願いします」
静かで、それでいて強い意志を感じる声。
そういえばイライザさんは言っていた。最後に「乙女の秘めたる想い」を作るって。それが今なんだろうか。でも、何のために? 改善案があるのなら「最後に」だなんてわざわざ言ったりしないはず。何か考えがあるんだろうか?
イライザさんの並々ならぬ雰囲気に何かを感じ取ったのか、マスターは少しの間イライザさんを見つめていたが、やがて
「わかった」
と言って厨房を明け渡した。
イライザさんはいつものように小麦粉などの材料を混ぜ合わせて、フライパンでハート形の皮を焼く。普段の楽しげな様子とは違って、真剣な表情で。
そうして皮が焼きあがったところで、何かを思い出したようにこちらを振り向く。
「私ったら大切なものを忘れていたわ。ねえレオンくんにユキちゃん、悪いんだけど倉庫から食材を取ってきてもらえないかしら。入り口を入ってすぐの箱の中にある瓶なんだけれど。見ればすぐにわかるから」
私とレオンさんは顔を見合わせる。一体なんの食材だろう。二人がかりで運ばないといけないような重いもの?
ともあれ、大人しく二人で倉庫に向かったものの、イライザさんの言っていたような箱も瓶も見当たらない。
「おかしいですね。どこにあるんだろ」
探しながらも声を上げると、それに応じるようにレオンさんの声が返ってきた。
「おいネコ子、改めてイライザさんに場所を聞いてきてくれよ。詳しい形状とか中身とかさ」
ええー、めんどくさいなあ……。
しかしこのままでは頼まれたものが見つかりそうにない。私は仕方なく倉庫を出てイライザさんの元へ戻ろうと厨房に向かう。
と、厨房からイライザさんとマスターの声が聞こえてきた。
「ねえマスター。どうしてこのお菓子に『乙女の秘めたる想い』なんて名前をつけたかわかりますか?」
「うん? そりゃハートが乙女心を表してるんだろ? で、中のクリームが『秘めたる想い』ってやつだ」
「そうですね。私もそのつもりで名付けました。建前上では」
「……どういう意味だ?」
「……このハートは私の心なんです。マスターに向けた私の心。『秘めたる想い』は私からのマスターへの気持ち。もう乙女なんて年じゃありませんけど。でも、今はマスターに知って欲しくて……」
私はいつの間にか足を止めて、厨房の手前で二人の会話に耳を澄ましていた。
まさか、イライザさん、今ここでマスターに想いを告げようと……?
「おいネコ子、遅えぞ。一体何をもたもたして――」
突然背後からレオンさんの声がした。私が戻ってこないので様子を見に来たんだろう。
私は咄嗟にレオンさんの口を片手で覆うと、もう片方の人差し指を自分の口に当て「しーっ」と黙るよう指示する。
盗み聞きするようで罪悪感を覚えるが、下手に出て行ける雰囲気でもない。
ここからでは二人の影しか見えないが、私と、大人しくなったレオンさんは、物陰からイライザさんとマスターのやりとりに耳を傾ける。
暫くの間を置いて、イライザさんが意を決したように振り向くのが、影の動きでわかった。両手で何かを差し出しているようだ。
「私、マスターの事が好きです。尊敬とかそういう意味じゃなくて、その……一人の男性として、マスターの事が好きなんです。この『乙女の秘めたる想い』はマスターのために作りました。どうか食べてみてもらえませんか……?」
その声は少し震えている。無理もない。長い間秘めていた想いをついに告白したのだ。
いつのまにか私の手を口から剥ぎ取ったレオンさんは
「マジかよ……」
と囁くように呟く。
マスターはなんて答えるんだろう。
息をひそめて様子を伺っていると、マスターの影がイライザさんの手の中の物を受け取るように動いた。
暫くの沈黙。私とレオンさんも固唾をのんで行方を見守る。
「……美味いな」
やがてマスターの声が聞こえた。
「これ、林檎のジャムが挟んである。俺が林檎好きだって知ってたんだな」
「ええ、だって、好きな人に関する事ですから……」
「……俺はちっともお前の気持ちを知らなかった。いつも料理の事ばっかりで」
「……私はそんなマスターも好きです」
マスターがため息を漏らす。どことなく自嘲気味に。
「思い返せばお前がこの店で働きだした時、ちっとは心配したもんだ。なにしろあの頃のお前は、いつも自信が無さそうで、おどおどしてて、こんな小娘にウェイトレスが務まるのか。すぐに辞めちまうんじゃないかって。それがいつのまにか、こんなにうまいものを作れるしっかり者の別嬪になっちまって。なんで気づかなかったんだろうな」
「確かに昔の私はマスターの言う通りだったと思います。でも、今の私があるのはマスターのおかげです。マスターがいたから私は頑張れたんです……!」
イライザさんが訴える。
マスターは再び「乙女の秘めたる想い」を口にする。
「あー、美味い。美味いな、この菓子は。もっと食いてえよ」
「え?」
イライザさんの戸惑いを含んだ声の後で、マスターの声が真剣味を帯びる。
「なあイライザ、俺はこの通り鈍いし、気の利いた言葉も掛けてやれないかもしれねえ。そんな俺でも構わねえってんなら――」
次の瞬間、マスターの影が手を伸ばしてイライザさんの影を引き寄せる。
二つの影が一つに重なった。
その光景に釘付けになっていると、不意に腕を強く引っ張られた。
「これ以上は野暮ってもんだぜ。ほら、行くぞ」
そう囁くレオンさんに、なかば無理やり倉庫へと引き戻された。
◇◇◇◇◇
「イライザさん、良かったですねえ」
倉庫に戻った私は開口一番そんな言葉を口にする。
長年の想いが叶ったのだ。こんなに素敵な事が他にあるだろうか。
対するレオンさんは気まずそうに頭をかく。
「俺達を倉庫に追いやったのはこのためだったんだな。結局は覗き見しちまったけど」
どうやら隠れて二人のやり取りを見てしまった事に罪悪感を覚えているようだ。言われてみればそうかもしれない。イライザさんだって、見られたくないからこそマスターと二人きりになりたかったんだろうし。
そう考えると、今後あの二人に対してどんな対応をすればいいんだろう。やっぱり何も知らなかったように接するのが一番なのかな。
「まあ、とりあえずめでたい事には変わりねえな。イライザさんがずっとこの店にいてくれりゃ安泰だし。そしたらネコ子、お前はお役御免かもな。料理をよくひっくり返すウェイトレスなんて不要だろ」
「えっ!? そんなの困ります! 私だってお店の発展に貢献してるじゃないですか! 『幼子の秘密の宝島』とか考案してるし! こんな有能な人材を手放すはずがないですよ! まだメニュー表作りという仕事も残ってますし! もっともっとこのお店を発展させて、助けて貰った恩に報いたいんです!」
「ふうん。その話って前も聞いたけど、俺と似たようなもんだな」
「え?」
レオンさんは近くにあった木箱に腰掛ける。
「俺もこの店の前で行き倒れ寸前だったところを助けて貰ったんだよ。その時に食わせてもらった『妖精の森の秋の収穫祭』がめちゃくちゃ美味くてさ。でもって、他に行くところも無かった俺にマスターは仕事を与えてくれて……それからここで料理人として働いてるってわけだ。少しでもマスターの助けになれるようにって」
イライザさんだけでなくレオンさんも行き倒れ組だったとは……本当にこのお店の前には行き倒れが多いんだな……。
そんな事を考えていると、くしゃみをしてしまった。私自身もあの雪の夜の事を思い出して、思わず背中が寒くなってしまったのだ。
そもそも、こんな食物を貯蔵するような室温の低い場所なんて余計寒いに決まってる。
レオンさんは小さく笑うと、少し横にずれて、自分の隣を指さす。
「ほら、こっち来いよ。隣り合ってれば少しは寒さもマシになるだろ。マスター達はもうちょっとだけ二人きりにさせとくのが優しさってもんだ」
大人しく隣に座ると、確かにレオンさんの温もりが伝わってきて、さっきまでよりは遥かに温かい。
「ネコ子、お前は好きな男とかいないのか?」
「何を言い出すんですかいきなり。私はここに来て間もないんですから、そんな事考える暇も無いですよ」
「へえ、じゃあ好きな男のタイプは?」
「そうですねえ……かっこよくて黒髪で冷静で、どんな問題事が起こっても『想定の範囲内です』とか言いながら眼鏡を指で押し上げて解決するような頭のいい人です」
「なんだそりゃ。ピンポイントすぎるだろ。そんな奴この世界に存在するのか?」
「存在するかは知らないですよ。私はただ好きなタイプを答えただけですから。ていうか、本当にそんな頭のいい人が存在したとしても、会話レベルがかみ合わなくて上手くいかないに決まってます」
頭のいい人と話しているといつも思う。「この人は一体何を言っているのか」と。
自分に無いものを持っているからこそ憧れを抱くのかもしれない。
でも、よく考えたら、それって「憧れ」であって「好き」とは違うかな……。
「レオンさんは、好きな人いないんですか?」
先ほどのお返しとばかりに尋ねてみるも、
「お、俺は別に……」
レオンさんは何故か目を泳がせ挙動不審になった。
「あー、あやしい。ほんとは好きな人いるんじゃないんですか!? 誰ですか!? 私の知ってる人ですか!?」
「ちげーよ。そういうんじゃなくて……」
そういうんじゃなくて? どういう事?
「ほら、女ってやたらと騒いだりするし『レオン様』とか様付けして呼んでくるし。こっちは何もしてないのに、何故かプレゼントと称して一方的に色んなもの渡そうとしてくるし、こえーっていうか……」
あ、これは美形ゆえの贅沢な悩みだ。嫉妬しか湧かない。
しかしおかしいぞ。私だって花咲きさんに美少女認定されたのに、異性から「ユキ様」とか呼ばれた事なんてないぞ。どういうことだ。
あれ、でも、それじゃあレオンさんが普段あまり厨房から出ようとしなかったのはそのせいだったのかな?
「それなら『男前すぎる料理人』とか提案しちゃってすみませんでした。あのせいでそういう女の人が増えちゃったんじゃないですか? この間行ったパン屋さんの人とか……」
「そりゃまあちょっとは居心地悪いけどさ……結果的に効果はあったみてえだし文句は言えねえよ」
おお、意外にも許してくれた。
「わー、レオン様優しい」
「お前が言うのは許さねえ」
レオンさんは言うなり私の尻尾を掴んだ。
「ぎゃあ!」
私はレオンさんの手を払いのけると咄嗟に距離を取る。
しっぽに触られるのはやっぱり慣れない。ぞわぞわする。
「お前も俺の落ち着かない気分を思い知れ」
そう言ってレオンさんが笑ったところで、倉庫のドアが開いた。
「レオンくんにユキちゃん。私ってば勘違いしてたみたい。探してたものは厨房にあったわ。無駄な事させて本当にごめんなさいね」
イライザさんだ。口では謝っているが、その声にはちょっと嬉しさが滲み出ているような気がする。顔もなんだか赤いような……。
まあ、仕方がないか。彼女は今幸せの絶頂なのだろうから。
「わあ、そうだったんですか? なかなか見つからないから焦っちゃいましたよ。でも、厨房にあってよかった」
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