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わたしにもひとつくらいはありますよ誰にも言えない乙女のひみつ
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世の女子高生並のおしゃれを禁じられている私だが、家族の目を盗んでこっそりとやっている事がある。
それがネイルアートだ。といってもプロの腕前には程遠く、簡単な絵などを描くだけなのだが。それでも楽しくて、決して多くないお小遣いで少しずつ必要な道具を買い揃えてきた。
もちろん自分の爪に施すわけにもいかないし、左手の爪ならともかく、利き手である右手の爪に細かい絵を描くのは難しい。
だからネイルチップ相手に、自室で練習を重ねてきた。匂いでバレたりしないよう扇風機を回しながら窓を開け放ったりと細心の注意を払いつつ。そして完成したものをこっそり自分の爪にくっつけては悦に入ったりしていた。
だがネイルチップでは物足りないと感じる事がある。やはり本物の人間の生爪に直接ネイルを施したい。そんな欲求に駆られる事があるのだ。
「と、いうわけでお願いします。ネイルアートの練習台になってください!」
「やだよ。自分の爪でやれよ」
私の懇願を、日比木先輩は冷たく突き放す。
「もちろん私自身の爪も可愛くデコったりしたいです。でも、自分じゃ片手にしかできないし、それに、自分のネイルアートが、他の人相手にも上手くいくのか試したい気持ちもあるんです」
「それなら適当にクラスの女子相手にでも……」
言いかけた日比木先輩が口を噤んだ。私がぼっちだという事を思い出したらしい。
「先輩だって知ってるでしょ? 私の練習相手になってくれるような子なんてクラスにはいないんですよ。だから、お願いします! リムーバーもあるので、すぐに落とせますから!」
「リムーバーって何?」
それまで話を聞いていた小田桐先輩の問いに日比木先輩が呆れたように答える。
「除光液の事だよ。お前、ほんとにそういう知識に疎いな」
「ほっとけよ。でも、そういう事なら僕は森夜さんに協力しても構わないけどな」
「ほ、ほんとですか!?」
「うげ、マジで言ってんのかよ小田桐」
私達のそれぞれの反応に小田桐先輩は頷く。
「だって、その除光液があれば簡単にマニキュアをふき取れるって事だろ? それなら少しの間くらい別に構わないよ。爪にどうやって絵を描くのかも興味あるし」
「あ、ありがとうございます! あの、一応お断りしておきますけど、素人なのでクオリティには期待しないでくださいね」
「でも、いつも短歌にかわいいイラストを添えたりしてるじゃないか。ああいう感じでお願いしたいな。ええと、まずはどうしたらいいのかな」
「それじゃあ、手をこちらに」
言われた通り手を出してきた先輩の爪に、私は慎重にマニキュアを塗っていく。
はああ、ついに他人の生爪にネイルを施す機会が訪れた。感激と緊張でちょっとはみ出しそう……
本当は爪の表面を磨いて滑らかにしたりしないといけないけど……すぐに落とすなら省略してもいいか。
「やっぱり男の人は手が大きいです。そのぶん爪も大きいからネイルがしやすいですね。素晴らしいです」
「そう? 爪の大きさを褒められるなんて、なんだか新鮮だな」
うーん、何の絵柄にしようかな。
私は小田桐先輩の顔をちらっと見上げる。
よし、右手の親指はうさぎの絵にしよう。眼鏡をかけた白いうさぎ。それで他の爪は森っぽい感じでパステルグリーンをベースに白やピンクの花なんかを散らして……
左手にも同じように塗った後で、親指の爪に白熊の絵を描く。眼鏡をかけた白熊。森の中に白熊なんておかしいけれど、眼鏡をかけている時点でこの世界はすでにファンタジーなのだ。それくらい些細な事だろう。
「よし、完成です」
我ながらなかなか上手くいったんじゃないだろうか。ああ、楽しかった。
「へえ、上手いこと絵を描くんだなあ」
小田桐先輩が感心したようにまじまじと自分の爪を見つめると
「ほらほら日比木。良いだろこれ」
日比木先輩に手の甲を向けて見せびらかす。
「なんだよその乙女チックな絵柄は。男には壊滅的に似合わねえな。でも、まあネイル自体はいいんじゃねえの? 女子には喜ばれそうで」
おお、二人に褒められた?
「よかったら日比木先輩もどうですか?」
「絶対にNOだ」
「そんなこと言わずに。私、もうちょっとだけ塗り足りないんです。少しだけでいいので……!」
頼み込むと、日比木先輩は暫く考えていたようだったが
「……まあ、リムーバーもあるしな。片手だけなら……」
「やった。ありがとうございます!」
そして私が先輩に施したのは夜空のような深く青いグラデーションの掛かったネイル。
はあ、やっぱり楽しい……
「日比木先輩、爪がちょっと伸びてますね。そのぶん絵がたくさん描けます。素晴らしいです」
「変な褒め方すんな」
手持ち無沙汰なのか、日比木先輩は空いた右手で短冊に短歌を書いている。
【今はもうネイルが光る君の指 前まで深爪だったのにね】
先輩も前まで深爪だったのかなあ。
そんな事を考えながら、最後に可愛らしい感じの流れ星なんかも描き加えて完成だ。
「いいじゃないか日比木。それ、似合ってるぞ」
「似合ってたまるか。おい森夜、もう気が済んだだろ? 早くリムーバーよこせ」
「え? しばらくの間余韻に浸ったりしないんですか?」
「そんな事するかよ。付き合ってやっただけありがたいと思え」
うう、冷たい。でも、先輩も我慢してくれたんだろうな……それを思うとそのままにしておくのは忍びない。
「じゃあ、ネイルを落とす前に写真を撮らせてください……! 私、今まで作ったネイルチップも記念に写真に撮ってあるんですよ」
「あ、せっかくだから僕も撮っておこう」
私が初めて誰かに施したネイルアート。その証拠と記念として写真に残しておきたい。
小田桐先輩と一緒に携帯で写真を撮った後、リムーバーを取り出すべく鞄の中を探る。しかし、それらしきものに手が触れない。
あれ……?
今度は鞄の中を覗き込みながら中のものを取り出しては机の上に並べてゆく。
が、目的のものは出てこない。
「おい、まさかお前……」
日比木先輩の猜疑心溢れる声に、私は慌てて首を振る。
「わ、忘れてなんかないですよ! 教室に置いてきちゃったみたいです。すぐに取ってきますね!」
慌てて部室を飛び出した私は急いで教室へと走る。
道具が嵩張ったので別のバッグに分けていて、それを机の横に掛けおいていたのを忘れていたのだ。
自分のクラスの前について、半開きのそのドアに手をかけて開けようとした瞬間、中から
「おっぱい」
という言葉が聞こえたような気がした。
おっぱい……? 今、おっぱいって言った? いや、まさかね。聞き間違いかな?
念のため、教室には入らずドアの陰で耳をすますと、数名の男子達の声が聞こえてきた。
「――だからさ、お前らはこのクラスの女子の中で誰が一番おっぱいがでかいと思う?」
は?
な、なにその会話。
あまりの内容に、私は教室内に入るに入れず、ドアのそばで固まってしまった。
その間にも男子達の会話は盛り上がる。
「そうだなあ、伊藤とか結構でかくない?」
「小野もなかなかだと思うけど」
どうやら男子達はクラスの女子の巨乳番付を行なっているようだ。そんな情報聞きたくなかった。早く話題変わってくれないかな……
「でも、やっぱり一番でかいのはクラウザーだろ」
クラウザー? どちらさま? そんな外国人みたいな名前の人がこのクラスにいたっけ?
まわりの男子も同じように思ったらしく
「クラウザーって?」
などと聞いている。
すると言い出しっぺの男子は得意げに答える。
「森夜の事だよ。森夜……下の名前なんだっけ」
え……? 私……?
「暗くてウザいから『クラウザー』なんだってよ。女子の一部が言ってた」
「あー、確かに暗いけど……でもウザいっけ? どっちかっていうと空気じゃん。クラエアーじゃん」
男子達の爆笑が起こる。
え? 私って、女子から暗くてウザいって思われてるの……? え? 百歩譲って「暗い」は、ぼっちで誰とも喋らないからそう受け取られてる可能性もあるけど、ウザいと思われるようなことなんて何かしたっけ……? しかも男子からは空気と思われてるなんて……
「まあ、確かにあいつはでかいよな。体操着とか着てるとよくわかるっつーか」
「えー、でも、そんなのがクラス一の巨乳とか、宝の持ち腐れじゃん」
「でもあいつ、よく見ると素材は悪くない――」
私は踵を返して廊下を駆け出した。これ以上男子達の話を聞いていたくなかった。
自分がそんな風に思われてたなんて、知りたくなかった……! 暗くてウザいとか、空気とか、みんなひどいよ……!
廊下の途中で足を緩めた私は一旦立ち止まる。ちょっと泣きそうになってしまったからだ。
こんな状態で部室に戻れば先輩達に事情を尋ねられるだろう。その時冷静でいられる自信がない。
何度か深呼吸を繰り返し、心が鎮まるのを待った。
とぼとぼと部室に戻った私が手ぶらなのを見て、先輩達は不思議そうな顔をした。
「あ、あの、やっぱりその、リムーバーは家に忘れてきちゃったみたいで……」
「は? それじゃあ、俺らはこんな恥ずかしい爪のままで帰宅しなけりゃならないって事か? 嘘だろ。屈辱だ。屈辱の極みだ」
「……すみません。あ、でも、途中のコンビニにならリムーバーが売ってると思うので、そこまで我慢していただければ……」
教室に入れなかった理由が、男子達の卑猥な話のネタにされた挙句、変なニックネームまでつけられていたのを聞いたからとはとても言えない。だから家に忘れてきたと誤魔化したのだ。
それにしてもクラウザーか……一体誰がそんな事言い出したんだろう。
先ほどの男子たちの会話を思い出して落ち込む私を見て勘違いしたのか
「もう気にしなくていいよ。爪に注目する人なんてそんなにいないだろうし」
小田桐先輩が慰めてくれた。うう、余計に罪悪感がこみ上げる……私が男子達に臆することなく教室に入ることができていれば……
公の場で巨乳番付なんかしてたあの男子達恨む。
「すみません、すみません……」
海沿いを走る帰りの電車の中で、私は二人にひたすら謝る。
「もういいよ。まあ、今度からは必要なものが揃ってるか確かめてからの方がいいかもね」
やんわりと忠告してくれる精神的イケメン小田桐先輩とは対照的に、日比木先輩は
「俺はぜってー恨むぞ。もう二度とお前の練習台にはならないからな」
と、ドアに寄りかかりながら恨み言を吐く。その背後にはガラス越しに海が見える。いつもはきらきらと光ってきれいなこの海も、今日はなんだかまともに見れない。
あの後、帰り道の途中のコンビニへ寄ったのだが、あいにくとリムーバーは取り扱っておらず、結局先輩達はネイルアートを施したままの爪で帰宅する事態になってしまったのだ。
「あの、私のことは嫌いでも、ネイルアートの事は嫌いにならないでくださいね」
「は? 突然なにわけのわからないアイドルみたいな事言ってんだ?」
「おい、日比木、お前がキツいこと言ったから落ち込んでるんじゃないのか?」
小田桐先輩が小声で日比木先輩をつつく。
「ええー、俺のせいかよ。マジかよ。繊細すぎるだろ」
「お前はその外見とか態度と相まって、初心者には難易度が高いんだよ」
「そ、そうじゃないんです」
見当違いの推論で揉め出す先輩達を慌てて止める。
「あ、あの、強引にネイルアートまでした上にリムーバー忘れちゃうとか、おまけに私は暗くてウザいし、空気だし、嫌われても仕方ないです。でもネイルアート自体に罪はないので……」
私の言葉に先輩達は顔を見合わせる。
その後で日比木先輩は困ったように頭をかくと、先ほどよりも落ち着いたトーンで話し出す。
「えーと、あれだ、森夜。何を勘違いしてるのかわかんねえけど、誰もお前の事をウザいとか空気だとか嫌いだなんて思ってねえから。だからその、そんな落ち込むなって。な?」
「そうそう。日比木の口が悪いのはいつもの事だし。僕も嫌いだなんて思ってないから。森夜さんは僕らの友達だよ」
「ほ、ほんとですか?」
その言葉に日比木先輩も頷く。
「ああ、今日のことも特別に許してやるから」
面と向かって嫌っていないと言ってくれたことが嬉しかった。先輩達にとって、私は「クラウザー」でも空気でもない、本当の友達なのかな。だったらどんなに素晴らしいことだろう。
「それじゃあ、先輩、お先に失礼しますね。今日は本当にありがとうございました」
私の降車駅は学校のある駅からは一駅だ。先輩達はその次の駅。
先に電車を降りる私に、先輩達は
「おう。また明日な」
「バイバイ。気をつけて帰ってね」
などと、いつもと同じように別れの言葉を口にする。
ネイルアートのこと、本当に怒ってないみたいだ。または開き直ったのかもしれないが。
そのまま電車から降りてから気づいた。もしかしてベージュ系のマニキュアをネイルアートの上から塗って絵を隠していれば、多少は誤魔化せたかもしれない。そう思ったが後の祭りだった。
それがネイルアートだ。といってもプロの腕前には程遠く、簡単な絵などを描くだけなのだが。それでも楽しくて、決して多くないお小遣いで少しずつ必要な道具を買い揃えてきた。
もちろん自分の爪に施すわけにもいかないし、左手の爪ならともかく、利き手である右手の爪に細かい絵を描くのは難しい。
だからネイルチップ相手に、自室で練習を重ねてきた。匂いでバレたりしないよう扇風機を回しながら窓を開け放ったりと細心の注意を払いつつ。そして完成したものをこっそり自分の爪にくっつけては悦に入ったりしていた。
だがネイルチップでは物足りないと感じる事がある。やはり本物の人間の生爪に直接ネイルを施したい。そんな欲求に駆られる事があるのだ。
「と、いうわけでお願いします。ネイルアートの練習台になってください!」
「やだよ。自分の爪でやれよ」
私の懇願を、日比木先輩は冷たく突き放す。
「もちろん私自身の爪も可愛くデコったりしたいです。でも、自分じゃ片手にしかできないし、それに、自分のネイルアートが、他の人相手にも上手くいくのか試したい気持ちもあるんです」
「それなら適当にクラスの女子相手にでも……」
言いかけた日比木先輩が口を噤んだ。私がぼっちだという事を思い出したらしい。
「先輩だって知ってるでしょ? 私の練習相手になってくれるような子なんてクラスにはいないんですよ。だから、お願いします! リムーバーもあるので、すぐに落とせますから!」
「リムーバーって何?」
それまで話を聞いていた小田桐先輩の問いに日比木先輩が呆れたように答える。
「除光液の事だよ。お前、ほんとにそういう知識に疎いな」
「ほっとけよ。でも、そういう事なら僕は森夜さんに協力しても構わないけどな」
「ほ、ほんとですか!?」
「うげ、マジで言ってんのかよ小田桐」
私達のそれぞれの反応に小田桐先輩は頷く。
「だって、その除光液があれば簡単にマニキュアをふき取れるって事だろ? それなら少しの間くらい別に構わないよ。爪にどうやって絵を描くのかも興味あるし」
「あ、ありがとうございます! あの、一応お断りしておきますけど、素人なのでクオリティには期待しないでくださいね」
「でも、いつも短歌にかわいいイラストを添えたりしてるじゃないか。ああいう感じでお願いしたいな。ええと、まずはどうしたらいいのかな」
「それじゃあ、手をこちらに」
言われた通り手を出してきた先輩の爪に、私は慎重にマニキュアを塗っていく。
はああ、ついに他人の生爪にネイルを施す機会が訪れた。感激と緊張でちょっとはみ出しそう……
本当は爪の表面を磨いて滑らかにしたりしないといけないけど……すぐに落とすなら省略してもいいか。
「やっぱり男の人は手が大きいです。そのぶん爪も大きいからネイルがしやすいですね。素晴らしいです」
「そう? 爪の大きさを褒められるなんて、なんだか新鮮だな」
うーん、何の絵柄にしようかな。
私は小田桐先輩の顔をちらっと見上げる。
よし、右手の親指はうさぎの絵にしよう。眼鏡をかけた白いうさぎ。それで他の爪は森っぽい感じでパステルグリーンをベースに白やピンクの花なんかを散らして……
左手にも同じように塗った後で、親指の爪に白熊の絵を描く。眼鏡をかけた白熊。森の中に白熊なんておかしいけれど、眼鏡をかけている時点でこの世界はすでにファンタジーなのだ。それくらい些細な事だろう。
「よし、完成です」
我ながらなかなか上手くいったんじゃないだろうか。ああ、楽しかった。
「へえ、上手いこと絵を描くんだなあ」
小田桐先輩が感心したようにまじまじと自分の爪を見つめると
「ほらほら日比木。良いだろこれ」
日比木先輩に手の甲を向けて見せびらかす。
「なんだよその乙女チックな絵柄は。男には壊滅的に似合わねえな。でも、まあネイル自体はいいんじゃねえの? 女子には喜ばれそうで」
おお、二人に褒められた?
「よかったら日比木先輩もどうですか?」
「絶対にNOだ」
「そんなこと言わずに。私、もうちょっとだけ塗り足りないんです。少しだけでいいので……!」
頼み込むと、日比木先輩は暫く考えていたようだったが
「……まあ、リムーバーもあるしな。片手だけなら……」
「やった。ありがとうございます!」
そして私が先輩に施したのは夜空のような深く青いグラデーションの掛かったネイル。
はあ、やっぱり楽しい……
「日比木先輩、爪がちょっと伸びてますね。そのぶん絵がたくさん描けます。素晴らしいです」
「変な褒め方すんな」
手持ち無沙汰なのか、日比木先輩は空いた右手で短冊に短歌を書いている。
【今はもうネイルが光る君の指 前まで深爪だったのにね】
先輩も前まで深爪だったのかなあ。
そんな事を考えながら、最後に可愛らしい感じの流れ星なんかも描き加えて完成だ。
「いいじゃないか日比木。それ、似合ってるぞ」
「似合ってたまるか。おい森夜、もう気が済んだだろ? 早くリムーバーよこせ」
「え? しばらくの間余韻に浸ったりしないんですか?」
「そんな事するかよ。付き合ってやっただけありがたいと思え」
うう、冷たい。でも、先輩も我慢してくれたんだろうな……それを思うとそのままにしておくのは忍びない。
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「あ、せっかくだから僕も撮っておこう」
私が初めて誰かに施したネイルアート。その証拠と記念として写真に残しておきたい。
小田桐先輩と一緒に携帯で写真を撮った後、リムーバーを取り出すべく鞄の中を探る。しかし、それらしきものに手が触れない。
あれ……?
今度は鞄の中を覗き込みながら中のものを取り出しては机の上に並べてゆく。
が、目的のものは出てこない。
「おい、まさかお前……」
日比木先輩の猜疑心溢れる声に、私は慌てて首を振る。
「わ、忘れてなんかないですよ! 教室に置いてきちゃったみたいです。すぐに取ってきますね!」
慌てて部室を飛び出した私は急いで教室へと走る。
道具が嵩張ったので別のバッグに分けていて、それを机の横に掛けおいていたのを忘れていたのだ。
自分のクラスの前について、半開きのそのドアに手をかけて開けようとした瞬間、中から
「おっぱい」
という言葉が聞こえたような気がした。
おっぱい……? 今、おっぱいって言った? いや、まさかね。聞き間違いかな?
念のため、教室には入らずドアの陰で耳をすますと、数名の男子達の声が聞こえてきた。
「――だからさ、お前らはこのクラスの女子の中で誰が一番おっぱいがでかいと思う?」
は?
な、なにその会話。
あまりの内容に、私は教室内に入るに入れず、ドアのそばで固まってしまった。
その間にも男子達の会話は盛り上がる。
「そうだなあ、伊藤とか結構でかくない?」
「小野もなかなかだと思うけど」
どうやら男子達はクラスの女子の巨乳番付を行なっているようだ。そんな情報聞きたくなかった。早く話題変わってくれないかな……
「でも、やっぱり一番でかいのはクラウザーだろ」
クラウザー? どちらさま? そんな外国人みたいな名前の人がこのクラスにいたっけ?
まわりの男子も同じように思ったらしく
「クラウザーって?」
などと聞いている。
すると言い出しっぺの男子は得意げに答える。
「森夜の事だよ。森夜……下の名前なんだっけ」
え……? 私……?
「暗くてウザいから『クラウザー』なんだってよ。女子の一部が言ってた」
「あー、確かに暗いけど……でもウザいっけ? どっちかっていうと空気じゃん。クラエアーじゃん」
男子達の爆笑が起こる。
え? 私って、女子から暗くてウザいって思われてるの……? え? 百歩譲って「暗い」は、ぼっちで誰とも喋らないからそう受け取られてる可能性もあるけど、ウザいと思われるようなことなんて何かしたっけ……? しかも男子からは空気と思われてるなんて……
「まあ、確かにあいつはでかいよな。体操着とか着てるとよくわかるっつーか」
「えー、でも、そんなのがクラス一の巨乳とか、宝の持ち腐れじゃん」
「でもあいつ、よく見ると素材は悪くない――」
私は踵を返して廊下を駆け出した。これ以上男子達の話を聞いていたくなかった。
自分がそんな風に思われてたなんて、知りたくなかった……! 暗くてウザいとか、空気とか、みんなひどいよ……!
廊下の途中で足を緩めた私は一旦立ち止まる。ちょっと泣きそうになってしまったからだ。
こんな状態で部室に戻れば先輩達に事情を尋ねられるだろう。その時冷静でいられる自信がない。
何度か深呼吸を繰り返し、心が鎮まるのを待った。
とぼとぼと部室に戻った私が手ぶらなのを見て、先輩達は不思議そうな顔をした。
「あ、あの、やっぱりその、リムーバーは家に忘れてきちゃったみたいで……」
「は? それじゃあ、俺らはこんな恥ずかしい爪のままで帰宅しなけりゃならないって事か? 嘘だろ。屈辱だ。屈辱の極みだ」
「……すみません。あ、でも、途中のコンビニにならリムーバーが売ってると思うので、そこまで我慢していただければ……」
教室に入れなかった理由が、男子達の卑猥な話のネタにされた挙句、変なニックネームまでつけられていたのを聞いたからとはとても言えない。だから家に忘れてきたと誤魔化したのだ。
それにしてもクラウザーか……一体誰がそんな事言い出したんだろう。
先ほどの男子たちの会話を思い出して落ち込む私を見て勘違いしたのか
「もう気にしなくていいよ。爪に注目する人なんてそんなにいないだろうし」
小田桐先輩が慰めてくれた。うう、余計に罪悪感がこみ上げる……私が男子達に臆することなく教室に入ることができていれば……
公の場で巨乳番付なんかしてたあの男子達恨む。
「すみません、すみません……」
海沿いを走る帰りの電車の中で、私は二人にひたすら謝る。
「もういいよ。まあ、今度からは必要なものが揃ってるか確かめてからの方がいいかもね」
やんわりと忠告してくれる精神的イケメン小田桐先輩とは対照的に、日比木先輩は
「俺はぜってー恨むぞ。もう二度とお前の練習台にはならないからな」
と、ドアに寄りかかりながら恨み言を吐く。その背後にはガラス越しに海が見える。いつもはきらきらと光ってきれいなこの海も、今日はなんだかまともに見れない。
あの後、帰り道の途中のコンビニへ寄ったのだが、あいにくとリムーバーは取り扱っておらず、結局先輩達はネイルアートを施したままの爪で帰宅する事態になってしまったのだ。
「あの、私のことは嫌いでも、ネイルアートの事は嫌いにならないでくださいね」
「は? 突然なにわけのわからないアイドルみたいな事言ってんだ?」
「おい、日比木、お前がキツいこと言ったから落ち込んでるんじゃないのか?」
小田桐先輩が小声で日比木先輩をつつく。
「ええー、俺のせいかよ。マジかよ。繊細すぎるだろ」
「お前はその外見とか態度と相まって、初心者には難易度が高いんだよ」
「そ、そうじゃないんです」
見当違いの推論で揉め出す先輩達を慌てて止める。
「あ、あの、強引にネイルアートまでした上にリムーバー忘れちゃうとか、おまけに私は暗くてウザいし、空気だし、嫌われても仕方ないです。でもネイルアート自体に罪はないので……」
私の言葉に先輩達は顔を見合わせる。
その後で日比木先輩は困ったように頭をかくと、先ほどよりも落ち着いたトーンで話し出す。
「えーと、あれだ、森夜。何を勘違いしてるのかわかんねえけど、誰もお前の事をウザいとか空気だとか嫌いだなんて思ってねえから。だからその、そんな落ち込むなって。な?」
「そうそう。日比木の口が悪いのはいつもの事だし。僕も嫌いだなんて思ってないから。森夜さんは僕らの友達だよ」
「ほ、ほんとですか?」
その言葉に日比木先輩も頷く。
「ああ、今日のことも特別に許してやるから」
面と向かって嫌っていないと言ってくれたことが嬉しかった。先輩達にとって、私は「クラウザー」でも空気でもない、本当の友達なのかな。だったらどんなに素晴らしいことだろう。
「それじゃあ、先輩、お先に失礼しますね。今日は本当にありがとうございました」
私の降車駅は学校のある駅からは一駅だ。先輩達はその次の駅。
先に電車を降りる私に、先輩達は
「おう。また明日な」
「バイバイ。気をつけて帰ってね」
などと、いつもと同じように別れの言葉を口にする。
ネイルアートのこと、本当に怒ってないみたいだ。または開き直ったのかもしれないが。
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