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二階の奥の部屋
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「『嘆きの迷い子』の話は前に聞いた事があるだろう?」
「ええと、確か、二階の奥の部屋にいるっていう……」
二階への階段を並んで上りながら、アルベリヒさんは話す。
「あれはもう一人の俺だ」
「……え? でも、嘆きの迷い子って幽霊だって話だったんじゃ?」
「それはあの部屋に誰も近づけないようにするために義父が考えた嘘だ。俺はここに引き取られて来てからも、転送される時の恐怖や悲しみを忘れられずに泣いてばかりで、ろくに話もできなかった。それを見かねた義父が俺の辛い記憶だけを魔法で取り除いたんだ。それが具現化したものがあの嘆きの迷い子だ。今まで忘れていた。義父が俺に魔法を使った事さえ忘れさせられていたんだ」
そういえばエルミーナさんが言っていた。アルベリヒさんの義理の父親であった魔法使いは、苦しんでいる人から辛い記憶だけを消したりできたって。嘆きの迷い子も、その魔法の副産物なのかもしれない。
「俺は、あのもう一人の俺と向き合わなければならない。でなければ、あの嘆きの迷い子はこれからもこの屋敷の中を彷徨い続けるんだろう。辛い記憶だけを持ち続けて」
もしかして、嘆きの迷い子が時々部屋から出てきてその存在を訴えていたというのは、アルベリヒさんに気付いて欲しかったからなんだろうか?
二階の奥の部屋のドアの前に立つと、アルベリヒさんはこちらを振り向く。
「コーデリア。一緒に来てくれないか?」
その瞳には微かな動揺が浮かんでいるようだ。もう一人の自分と向き合う事に不安を感じているのかもしれない。
わたしは頷くと、安心させるようにアルベリヒさんの手を握る。
すると、彼は一呼吸置いた後、覚悟を決めたようにドアノブに手をかけた。
部屋の中は長い事人の入った様子もなく、ずいぶんと埃っぽかった。閉めきられたカーテン越しにわずかに透ける光だけが室内の様子をぼんやりと浮かび上がらせる。
人の影すらどこにも見えない。
「どこだ? どこにいるんだ?」
アルベリヒさんが虚空に向かって話しかける。
「俺の事がわかるだろう? お前を迎えに来たんだ。頼むから姿を見せてくれ」
その声にはどこか必死な色が滲んでいる。アルベリヒさんは救いたいのだ。今まで彷徨い続けてきたもう一人の自分を。
その時、部屋の隅の、ほとんど真っ暗なところから窓の前へと進み出るように、小さな影が姿を現した。
目を凝らすと幼い男の子だという事がわかる。
この子が嘆きの迷い子……? 暗い部屋ではぼんやりとしか確認できないが、その姿はアルベリヒさんに似ている。まるでアルベリヒさんを幼くしたような。
この子が今までアルベリヒさんの辛い記憶だけを抱えていたんだろうか。こんな幼い子どもが。
その姿をみとめたアルベリヒさんは、わたしの手をそっと離す。そして床に片膝をついて視線を合わせると、男の子に向かい両手を広げる。
「今まで忘れていてすまなかった。俺と一緒にここを出よう。もうこんなところにひとりきりで閉じこもっていなくても良いんだ」
それを聞いた男の子は、おそるおそるといった様子でアルベリヒさんに近づいてゆく。
この子もきっと待っていたのだ。アルベリヒさんが迎えに来てくれるのを。少しずつ、救いを求めるようにアルベリヒさんに手を伸ばす。
やがて、ふたつの影がひとつになった。
「今まで寂しかったんだよな。気付いてやれなくてごめん。俺の代わりに苦しんでいたのに」
男の子を抱きしめながらアルベリヒさんが囁く。
男の子は何も答えなかったが、アルベリヒさんの抱擁を受け入れるように、その胸にしがみつく。
と、その姿が少しずつ形を失っていくのがわかった。徐々に周囲の景色に溶け込むように、その影が薄くなってゆく。わたしの見ている前で、やがて男の子の姿は完全に闇に消えた。
「アルベリヒさん、あの子は……?」
尋ねるわたしに、アルベリヒさんは自分の胸を押さえてみせる。
「ここにいる。俺とひとつになった。本来の場所に戻ったんだ」
その言葉に安堵する。良かった。あの子は救われたんだ。その存在を気付いて欲しくて夜な夜な廊下を歩きまわる寂しがりやの子どもはもういないのだ。
アルベリヒさんは立ち上がって部屋の中を見回す。
「それにしてもここは暗いな。カーテンを開けよう。窓も全部開けて空気を入れ替えて。全部きれいにしていつでも入れるように。だって、もうこの部屋を閉め切っておく理由なんて無いんだから」
「ええと、確か、二階の奥の部屋にいるっていう……」
二階への階段を並んで上りながら、アルベリヒさんは話す。
「あれはもう一人の俺だ」
「……え? でも、嘆きの迷い子って幽霊だって話だったんじゃ?」
「それはあの部屋に誰も近づけないようにするために義父が考えた嘘だ。俺はここに引き取られて来てからも、転送される時の恐怖や悲しみを忘れられずに泣いてばかりで、ろくに話もできなかった。それを見かねた義父が俺の辛い記憶だけを魔法で取り除いたんだ。それが具現化したものがあの嘆きの迷い子だ。今まで忘れていた。義父が俺に魔法を使った事さえ忘れさせられていたんだ」
そういえばエルミーナさんが言っていた。アルベリヒさんの義理の父親であった魔法使いは、苦しんでいる人から辛い記憶だけを消したりできたって。嘆きの迷い子も、その魔法の副産物なのかもしれない。
「俺は、あのもう一人の俺と向き合わなければならない。でなければ、あの嘆きの迷い子はこれからもこの屋敷の中を彷徨い続けるんだろう。辛い記憶だけを持ち続けて」
もしかして、嘆きの迷い子が時々部屋から出てきてその存在を訴えていたというのは、アルベリヒさんに気付いて欲しかったからなんだろうか?
二階の奥の部屋のドアの前に立つと、アルベリヒさんはこちらを振り向く。
「コーデリア。一緒に来てくれないか?」
その瞳には微かな動揺が浮かんでいるようだ。もう一人の自分と向き合う事に不安を感じているのかもしれない。
わたしは頷くと、安心させるようにアルベリヒさんの手を握る。
すると、彼は一呼吸置いた後、覚悟を決めたようにドアノブに手をかけた。
部屋の中は長い事人の入った様子もなく、ずいぶんと埃っぽかった。閉めきられたカーテン越しにわずかに透ける光だけが室内の様子をぼんやりと浮かび上がらせる。
人の影すらどこにも見えない。
「どこだ? どこにいるんだ?」
アルベリヒさんが虚空に向かって話しかける。
「俺の事がわかるだろう? お前を迎えに来たんだ。頼むから姿を見せてくれ」
その声にはどこか必死な色が滲んでいる。アルベリヒさんは救いたいのだ。今まで彷徨い続けてきたもう一人の自分を。
その時、部屋の隅の、ほとんど真っ暗なところから窓の前へと進み出るように、小さな影が姿を現した。
目を凝らすと幼い男の子だという事がわかる。
この子が嘆きの迷い子……? 暗い部屋ではぼんやりとしか確認できないが、その姿はアルベリヒさんに似ている。まるでアルベリヒさんを幼くしたような。
この子が今までアルベリヒさんの辛い記憶だけを抱えていたんだろうか。こんな幼い子どもが。
その姿をみとめたアルベリヒさんは、わたしの手をそっと離す。そして床に片膝をついて視線を合わせると、男の子に向かい両手を広げる。
「今まで忘れていてすまなかった。俺と一緒にここを出よう。もうこんなところにひとりきりで閉じこもっていなくても良いんだ」
それを聞いた男の子は、おそるおそるといった様子でアルベリヒさんに近づいてゆく。
この子もきっと待っていたのだ。アルベリヒさんが迎えに来てくれるのを。少しずつ、救いを求めるようにアルベリヒさんに手を伸ばす。
やがて、ふたつの影がひとつになった。
「今まで寂しかったんだよな。気付いてやれなくてごめん。俺の代わりに苦しんでいたのに」
男の子を抱きしめながらアルベリヒさんが囁く。
男の子は何も答えなかったが、アルベリヒさんの抱擁を受け入れるように、その胸にしがみつく。
と、その姿が少しずつ形を失っていくのがわかった。徐々に周囲の景色に溶け込むように、その影が薄くなってゆく。わたしの見ている前で、やがて男の子の姿は完全に闇に消えた。
「アルベリヒさん、あの子は……?」
尋ねるわたしに、アルベリヒさんは自分の胸を押さえてみせる。
「ここにいる。俺とひとつになった。本来の場所に戻ったんだ」
その言葉に安堵する。良かった。あの子は救われたんだ。その存在を気付いて欲しくて夜な夜な廊下を歩きまわる寂しがりやの子どもはもういないのだ。
アルベリヒさんは立ち上がって部屋の中を見回す。
「それにしてもここは暗いな。カーテンを開けよう。窓も全部開けて空気を入れ替えて。全部きれいにしていつでも入れるように。だって、もうこの部屋を閉め切っておく理由なんて無いんだから」
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