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冬の公園で
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「コーデリア、頼むからもう少しゆっくり……」
手を引っ張ると、アルベリヒさんが怯えたような声を上げる。
「そんなに怖がらなくても大丈夫ですよ。ほら、頑張って」
喋るたびに白い吐息が踊る。
冬のシンクレア公園は昼間だからか人が多い。その中にある大きな池に設けられたスケート場の、比較的人の少ない隅っこで、わたしはアルベリヒさんと一緒に氷上を滑っていた。
といっても、アルベリヒさんが一方的にわたしに引っ張られるがままになっているのだが。
「この調子じゃ、いつまで経ってもソフィアさんとの約束を守れませんよ」
そう言うと、アルベリヒさんはそれまでの弱音を封じるように口を噤んでスケートに集中する様子を見せた。でも、その足は産まれたての小鹿のように震えていて、腰も引けている。
「アルベリヒさん、もう少し上体を起こして」
指示すると、アルベリヒさんはその通りに体勢を立て直そうとするが、
「うわっ!?」
次の瞬間、バランスを崩して尻餅をついてしまった。
幸いにも厚手のコートを身につけているためか、衝撃による怪我などの心配はないようだが
「お、俺はもう駄目だ……駄目人間だと罵ってくれ」
アルベリヒさんは氷の上に座り込んだままがくりと肩を落とす。
うーん、心が折れかけているのかな……スケート苦手だって言ってたけど、これは予想以上だ。それなのにちょっと頑張らせすぎてしまったかも……。
「少し休憩しましょうか。そこのベンチで待っててください。何か温かいものでも買ってくるので」
気分転換のためにもそう提案した。
近くの屋台で飲み物を買ってベンチに戻ると、アルベリヒさんがぐったりと背もたれに身体を預けていた。
「どうぞ。これでも飲んでください。温まりますよ」
わたしはカップを渡して隣に腰掛ける。
一口飲んだアルベリヒさんは困惑したような声を上げた。
「……なんだこれ。とんでもなく苦い。本当にこれは人間が口にして良いものなのか?」
「そこまで言いますか。お店の人によると、一口飲めば体の芯まで温まる特製ブレンド茶だそうですけど」
「特製ね……」
アルベリヒさんはカップをベンチに置く。
「温まるならお茶よりこっちのほうがよっぽど効果がある」
そう言うと、おもむろにわたしを抱きすくめた。
こ、これは確かに温かい。温かいけど……。
「コーデリア。お前、顔が赤いぞ」
「だ、誰のせいだと思ってるんですか……」
顔を背けると、アルベリヒさんの微かな笑い声が聞こえた。
「悪い。機嫌を直してくれ。これをやるから」
そう言って差し出したアルベリヒさんの手が微かに光る。
次の瞬間、そこには氷でできた薔薇の花が乗っていた。花びらの一枚一枚までが精巧にできていて、まるで花がそのまま凍ったみたいだ。
「わあ、きれい。アルベリヒさん、こんなものも作れるんですね。すごい」
薔薇を受け取ったわたしは先ほどまでの恥ずかしさも忘れ、両手の中のそれに見とれる。
「でも、きっと一日も持たずに溶けちゃいますね……こんなにきれいなのに残念……」
「その時はまた作ってやるよ。お前の好きな花をいくつでも」
「ほんとですか!? やった!」
何を作ってもらおうかな。ガーベラとか? ユリなんかもいいかも。
「コーデリア」
不意にアルベリヒさんの声が真剣味を帯びた。
「お前はその……俺の事、どう思ってる?」
その言葉は冗談でもなんでもない。
長い間自分が愛されていなかったと思い込んでいたこの人は、それが勘違いだったと判明した今でも時々不安になるらしく、こんなふうに唐突に自分に対する想いを確かめるような事を言うのだ。
だからわたしは何度でも答える。
「もちろん、愛してますよ。世界で一番」
するとアルベリヒさんは、安堵したように、わたしの首元のマフラーに顔を埋めた。
いつかこの人の不安を完全に取り除くことができたら。そしてそれができる相手がわたしであれば良いのに。
そんな事を考えながら、彼の柔らかな黒髪を撫でた。
「なあコーデリア」
「はい?」
「こんな時にこんな事を言うのも何だが……お前は今、幸せか?」
「当たり前じゃないですか。大好きな人といつも一緒にいられるんですから」
「それなら、これからも俺がお前を幸せにする。だから、ええと、その……なんていうか……」
顔を伏せたアルベリヒさんはなんだか言いづらそうだ。どうしてか耳も少し赤いような気がする。
「………………俺と、けっこ」
「あ、アルベリヒさん、あそこ見てください!」
「……………………え?」
「あそこにいる男の子、何だか困ってるみたいに見えませんか? ほら、なにか探してるみたいな。迷子かな? ちょっと様子を見に行きましょう」
「……………………あ、ああ」
何故だか足取りの重いアルベリヒさんの手を引っぱりながら近づくと、幼い男の子がきょろきょろとあたりに視線を彷徨わせていた。
「ねえ、君、どうかしたの?」
しゃがみこんで尋ねると、男の子は消え入りそうな声で
「手袋が、片方どこかに行っちゃった……せっかくお母さんが作ってくれたのに……」
そう言うと、今にも泣き出しそうに顔を歪ませた。
「おい、泣くな。探すの手伝ってやるから」
隣でアルベリヒさんが男の子を励ますように頭をぐしゃりと撫でる。
「でも、こんなに広い場所で、どこに落としたのかもわからなくて……」
「大丈夫。きっとみつけてみせます」
アルベリヒさんがこちらを見たのでわたしは頷いてみせると、男の子に向き直る。
「ねえ君、名前は?」
「……トビー」
「トビー、少しだけわたしに力を貸して。もしかすると君の手袋を見つけられるかもしれない」
「ほんと? ……わかった。なにをしたらいいの?」
トビーが頷いたので彼の手を取る。すっかり冷え切ってしまった小さな手。どうかこの子のこの手を再び温める大切な手袋が見つかりますように。
そうしてわたしはうせもの探しの魔法を使うため、大きく息を吸い込んだ。
(完)
手を引っ張ると、アルベリヒさんが怯えたような声を上げる。
「そんなに怖がらなくても大丈夫ですよ。ほら、頑張って」
喋るたびに白い吐息が踊る。
冬のシンクレア公園は昼間だからか人が多い。その中にある大きな池に設けられたスケート場の、比較的人の少ない隅っこで、わたしはアルベリヒさんと一緒に氷上を滑っていた。
といっても、アルベリヒさんが一方的にわたしに引っ張られるがままになっているのだが。
「この調子じゃ、いつまで経ってもソフィアさんとの約束を守れませんよ」
そう言うと、アルベリヒさんはそれまでの弱音を封じるように口を噤んでスケートに集中する様子を見せた。でも、その足は産まれたての小鹿のように震えていて、腰も引けている。
「アルベリヒさん、もう少し上体を起こして」
指示すると、アルベリヒさんはその通りに体勢を立て直そうとするが、
「うわっ!?」
次の瞬間、バランスを崩して尻餅をついてしまった。
幸いにも厚手のコートを身につけているためか、衝撃による怪我などの心配はないようだが
「お、俺はもう駄目だ……駄目人間だと罵ってくれ」
アルベリヒさんは氷の上に座り込んだままがくりと肩を落とす。
うーん、心が折れかけているのかな……スケート苦手だって言ってたけど、これは予想以上だ。それなのにちょっと頑張らせすぎてしまったかも……。
「少し休憩しましょうか。そこのベンチで待っててください。何か温かいものでも買ってくるので」
気分転換のためにもそう提案した。
近くの屋台で飲み物を買ってベンチに戻ると、アルベリヒさんがぐったりと背もたれに身体を預けていた。
「どうぞ。これでも飲んでください。温まりますよ」
わたしはカップを渡して隣に腰掛ける。
一口飲んだアルベリヒさんは困惑したような声を上げた。
「……なんだこれ。とんでもなく苦い。本当にこれは人間が口にして良いものなのか?」
「そこまで言いますか。お店の人によると、一口飲めば体の芯まで温まる特製ブレンド茶だそうですけど」
「特製ね……」
アルベリヒさんはカップをベンチに置く。
「温まるならお茶よりこっちのほうがよっぽど効果がある」
そう言うと、おもむろにわたしを抱きすくめた。
こ、これは確かに温かい。温かいけど……。
「コーデリア。お前、顔が赤いぞ」
「だ、誰のせいだと思ってるんですか……」
顔を背けると、アルベリヒさんの微かな笑い声が聞こえた。
「悪い。機嫌を直してくれ。これをやるから」
そう言って差し出したアルベリヒさんの手が微かに光る。
次の瞬間、そこには氷でできた薔薇の花が乗っていた。花びらの一枚一枚までが精巧にできていて、まるで花がそのまま凍ったみたいだ。
「わあ、きれい。アルベリヒさん、こんなものも作れるんですね。すごい」
薔薇を受け取ったわたしは先ほどまでの恥ずかしさも忘れ、両手の中のそれに見とれる。
「でも、きっと一日も持たずに溶けちゃいますね……こんなにきれいなのに残念……」
「その時はまた作ってやるよ。お前の好きな花をいくつでも」
「ほんとですか!? やった!」
何を作ってもらおうかな。ガーベラとか? ユリなんかもいいかも。
「コーデリア」
不意にアルベリヒさんの声が真剣味を帯びた。
「お前はその……俺の事、どう思ってる?」
その言葉は冗談でもなんでもない。
長い間自分が愛されていなかったと思い込んでいたこの人は、それが勘違いだったと判明した今でも時々不安になるらしく、こんなふうに唐突に自分に対する想いを確かめるような事を言うのだ。
だからわたしは何度でも答える。
「もちろん、愛してますよ。世界で一番」
するとアルベリヒさんは、安堵したように、わたしの首元のマフラーに顔を埋めた。
いつかこの人の不安を完全に取り除くことができたら。そしてそれができる相手がわたしであれば良いのに。
そんな事を考えながら、彼の柔らかな黒髪を撫でた。
「なあコーデリア」
「はい?」
「こんな時にこんな事を言うのも何だが……お前は今、幸せか?」
「当たり前じゃないですか。大好きな人といつも一緒にいられるんですから」
「それなら、これからも俺がお前を幸せにする。だから、ええと、その……なんていうか……」
顔を伏せたアルベリヒさんはなんだか言いづらそうだ。どうしてか耳も少し赤いような気がする。
「………………俺と、けっこ」
「あ、アルベリヒさん、あそこ見てください!」
「……………………え?」
「あそこにいる男の子、何だか困ってるみたいに見えませんか? ほら、なにか探してるみたいな。迷子かな? ちょっと様子を見に行きましょう」
「……………………あ、ああ」
何故だか足取りの重いアルベリヒさんの手を引っぱりながら近づくと、幼い男の子がきょろきょろとあたりに視線を彷徨わせていた。
「ねえ、君、どうかしたの?」
しゃがみこんで尋ねると、男の子は消え入りそうな声で
「手袋が、片方どこかに行っちゃった……せっかくお母さんが作ってくれたのに……」
そう言うと、今にも泣き出しそうに顔を歪ませた。
「おい、泣くな。探すの手伝ってやるから」
隣でアルベリヒさんが男の子を励ますように頭をぐしゃりと撫でる。
「でも、こんなに広い場所で、どこに落としたのかもわからなくて……」
「大丈夫。きっとみつけてみせます」
アルベリヒさんがこちらを見たのでわたしは頷いてみせると、男の子に向き直る。
「ねえ君、名前は?」
「……トビー」
「トビー、少しだけわたしに力を貸して。もしかすると君の手袋を見つけられるかもしれない」
「ほんと? ……わかった。なにをしたらいいの?」
トビーが頷いたので彼の手を取る。すっかり冷え切ってしまった小さな手。どうかこの子のこの手を再び温める大切な手袋が見つかりますように。
そうしてわたしはうせもの探しの魔法を使うため、大きく息を吸い込んだ。
(完)
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とてもかわいい素敵なお話でした。
心があたたかくなる物語をありがとうございました。
感想ありがとうございます。
かわいいと言って頂けるとは思わず意外な気持ちです。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。