生活力0の問題児を期限20日で一人前にしろって本気か?今日も試験どころか日常が崩壊してるんだが

ランド犬

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第2話 チェックリスト

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 アレンは目を覚ました瞬間、天井に向かって小さく手を合わせた。

「今日こそ……平和でありますように」

 昨日、冷蔵庫に突撃されて家が散ったのが脳裏に焼き付いている。祈るくらい許してほしい。

 祈りは、わりとあっさり裏切られた。

 居間へ出た途端、床に転がる毛布が目に入った。布団はちゃんと出してやったはずだ。なのにミルルは、その布団の横の床で丸くなって寝ている。尻尾が顔の横でふわふわしていて、本人の鼻先をくすぐっているらしい。時々むずがって、くしゃっと顔をしかめる。

(……可愛い。いや、今はそれどころじゃない)

 アレンはそっと近づいて毛布をかけ直し、台所へ向かった。昨日の惨状を片付けきれたのか、確認するためだ。

 冷蔵庫の前で、足が止まる。

 床に、半分だけかじられたニンジンが転がっていた。隣には、歯形のついたキャベツの葉。開きっぱなしの袋が二つ、口をあけて倒れている。しかも袋の向きが、わざわざ“中身が出やすい角度”だ。

「……夜中に、匂いに釣られたな」

 冷蔵庫の扉は閉まっている。つまり、昨日の“許可制”は守ったが、匂いには勝てず、生で食べた。

 どこから出したかは想像がついた。棚の下段が、妙に開けられた形跡がある。器用だな、そこだけ。
 アレンはため息をつきつつ、玄関を覗いた。

 ――靴が、揃えて置かれている。

 昨日、最初に決めたルール。「家に入ったら靴を脱ぐ」。それは守られていた。

「……よし。えらい」

 小さな成功は、ちゃんと拾う。拾わないと、こっちの心が折れる。

 台所へ戻り、簡単な朝食を作る。卵を割り、フライパンを温め、パンを焼く。味噌汁の代わりにスープでもいい。まず“回る生活”が先だ。
 その背後で、ぱたぱたと尻尾の音がした。

「アレン! おはよ!」

 振り向くと、ミルルが寝癖のまま立っていた。目は半分開いていて、顔はまだ夢の中なのに、声だけは元気だ。

「おはよ。……顔、洗ってきたか?」

 ミルルは一秒固まって、そして胸を張った。

「……わすれた!」

 忘れたことを誇るな。

「今からでいい。洗面所、こっち」

「うん!」

 ミルルは勢いよく走り――かけて、アレンの
視線に気づいてピタッと止まった。

 昨日の冷蔵庫突撃が、まだ心に残っている
らしい。尻尾が気まずそうに揺れる。

「……あるく!」

「よし、えらい」

 そのまま小走りにならないのを見届けて、アレンは台所に戻った。

 数分後。ミルルは口元を濡らしたまま戻ってきて、胸を張って言う。

「ミルル、てつだう!」

 その言い方が、昨日の「どうも!」と同じくらい元気でまっすぐで、思わず笑いそうになる。

 ――だが、油断はできない。

 手伝いの最初の一歩で台所が壊滅する未来が、昨日の記憶として鮮明にある。

「じゃあ、コップを――」

 言い終える前に、ミルルはシンクへ飛びついた。勢いがいい。勢いが悪い。
 次の瞬間、洗剤をコップの中へどぷっと入れようとしている。

「待った待った待った!」

「きれいになる!」

「きれいになるけど、飲めなくなる。洗剤は外側、ほんのちょっと。水で流すのが先」

「そと……ちょっと……」
 
 ミルルは真剣な顔で頷いた。理解してるのか、呪文として覚えたのかは怪しい。
 続いて、フライパンの方へ視線が行く。

「それ、あつい?」

「あつい。触ったら危ない」

「じゃあミルル、さわらない!」

 言ったそばから、鍋の取っ手に手を伸ばしかけて、ひゅっと引っ込めた。怖いのか、好奇心なのか、両方なのか。

 アレンは額を押さえる。

(これは“見守り”じゃ無理だ。やり方を決めないと生活が回らない)

 悪意で壊しているわけじゃない。知らないだけ。なら、こちらが「何を」「どうやって」「どこまで」を決めて渡すしかない。

 そこへ、玄関のチャイムが鳴った。時計を見ると、約束の時間ぴったり。

「来たか……」

 初回面談。役所の担当職員が来る日だ。ここで“方向性”を間違えたら、二十日は地獄になる。

 玄関へ向かうと、ミルルも後ろからついてきた。昨日なら靴のまま飛び出しただろうが、今日はたたきのところでぴたりと止まる。自分から、止まった。

 ドアを開けると、落ち着いた雰囲気の女性が名刺を差し出した。

「おはようございます。担当のサカキです。昨日は、問題ありませんでしたか?」

「ええ……問題は、ありましたが、生きてます」

 自分でもよく分からない返事になって、アレンは苦笑する。

 サカキは家の中を見回し、ミルルの足元を見て目を細めた。

「靴、脱げていますね。偉いです」

「えへへ!」

 褒められた瞬間、ミルルの尻尾がぶんっと大きく揺れた。本人は尻尾を隠そうともしていない。正直でよろしい。

 応接に通し、サカキが資料を広げる。

「改めて説明します。最近、獣人の方々が人間社会と関わり、同じ街で働き、暮らすケースが増えています。ただ、文化や生活習慣の違いで適応が難しい子もいる。そこで、一般家庭で一定期間暮らし、生活を整えるのがこの共同生活プログラムです」

 ミルルは真面目な顔で聞いている……ように見える。耳がぴくぴく動いているのが気になるが、聞く姿勢はある。

「期間は二十日。最終試験は三日間の一人生活で、『一人で生きられるか』を判定します」

 アレンは資料の文字を追い、喉が乾くのを感じた。三日間。しかも、介入禁止。見守り役が見守れない。

「評価項目は三つです。衛生、社会、自立。完璧は求めません。継続できる形を作ることが重要です」

 その言葉が、妙に胸に刺さった。完璧を目指したら、昨日の時点で詰んでいる。続けられる形――それなら、作れるかもしれない。
 サカキは次に、一枚の紙を差し出した。

「こちらがチェックリストです」

 朝起きる、顔を洗う、着替える、食事、片付け、外出、挨拶、時間を守る。細かい項目がびっしり並んでいる。
 ミルルの目がきらきらした。

「これ、ぜんぶやったら、すごい?」

「すごいです」

「ミルル、ぜんぶやる!」

 尻尾が勢いよく揺れた。アレンは、その勢いが数分で尽きる未来を想像してしまう。
 未来は、ほぼ正確だった。
 ミルルは三行目あたりで眉をひそめ、紙を持つ腕がだらんと下がった。

「……おおすぎる」

「そうですね」

 サカキが穏やかに笑うと、ミルルは紙を持ったまま腕をぶんぶん振った。

「むり! ミルル、きらい!」

 紙が宙を舞いかけ、アレンが反射で受け取る。危ない。紙ですら危ない。

 ここで説教したら折れる。折れたら終わる。アレンは深呼吸して、チェックリストの上にペン先を置いた。

「じゃあ、今日やるのは三つだけにしよう」

「みっつ?」

「うん。これだけできたら、今日は合格。そういう日を増やす」

 アレンは丸をつけた。
 靴を脱ぐ。食べたら片付ける。呼ばれたら返事。

 ミルルが身を乗り出す。

「これなら……できる!」

 その顔が、昨日の冷蔵庫突撃よりずっと頼
もしく見えて、アレンは少しだけ笑った。
 サカキはメモを取りながら頷く。

「とても良い切り分けです。まず成功体験を積みましょう」

 ミルルは得意げに胸を張った。

「ミルル、がんばる!」

 昼。サカキが見守る中で、“三つだけ”の実践が始まる。
 アレンが声をかける。

「ミルル」

「はーい!」

 返事がでかい。昨日より確実にでかい。

「食べ終わったら、皿をここに」

「わかった!」

 ミルルは皿を持ち上げ、よろけながらもテーブルからシンクまで運ぶ。危なっかしいが落とさない。途中で尻尾が棚に当たりそうになって、本人が急に固まるのも可笑しい。

「できた……!」

 ミルルの目が丸くなる。できたことに、自分が一番驚いている。

「できたな」

 アレンが頷くと、ミルルは少し照れたように笑った。
 サカキは時計を見て立ち上がった。

「今日は十分です。焦らなくていい。次は外に慣れましょう」

「そと!」

 ミルルが跳ねるように反応する。耳がぴんと立った。

「学校!?」

 その言葉が飛び出した瞬間、アレンは反射で手を振った。

「いや、まずは外に慣れるためにお出掛けしよう。学校は、そのあとだ」

「おでかけ……!」

 ミルルの顔がぱっと明るくなる。学校よりも、お出掛けの方が響いたらしい。単純で助かる。

 サカキは玄関で靴を履きながら、アレンに小声で言った。

「外に出るだけで、世界が変わる子もいます。無理はしないでくださいね」

「……はい」

 アレンは短く返し、隣のミルルを見る。尻尾がまた嬉しそうに揺れている。

 夜。ミルルは布団の上でごろんごろんと転がっていた。興奮が抜けないのが見て取れる。

「アレン、ねえ、あした、おでかけだよね」

「そうだな」

「ワクワクして眠れない!」

「頼むから寝てくれ……」

 アレンは天井を見上げて小さく笑い、同時に胸の奥が少しだけ締まるのを感じた。

 明日、外へ出る。
 獣人の子が人間の街で暮らす、その一歩目。

 その一歩目を、うまく踏ませられるかどうかで、この二十日は――いや、この先のミルルの生活は、きっと変わる。  
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