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親友?

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 太ももに怪我を負っているさやは、少し進んでは少し休憩していた。

「足、きついよね……」
「ううん。大丈夫。少しずつマシになってる。でも時間がかかりそうだから、ネムは先にミーちゃんを助けてあげて」
「うん……ごめん」
「どうして謝るの? わたしは大丈夫。さあ、早く!」

 何かあったら、すぐ俺に通信するようにさやへ言い残し、俺は、ミーの視界映像へ意識を移した。

      ◾️ ◾️ ◾️

 ミーの視界映像は、最初にリョウマへ斬りかかって以来、同じような映像が流れ続けていた。天井、壁、床を、トップスピードを維持したまま走り続けているのだ。

 ただ一つ、途中で俺が気付いたとおり、敵が放つ銃弾の数は明らかに増えていた。
 
 時折、暗闇となる視界。
 すぐさま目を開いて、壁や天井が映る。
 
 ダダダ、と連射する音や、パンパンと破裂するような音が、ひっきりなしに鳴り続ける。目の前の壁でカン、キンと弾が跳ね返る音がする。

 ふと、視界に映ったミーの左手は、血液で真っ赤になっていた。

「ミーっ! 大丈夫か? 敵の攻撃をもらったのか??」

 これまでずっと放っておいてこんなことを言うのも何だが、俺はミーのことを全く気にしなかったわけではない。時折、視界映像をのぞいては状況を確認していた。その様子からして、きっとミーは上手く避けてると思っていたのだ。

 俺の呼びかけに返答はなかった。

 怒っているのだろうか? ミーはさやの言うとおり構ってちゃんだから、もしかしたら、俺がさやにかかりっきりになってしまったのに勘付いて、ヘソを曲げたのかもしれない。

 一瞬映った視界の端に、自衛隊と思われる紫紺の制服を着た男が見える。男は銃を持っていて、ミーに向かって構えていた。
 
 ミーの視界はすぐにその男から外れたが、映像は水平回転を始めた瞬間に暗くなり、次に目を開けた時には床を見ていて、そこには血を流した制服男が横たわっていた。

 ほとんどコンマ何秒かと思われるほどに短い時間で敵へ対処し、瞬間的に壁へ飛んで、次は天井、そしてまた壁、と息つく暇もないほどに動き回る。

「ミー!」
「…………くっ」

 わずかに漏れた、息継ぎのような声。
 絶え間なく続く、弾丸と壁の衝突音。
 
 怒っているだなんて、それは俺の低俗な思い違いだった。ミーは、返事をする余裕もないほどに手一杯だったのだ。

 必死に回避し続けていた。
 ミーの視界は出口を確認するが、出口の前には、銃火器を装備した二、三人の敵兵が陣取ってる。
 さっきと同じように、高速移動しながら床のほうへ視界を向けつつ、視界の端に映る足で敵の位置を確認し、目を閉じたまま斬りかかる。
 
「グアアっ」

 男の叫び声。
 声のしたほうへ目をやるミー。俺が取得した映像の中で、大腿部から出血する男の姿がコマ送りのように見えた。

 またもや床に目をやって、その場を離れようとした、その時。
 
 思わず口走った「あっ」と言うミーの声。
 ミーは、進行方向にいたのであろう敵兵と衝突してしまう。
 視界映像はブレながらも、移動を停止していた。同時に、連射する銃の音が聞こえて血が飛び散った。

「いっ……」
「ミーっ!!」

 身体中の肌が、毛が、さか立ったかのようになり、俺は反射的に「エレクトロ・マスター」の力を解放した。

 この場にいる全ての敵兵の心臓を……!
 そう願って思いを込めた。

 ビビッ、と電気の音が俺の脳に伝わってくる。
 それは、無力にも神の手で心臓を鷲掴みにされた者たちの、身体の内部で暴れる電流の音。あちこちで、声にならない呻き声が上がった。 

 しかしこのまま力を出し続ければ、俺がここで倒れてしまう。
 止め続けることはできない。いやむしろ、この場においては止め続けなくてもおそらく大丈夫だろう。一瞬でも心臓を止められたなら、アーティファクトではない普通の人間は相当なダメージを負うはずだから。

 銃撃の嵐は止み、ミーの視界は床に近いところにあった。
 はあ、はあ、と荒くなった息遣いが聞こえる。
 
「ミー、どこを負傷した!」
「……ネムか。大丈夫、左腕や」

 俺の呼びかけにようやく応じたミーは、目線を床に落としたまま右手で剣を握りしめる。
 
「リョウマの位置がわからないのか?」
「おるはずのところに剣を振っても、当たらん。なかなかやりよるわ。雑魚どもはまあまあ倒せるんやけどな」

「キキキキ……」

 心の底からうんざりするような、耳障りな笑い声だ。
 誰が発した声かは、脳で考える前にわかるほど。この前、こいつを倒した時に、やはり殺しておくべきだったか。

 身体が、脳が、勝手に温度を上げていく。ドクンドクンとめぐる血が、「怒れ」と俺の身体中の細胞に命令していくかのようだ。さやによって穏やかになった心は、瞬く間に激情で一色に塗り替えられた。
 
「なあ。もういい加減、降参しろよ。いつまで動き続ける気だよ? わかっただろ、俺には当たらない」
「そうやな。こんだけ攻撃してんのに、なんでお前にだけ当たらんのや?」
「キキキ……みーちゃん。君がほんとに可愛いから、どこにいるかなんてすぐにわかっちゃうんだよ」
「……キモ」
「おい。捕まえろ」

 床の方へ向けていたミーの視界に、左右から近づく自衛隊員の足が見える。
 二人はミーの両手を掴んで立たせようとした。ミーは、リョウマを見てしまわないように目を閉じる。

「俺の女になるか、偉大なるギガント・アーマーの玄関口を装飾する石像となるか。君の美しさなら、どちらを選んでも不足はないよ」
「くくく……ははは」

 暗闇に支配された視界の中、突如として出されたミーの嘲笑に、リョウマの声色が変わる。

「何を笑ってる?」
「いやあ、なんか、おかしなってもうて。お前のことなんぞ、だぁれも選ばんわ。かわいそうやなぁ」
「僕はねぇ、狙った女を落とせなかったことないんだよ」
「落とせんかった女は石にしたからやろ? 石は逆らわんもんなぁ」

 少しの間の沈黙が、リョウマの怒りを表現していると思った。
 間接的に二人の会話を聞いているだけの俺にも、リョウマが今、どんな表情をしているのか想像できるほどに。

「…………はあ?」
「あ、おったわ。さや! あいつ、まだ生きとるけどお前のこと拒否ったな。そうか、ほんならあいつ、唯一お前を振った女ってことやな」
「あんなバカ女、俺が気に入ってるわけねぇだろ。乳がデカいだけで、ちょっと可愛いからって調子に乗りやがって! 真弓のためにこんなところまで来るなんてよ。正気じゃねえぜ? どうせ死ぬ奴のためにわざわざ自分の命懸けるようなイカれた女、なんで俺が──」
「確かになぁ」

 同意したかのように返答したミーの声は、リョウマの言葉を遮った。

「お前の言う通りおっぱいデカいだけやし、あたしよりも可愛いくないし。そのうえ、友達のこと助けるために無茶しよる。アホやな、アホ」
 
 ミーの視界は、閉ざされたまま。
 リョウマの声だけが心を突き刺す暗闇の中、迷いのない声でその闇を振り払う。 

「そやけどな……あたしは気に入っとるで。お前如き外道のために、こんなクソ要塞のために、無くなってええ命とちゃうわ。さやの命も、まゆの命もな」

 キ、キ、キ、と響く笑い声。

「じゃあ死ねよ。お前程度の女、そこら辺にゴロゴロいんだよ。図に乗んじゃねえブスが、ちょっと褒めてやれば調子に乗りやがって……これで終わりだ」

 四方八方から、ジャキ、という金属音が鳴る。おそらくミーは、銃を持った敵に包囲されているのだろう。
 やるしかない。残る力を全部込めて、俺は全員を皆殺しにするつもりで、拳を握りしめた。

「撃……」

 リョウマが叫びかけたその時、ヒュンヒュン、という風切り音が、ミーの聴覚情報を通じて俺の意識で認識される。

 同時に、あちこちで上がる、苦痛を表現した叫び声。
 風切り音は鳴り続き、ガチャン、ガチャンと金属音がした。何かが床に落とされたような音だ。

 音が鳴りやんだ頃、聞き慣れた声が聞こえてきた。

「あれ、ミーちゃん、苦戦してんの?」

 いつもの調子の、陽気に尋ねるさやの声。
 俺は、思わずガッツポーズをしていた。
  
 しかし、さやの視界も真っ暗だ。当然だが、さやもリョウマの目を見ることはできないから、こうするしかないだろう。
 大丈夫だろうか。不用意に姿を現したりせず、この大空間の入口のかげに隠れたまま、光弾で敵を狙い撃つべきじゃなかったのか? と、俺は心配になった。

 ミーは、突然現れたさやに言葉を返す。

「苦戦なんぞ、しとらんわ」
「あれ? ひざまずいてるから、てっきり」
「なんとなく、そんなことしてみたくなって」
「そうなんだ」
「そう」
「へえ」

 こんな時まで妙な意地の張り合いを始める二人。

「じゃあ、わたし、勝手にやらせてもらおうかな。どうせこいつには恨みもあるし」

 ミーを助けに来たとは言わないさや。
 だからだと思うが、ミーから切り出した。

「はん……どないしたんや。あたしのこと助けに来るなんぞ、らしくないやろ。お前は、親友しか助けへんのやろ?」

「ええ」

 そっけなく答えたさやの声とは裏腹に、キュウウン、と音階が上がっていく、光弾を具現化する音。

「いつまでボサっとしてんの?」
 
 閉じられたまま、しかしどんどん明るくなっていくさやの視界。
 
「そろそろ終わらせるよ。このクソ野郎はここで殺す」
「……はっ。当然や、誰にもの言うとんねんボケ」

 ミーの持つ剣が、カチャリと音をたてた。
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