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杏奈
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*杏奈
施設から戻って暫くした頃、院長から手紙が届いた。碧が家出した可能性があり、もし見付けたら知らせて欲しいという内容で、他には「花岡海」という人物に会いに行ったかもしれない、ということも書かれてあった。1度しか会っていない私になぜこんな手紙を、と不思議に思ったけれど、他者からみれば私と黒耀はかなり打ち解けて見えたようだ。まぁ確かに、別れ際には連絡先を押し付けたりもした。それに、私に頼ってでも阻止したい程、切羽詰まってもいるようだった。なんでも、碧は彼女に執着していて何をしでかすか分からず、彼女の父である花岡誠一には多額の寄付金を貰った経緯があり、決して迷惑を掛けられないのだと。
花岡海が「あの女」なのだと、私はすぐに直感した。私にとっても、面白くない事態だ。会わせるのはなんとしても阻止したい。そこで、私は協力をする代わりに、碧の所有権を渡して欲しいと提案したのだった。院長は最初は少し難色を示したものの、寄付を弾むと言えばコロリと態度を変えた。お金を貯めていて良かった、と心の底から自分を褒め称えた。
そして・・・それからというもの、私は今日も明日もその次も、もっと言えば昨日も一昨日も、ずっと、ずーっと「あの女」を見張っている。はぁ、大きなため息が出た。つまんない。こんなのって、楽しくない。どうせ見張るなら黒耀の方が断然よかったのに。悔しいことに、女に気を取られている間に、見失ってしまったのだった。しかも、気配を消しているからかなのか、探そうとしても探せないでいた。
はぁぁ、もう1度大きくため息をついて双眼鏡を机に置いた。この双眼鏡は「あの女」を見張る目玉からの景色が見えるようになっているのだ。今日も異常無し、ね。ビスケットを齧りながら記録をノートに付け、始めの方の頁をパラパラとめくってみた。もう数年は経っている。黒耀は、あれから成長したかしら?子供ながら整った顔はしていたわね。
あら?そういえばアレ、どうなったんだろう?
不意に思い出したことに首を傾げつつ、ノートを閉じた。期限はとうに過ぎている。1度問い合わせしておくべきかしらね、私は便箋を取ろうと椅子から立ち上がった。
と、その時、コンコンコン、と扉を叩く音がした。しかもそれは玄関ではなく、この部屋の扉。誰かしら? ゾクリと背筋が冷えた。
もしかして、黒耀? 私に会いに来たの?
おそるおそる扉に向かって話し掛けた。
「そこにいるのは、誰?」
一瞬の静寂の後、カチャリ、とドアノブが回った。
「いやはや、失礼しますよ。」
「は?」
まるで当たり前のように部屋に入ってきたのは、私の知らない人――――ずんぐりむっくりのメガネ男だった。
「だ、誰?」
「むほほ。これはこれは、杏奈様でよろしいですか?」
「え、ええ・・なぜ私の名前を?・・・というか、それ、私のでは?」
男が下げている黒い鞄から僅かに書類らしきものがはみ出ていて、目が吸い寄せられた。上部には私の署名が書かれている気がする。まさに今、私が思い出した「アレ」である。
「ひょひょひょ、まさか王子に対して自ら婚約申し込みをするとは、驚きでしたよ。」
「は?・・・お、王子?ですって?」
つい声が裏返った。どういうこと?
「ええ、ええ。黒耀様は魔王様の1人息子あらせられます。まさかご存知でなかったとか?そんな不敬なことが?」
言いながら男が指でメガネを軽く持ち上げると、硝子が反射してキラリと光った。それが無言の圧力のように感じる。
「あ・・、ええと、も、勿論ご存知だわ。」
「なら結構。それで、杏奈様は無謀にも黒耀様と婚約を結びたいと?そうお考えで間違いありませんか?」
確かに私は「婚約申し込み」制度を利用した。
黒耀の態度があまりに酷くて、いても立ってもいられなかったからだ。
「婚約申し込み」とはその名の通り、婚約関係を結びたい相手に向けて、それを正式に申し込む制度で、名前さえ間違えていなければ必ず本人に届けられる。その申し込みに対しての返事は2週間以内と決まっていて、うっかり返事を忘れようものなら承諾と見なされる仕組みになっているのだ。
だからといって、『うっかり』を狙った訳ではない。いや、少しは、ほんの少しは、それでもいいって思ったけど・・・私はただ、彼がそんな物を受け取れば、私がどれだけ本気なのか分かってもらえると思ったのだ。蔑ろにされた私の、切羽詰まった想いを知って欲しかった。
「え、ええ。確かに申し込み書類を送ったわ。」
「はははぁ。その書類が、今ここにあるという訳です。」
「つ、つまり?黒耀には届かなかったと?」
「むほほ。まさにその通りでございます。」
私の想いを、この男が台無しに?
「おっとっと、お怒りにならないでくださいね、私は何も悪いことはしておりません。寧ろ破棄されるところを拾い上げたのですから。」
男はおもむろに鞄に手を伸ばし、書類を引っ張り出した。丸々とした手が、その大事な書類の端をクシャっと握っていて、いらっとする。
「ほら、ここをご覧ください。」
書類を持つ側の脇に鞄を挟み、反対の手である箇所を指し示した。
「え・・・?どういうこと?該当者無しですって?」
確かにそう書いた判を押されている。該当者、無し?
「黒耀様は十数年前から、名前を失くしていらっしゃられます。もしくは、存在が失くなってしまったか。」
「・・・っ!そんな筈はないわっっ!だって私、つい先日に会ったものっ」
「ほほほぅ。」
満足そうにニヤリ、と笑った男のがあまりに気味悪くてゾワリ、と鳥肌が立った。
「な、何?」
「思った通りでございます。杏奈様は黒耀様の居場所を知っておられるのですね。」
「え?い、居場所ってどういうこと?黒耀を探してるってこと?どうして?」
まさか黒耀に危害を?身体を固くして身構えた。
「むむ?警戒してらっしゃる?違いますよ。決して敵などではありませんよ。私ただ、黒耀様がご無事である姿を確認したいだけなのです。」
「本当に?」
「ええ、ええ。ですから是非とも案内を」
ぐいぐいと寄って来るから後ろに後ずさった。
施設から戻って暫くした頃、院長から手紙が届いた。碧が家出した可能性があり、もし見付けたら知らせて欲しいという内容で、他には「花岡海」という人物に会いに行ったかもしれない、ということも書かれてあった。1度しか会っていない私になぜこんな手紙を、と不思議に思ったけれど、他者からみれば私と黒耀はかなり打ち解けて見えたようだ。まぁ確かに、別れ際には連絡先を押し付けたりもした。それに、私に頼ってでも阻止したい程、切羽詰まってもいるようだった。なんでも、碧は彼女に執着していて何をしでかすか分からず、彼女の父である花岡誠一には多額の寄付金を貰った経緯があり、決して迷惑を掛けられないのだと。
花岡海が「あの女」なのだと、私はすぐに直感した。私にとっても、面白くない事態だ。会わせるのはなんとしても阻止したい。そこで、私は協力をする代わりに、碧の所有権を渡して欲しいと提案したのだった。院長は最初は少し難色を示したものの、寄付を弾むと言えばコロリと態度を変えた。お金を貯めていて良かった、と心の底から自分を褒め称えた。
そして・・・それからというもの、私は今日も明日もその次も、もっと言えば昨日も一昨日も、ずっと、ずーっと「あの女」を見張っている。はぁ、大きなため息が出た。つまんない。こんなのって、楽しくない。どうせ見張るなら黒耀の方が断然よかったのに。悔しいことに、女に気を取られている間に、見失ってしまったのだった。しかも、気配を消しているからかなのか、探そうとしても探せないでいた。
はぁぁ、もう1度大きくため息をついて双眼鏡を机に置いた。この双眼鏡は「あの女」を見張る目玉からの景色が見えるようになっているのだ。今日も異常無し、ね。ビスケットを齧りながら記録をノートに付け、始めの方の頁をパラパラとめくってみた。もう数年は経っている。黒耀は、あれから成長したかしら?子供ながら整った顔はしていたわね。
あら?そういえばアレ、どうなったんだろう?
不意に思い出したことに首を傾げつつ、ノートを閉じた。期限はとうに過ぎている。1度問い合わせしておくべきかしらね、私は便箋を取ろうと椅子から立ち上がった。
と、その時、コンコンコン、と扉を叩く音がした。しかもそれは玄関ではなく、この部屋の扉。誰かしら? ゾクリと背筋が冷えた。
もしかして、黒耀? 私に会いに来たの?
おそるおそる扉に向かって話し掛けた。
「そこにいるのは、誰?」
一瞬の静寂の後、カチャリ、とドアノブが回った。
「いやはや、失礼しますよ。」
「は?」
まるで当たり前のように部屋に入ってきたのは、私の知らない人――――ずんぐりむっくりのメガネ男だった。
「だ、誰?」
「むほほ。これはこれは、杏奈様でよろしいですか?」
「え、ええ・・なぜ私の名前を?・・・というか、それ、私のでは?」
男が下げている黒い鞄から僅かに書類らしきものがはみ出ていて、目が吸い寄せられた。上部には私の署名が書かれている気がする。まさに今、私が思い出した「アレ」である。
「ひょひょひょ、まさか王子に対して自ら婚約申し込みをするとは、驚きでしたよ。」
「は?・・・お、王子?ですって?」
つい声が裏返った。どういうこと?
「ええ、ええ。黒耀様は魔王様の1人息子あらせられます。まさかご存知でなかったとか?そんな不敬なことが?」
言いながら男が指でメガネを軽く持ち上げると、硝子が反射してキラリと光った。それが無言の圧力のように感じる。
「あ・・、ええと、も、勿論ご存知だわ。」
「なら結構。それで、杏奈様は無謀にも黒耀様と婚約を結びたいと?そうお考えで間違いありませんか?」
確かに私は「婚約申し込み」制度を利用した。
黒耀の態度があまりに酷くて、いても立ってもいられなかったからだ。
「婚約申し込み」とはその名の通り、婚約関係を結びたい相手に向けて、それを正式に申し込む制度で、名前さえ間違えていなければ必ず本人に届けられる。その申し込みに対しての返事は2週間以内と決まっていて、うっかり返事を忘れようものなら承諾と見なされる仕組みになっているのだ。
だからといって、『うっかり』を狙った訳ではない。いや、少しは、ほんの少しは、それでもいいって思ったけど・・・私はただ、彼がそんな物を受け取れば、私がどれだけ本気なのか分かってもらえると思ったのだ。蔑ろにされた私の、切羽詰まった想いを知って欲しかった。
「え、ええ。確かに申し込み書類を送ったわ。」
「はははぁ。その書類が、今ここにあるという訳です。」
「つ、つまり?黒耀には届かなかったと?」
「むほほ。まさにその通りでございます。」
私の想いを、この男が台無しに?
「おっとっと、お怒りにならないでくださいね、私は何も悪いことはしておりません。寧ろ破棄されるところを拾い上げたのですから。」
男はおもむろに鞄に手を伸ばし、書類を引っ張り出した。丸々とした手が、その大事な書類の端をクシャっと握っていて、いらっとする。
「ほら、ここをご覧ください。」
書類を持つ側の脇に鞄を挟み、反対の手である箇所を指し示した。
「え・・・?どういうこと?該当者無しですって?」
確かにそう書いた判を押されている。該当者、無し?
「黒耀様は十数年前から、名前を失くしていらっしゃられます。もしくは、存在が失くなってしまったか。」
「・・・っ!そんな筈はないわっっ!だって私、つい先日に会ったものっ」
「ほほほぅ。」
満足そうにニヤリ、と笑った男のがあまりに気味悪くてゾワリ、と鳥肌が立った。
「な、何?」
「思った通りでございます。杏奈様は黒耀様の居場所を知っておられるのですね。」
「え?い、居場所ってどういうこと?黒耀を探してるってこと?どうして?」
まさか黒耀に危害を?身体を固くして身構えた。
「むむ?警戒してらっしゃる?違いますよ。決して敵などではありませんよ。私ただ、黒耀様がご無事である姿を確認したいだけなのです。」
「本当に?」
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ぐいぐいと寄って来るから後ろに後ずさった。
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