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崩壊
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**菫(海)
雫さんや瑠璃さんが私を避けている。それは、私が十夜さんとそういう仲じゃないのか、という噂が流れ出したからだった。雫さんに直接聞かれた時に、私は否定も肯定も出来ずに、ただただ黙って俯いていたのだ。
唯一私に話しかけてくれるお母様も、どことなくぎこちなかった。
最初は気遣ってくれているのだろうと思っていたのだけど、ある時、それは違うと気付いた。偶然手が触れた時に、思い切り払われたのだ、まるで汚い物を触ったかのように。きっと、汚れた私を受け入れたくないのだ。お母様はどこまで知っているのだろう。私はいつまで「菫さん」でいられるのだろう。
今の私には、どこにも居場所がない。
送迎の車を出してもらえなくなったのが、皮肉にも時間を潰すにはちょうどよく、朝は早く出て出来るだけ時間をかけて学校へ行き、帰りは繁華街で何をするでもなく過ごして遅くなってから帰宅した。惨めで悲しい。
繁華街で時々話しかけてくる男の人に、もしもついていったなら、寂しくなくなるのかしら・・・。
愚かにも、こんな時に碧がいてくれたら、なんていう自分勝手な考えがよぎり、心の底から自己嫌悪した。今さら思い出した過去の碧は、いつだって私の味方だった。それを、私は踏みにじったのだ。
***
ある朝、学校へ行くと、私の席がなくなっていた。おろおろと見渡す私を、他の生徒達が笑っている。雫さんと瑠璃さんは、目を合わせてくれなかった。
私は教室を飛び出し、十夜さんの部屋まで走った。今日も欠勤なのかもしれないけれど、そこしか行くところがなくて、縋るような気持ちで。
息を整えつつ、どうせ開かないだろうと回した取手は、意外にもカチャリと回り、扉が開いた。
一瞬で、期待に胸が膨らむ。
「十夜さんっ、」
期待通り、十夜さんは、そこにいた。嬉しくて抱き付いてしまいたい。
「なんだ、君か。」
「え・・?」
なんだか素っ気ない。駆け寄ろうとしていた足が、躊躇して止まった。
「何か用?」
「わ、私、十夜さんに会いたくて、あっ、そうだ、あの、ごめんなさいっ、ペンダントを失くしてしまって。」
ワタワタと頭を下げる私を、十夜さんは鼻で笑った。
「あれはもう必要ないから返して貰ったんだ。謝らなくてもいい。」
「必要、ない、ですか?」
「ああ。」
「でも、でもっ、私はまだ持っていたいです。」
十夜さんが私に預けた物だ。唯一繋がっていられる気がするから、ずっと持っていたかった。
「ふ~ん、 でも、もうこれ以上は聞くに耐えなくてね。」
「・・・聞く、ですか?」
意味が分からなくて首を傾げると、十夜さんがポケットからペンダントを取り出し、私に向けた。
あ、私が失くしたと思っていた、ペンダント。
次の瞬間、十夜さんの反対の手から音声が流れ出し、私は固まった。開いた手の平には小さな四角い物が乗っていて、流れる音声は聞きなれたお父様の優しい声なのだけど、
「え、えっ? 嫌っ、と、止めて下さいっ」
頭が真っ白になる。どうして? なぜ十夜さんが? 何の為に?
流れ続ける音声は、改めて聞かされるには耐え難くて、私は耳をふさぎ、その場にしゃがみ込んだ。
「なんだ、以前は普通だとか言ってたのに、しっかり自覚はあるんじゃないか。」
音声を止めて、十夜さんが馬鹿にしたように笑った。
「どうしてこんな事を?」
「どうしてって、僕は君のお父さんが嫌いだからだよ。」
「そんなっ、お父様が何をしたっていうんですっ?」
十夜さんの顔が、すっ、と真顔に戻った。笑い顔も不気味だったけれど、この顔も恐い。寒くないのに、私の身体はさっきからずっと小刻みに震えている。
「・・・人殺しだよ、分かるかい? 人を、殺したんだ。」
「・・・え?」
十夜さんのとんでもない言葉に、目を見開いた。
「君のお父さんは僕の父を殺した。それどころか、全財産を持ち逃げしたんだ。 おっと、自分には関係ないなんて思わないでくれよ。君が贅沢するのに使っている金だって、元々は僕の父の物だ。」
「嘘、嘘ですよね? だってお父様は人殺しなんてしないわ。」
「ふはっ。あんなことをされたのに、まだ信じているんだな。」
ドクンと胸が鳴った。
「や・・やめて・、言わないで。あれは・・、そんなのじゃなくて・・」
そんなのじゃなくて・・そんなのじゃ、なくて、
「そんなのじゃなくて、いったいなんなんだ?聞いた限り、僕には犯罪に思えるんだが。」
「違う、お父様は私を愛しているから」
「君の母親に聞いてごらん。」
「え?」
身体中が強張った。今、何て?
「家に帰って聞いてみるといい。あぁ、でも家に入れてもらえるかな? 先にこの音声を君の両親にも聞かせてあげたから、どうなっているだろうね?」
「嘘っ、嫌っっ・・嫌ですっ。それ以上酷い事言うのは止めて下さい、聞きたくありません。十夜さんっ、今までの優しい十夜さんは、嘘だったのですか? 私、本当に十夜さんの事・・愛していたのに。」
ははっ―――。十夜さんが吹き出した。
「悪かったね。君も被害者だ。だけど僕の事が何だって? 父親とこんな事していながら、よく言えるな。」
「・・・」
「話は済んだだろう。出て行ってくれ。これ以上、周りに勘違いされるのも迷惑だ。」
そんな・・・胸が苦しくて張り裂けそう、苦しい。
やっとの思いで部屋を出て、とにかく帰って確かめたくて、必死で歩いた。少しでも立ち止まってしまうと、もう2度と歩けない気がする。心が潰れる前に、お母様とお父様に会いたい。
ところが、いつもは開いている屋敷の門は閉じられていた。門番もいない。どうにかして気付いてもらおうと門を叩き、お母様を呼び続けていると、中から大きな鞄を持った鞠さんが出てきた。
「あぁっ、鞠さんっ、良かった。変なの、門も開いてないし、学校でも」
「しっ、お嬢様、静かになさって下さい。奥様が寝ていらっしゃいます。」
「お母様が!? 大変、私、早くいかなくちゃ。」
早く、早くと急かすのに、やっと開かれた門には鞠さんがいつまでも立ちはだかっている。
「ねぇ、どいてちょうだい。これじゃ、入れないわ。」
「お嬢様、よく聞いて下さい。お嬢様はもうこのお屋敷には入れません。奥様がお怒りで、2度と顔を見たくないと言っています。せめて、ここに詰めれるだけの荷物を持ってきましたので、これを持って早くどこかへ行って下さい。お金も、少しですがどうぞ。」
足元が、すぅ、冷えていく。
鞠さんは地面に荷物を置き、私の手にお金を握らせると、足早に去っていった。
上手く力の入らない手からは、お金がこぼれ落ち、惨めに泣きながら拾い集めた。行く所なんて、どこにもない。
雫さんや瑠璃さんが私を避けている。それは、私が十夜さんとそういう仲じゃないのか、という噂が流れ出したからだった。雫さんに直接聞かれた時に、私は否定も肯定も出来ずに、ただただ黙って俯いていたのだ。
唯一私に話しかけてくれるお母様も、どことなくぎこちなかった。
最初は気遣ってくれているのだろうと思っていたのだけど、ある時、それは違うと気付いた。偶然手が触れた時に、思い切り払われたのだ、まるで汚い物を触ったかのように。きっと、汚れた私を受け入れたくないのだ。お母様はどこまで知っているのだろう。私はいつまで「菫さん」でいられるのだろう。
今の私には、どこにも居場所がない。
送迎の車を出してもらえなくなったのが、皮肉にも時間を潰すにはちょうどよく、朝は早く出て出来るだけ時間をかけて学校へ行き、帰りは繁華街で何をするでもなく過ごして遅くなってから帰宅した。惨めで悲しい。
繁華街で時々話しかけてくる男の人に、もしもついていったなら、寂しくなくなるのかしら・・・。
愚かにも、こんな時に碧がいてくれたら、なんていう自分勝手な考えがよぎり、心の底から自己嫌悪した。今さら思い出した過去の碧は、いつだって私の味方だった。それを、私は踏みにじったのだ。
***
ある朝、学校へ行くと、私の席がなくなっていた。おろおろと見渡す私を、他の生徒達が笑っている。雫さんと瑠璃さんは、目を合わせてくれなかった。
私は教室を飛び出し、十夜さんの部屋まで走った。今日も欠勤なのかもしれないけれど、そこしか行くところがなくて、縋るような気持ちで。
息を整えつつ、どうせ開かないだろうと回した取手は、意外にもカチャリと回り、扉が開いた。
一瞬で、期待に胸が膨らむ。
「十夜さんっ、」
期待通り、十夜さんは、そこにいた。嬉しくて抱き付いてしまいたい。
「なんだ、君か。」
「え・・?」
なんだか素っ気ない。駆け寄ろうとしていた足が、躊躇して止まった。
「何か用?」
「わ、私、十夜さんに会いたくて、あっ、そうだ、あの、ごめんなさいっ、ペンダントを失くしてしまって。」
ワタワタと頭を下げる私を、十夜さんは鼻で笑った。
「あれはもう必要ないから返して貰ったんだ。謝らなくてもいい。」
「必要、ない、ですか?」
「ああ。」
「でも、でもっ、私はまだ持っていたいです。」
十夜さんが私に預けた物だ。唯一繋がっていられる気がするから、ずっと持っていたかった。
「ふ~ん、 でも、もうこれ以上は聞くに耐えなくてね。」
「・・・聞く、ですか?」
意味が分からなくて首を傾げると、十夜さんがポケットからペンダントを取り出し、私に向けた。
あ、私が失くしたと思っていた、ペンダント。
次の瞬間、十夜さんの反対の手から音声が流れ出し、私は固まった。開いた手の平には小さな四角い物が乗っていて、流れる音声は聞きなれたお父様の優しい声なのだけど、
「え、えっ? 嫌っ、と、止めて下さいっ」
頭が真っ白になる。どうして? なぜ十夜さんが? 何の為に?
流れ続ける音声は、改めて聞かされるには耐え難くて、私は耳をふさぎ、その場にしゃがみ込んだ。
「なんだ、以前は普通だとか言ってたのに、しっかり自覚はあるんじゃないか。」
音声を止めて、十夜さんが馬鹿にしたように笑った。
「どうしてこんな事を?」
「どうしてって、僕は君のお父さんが嫌いだからだよ。」
「そんなっ、お父様が何をしたっていうんですっ?」
十夜さんの顔が、すっ、と真顔に戻った。笑い顔も不気味だったけれど、この顔も恐い。寒くないのに、私の身体はさっきからずっと小刻みに震えている。
「・・・人殺しだよ、分かるかい? 人を、殺したんだ。」
「・・・え?」
十夜さんのとんでもない言葉に、目を見開いた。
「君のお父さんは僕の父を殺した。それどころか、全財産を持ち逃げしたんだ。 おっと、自分には関係ないなんて思わないでくれよ。君が贅沢するのに使っている金だって、元々は僕の父の物だ。」
「嘘、嘘ですよね? だってお父様は人殺しなんてしないわ。」
「ふはっ。あんなことをされたのに、まだ信じているんだな。」
ドクンと胸が鳴った。
「や・・やめて・、言わないで。あれは・・、そんなのじゃなくて・・」
そんなのじゃなくて・・そんなのじゃ、なくて、
「そんなのじゃなくて、いったいなんなんだ?聞いた限り、僕には犯罪に思えるんだが。」
「違う、お父様は私を愛しているから」
「君の母親に聞いてごらん。」
「え?」
身体中が強張った。今、何て?
「家に帰って聞いてみるといい。あぁ、でも家に入れてもらえるかな? 先にこの音声を君の両親にも聞かせてあげたから、どうなっているだろうね?」
「嘘っ、嫌っっ・・嫌ですっ。それ以上酷い事言うのは止めて下さい、聞きたくありません。十夜さんっ、今までの優しい十夜さんは、嘘だったのですか? 私、本当に十夜さんの事・・愛していたのに。」
ははっ―――。十夜さんが吹き出した。
「悪かったね。君も被害者だ。だけど僕の事が何だって? 父親とこんな事していながら、よく言えるな。」
「・・・」
「話は済んだだろう。出て行ってくれ。これ以上、周りに勘違いされるのも迷惑だ。」
そんな・・・胸が苦しくて張り裂けそう、苦しい。
やっとの思いで部屋を出て、とにかく帰って確かめたくて、必死で歩いた。少しでも立ち止まってしまうと、もう2度と歩けない気がする。心が潰れる前に、お母様とお父様に会いたい。
ところが、いつもは開いている屋敷の門は閉じられていた。門番もいない。どうにかして気付いてもらおうと門を叩き、お母様を呼び続けていると、中から大きな鞄を持った鞠さんが出てきた。
「あぁっ、鞠さんっ、良かった。変なの、門も開いてないし、学校でも」
「しっ、お嬢様、静かになさって下さい。奥様が寝ていらっしゃいます。」
「お母様が!? 大変、私、早くいかなくちゃ。」
早く、早くと急かすのに、やっと開かれた門には鞠さんがいつまでも立ちはだかっている。
「ねぇ、どいてちょうだい。これじゃ、入れないわ。」
「お嬢様、よく聞いて下さい。お嬢様はもうこのお屋敷には入れません。奥様がお怒りで、2度と顔を見たくないと言っています。せめて、ここに詰めれるだけの荷物を持ってきましたので、これを持って早くどこかへ行って下さい。お金も、少しですがどうぞ。」
足元が、すぅ、冷えていく。
鞠さんは地面に荷物を置き、私の手にお金を握らせると、足早に去っていった。
上手く力の入らない手からは、お金がこぼれ落ち、惨めに泣きながら拾い集めた。行く所なんて、どこにもない。
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