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2.灰雪の鉱山都市
しおりを挟む雪解けの湿った風が、峠道を吹き抜けていく。
木々の間にまだらに残る雪が、春の光を受けてわずかに輝いていた。
その細い山道を、一組の影が歩いていく。
白い巻き毛の少女――メリィ。
全身黒ずくめの青年――ネロ。
夢を守るという使命を負う二人は、次なる目的地へと、静かに峠を越えようとしていた。
「ネロ~……あとどのくらい?足の先、もう凍っちゃいそう……」
メリィが不満げに呟く。肩に掛けた荷物が揺れ、ふわふわした髪が風に舞う。
「おまえの場合、凍る前に雪だるまになりそうだけどな。……もう少しで峠だ。寒いなら、ちょっと休んで火を起こすか」
ネロが笑いながら振り返り、崖のくぼみに視線を向けた。
二人はその小さな岩陰に身を寄せる。ネロが素早く枝を組み、火打ち石で火を起こした。
乾いた枝がぱちぱちと弾け、暖かな光が二人の影を揺らす。
「ふああ……ほかほか……」
メリィがほっと息をつき、スープの入った木の器を両手で包む。
「ネロの料理って、やっぱりあったかくて美味しいねぇ」
「そりゃどうも。ずぼらな羊が飯炊き任せてくれるおかげで、オレの家事スキルはどんどん上がってるよ」
「あはは……」
メリィはくすりと笑い、湯気の立つスープをすすった。
しばらく、ふたりは静かに食事を楽しむ。
暖かな火と食事――それだけで、峠の寒さも少し和らぐようだった。
「ねえネロ。次の街って、どんなところだっけ?」
食後、器を置いたメリィが問いかける。
「鉱山都市・グラウス。熊族の街だ」
ネロが手早く食器を片付けながら答える。
「熊族? なんだか強そうな人ばっかりいそう……」
「実際、そうだ。寡黙で力持ち。真面目で義理堅い連中だ。ただ、今はちょっとややこしいことになってる」
「ややこしい?」
「領主が病で倒れて、今は息子のグレーシャが政務を代行してる。でも、その城で“夢”絡みの異常が出てるらしい」
「でも夢の異変って……なんだか珍しいね」
メリィがぽつりと口にする。「最近は、変な魔物とか、森の異形とか、そういうのばっかりだったのに」
「ああ……今回は“人の心”に出てるって話だ。悪夢にうなされて、城勤めの連中がまともに働けなくなってるそうだ」
「夢にうなされて、だなんて……それだけで人を壊しちゃうなんて、怖いね」
「“夢”ってのは、それだけ人の心に深く入り込むものだ。夢は見るだけじゃなく、希望とか、願いみたいなもんだからな。そこを突かれたんだろ」
「ふぅん……でも、そんなこと、どうやって起きるのかな。まさか自然に……?」
「さあな。チェビオの報告じゃ“異様な気配”ってあった。何か原因があるのは間違いない」
「やっぱり、行かなくちゃだね。わたしたち」
メリィは胸に手を当てて、焚き火の向こうを見つめた。
“夢守り”としての覚悟が、静かにその瞳に宿る。
「こういう時のために旅してるんだもん。夢を守るために」
「そうだな」
ネロは火に枝をくべながら頷く。
メリィの言葉には、いつも迷いがない。それだけで、心強くなる。
「……ネロ、いつもありがとね。わたし一人じゃ、きっとすぐどこかで迷ってた」
「今さら礼なんかいらねぇよ。お前の世話焼いてる分、料理も火起こしも腕が上がった」
「あははっ! ほんとだね~。ネロって最近、ちょっとお母さんみたい」
「やめろ」
ふたりはくすくす笑い合う。
静かな夜に、薪のはぜる音と二人の声だけが響いていた。
――そして夜が明ける。
淡く朱色に染まった空。
山の稜線から、ぼんやりと朝日が顔を出し始める頃。
ネロは焚き火の残り火に手をかざしながら、ゆっくりと立ち上がった。
「起きろ、メリィ。そろそろ出るぞ」
「ん~~……あと五分……」
もぞもぞと毛布に潜り込む羊族の少女。くしゃくしゃの寝癖が、寒風に揺れている。
「おはよ~ネロ……さむ……」
「さっさと着替えろ。街に着いたら、もっと冷えるぞ。……って、昨日の服そのままか」
「えー……野営だもん。こんな寒いとこで着替えてたら凍えちゃう」
「……甘やかしすぎたな、オレ」
ぼやきつつも、ネロは手際よく朝食の準備を整える。
焼いた干し肉と、乾燥野菜のスープ。湯気とともに、峠の空気が温まっていく。
「ん~。ネロの朝ごはん、大好き」
メリィは笑って、ネロの背にぴとりと寄り添う。
やがて、ふたりは荷をまとめ、重い足取りで山道を再び進み出した。
踏みしめるたび、雪混じりの泥が靴の裏に重くまとわりつく。
だが、その先で――ついに、それは見えた。
岩と鉄で築かれた、無骨な城塞都市。
黒鉄の煙突がいくつも立ち上り、空に煤と煙を吐き出している。
金属を打つ音と、石畳を踏む重い足音が、遠くから響いてくる。
「わぁ……あれがグラウスかぁ。なんか、ゴツゴツしてるね」
「熊族の街だからな。質実剛健……ってやつだ」
ネロは背負った鞄から、一通の手紙を取り出した。
それは、チェビオ――夢守りの仲間から届いた最新の報告書だった。
――『悪い気配が広がっています。
城勤めの者たちが悪夢に侵され、まともな判断ができない者も出始めました。
領主の病状も悪化、息子のグレーシャが代行を務めていますが、彼の様子もどこか不自然。
城に潜む“何か”の気配を感じます。
夢守り チェビオ』
「やっぱり、悪夢が原因なんだね……」
メリィが不安げに呟く。
「このまま放っておけば、もっと酷くなる。最悪、怪物化の兆候も出るだろう」
「……それだけは止めなくちゃ」
メリィは胸に手を当てた。
その瞳に、夢守りとしての揺るぎない決意が宿る。
「夢を、守りに行こう」
その言葉に、ネロが黙って頷く。
ふたりの間に、言葉はいらなかった。
これまで、幾度も越えてきた壁。
今回もまた、越えるべき“夢の異変”が待っているのだ。
――時を同じくして
その遥か先。鉱山都市グラウスの城塞の高みに、一人の白き影が立っていた。
獏族の青年――シュヴァル。
銀白の髪を冷たい風に揺らしながら、街の門の方角をじっと見つめている。
「やっと来たね、メリィ……ようこそ。次の夢の“死”へ」
唇に浮かぶのは、冷たく薄い笑み。
シュヴァルは指先をそっと足元の闇に滑らせる。
彼の周囲には、夢の気配を孕んだ、正体不明の“何か”が蠢いていた。
不穏な予感とともに――物語は、次なる幕を開けようとしていた。
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